気づきの日記「3分しか続かないウルトラマンレベルの怒り」

精神分裂か、はたまた多重人格か、そんな疑いをかけられそうなわたし。

だってさっきまで烈火のごとく怒っていたのに、つぎの瞬間、まったく何ごともなかったようににこにこしてて、友好的な態度になっているから。

心をゆるせる間柄だからこそ、お互いわがままやいらぬ感情がむき出しになったりするものですよね。でも最悪なほど言いあいになったとしても、その感情が3分もたないのです。

急にバカらしくなっちゃうのです・・・。争っていることが。(^^ゞ

でも、相手は急変するわたしに何が起っているのかわからないので、この急転直下の変貌ぶりにたじろぎます。(そりゃそうだ!苦笑)

怒りにしても、怖れなどのネガティブな感情にしても、それが外側からやってきて自分を脅かしていると思っているうちは、ほんとうの意味で克服するのはむずかしいものです。

だって、それはたしかに成されたし、そうであったと思うから。そして「わたしは外からやってくるものの被害者だ」と思うからこそ腹がたつし、どうにもできないことに怯えるのです。

幼少のころから、「自分の目にするものは、自分の外の世界にある」とうことを徹底的にたたきこまれているわたしたちは、今までに誰も「それはちがいますよ!」「あなたは自分の心のなかのイメージしか目にできないのです。目にしているものは存在していません。たんなる自分の信念であり、心のイメージです。もし目にしているものをまに受けたとしたら、あなたは世界に対して怯えつづける小さな存在になってしまいますよ」なんて教えてくれなかったし。

今でも、きっと誰もそんなことを教えてくれる人はいないから、わたしたちはいつまでも「目に見えているものに反応しつづけ、それによって感情や人生が左右されてしまい、またそれが外側に見えて、さらに怯える」という悪循環におちいります。

でも、これはたんに不思議なことを言っているわけではなく、まったく本当のこと。今の超心理学は量子物理学と重なってきていますが、どちらも「世界は存在すらせず、意識のなかに住むわたしたち」を解いているのです。そして覚醒した人が言うのも、まったく同じこと。

だから、セラピーをしていてもしっかりと結果を手にできるのは、「どこまで新しい考え方に心を開けるか」ということがとても重要になってきます。

そして、さらにもうひとつ需要なのは、「被害者ゲームを本当にやめたいと思っているのか」ということ。

例えば自分の近し人(家族やパートナー)とケンカをしたとき、ずっと腹をたてて被害者のふりをしていたいと思うことがあります。おヘソを曲げている時間が長ければ、相手に「あなたが決定的に悪いのだ」と罪悪感を感じさせられるし、反省もうながすことができると思っているから。

でも、これをやっちゃうと、わたしたちは無意識のうちで自分を責めるようになります。自分はちゃんとわかっているのです。これがフェアじゃないことを。だからこんな被害者になって相手を責める手を使うと、自分で自分を無意識のうちに罰するようになります。すると、ものごとがうまく運ばないように自分の意識が妨害をしたり、アクシデントや病気さえも起こしたりしてしまいます。

わたしも最近、「こりゃ、どうみたって、あなたが理不尽でしょ!」という場面に出くわしました。相手を謝らせたい、反省させたい気持ちでいっぱい。そんなときに、被害者であることを手放して「すべてはわたしでございました。わたしの心の中のイメージだけを見ていたのです。わたしがつくりました。」というのは、なんとなんと苦しいことか。

でもそんなときこそ、「自分が目にしていることは事実ではなくって、自分の潜在意識の中の影絵であり、それを外にばらまきたいんだ」、そして「相手をまんまと悪者にして、自分がいい子のふりをすることで優越感を感じたいとエゴが叫んでいるんだ。でもそれをしてしまったら、自分を罰することになり、自分の人生にデコボコをふやすだけなんだ」といいきかせ、なんとかのりきるのでした。(ときには、クールダウンするのに時間がかかることもありますが、でも自分で責任をとろうとする態度こそ大切なのですね。)

この考え方をすると、さっきまで火山爆発のように怒っていたのがスっと沈静化します。自分の人生ハードにしたくないからね(笑)。

そして、なにごともなかったように相手にやさしくすると、こんな心のやりとりが起っていたと知らない相手は面食らうようです。この人、多重人格か情緒不安定なのではないか・・・そんな疑いをかけられながらも、でも3分しか続かない怒りは、結局は自分を穏やかにして安らぎを与えてくれるのです。 (^o^)v

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー