「まだ学ばれていないレッスンは、それが学ばれるまでくりかえす」とか・・・、「それがくりかえし起こるなら、そこには学ばれていないレッスンがある」などといわれています。
つまり、自分の人生に何度も起きてくる問題があるとき、どうやらわたしたちは何かを学びそこなっているらしいのです。
「同じパターンで何度もくりかえす人との不和」、あるいは「慢性的になってしまっている身体の不調」、そして「なかなか解決しない経済的な問題」などなど ・・・「ああ〜、またか?!(汗)」とタメ息をつきたくなってしまうときがあります。
解決のために努力していないわけではないのです。
たとえば「経済的な問題からどうしても抜けられない」というあるクライエントさん。
「学びそこねているレッスンがあるということはわかっていました。だから積極的に取り組んでみたんです。“与える”ということに。“与えることは受けとること”、そして“与えるまでは、自分が持っているものに気がつけない”っていうじゃないですか。じゃあ、気前よくプレゼントに精をだしてみようって決めたんです」と。
「で? どうなったんですか?」とわたし。
「与えることは実際、気分がいいことでした。でも、経済的な状況には特に変化はありませんでした。だから、問題は解決していません。こんなに与えているのにちゃんと戻ってこないじゃないか、という葛藤を感じずにはいられません」とクライエントさん。
もちろん「与えることは受けとること」であり、「与えるまでは自分が持っているものに気がつけない」ということは本当ですが、不足感から与えてしまったので、不足感を受けとることになってしまったようです。
「与える、受けとる」というのは、モノというよりも「思い」をあらわしているのですね。だからこの場合には、「豊かな気持ちとか、喜び」という「思い」を分かちあうほうが、結果としての豊かさにつながったのだと思います。
こうなってくると、「いったい学ばなくちゃいけないレッスンって何なんですか〜? いっそのこと、問題と一緒に“レッスンのポイント”とか、“解決のカギ”とかいうプリントでもくっつけてくれたらわかりやすいのに。 神様って不親切!」って思っちゃったりします。
どうやら、レッスンのポイントとは ・・・ どの問題にも共通しているようなのです。
端的にいってしまうと、「あなたが誰であるのか知りなさい」ということ。そして、そのことにおいていちばんズレが生じている状況(人間関係、身体の扱い、経済的なこと・・・)に、問題はあらわれるようです。
たとえば経済的な問題の場合、「生存する」ということに対して戦々恐々とした気持ちを感じているということがいえそうです。
「ここは危ないところだ」という信念があり、生きることはサバイバルであり、そのためには危険をかいくぐって自力で生存していかなければならない。ある意味、「生きることは戦いだ」という感じです。決して、守られ、育まれ、導かれて、愛されている存在としての自分を自覚していません。
まさにその危険な信念のままに、ここは危なく、こころもとない世界に映ります。自分で頑張って生存を勝ち取らなければならないサバンナのような体験をすることになるわけです。
でも宇宙は是非とも学んで欲しいことがあるのです。ほんとうのことを。あなたの真実を。だから問いかけます。
「あなたって誰なんですか? 壊れてなくなってしまう身体なんですか? そりゃ〜危ないですね。何が起こるかわからないですよね。スピリットだったらよかったのに。形がないから安全です。それに限界がないし。怖いことなんかなくなるでしょう。戦う必要も、コントロールもいらないし。そして、すでにすべてとひとつなのだから、無限であったら欠乏することなんかないですよね。なんせ、すべてですから。・・・ ところで、あなたって、誰でしたっけ? 身体なんでしたっけ??」と、何度も問い直されているわけです。
だから解決としては、スピリットとしての自分に戻ろうとすること。まずはコントロールを手放して、ゆだねて、宇宙という無限の豊かさのなかに浮かぶためにリラックスして力を抜くこと。そうすれば、小さな切り離された断片としての経験ではなく、限りないもののなかですべてが流れてくる体験をすることができる・・・と。
この「本来の自分のありかた」をわたしたちは学ばされているようです。だからどの問題にしても、「こわがらなくていいのですよ。ただ信頼して力をぬきなさい。自分でやろうとしないでゆだねることを学びなさい」といわれ続けているのです。
「なんでも自分でちゃんとやりなさい」「人を頼らないように」と教育されてきたわたしたちにとって、「力をぬいて、ただあるがままにする」って、なんだかサボっているというか、手をぬいているというか、あまり賢く感じられないようです。「自分でやってこそ、でしょ!」って思ってる。
しかし、問題に直面したときにいちばん大切なのは、まったく価値判断せずにただ「そのままにする」こと、「いじくりまわさない」「画策にはしらない」、そして「流れを信頼する」ということなのです。
わたしたちにとって「学ばれていないレッスン」とは、どうやら「力をぬいて、完全にゆだねて、信頼する」というシンプルなことのようです。(まるで泳ぎ方、いや浮き方のレッスンのようだわ。わたしは、今だに水泳が苦手!)
シンプルに思える「信頼」こそが、じつはとってもむずかしい。なんか、真っ逆さまに墜落しそうな、水のなかで溺れ死にそうな、そんな怖さがあります。
でも、空中ブランコだって離さないと次がつかめないように、怖さを手放して信頼したときにこそ、はじめて「体験」として「うまくいくんだ」ということが教えてもらえるようです。
レッスンにパスするために ・・・ただ「信頼」「信頼」「信頼」!! ꒰⁎×﹏×⁎꒱ ༘