15-02-03 彼氏は「お道具」?

昨日電車で、前に立っていた女の子ふたりのおしゃべり・・・。

「新しい彼氏、どう?」 「うん・・・忙しそうであまり会えないけど。でも国際的な仕事してるみたいで、三ヶ国語ぐらい話すんだ。だから、将来海外に連れて行ってもらえそうだし...」 「いいな〜、私の彼はぱっとしないから。そういう人選ぶべきだよね」「デートのときもワインとかよく知ってるし、段取りも完璧なんだよね」 「へえ〜、すごい!うらやましい」 ・・・。

こんな感じでえんえんと彼氏の有能さや将来性が話題にのぼり、そのお方の性格や人間性が語られることはついぞありませんでした。

焦点があたるのはもっぱら、どれだけ「おお、すごい!」と思えるか、どれだけ有能であるか、どれだけ特別感があるか・・・それを手にすることで、自分がランクアップ、バージョンアッップする感じ。

う〜ん、それって「道具」選びとさほど変わらないような。・・・彼氏って、結婚って、自分が密かに足りないと思っているところを一気に挽回してくれる魔法のお道具感覚??

そうなんです。自分のパートナー選びって、(意識していなくっても)「自分に役立つお道具」選びのよう。(まあ、わたしたちは何にしろ、自分にとって「何かを手に入れられるもの」にしか飛びつきませんが。だから、地味に隠されているほんとうの輝きや感動や喜びやすばらしさというものを、やすやすと見逃してしまいがちなのですよね。)

パートナーとは・・・ (わたしが隠しもってきた劣等感を補ってくれる)有能さがあって、(わたしの飽きあきした日常に魔法をかけて一変させるという)ニーズにあっていて、(平凡なわたしがキラキラと輝きだしそうな)スペシャル感もあって・・・。自分の人生をランクアップさせてくれて、自分の隠しもった劣等感をカバーしてくれる、そんな魔法のお道具。自分を救いだしてくれる白馬の王子さまなのです。

だから自然と相手に対する要求が大きくなるし、期待もふくらんで、こうであるべきという勝手な理想のイメージを相手にすっぽりとかぶせちゃいます。もう、そういう人だと思ってしか見ないのです。ここがその後のバトルの元凶・・・(汗)。

そもそもワインを知っているからステキな人であるはずもなく(いえ、もちろんワインを知っているすご〜くステキな方もいます!“るん”スタッフのようにね♡)、バイリンガルだからって性格がいいわけでもなく・・・でもなぜか、そんな一点スペシャルなところをみつけると(それは自分の劣等感をうめあわせてくれるポイントなのですが)、全部が全部ステキに違いない、輝いているに違いない、違う世界を知ってるステキな人、この人がわたしを引き上げてくれる・・・と勘違いして、すべてのイメージを勝手にでっちあげちゃうのがこのお年ごろ。(いや、一生やってる場合もあります・・・!)

最初に理想にあてはめちゃうと、あとはボロが出るだけになります。ボロが出るのではなく、相手のほんとうの姿を知るだけなのですが・・・、それがまたゆるせない。

相手のありのままの姿なのに、「そんなはずじゃなかった!」と怒りが爆発(最初からそんな人じゃななかったからね!)。自分がでっちあげたとおりに振るまうようにと攻撃をしかけます。・・・でも、「話が違うじゃない!」とつっかかられても、たんにもともとの姿でそこに存在しているのに過ぎないのですよね。

カウンセリングやセラピーのなかで取り扱われるパートナーシップ、夫婦の問題も、みんなこれが出発点です。そもそも、誤解していたのです。相手のほんとうの姿をちゃんと知ろうとさえしていなかった。

「こんなはずじゃない」「なんでちゃんとできないの?」というバトルが10年、15年と繰りかえされ続けて、ようやく「そうか、もともとこういう人だったのかも。そういう人をわたしは選んじゃったのかも」と気づけるか、気づけないか・・・。(なかなか、自分のなかで起っていることは気づきにくいものです。)

「要求」や「期待」が災いしているのです。だから何に対してもそうですが、もうほんとうに「要求するのはやめよう」「期待するのはやめよう」と決めると、ぜったい裏切られることがありません。怒りもわいてこないし、責める口実もなくなります。

わたしも、なにかとコントロールしたくなったり、イラついてしまうような相手に対して、もう金輪際いっさい「この人のしていることを批判しないし、この人に対して要求しないし、期待もしない」と決めたことがありました。

そもそも腹が立つときって、「要求」や「期待」がかなえられないことで腹が立つので、それをいっさいしなくなるとまったく腹が立つ、イライラするということがなくなりました。

この人がどのように生きていようとも、この人のあるがままなんだからこれでいいんだ。わたしがそれに対して何かを言いたくなるとしたら、自分の利益のために道具化しようとしているに違いない、と気づくようになってきたら、それによって関係がしだいによくなり、ついにはこの「要求」や「期待」によって手にしたいと思っていたものがすべて自然にやってくることになりました。

ものごとは「あるがままに」ほっといてあげる・・・ そこから不思議なことが見えてくる、芽生えてくるのだな〜と実感した体験でした。

パートナーにしろ、子どもにしろ、何にしろ、「要求」や「期待」をしているときには、自分にとって都合のいい「お道具」に仕立てあげようとしているとき。「要求」「期待」がないときには、今まで見えなかったものが見えはじめます。つまり、それによってどれだけ大切なことを見えなくしていたか思いしらされます。

何に対しても「要求しない」「期待しない」というのは、自分の心に平和をもたらしてくれるし、よい関係を運んできてくれるだけでなく、不思議とほっておくことですべてがちゃんと整っていくという「流れ」というものを感じることができるのでした。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー