会社に「ホレっぽくて問題になっている」男性がいる、と友人。「まわりが気をもむのよ」と話してくれた。
社内でも、取引先でも、飲み会でも、出会った女性にすぐ恋愛感情をいだいてしまうとか。もちろんそれに続くさまざまなアクションを、ソクとりはじめるそうな。
おひとりだったら問題はないのですが、パートナーとお子さんあり。そうなるとホレっぽいのは問題で、まわりもそのたびにハラハラするとか。
これが原因で一度は離婚の憂きめにあい、新しいパートナーに落ち着くかとおもいきや、またもや熱烈に愛する人を見つけて恋愛が進行中。
「なぜ、わたしはこんなにもホレっぽいのでしょうね?」と、悩んでいるのか自慢なのかわからないつぶやきをこぼしているとか(笑)。ご自分では愛がたくさんあるから、と納得していらっしゃるようですが。
誰かを好きになる・・・ って、もちろん悪いことであるはずがありません。自分のなかの愛があふれだしているわけですから。
でもここで問題なのは、「運命の人」が新しくつぎからつぎへとあらわれること。つまり出会う人をすぐに「運命の人」と思ってしまい執着すること。
この「決まったひとがいてももっとほかに欲しい」という飢餓感、執着感が問題なのです
わたしたちは育ってくる環境のなかで、たくさんの妥協を経験してきます。
どんな妥協かというと、ほんとうの自分を手放すという妥協。
より愛されるためにほんとうの自分を捨てて親の好みにあわせるとか、兄弟から攻撃をうけないように我慢したり妥協するとか、幼稚園や学校という社会でより認められ仲間に入れてもらえるように別の自分を装うとか ・・・。
そんなことをしているうちに、どんどん本来の自分がデフォルメされて違うものに仕立てあげられていきます。そしてしまいには、ほんとうの自分らしさ、自分の輝きがどんなだったのか、自分でもまるで思い出すことができません。妥協をしてきたことすら、自分で気がついていないのですから。
当然、本当の自分で生きていないなら、こころのどこかに葛藤をかかえているし、こころから満足することはありません。
そして、その葛藤さえも自分で気づかないふりをして生きています。何か違うと思っているのに、どこかがおかしいと思っているのに、それをはっきりとこころで自覚できず、なにかすっきと晴れ渡ることができない空のように、うっすらとモヤがかかったような状態。でも、その状態にもいつしか慣れて、それがふつうだ、そんなもんなんだと感じてしまいます。
ほんとうは、こころは知っているのです。大切な輝きを失ってしまっていることに。
そして誰かに出会います。
こころがすごく動いた!ドキドキした!・・・ じつは、これはとうに失ってしまったと思っていた輝きの片鱗にとつじょ出会ってしまった驚きです。だから、とっても知っている感じ、懐かしい何かに出会った感じ、見つけてしまったことに興奮します。
そしてたいてい、「この人こそ、自分にとって大切な人なんだ!」「この人をのがしてはいけない!」と思いこんでしまいます。
ほんとうは、それはうまく生きようと努力した幼少時代に、自分が自分から切り離してしまったほんとうの自分の輝きです。自分のこころの奥の奥の奥のほうに隠されつづけてきたものの輝きを、相手がいま見せてくれているのです。「そろそろほんとうの自分に戻りなさい」、そんなメッセージがきているわけです。
それを自分のこととしてではなく、相手がすべてであると信じると相手にひどく執着することになります。この人が去ってしまったら、またこの感覚が失くなってしまうと怖れるわけです。
失う怖れからコントロールに走ったり、あるいは自分のすべてのパワーを丸投げして相手に依存してしまったり、あるいは強迫的に相手に幸せにしてもらおうとまた違う自分を装いはじめます。
このワナにはまると、せっかく自分の輝きの片鱗を見つけてほんとうの自分に戻ろうとしていたにもかかわらず、ふたたび自分を完全に失うゲームに突入してしまいます。「自分にはなにもありません。あなたがわたしの幸せのすべてです」ということになってしまうからです。
それはまるで、イソップ物語にでてくる肉をくわえた犬のよう。肉をちゃんとくわえているのに、水に映った自分の姿に反応して「わん!」と吠えたら肉は水にボチャン。自分がすでにもっているものを外にあると勘違いして執着することによって、もっていたものを失う方向へと進んでしまいます。
なので、この男性もモテるから恋愛体質というわけではなく、自分のなかに何かを失っているという飢餓感が強いのだと感じます。そして、せっかく失ったものを取り戻す手がかりを見つけられそうになったときに、いつも相手に執着して自分を失うパターンにはまっているわけです。
相手に魅力を感じたときに、自分のこころが「懐かしがっているもの」を感じているということに気づいてあげること。そして、それがじつは自分の奥深くにしまいこまれていることを知って、そこに注意をむけて解放してあげる ・・・ということをしてあげるのが自分が幸せになるやり方。
よく「人に見える美しさは、すでにあなたのなかにある」といいますが、まさにそうなのですね。良い例でも悪い例でも、いつでも人は自分を映しだしてくれる鏡です。
人に魅力を感じたときには、自分のなかで遠い昔になくしてしまったと思っていた輝きをもういちど自分の手のなかに取り戻すチャンス。相手のよさを尊敬して、慈しんで、そして自分のなかにもそれがあるのだと感じてあげることによって、きっと眠っていた輝きが目を覚まして、そして自分の世界をより明るしてくれるのだと思います。
こんな見方ができるとホレっぽさも、自分をより幸せにしてくれますよね。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )