気づきの日記「みんな、自分が嫌い?! その2」

(その1より)

外の世界に見えるものが自分の心のなかにあるイメージの投影(映しだし)であるのなら、じゃあ、イヤな体験をしている自分って、結局自分が悪いのか ・・・そう思ってしまいます。

たしかに、すべては「自分発」で、そうでないものなどないのですが、その「自分発」のものがほんとうに真実なのか・・・というと、じつはそうではありません。「真実ではない」 ということなのです。つまり、自分でもほんとうの自分がわかっていません。

ほんとうの自分を外に投影している ・・・というよりは、じつは自分のなかで持ちきれなくなったゴミを外に見ているという方が正しいのです。自分でもちゃんとわかっているのですね。「こんなの、ほんとうの自分のイメージではない」ということが。だから、外にゴミ捨てして、無かったことにしたいのですが、結局はつねに目にすることになってしまっていますが。

私たちが自分だと思っているイメージは、両親からの扱いや評価、幼稚園や学校などでの自分の立ち位置など ・・・すべて外からの影響によって洗脳されていきます。

たとえば、自分の性質がとても活発だったとします。それを好む親であれば「よい子」と評価され、好まれないならば変えるように仕向けられるかもしれません。あるがままの自分を受けいれてもらえないと、その子は自分が「ダメな子なんだ」「劣っているから親が困っている。親を困らせる自分は価値がない」というように決めつけてしまいます。ほんとうは、親のお好みに合わなかった、ただそれだけで、他の家に生まれていたらまた事情は違っていたかもしれません。

そして、家で、幼稚園で、学校で、仲間内で、つねに外の反応を気にしているうちに、自分の価値も自尊心もゆらいできて、すっかり自分が誰だかわからなくなってしまいます。強いお姉ちゃんがいたら、うまく巻かれておいたほうが生きやすいと思うかもしれないし、親に過剰に期待されると、すっかり「よい子の仮面」と一体化してしまうかもしれません。人の目を気にしていると、なにを基準に自分のアイデンティティを確立してよいのか、さっぱりわからなくなります。

そして、ほんものじゃないズレてる自分を生きてるのはとってもエネルギーを消耗するし、フラストレーションを感じます。私たちがわけもなく憂鬱になったりイヤな気持ちになるのは、ほんとうの自分とはズレた自分を生きつづけ、それが自分に定着してしまった嫌悪感やウソっぽさから湧き上がってくるものです。

私たちの高い自己(ハイヤーセルフ)はそんなズレた状態のまま私たちをほっておくことはしないのです!(これは、ホッとしますよね。)

高い自己のアラーム、「あなた、ズレてますよ!ほんとうの自分にそろそろ戻るときですよ」というお知らせは、じつはイヤな出来事をとおしてやってきます。楽しいばかりだったら、人はなにひとつ改善する必要を感じられないからです。

「イヤな気持ち」「うまくいかない出来事」「くりかえす問題」は、ちょっと立ち止まりなさいというシグナル。

でも、人はそのシグナルに気づくとなにをするかというと、それを解決すべくしゃかりきになってさらに行動を起こそうとします。なにか手を打たねば!行動せねば!と。すると、さらに迷宮に入ってしまいます。

だって、立ち止まって欲しいために鳴っていたシグナルですから。(仕方ありませんよね。私たちはこういうことに関して、まったく学校で教育されていません。でも、英語を習うよりも先に、自分と自分の心について学ぶことの方が大切だと感じてしまいます。)

問題あれこれが起きてイヤ〜な気持ちになったとき、みんなそんな気持ちは感じたくないから、どうにか誤摩化そう、気晴らしをしようとします。けれど大切なことは、まずはしっかりと立ち止まって、ちゃんと自分の気持ちを感じることが大切なのです。

気持ちを感じたくないから逃げるのですが、この際、ドッジボールです!正面から、その感情のボールを受け止めましょう!

なぜなら、小さい頃に「対応不可能」と決めつけてガンガン呑みこんだたくさんのネガティブな感情こそが、ほんとうの自分につながることを邪魔しているからです。

ひとつひとつの言われた言葉やされた扱いを思い出すかもしれませんが、とにかく解放しなくちゃならないのは、そのとき呑みこんだ気持ちです。これが自分の晴れ晴れとした快晴の青空のような広がりのうえをスモッグのようにすっぽりとおおって、まったく光を通さなくなっているからです。

ほんとうの自分とのディスコネクト(分離)状態・・・。パワーがまったく供給されません。

だから不安になって、あらゆることに手を出します。買い物依存、恋愛依存、アルコール依存、ギャンブル依存、過食、薬物依存、回遊魚のような絶えまない活動・・・。そのうち、自分のダメなイメージともすっかりと仲良しになり、イヤな気持ちも慢性化してしまいます。

問題があるなしにかかわらず、つねに自分がなにを今感じているのかに気をつけているというのは、自分のなかをクリーニングする習慣をもつようなもの。

イヤな気持ちを見つけたら、しっかりと受けとめて、抱きしめて愛おしむような気持ちで感じてあげます。イヤな気持ちを泣いている小さな子どものようにイメージして、抱きしめてあげます。(イヤな気持ちだったはずなのに、愛おしくて泣けてきたりします。)すると、自分のなかにす〜っと溶けるように、消え去っていきます。(マシュマロがココアのなかに溶けてくみたい。)

そして、これがすんだら次なるステップへ。

自分に対する間違った考え(自己卑下や被害者意識など)は自分がしっかりと握りしめてきた考えなので、なかなか自分では訂正することができません。

なので、高い意識に委ねて、ほんとうのことを見せてもらいます。「わたしは、自分が(価値がない、嫌いである)と信じています。でももう、この考えは持ち続けたくありません。ほんとうのことを見せてください。感じさせてください」とお願いします。

自分が見たがっているほんとうの自分とはなんでしょう?・・・それは、唯一のもの、ワンネスの一部である完璧な自分。愛であり、安らぎであり、喜びであり、豊かさであり、輝きである自分。ひとつのもの(完璧さ)しか存在しないのであれば、それ以外を見てるわたしたちはどこかおかしいということになります。

おかしいということは、正す必要があるということ。でも、それを自分ではどうすることもできない ・・・となれば、ホンモノの自分自身の記憶ともいえる存在、正気の自分ともいえる存在である高い自己(ハイヤーセルフ)にお願いして、それを見せてもらうことが必要なのです。

それを理解すると、問題が見えたときにはつねに自分を正す、ほんとうの自分に連れ戻してあげるチャンスとなります。間違いは目にしない限り、どこが間違ってしまっているのか気づきようがありません。目にしたときには、「ここを変えましょう。もうこれを手放しましょう」と教えてもらっているということです。

だから、被害者意識をもったり、あるいは自分を責めるとなく、「自分の心の間違っているところ教えてもらった」「これを手放せばいいんだ」と心を切り変えればいいわけです。

そして、手放すときも決して自分でやる必要がないところが、なんともお手軽で嬉しいところ。

ただ高い意識に「これは外になるのではなく、私の心の中の問題です。これをもう持ち続けたくありません。どうぞ手放せるように助けてください」と、人のせいにしないで自分の間違いを認めて、手放す意思を示すと高い自己は即座にそれを行ってくれます。

だから、こんな問題をつくってしまって!とか、こんなことを外に見る自分は酷すぎる!と、自分を責めることはなく、ただ静かに取り消しをしていきます。

わたしも以前はイヤな気持ちを感じると、過剰に活動的になったり、あるいはいろいろと気晴らしをしたり、刺激を求めたりしたものです。でも、どれも根本的な解決ではないと気づいたのも、だいぶいろいろとやってからです。(ほんとうに解決になっていないと心の底から気づかないと、なかなかやめないものですね。汗)

せっかく「ほんとうの自分に戻ってね!」というアラームが鳴っているのであれば、目をそらすことなく、どれどれ、この問題に関する気持ちをしっかりと真っ正面から受けとめて、そして高い自己に丸投げしちゃって、あとはうまくやってもらいましょう!(この渡す姿勢こそが重要なようです!)

まずは、イヤ〜な気持ちをちゃんと感じて受けとめる。そして、高い自己に委ねて依頼する!

あとは少しづつ気持ちも落ち着いてくるし、ムリに自分を好きにならなくても自然とありのままの自分でよいのだ!という信頼がもどってきます。そうすると、外の世界も安らぎが感じられるようになてくると思います。(^_^)v

 

 

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