15-07-02 トビラがひらく魔法のことば

梅雨まっさかりです。

ひんやりしているようで、寝苦しい。そんな心地悪さから、先日、明け方に長い夢を見ました。もちろんハッピーとはほど遠い夢。あまりにリアルで、目が覚めてからしばらくのあいだ夢のダメージから抜けられず「この事態をどうしよう・・・」と考えてしまったほどです。

しっかり目が覚めてしまえば、その滑稽さ、つじつまの合わなさにただ笑ってしまうだけなのですが・・・ (>_<) 。

その夢のなかでは、わたしの大好きな信頼している人がありえないほど酷くイジワルで怖かった。

なぜにあんなにいい人をこんなにも悪者にしちゃったのか・・・ごめんなさいね〜! という気持ち。

そうです、夢にでてくる人はすべて自分そのもの。自分の隠しもっている感情や無意識に信じていることを見せてくれます。だから、あの人のイジワルさは、まさに自分のイジワルさであり怒りであり、凶暴性、攻撃性のあらわれ。わたしたちは自分のなかで持ちきれなくなった気持ちや思考を、夢のなかで表現してカタをつけようとします。誰かを悪者にして、自分は悪くないと安心したいのです。

自分のなかに「汚物」を抱えているのはなんとも気持ち悪い。だから誰かほかの人のせいにして、自分のネガティブさのすべてを被せて演じさせちゃう。そして自分はちんまりと可哀想な被害者でいようとします。でもほんとうは、凶暴なのはあくまでも自分の思考であって、まあ、自分でもわからないように自分で自分に噛みついているようなものです・・・。

じつは、この自分のなかのゴミ捨て作業は夢のなかだけで秘密裏に行われているわけではありません。日常生活、現実と思えるところでも、まったく同じことを行っているのです

日常生活で登場する自分にとっての悪者は、もれなく自分の影であり、この世の理不尽さ、残酷さ、はかなさも、すべて見たくないと思っている自分の感情と思考を外側にぶちまけたもの。だから、ここも結局は夢のなかと同じ世界、自分がでっちあげている白昼夢の世界なのです。

夢も、そしてこの現実といえる夢も、自分の心のゴミ捨て場となっています。自分の心のなかで、持ちきれなくなったものを捨てることによってできあがってしまった世界。(イメージ・思考を投影した世界。)

なんということか、そのゴミ捨て場のなかに自分は住みついています(まあ、そうですよね。心の中のいらないものを外に捨てても、結局は自分が目にするのはそれしかありません)。ゴミ屋敷の住人のように、わたしたちは自分の捨てたものやその汚さに気づきもしないのです。

最近、自分にとって大切なひととケンカをしました。二十数年の関係のなかで、もっともシリアスなケンカ。

「あれ、この人、こんなにシンラツな人だった? こんな残酷だった?こんな傷つけるようなセリフ言うなんてどうしちゃったの?」と思ったけど・・・。

まてまて、シンラツなのは誰だ?残酷なのは誰?傷つけているのは誰?・・・ ここも、夢のなかと同じ、自分の思考の世界。ここでもわたしは自分の凶暴性に出会ってしまいました。そして、ほんとうは愛情いっぱいで穏やかな人に、すごい悪役を演じさせているし・・・。ここでも「こんなヒドイ人にでっちあげてゴメンナサイ」なのです。

ところで、死んじゃって、あちらの世界に行って「あ〜、やっとヘンな現実をいう白昼夢の世界から脱出した」と思うかもしれません。でも、夢の世界は入れ子状態、マトリョーシカのようになっています。じつは、まだ夢は続きます。眠ってみる夢、起きてみている夢、死んじゃったと思っている夢、そして生まれかわる夢・・・。

いったいどこに終わりがあるのでしょう。このメビウスの環に出口があるのでしょうか?

「この世界、ヘんなことばっかり起る。スピリットのはずのわたしたちは身体という容れものの調子が悪くなるのを見るし、愛情いっぱいの人がキレはじめたり、愛が成就したと思ったら死んじゃったり、これ以上の幸せはないと思ったとたんにありえない不幸が襲ってきたり・・・。これはほんとじゃない。こんな世界おかしいぞ!(怒)本当のことが知りたい!」・・・それがほんとうにお腹の底からの叫びになったときに、ポロリと手のなかに見たことのないカギが落ちてきます。このメビウスの環のなかにある隠し扉、脱出口のカギ。

でもこのカギが手のひらに落ちてくるには、こころの底からの正直な叫びが必要な気がします。

わたしたちは、自分の気持ちを誤摩化しているうちはなかなかこの白昼夢のような世界のおかしさに気づかないし(そう、みんな自分をなだめなだめ生きています。「そんなにここは悪いところじゃないよね!」って(まあ、そうでもいっていないとやっていられないとこでもあります)。でも、心の深いところでは、みんなじつは疲れ果てているし、絶望しているし、神さまにに対して怒ってる。

その気持ちを正直に認めて、「これはおかしいよ!これってほんと? 真実を知りたい!」と心から思ったときに、ちゃんと宇宙はそれに答えてくれるのです。

夢のなかで、信頼する人が残酷だった。・・・ あ〜、夢でよかった!
白昼夢のなかで、大切な人が怒りまくって攻撃してきた。・・・ お〜、これも夢だったか!

「これはわたしの心のなかの間違った思いからつくりだしたイメージであって、ほんものなんかじゃない、わたしはほんとうのことを見たいんだ!」

そう決めると、宇宙はその声にかならず答えてくれるし、はかりしれないパワーのある自分の心もそれに従って違うものを見せはじめます。

目のまえのホラーにくさらずに、ひとつひとつのことを間違ったイメージをキャンセルするチャンスにしていくこと。「これほんとうじゃない、わたしが見たいのはこれじゃない」・・・ これこそ、悪夢から脱出する魔法のことば、新しいトビラがひらくことば。

「わたしが見たいのは、愛であり平和であり、喜びであり光です。なぜなら、わたしこそが愛だから」と!

わたしたちの自由意志を尊重してくれている宇宙は、このひとことこそを待っているのです。「そうです!幸せを選んでくださいね ♡ あなたは幸せになる権利があるのです。そして幸せはすでに用意されています。あなたはあなたが選んだものを見るのです」と! 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー