いつも診ていただいている先生のところで「前回、風邪をひいたのはいつですか?」と尋ねられたとき、しばらく考えこんでしまいました。それぐらい元気な最近です。
ところが、数日まえ、ふと ・・・水も飲めないぐらい自分が弱ってる、そんな具合の悪そうな画像がアタマをよぎったのです。「うわ!こんなのやだわ」とスルーしました。
そうしたらほどなく ・・・ 水さえ飲めないまったく同じ症状にみまわれてしまいました。十数年ぶりに三日間ほどダウンしてしまったしだいです。
本日より、めでたくやわやわと営業開始です(予約変更で大変ご迷惑をおかけいたしました)。
「考えには力があるから、そんなことを考えたからそうなったのではありませんか?」と思われるかもしれませんが、じつは私たちの考えが影響するというのはそのような細々としたレベルのもののことではなく、もっと根幹にある考えのことです。
一瞬一瞬よぎる細々とした考えこそが、そのベースにある信念の結果なのです。
そして、そのようなイメージというのは考えるまでもなく、勝手にやってくるものです。じつは自分でそれを阻止することもできません。(自分で好んでイメージしたり考えているのではなく、どこからもなくやってくるだけです。)
この場合は、少し先にある情報をキャッチして、そのようなイメージとなったようなのです。
時間というのは、「たった今、すべてが一瞬に起こっている」と言われています。
つまり、カルタがきっちりとそろえられて、一つの山にまとまって置かれている、というのが正しい時間のイメージです。(この場合、カルタの札は透明で、上から全部が一度に見通せるような状態です。)
ところが私たちはなぜか、時間をすべて横並び、一列にして、端からちょっとずつ、ちびちびと眺めているようなのです。すると、一枚のカルタを見ているときも、お隣や二枚先のカルタが何気で目に入ってしまったりします。絵札なので、目のはしに映るだけで何なのかがわかってしまうのですね。
これがいわば、わたしたちが未来をかいま見てしまう瞬間です。だから、目のよい人、視野の広い人は、ずっと先の札までも、あるいは今回の人生よりも前の札までも、そして自分だけでなく他の人の札も見えてしまうわけです。(これは耳のいい人、鼻のいい人がいるのを同じで、超人というわけではありません。ちょっとした特技と同じです。)
ときどき、「前世がわかる、未来がみえる」というだけで、覚醒しているように思ってしまうことがありますが、ただ認識する力の問題なので、それは「こころの目覚めの状態」とは何も関係がないのです。そして、「こころの目覚めの状態」とは、この画面の外に出て個人を手放せたときのことをいいます。
どうやら私は、ふと数枚先の「具合の悪い」札をちらりと見てしまい、「ああ、いやだ!」と反応していたのでした(苦笑)。
このように、誰でも何枚か先の札をふと目にすることがあります。何気に脳裏をよぎるイメージや感覚、言葉、感情が、これから起こることを教えてくれていたりするのです。
だから、「なんでこんなイメージが出てきたんだろう?」というときには、「もしや?!」と思ってみると、これから起こることに供えることもできるかもしれません。
しかし、「ああしたい!」「こうしたい!」「これはイヤだ」などの欲求や怖れの気持ちが強いと、それらはかなり強いパワーがあり、そのようなかすかなイメージをかき消してしまいます。メッセージを受けとりたいときには、自分の内側を静かにする時間を持つことも重要なのです。
もしよからぬ何かがよぎってしまって「あ、いやだな」と感じたら、ハイヤーセルフに渡して「これは望みません」と取り消しをお願いすることで回避することもできるのです。
具合が悪すぎて、寝るに寝られず、楽しくないトランス状態を漂っていたのですが、怒濤のごとくさまざまな考え(考えといっても、まったく言葉でもイメージでもないのですが)を受けとることになりました。
でも、元気になるにつれて、指のあいだから砂がこぼれるようにどんどん消え失せていきます。
今回、「なんでこんなに具合が悪くなったの?」と、まわりの方々をはじめお医者さんが原因をつきとめようとします。わたしも、最初はなぜだろうと考えていました。そうしたら、うつらうつらしながら「なぜ? にひっかかってはいけません」とメッセージがきました。
おお! そうでした! 私たちはすぐに、「なぜ?」と言いたがり、それによって大切なことを忘れます。これも、エゴのトリックが隠されています。
これは、また次回に書かせていただいますね!(*´∀`*)ノ
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )