気づきの日記「頑張っても報われない・・・そのわけは?」

みんな、日々いろいろ頑張っています。お仕事に、家事に、子育てに、お勉強に・・・。

「頑張って努力すれば、報われるはず」と信じているからこそ頑張っちゃう私たち。たしかに努力はちゃんと答えてくれるところもありますが・・・でもこのテーマに共感する方が多いということは、どうやら努力に対する報酬は見あっていないようです。

なぜ私たちは、頑張っても報われないのでしょうか?

「頑張ったら報われる」と信じていることじたい「頑張らないと報われない」、つまり「そのままの私ではダメ」という無価値感がひそんでいます。そしてさらに、「頑張ることで、誰かが報いてくれるはず」とも信じています。つまり、報われるか報われないかは自分以外の誰かが決めるのだ、という無力感もここにあります。

私たちは「報酬(いいこと)」は常に外からやってくるものだと信じているので、外側へアピールしたり、外側をコントロールしたり、外側を気にすることにエネルギーのすべてを使ってきたわけです。そうなると報われなかった場合、上司や、夫や妻、先生、親など、まわりに腹がたち、自分はおのずと被害者になってしまいます。「なんでみんな報いてくれないんだよ〜!」と。

少し違った見方で世界を見てみると・・・私たちは自分の知覚の中に住んでいるともいえるのです。外に見えている世界はじつは自分の心なかの世界。自分が世界に与えた意味を体験し、自分の世界への解釈を知覚するのです。

つまり、世界じたいに意味はなく、意味を与えたり、解釈したり、知覚するかは自分しだい。自分が見たいように見て、見たとおりに体験している、ということです。

「報われない」という体験をする場合、先ほども書いたように「自分は無価値だから、無力だから、報われるはずはない」という考えが先にあって、それを通して世界に向き合っているので、まさにそういう世界が見えてくるといえます。

私たちは大きくなっていくなかで、さまざまな感情を体験します。両親とのあいだに大きなトラウマはなかったとはいっても、「ねだったオモチャを買ってもらえなかった」とか「(躾と称して)あれこれ怒られた」というだけで、こどもは「価値がないから」そう扱われんだ、とすぐに自虐的な解釈をしてしまいます(こどもは自己中心的ですから、全体など見られません)。

そして誰かがその誤解を解いてくれるまで、つまりお父さんとお母さんはあなたを愛していなかったわけではなく躾をしていたんだよとか、たまたま機嫌が悪かっただけであなたのせいじゃないよと、本当のことを教えてもらうまで、その無価値観の思いこみは後生大事に心の中にしまいこまれています。

一生、その思いこみが訂正されないままである場合もあります。そうして、この「価値がない」という信念を通して世の中を知覚すると、容易に自分をものごとの被害者に仕立ててしまいます。すると、人生に対して「報われない」体験がましてくるわけです。

「頑張っているのに報われない」というとき、本当はなにが起きているかというと、この後生大事に隠しもっていた間違った信念、誤解を正すことが起きているのです。正すために、それを外側に見せてくれているのです。

わたしたちにとって「生きる」ということは、「なんの歪みも抵抗もない、そのままのピュアな自分に戻る」プロセス。なので、日常で遭遇する「うまくいかない、報われない」ポイントとは、小さいころからの自分に対する誤解が何なのかを教えてくれているわけです。小さい頃くっつけてしまったいらない自己イメージを解消するために、外側に映しだして教えてくれているのです。

たとえば、いくら頑張っても会社で正当に評価されない男性。彼はいつも「俺のことをもっと認めろ〜」という怒りにも似たフラストレーションを抱えています。この気持ちこそ、小さいころに慢性的に親との間で感じていた気持ちでした。運動会でいくら一等をとっても、テストで100点をとっても、さして反応を示さない親に、彼は「もっと褒めてよ!認めてよ!」と悲しい気持ちを抱いていたのかもしれません。でも幼いこどもは自分のつらい感情をどのように処理していいのかわからないので、自分の心の奥に抑圧して「なかったこと」にしてしまいす。つまり、心のゴミ箱に捨てて、てフタをして、もう大丈夫!何もなかった! OK!と思っていたのです。

でも、そのゴミ箱は透けていて、その中に捨てたものは、全部自分の外側、自分の見ている世界に映し出されてきます。結局、自分が拒否したものに、自分の世界の中で直面することになるのです。

それは、ちゃんとゴミ箱をカラにして、ゴミが外に映し出されることがないように、ゴミを永遠に処理すして、ピュアな「そのままで価値のあるあなた」に戻るためなのメッセージなのです。

うまくいかないことは、「心のゴミ」が何であるかを教えてくれていて、「何を手放せばいいのか」のヒントです。

「報われない」ときに感じる感情は、まさにこどものころに慢性的に感じていたフラストレーションと同じものです。先ほどの褒めてもらえなかった男性を考えると、社会に出てからもこどもの頃のように「褒めてもらえない」同じようなパターンが起こり、同じ感情の痛みを感じ、自分の持っているキズを教えてもらうのです。

では、「報われない」パターンを手放してみましょう!

【  1  】 まず日常緒で繰り返されている「報われない」パターンが、決して外からやってくるのではなく、自分の内側からやってきていることに気づきます。(「○○さんのせいで報われないと思っていましたが、ぜんぶ私でした。わたしの心の中のゴミが外に見えていたのです。こどものときの「認められたい」痛みがまだそこにあったのです」と被害者になることなく認識します。)
【  2  】 その感情を無条件に感じて、手放してあげます。(「認められたかった」悲しみを、言葉ではなくエネルギーとして全身で受けとめてあげます。感情はちゃんと受け入れて、「感じてあげる」ことで無くすことができます。)
【  3  】 感情を受けとめたら、新しい選択をします。(この感情は、過去のこどもが感じていたものだった。それはもうここでは起っていない。今の自分はもう、じゅうぶん認められてもいいんだ!)
【  4  】 そして同時に、まわりの人に自分が求めていたものを与えてあげること、つまり積極的に他の人を「認めてあげる」こと。(自分が外側に与えてあげることは、心の中では「自分はすでにそれを持っているだ」と認識します。)

「報われないパターン」によって過去の痛みに気がつき、自分に対する誤解を手放すことによって、だんだんとほんとうの自分が姿をあらわすことができます。痛みを繰りかえし続ける人生ではなく、ついに痛みを手放した「本当の自分自身」が外側に映し出されることこそが、自分らしい人生となっていくのです。

自分に「報われないパターン」を見つけたら、じつはそれはチャンスです!被害者、犠牲者になって外を責めるのをやめて、今起きている現実は「自分の心の中の世界」のあらわれとして気づいてみます。気づいたらただ手放してあげるだけ。まずは認識することこそが大切です。

修正のポイントは決して外の世界ではなく、いつも自分の心の中にあるのです。

そして一つひとつの痛みを手放すことによって、わたしたちの目にする世界をだんだんと平和にしていくことができるのです。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー