17-08-17 まさに諸悪の根源、罪悪感 (ꐦ°д°) について

クライエントさんとのセッションで・・・

「この世のあらゆる問題というのは、自分に対する間違った認識、つまり自分は恥ずべき存在だ、罪深いという罪悪感から生まれているのです。そして、自ら自分を罰しておけば恐ろしい制裁をまぬがれることができると信じて、問題というかたちで常に自分に罰を与えます。それが問題となります」と、誰もが無意識のうちにこころに抱いている罪悪感について話していました。すると、

「さまざまな問題の原因はこころのなかにある罪悪感だ、ということはわかったのですが。でも、私に関しては罪悪感というものがないように感じます。今まで罪悪感というものを意識したことがないのです。だからピンときません」とクライエントさん。

たしかに、劣等感や自責の念、自己攻撃が強い方の場合、それは自分で自分を恥ずかしく感じていて、あきらかに自分を責めているということがわかります。しかし、このような自責の念がないからといって、罪悪感がないというわけではないのです。

たとえば ・・・

不平不満を言う ・・・ なぜ不平不満を言いたくなるのか? それは、不平不満を言わないと好きにされちゃうと思っているから。不平不満を言うことで、その状況や人間関係をコントロールして優位に立とうとするのです。優位に立たないと自分はダメだ、やられてしまう。すなわち、自分のことを責めている = だから、不平不満も罪悪感です。

怖れる ・・・ 怖れているとき、それは未来に何か悪いことがやってくると信じているときです。まだ何も起こっていないのに、なぜ自分に悪いことがふりかかるに違いないと信じたいのでしょうか?それは、自分には悪いことが起こって当然だと信じているから。悪いことが起こるべき人とは、それは悪い人であり、罰せられる人であるという信念 = 怖れるも罪悪感ということになります。

落ち込む ・・・気分がすぐれない。晴れ晴れしない。なんかひっかかっている。OKな感じがしない。なぜなら、自分のなかに自分に対する暗いイメージがあるから。なんか後ろめたい。よいことがやってくる!と手放しで喜べない。だって、私、それに値するような人じゃありませんからという信念 = 落ち込むのも罪悪感。

楽しめない ・・・ 楽しんじゃいけない、喜びを手にしてはいけない、幸せになってはいけない。楽しむと悪いことが起こるって、びくびくしている。なぜなら、そういう身分じゃないから。楽しむ価値のない人であるという信念 = はい、楽しめないのも罪悪感。

そして、不満を口にしたことがない人もいないし、怖れたことがない人もいないし、落ち込んだことがない人もこの世にいないので、世の中のみんな、全員がこっそりとこころのなかに「罪悪感」を抱えながら生きている、ということになります。

そして、その罪悪感があるから、バレないように人から遠ざかって孤独になろうとしたり、問題や病気をわざとつくることで弱者のふりをして身を守ろうとしたり(悪い人は罰せられるので)、あるいはそのように罰せられるまえに「やられる前にやってしまえ!」とばかりに常に攻撃的になって闘ったり ・・・。

でもそれをすればするほど、より事態は悪化します。自分とは「悪いやつである」という信念を強化して、より罪悪感が深まってしまうからです。

じゃあ、どうしましょ??

自分の行動が自分の思いを強化するのなら、「悪いやつ」でない振るまいをすればよいということになります。

不満を言わない、どんな事態も怖れない、落ち込まない、自分を責めない、攻撃的にならない、防衛的にならない、人から遠ざからない ・・・ つまり、こころをオープンにして自然体でいること。

起こるすべてを、自分はダメな悪いやつだからという「戦々恐々とした怖れの目線」でみるのではなく、このままで無条件に愛されている私という「すべてが完全な流れにあるという安心の目線」で見てみること。

なぜ安心していられるのか?

もともと私たちはそのまま、あるがままで宇宙に(神さまに、無限の存在に、源に)愛されているはずだから。そんな大いなる力に大切にされているのだから、自分で自分をちまちま守る必要はないのです。ほっておいても、ちゃんと完全に育まれて、導かれて、愛されている ・・・ ということを理解する、ということです。

私たちがネガティブな感情をもった、感じた、ということは、まさに罪悪感がありますよという証です。

気がついたら、否定することも、抑圧することも、無視することもなく ・・・ 「わたしのなかには、自分自身を攻撃するような間違った思いがあるのだわ」と気づいて、ただ自分自身の「高い意識(ハイヤーセルフ、スピリット、エンンジル、etc )」に渡して(委ねて)しまいましょう。

「私のこころが今だに信じている自分に対する罪悪感を、どうぞ私のこころから取り去ってください。なぜなら、私はそのような存在ではないからです」と。

そう、私たちがするのはこの渡していく作業だけです。

スルーすることなく、ちゃんと正面から気づいて、それに対してとくに反応することはなく、ただ「取り去ってくれるように」高い意識にお願いする。・・・ これだけでヨイのです♪

ネガティブな感情ばっかり感じて困っちゃう〜!!(汗)・・・ いえいえ、無意識になってしまっている「罪悪感」にバイバイするまたとないチャンスです。渡してしまいましょう!

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング