アタマでは「考え」として知っているつもりになっていても、どうもなかなか自分の中心からそれを生きることができないことってあります。
「そんなこと知っているよ!」と思うけれど、それを「生きているか」といわれたら ・・・ぜんぜんそうじゃない。「知っている」のと、それを「生きている」のとは大違い。まだ、その考えと自分とのあいだにミゾがある・・・。
アタマでは理解しているんだけどな〜。でも、どこか自分のものになっていない。それが生きられたらいいのに・・・って。
でも、きょう ・・・無心で床に雑巾をかけていたとき、ふと、ストン!!と自分の中心に「確信」のようなものがふってきた。
突如、それがインストールされちゃった感じ。はからずも・・・。
もうそれを理解しようともしていないし、信じようともしていない。まさに自分がそれになっている感覚なのです。
ああ、「気づき」ってこうやってやってくるんだ。ちょっとづつ、ちょっとづつ、変化が起っていつかわかるようになるのではなく、それは突然やってくる・・・天から直球、ストン! という感じ。
そして、きょうは11月11日。
「 1 」は文句なく、始まりを意味する数字。それが四つも並んでいて、新しいスタート感満載の日です! (^_^)v
自分のなかにストンと落ちてみると、じつは今まですごく「抵抗」してきた自分に気がつきます。「わかってなんかやるもんか!」みたいな。
もちろんそれは無意識なのですが・・・こんな意味のない抵抗、反逆をしていて、妙に疲れちゃったりしていたのだと思います。(これがわたしのパターンか?!)
もっと素直でいいのにね。
心理学の実験におけるアンビバレントなこども・・・を思い出しました。
お母さんがその子とともにいて、その後知らないうちにその子をおいてどこかに行ってしまいます。 ・・・そしてお母さんがふたたび戻ってきたとき、
「ママ〜!」とばかりに素直に走りよるこどもは安定型。
ほんとうは心から「ママ!ママ!どこ行ってたんだよ〜!うえ〜ん!寂しかったよ〜」と叫んで甘えたいこころをぐっと押さえて、すごくクールに知らん顔を装って、お母さんが戻ってきてもひたすら無視する子。これが、アンビバレント型のこども。
自分のなかに葛藤をかかえているのです。
こんなアンビバレント型のこどものように、わたしたちって宇宙からおもいっきり気づかってもらっているのに、わざと背を向けて知らんぷりしているところがあるな〜と思うのです。
ほら!全部、必要なものはここにあるよ。こっちに来てみてごらん!といわれているのに、「いいんです! 自分でどうにかしますから!どうぞご心配なく」みたいな・・・。(笑)
ノドから手がでるほど欲しいのに。なにをそんなにスネちゃっているのでしょうね?
ほんとうは、「うえ〜ん!寂しかったよ〜!怖かったよ〜!ひとりぽっちでどうしようかと思っていたよ〜!」と叫んで甘えたいのに。
甘えちゃえ!叫んじゃえ! おもいっきり。
そうしたら、ストンとなにかが、天からおちてくるかも! (^_-)-☆
PS ところで、今、FMで J. カビラさんがいっていましたが、11月11日は「ブタ饅頭の日」(ブタの鼻に見えるから)、「モヤシの日 」・・・ですって!(笑)
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )