気づきの日記「 世の中みんなアルツハイマー? 」

最近、世の中では「認知症」への怖れや、「危険ドラッグ」への脅威などがささやかれております。

なっちゃったらどうしよう、巻きぞえくったらどうしよう・・・と。

先日、友人と大笑いしたのですが、「そんなことを心配するよりも、“すでに” わたしたちみんな、アルツハイマーだし、パラノイアだし、そのうえハートショットやっちゃってるよね」「いや〜、手がつけられない。全員、隔離だわ」って。

どういうことかという・・・

アルツハイマーなわたしたちは、自分勝手なアルツハイマーものさしでしかものごとを判断できず、つねにアップしてはダウンするという一喜一憂の連続人生(アップのままではいきません)。そのものの見方はひどく制限され判断にみちているので、自分も人も深く傷つけることになります。というのも、アルツハイマーなわたしたちはものごと全体など把握できず、目にはっきりと見えるものしか信じられないからです。

パラノイアなわたしたちは、すぐに被害者になります。なぜなら世の中はコワイところだと信じているので、ありもしない自作でっちあげドラマにはまり、怖いものしか見えなくなります。コワイから、やたらに人やものごとにかみつき攻撃的になります。また、かわいそうな自分、不幸な自分でいれば、愛のおこぼれがもらえるかも!と期待もあって、かわいそうな自分をやめられないジレンマ。やり続けることによりどんどん被害妄想が深まっていきます。

ハートショットやっちゃっているわたしたちは、自分勝手なでっちあげドラマに耽溺して、そのドラマのなかで大騒ぎをし、それを人にもおしつけちゃったりします。わたしの理想の恋人を演じろと強要したり、わたしを幸せにしろと迫ったり、あらゆる要求をつきつけてあたりまえだと信じています。

というぐあいに、わたしたちも日常ではなにげで、アルツハイマー、パラノイア、ハートショット患者の診断を下されそうです。「一人一人隔離していったら、誰もいなくなっちゃうね」と笑ってしまいました。

でもね、そんなわたしたちの本当の部分はちゃんと健常者です。光です。愛です。

あまりにも外の世界を気にしすぎて、またそこに怖れを抱いてしまったために、エゴちゃんが優勢になり、本当の自分を記憶喪失。

あらら・・・アルツハイマー、パラノイア、危険ドラッグだけでなくって、記憶喪失までも?!(たいへんだわ!)

まずは、そんなコワガりの自分に気がついて、いかに「自分を護らなければ」という力が入った意識で外側の世界と向きあっていたかを知ることが大切。

自分の中にちゃんと備わっている健常者の部分、それはまさに「愛」とか「信頼」とか「安らぎ」の部分ですが、そこから常にものごとを見たり行動できることが大切ですよね。(「愛は怖れをサバ折りにする」、むかしそんな本のサブタイトルがありましたっけ。)「怖れ」を手放して、ほんとうの自分、「愛」にもどりましょ!♡

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー