気づきの日記「イカるたびに自分を痛めつけてる?!」

「こどもにすぐに声を荒げて怒っちゃうんですよ」という若いおとうさん。聞けば、彼の父親もすぐ怒る人だったそうな。

怒鳴る父、イライラをぶつける母、不満をぶちまける大人たち (テレビを観てても、不満オンパレード!)・・・ わたしたちはものごころつく頃から、さまざまな怒りと不満にさらされています。その結果、気に食わないことがあれば「怒り」をあらわにするのは当然で、それが「自分は満足していない」「改めて下さい」という意思表示なのだと学習してしまいます。また怒ることは、必要なものを手に入れる手っとり早い方法だとも信じます。怒れば確実に手に入るさ!と。

でも、だれも怒られて楽しい人はいないので、怒られると引きます。距離をおきます。離れていきます。結果、欲しいものを手にするための策略は、まんまと孤立を招き、手にしたかったものは遠ざかっていくことになります。

相談にいらしたこの若いおとうさんのように、怒った本人こそが罪悪感を感じて苦しくなります。

そして、何よりも困ったことには、自分を責めているひとは “ もれなく「自分を罰する」というワナにはまります ”。予期せぬアクシデントや病気というかたちで痛みを感じることで自分をいじめて、バランスを保とうとするのです。

私たちは「怒る」ことは、手に入れる方法であり、相手をコントロールできる方法であり、また自分のパワーを取り戻せると信じてしまっています。 ・・・ でも、怒ったあとはもれなくイヤな気分が襲ってきて、自己嫌悪。「こんな結果がほしいんじゃない。仲良くしたいのに。いい気分でいたいのに」と離れていった相手を見て苦々しく感じます。自分でもちゃんとわかっているのです。怒りは何の役にも立たないことを。

で、自責の念から無意識のうちに取り消しを行います。

それが、怒ってしまった自分を罰するということ。アクシデントや病気という大きな出来事の場合もあるし、あるいはテーブルの角におもいきり足をぶつけて痛い思いをしたりとか。人に怒ったり攻撃したあと、気をつけていると必ずそんなイタタな経験が起っているのに気がつきます。自分を痛めつけて「ホラ、わたしだってこんな痛い思いをしたんだから、これでおあいこだよね! だからもう忘れてよ!」と自分で勝手にチャラにしようと試みます。罰と思えることにタイムラグがあってつながりがわかりづらいときもありますが、自分の問題というのはたいていそんなところからきています。

いずれにしても、相手は知るよしもなく、自己満足の不毛な償いなのですが・・・。結局、怒ると自分こそがダメージを被っているというわけです。怒ることは、相手にも自分にも全然やさしくありません。

本当のところ、「怒り」はダミーの感情でその下にある本当の感情をカモフラージュするためのもの。ものごとが起ったときに、あまりにも素早く怒りにかわるのでなかなか気づけないのですが、その下に隠された感情があります。

たとえば、「こどもをすぐ怒っちゃうおとうさん」。こどもが手に負えなくなったとき、とっさに感じているのは「無力感」。それはこどもの頃よく感じていた感情で、こころの片隅に放置されていたものです。ものごとが外から襲いかかってくるようで手に負えず、コントロールしたいのに呑みこまれてしまいそうな怖れ。自分のこどもがわんわん泣けば泣くほど、自分のなかに隠していた「無力で小さな自分」が刺激されて小さな自分にもどっていきます。でも、そんなとき、「オット!自分の見たくないものが見えてしまいそうだ。そうだ怒りでごまかそう」と怒りで自分の狼狽した気持ちをごまかします。

ほんとうは、その隠されていた感情を素早く見抜いて、ちゃんと正面から向きあってあげることが大切なのです。「ああ、自分のなかには、まだこんなにおびえてる男の子がいたんだね。もう大丈夫だよ」って言ってあげられたら、その男の子は安心できるようになるし、大人として「今起きていること」を冷静にみることができるようになります。だから、積極的に自分のこころのひだに隠されている「弱さ」を知り、向きあうことは大切なのです。

怒ってしまえば、「あなたが悪い子だから」ですませることができちゃう。自分のなかにある「自己嫌悪」や「自信のなさ」という見たくない感情を向き合わなくてすみます。そうやって永遠に放置しておこうとします。でも、向きあわない限りは怒り続けることになり、愛を遠ざける結果になってしまうわけです。

すべては意識的に気がつかないと終わりにすることはできないのですね。目に見えて気づかないと、「片づけよう」とも思わないからです。でも、気がついたらおしまいにすることができるのです。

だから、怒っちゃったらチャンス! 長年のこころの重荷を降ろすビッグチャンス!

怒りの下でパニックになっている「小さな自分」をその小ささから解放してあげることができるのです(これをしてあげないと、いくつになっても自分の自己イメージはそのときのままにとどまってしまいます)。

自分のなかにあった怒りの原因がわかりはじめると、怒るよりも自分のなかの「弱いと勘違いしている部分」にやさしくできるようになります。「そんなふうに感じていたんだね」とやさしく認めてあげることで、癒しが起ります。そんな弱い自分は安心して消えていきます。もとからある自分の強さ、落ち着きが戻ってきます。

本当の自分を知るには、いらないお荷物を片づけるにつきます。

そして、きっと泣いている目のまえのこどもにも、やさしい共感のまなざしを向けてあげる余裕がでてくると思うのです。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング