お茶の間シネマトーク「ポリーナ、私を踊る」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

フランスの人気バレエ漫画「ポリーナ」(日本でも出版されているそうな)の実写版シネマ「ポリーナ、私を踊る」。

誰もが経験する「自分らしく生きる」という人生の葛藤を描くとともに、ふんだんにもりこまれているコンテンポラリーダンスがとても美しいです。

ジュリエット・ビノシュが振付家として登場し彼女のダンスも披露していますが、まるでほんものダンサーの迫力。また、かつてオペラ座のエトワールだったジェレミー・ベランガールのコンテンポラリーダンスもすばらしいです。

貧しいポリーナの両親は、娘をプリマ バレリーナにすることが夢。

借金とりに悩まされながらポリーナを厳しいバレエ学校に通わせつづけるのですが、まったく目をかけてもらえない日々。そんな屈辱にたえながらたゆまぬ努力をつづけ、成長したポリーナはついにボリショイバレエ団のオーディションに受かることができたのです。さあ!これから、というそのとき ・・・ ポリーナは古典バレエではなく、コンテンポラリーダンスに突如目覚めてしまうのです。「もう他人の振り付けをマネるのはいや!」と、そこから彼女の踊りと自分さがしの葛藤の日々がはじまります。

ロシアから南フランス、そしてアントワープへ。深夜のバーで働き、両親とも疎遠になり、完全に身をもちくずしたように見えるポリーナは ・・・。



本人がどう葛藤しようとも、自分のなかにある自分という種は、いつかは発芽してその姿をあらわさずにはいられないのです。本人がどうであろうとも。

一見どんなに違う方向に進んでしまったように見えたとしても、じつはそのひとつひとつの体験が発芽する力をたくわえるエネルギーに変わり、じっとその日を待っています。

ポリーナにとって、褒められることもなくこきおろされつづけた幼い日のバレエのレッスンも、チャンスがめぐっても主役を掴みきれなかったことも、恋人と破綻したことも、住むところすらなくなってしまったことも、すべて挫折というラベルをはることもできるけれど、じつはそのすべてがほんとうの自分が待っている梯子を登りつめるための大切なステップ。どれひとつがぬけ落ちても、上に進むことができないのです。

ポリーナ本人以上に彼女の「人生」のほうが、よっぽど彼女にとって何が真実であるのかを知りつくしていたのようです。

そして、私たちも同じ。

アタマでああだこうだいろいろと考えるけれど、考えたとしても結局は思うようにはまらず、エネルギーばかりを消耗してしまいます。なぜなら、本当は自分は何もできないから。知っていると思っているけれど、ほんとうは何もわからないから。

けれど、勝手に展開してゆくように見える人生こそがすべてを知っていて、それこそが真実そのもの。勝手にさせておくことこそが、いちばんの贈り物となるのです。なぜなら、それは間違いようがないからです。わたしたちは間違うけれど、人生という真実は間違いません。

つまり、自分こそが「やっている!」というおごりがあるときのほうが、こんがらがってしまうようです。あまりにも自分がチャチャをいれすぎてうるさくすると、「ちょっと静かにしていてくださいね」と愛の一撃をくらって静かにせざるをえなくなります。なぜなら、展開することこそが真実だから。ただリラックスして、人生に勝手に生きてもらいましょう。

必ず、自分が思っているよりも気にいる結末になるに違いありません!

その昔、モスクワの劇場でボイショイバレエを観たとき、舞台の真横にある桟敷席だったのです。

白鳥の湖の王子がソロで跳躍するたびに、その着地の音というか響きのすごさにびっくりしましたっけ。羽のように優雅に見えているのに、近くで観ているとすごい重力が伝わってきます。

上から観ていると舞台に死角ができて、そこに王子が踊りながら消え去ったときにドスン!という地響きがすると、王子が転んだのでは!とひやひやしたものでした(そんなわけない! 苦笑)。

肉体の酷使だけでなく、さらに芸術性の追求も加わって、ほんとうにダンサーさんたちはすごいな〜と感心しましたっけ。