「マリーゴールド ホテル -幸せへの第二章-」「グランドフィナーレ」「君がくれたグッドライフ」「或る終焉」・・・最近、なんとなくチョイスした映画には共通項が。
はからずも、人生のエンディング、そしてその選択についてのストーリー。
たとえば、「君がくれたグッドライフ」。
これは、気ごころ知れた仲間たちが毎年恒例で出かける自転車旅行のお話。
その年、旅の計画を担当したのはハンネス。彼が選んだ行き先はベルギー。「なんだ、チョコレート以外はなにもないじゃないか!」とブーイングをうけながらも、目的地を目指すハンネスと仲間たち。
じつは、ハンネスにとってベルギーとは重要な意味のある場所であり、決して変更することができない目的地だったのです。
そこは「死の権利」のある国、つまり合法的に尊厳死がゆるされる国だったから。不治の病を隠しもつ彼にとって、このベルギーへの道のりは最期の旅であり、決して戻る道などない永遠への旅立ちだったのです。
旅の途中でその事実を告げられた5人の仲間は激しく動揺し、葛藤のなかに投げこまれます。一日、一日と目的地に近づきながら、あふれ出す様々な思いにそれぞれが直面することになります。 ・・・
そしてもう一本、「或る終焉」。こちらも人生の最期についてのお話し。
在宅のターミナルケアを職業とする看護士の男性、デヴィッド(ティム・ロス)。その介護の熱心さ、親身さは、まるで彼にプライベートな生活などないほどなのです。
それは看護士という職業をこえる献身の度合いで、患者にとっては痛みや苦しみを含めすべてをゆだねる、家族よりも近い大切な存在となっていたのです。
そんな親密さから、家族の勘違いをさそい、セクハラで訴えられることも。
彼のそこまでの献身にはじつは理由があって、彼の心はぬぐいきれない罪悪感を抱えていたのです。
そんなある日、面倒をみている一人の患者から「あること」を懇願されます。いったんは拒んだものの、患者と一心同体そのものの彼は、その患者の絶望感も苦しみもじつはわかりすぎるぐらいにわかっているのです。
さて、彼はどうするのか?・・・
最近、ラブストーリーものがめっきり減って、こんなテーマを扱う作品がぐっとふえてきたのを感じます。実際、それが今、起きていることなのだからでしょう。
私にはこの次元から早々に旅立っていってしまった親しい友人たちがいます。でも、私の心には悲しみや喪失感というものがありません。
感じているとすれば、それはちょっとご無沙汰な懐かしい感じ、愛しい感じ。なぜなら、どちみち、またすぐに会うからね。あっちで。十年、二十年、三十年はあっというまなのです。友人との再会だって、「あら、気がついたら、二十年もご無沙汰だったわ!」ということが多々あります。
だから送るときには、「よい旅になりますように。向こうでも楽しんでね。たまには、便りをちょうだいね〜。そっちの住み心地を教えてね」そんな気持ちになります。
今までタブーであったり、あまり語りたくなかったり・・・という部分にだんだん光があてられるようになって、怖れのない違った目線から見られるようになるのだと思います。
そして、今までは人生でいちばん悲しいこと、避けたいことであったことも、どこから光をあてるのかによって、違う意味があらわれたり、贈りものとしてさえ感じられるようになるのかもしれません。 ・・・ そうしたら、最期についても、ずいぶん意識が変わってくるのでしょうね。