気づきの日記「受けとるレッスン、お姫さま編」

セラピーセッションの最初の頃、クライエントさんに「自分で自分を大切にする」という宿題をだします。

自分自身におもてなしをして与える練習をすることで、ついつい外に求めてしまう「気づかいや愛情、思いやり、豊かさ」を自分で自分に与えるということを学び、受けとる習慣をつけるためです。

愛情にしても、物質にしても、何にしても、それらは「外の世界から調達すべきものである」と勘違いしてしまうことが間違いのはじまり。すると、「得ること」=「与えてもらう」ことにエネルギーを注ぎすぎて、卑屈になったり、臆病になったり、装ったりと違う自分になってしまい、本来の自分のよさをのびのび表現できなくなってしまいます。(違うものをつくりだしてしまうと、本来の豊かさの「流れ」からはずれてしまいます。)

すべての起源、生まれ出るところは、じつはただひとつ、「自分のこころ」からでしかありません。それらがたんに外の世界に映しだされて、自分に与えられるように見えるのです。

その「自分を大切にする」宿題は、「まるでお姫さまにおもてなしをするような気持ちで、ご自分にいろいろとやさしく気づかってあげてくださいね」とお話します。

たとえば、自分のうちにどこからかやってきたお姫さまが滞在していたら ・・・ きっと気持ちよく過ごせるように、いろいろと気づかいをしてあげると思うのです。

リラックスできるように、お風呂にはいい香りのバスソルトを入れてあげましょうとか、とっておきのふっかふかのタオルとお客さま用にしまっておいた石けんとか。お茶をいれるカップも、大切にしてたブランドもの。もちろんお茶の入れ方もていねいにおいしく ・・・。自分のためにはしないけれど、きっと特別なお姫さまのためなら、いろいろなおもてなしを思いつくことでしょう。

それを全部、自分に与えてあげます。

わたしたちは、人のためにはたいそうやさしくしてあげるけれど、つい自分のこととなると、キツイひとことをあびせたり、ムチうつような無理をさせたりと、決してやさしいとはいえません。(たまに何かおいしいものをプレゼントしてあげても、次の瞬間には厳しいひとことや皮肉を言い放っていたりします。)

だから、「ほんとうに自分にやさしく接する」「自分を尊重して大切にする」ということを、正しく、習慣的にするのはむづかしかったりします。

クライエントさんのM子さんにも、セラピーセッションの流れのなかで「自分におもてなしをして大切にしましょう」という宿題を出していました。

後日、M子さんがいらしたとき「先生、今おもしろい本を読んでいます」と一冊の本のことを話してくださいました。それは「お姫さまごっこ」をするという本で、M子さんはその本のおかげで「自分を大切にする」ということが体験的によくわかったとおっしゃっていました。

宿題どおりに自分を大切にしようとするとき、じつは今ひとつ「どうしていいのか」わからなかったそうな。

この本では、イメージで自分をお姫さまにしたてて(あるいは自分のなかにお姫さまのイメージをつくって)、そこに執事や王子さまを登場させながら、自分を大切にすることを学ぶという、いわばイメージトレーニング。

姫が執事や王子さまに大切にされ見守られながら、自分の正直な気持ちに気づき、自分の望むことを自分に与えることに躊躇しなくなる・・・つまり、価値のあるものを受けとる力をつけていくのです。

おもしろいのは、自分に対して手厳しくなりがちな「自分の考え」をイジワルな執事に見立てて、その厳しいことを言う執事にはおヒマをだしてしまうのです。

そのかわりに、お姫さま(自分)に忠実で、いつも好意的に励ましたり、気づかったり、やさしく仕えてくれる新しい執事を雇います。(それは自分に対する好意的な自分の声。)

そして、ロマンチックで姫にぞっこんの王子さまも登場させます。(自分をほめて励まし、いいところを見つける自分の声。)

結局は全部の役を自分でやるのですが、自分の気持ちを尊重したり、とことん尽くすのは、自分自身だとなかなかうまくいかないものなのです。が、やさしい執事として自分が自分にしてあげると結構なんでもできちゃうし、自分も姫として受け取りやすくなります。

王子さまだって自分ですから、バッチリとかゆいところに手が届く理想の王子さまとして、歯が浮くような褒め言葉だって口にさせることができるのです。 (^。^;

たとえばこんな感じ。

昨日、わたしはお休みだったのですが、「貴子姫とやさしい執事の休日のひとこま」(笑)。

「姫さま、本日はお休みでございますね。お好きなランチをご用意いたしますが、何がよろしいでしょうか」
「そうね、ほうれん草とチーズのカレーがいいかしら」(じつは、以前から食べたくてレトルトを買ってあったけれど、なかなか食べる機会がなかったもの。)
「かしこまりました。それでは、ナンとグリーンサラダ、ラッシーもご用意いたします」(って、ナンはそれから自力で買いに行きました。ラッシーなんて、ふだんはめったに作らないけれど姫さまのためだから、これも自力で作っちゃいます。ヨーグルトと牛乳と蜂蜜でOK!よし、サラダもだ!・・・とふだんは面倒くさくてやらないレベルのこともやっちゃう。)

(食後)「姫さま、午後はどのように過ごされますか?」
「そうね、お願いしておいたDVDは手に入ったかしら?」
「はい、届いております」(って、それから自力で借りに行きましたが。姫さまのためと思うとやってしまう・苦笑。)
「姫さま、DVDとお茶をお持ちしました」
(お客様用カップにとっておきのお茶葉でお茶をいれ、きれいなトレーにうやうやしくのせる)

・・・という具合で、尽くしてくれる執事がいると、自分に対してはふだんはしないおもてなしや気づかいがいろいろとできるのです。

たしかに、やりながら「何をやっているんだ」とおかしくなるときもあります。でも、たしかに自分に対して丁寧になってくるのがおもしろいのです。

自分を大切にするって、そうそうお金もかからないけれど、やってみるととっても心が豊かに感じられるのに気がつきます。

よく「宇宙はあなたに無条件にすべてのものを与えている」というような言葉を耳にしますが、正直「それって、どこに??」と思ってしまうこともあります。でもこれをしてみると、「確かに、受けとる側に問題があったかも」と気がつきます。「受けとります」と言いつつ、全然、受けとれる態勢になっていないことが多いのです。

つまり、本当に受けとるということは、「受けとってもいい自分の価値」というものをちゃんと認めているということ。それがわかっているからこそ、フルに「受けとれる」し、受けとるべきものに気がつくようになります。

執事や王子さまに尽くしてもらっている姫は、自然と受けとり上手になるのだな〜と思いましたよ。

そして、執事や王子さまが問いかけたり提案してくれたりするおかげで、ついつい単調になりがちな日々の生活に色どりも出てくるのだと感じます。

日々の平和な生活をこころから楽しめることこそ、ほんとうのしあわせ感です。

M子さん、役に立つご本教えてくださってありがとうございました。

こちらのご本です。(Kindle もあります)→ 「1日5分のお姫様ごっこ」幸川玲巳さん著

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー