お茶の間シネマトーク「IT “それ”が見えたら、終わり」

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

“それ” は、どこにでもあらわれる
“それ”は、どんな姿にも形を変える
“それ”が見えたら、終わり

ホラーはあまり観ないけれど、このキャッチにひかれました。これって、こころが感じる怖れの定義と同じじゃない?って。

いったんこころに「怖れ」をもったなら、その怖れの対象は容赦なくどこにでもあらわれるし、その「怖れ」をもっている人がもっともコワイと感じる形で目のまえにあらわれるし ・・・。けれども、外側にある怖れの対象にむかっていた注意の方向を逆にして、自分のこころに向きなおり、「怖れの正体を見てみよう!」とこころのなかをのぞくと、なぜかそれは消えてしまうのです。

これもそういうことかしら? こどものときは何でもコワく見えたし、キョーフがキョーフを呼ぶのです。

はて? これはホラーなの?? なぜか笑っちゃうぐらいコワくありませんでした。

ホラー映画歴代首位なんていううたい文句に、期待がふくらみすぎちゃったかしら?

こどもにとっては壁のシミがお化けに見えたり、風のうなる音が叫び声に聞こえたり、妄想がふくらめばふくらむほど知覚が狂っていくものなのですよね。

なぜなら、私たちの知覚は自分のこころが感じたいと思うものしか感じさせてくれないので、怖さを握りしめているだけでどんどんホラーな世界にはまりこむことができるのです。

まさに知覚のワナで、それは堂々巡りです。自分でやっていることがわかるまで抜け出せません。

こどもたちにとって恐怖の対象がピエロとして現れるのですが、冒頭の男の子が行方不明になるシーンなど、水がじゃぶじゃぶあふれる側溝のなかから顔をのぞかせる殺人ピエロを見たとき、コワいというよりは「あんさん、そこでなにしてはる?」と思わず笑っちゃうしまつ(なんかすごくギャグっぽく見えた・・・汗)。

なんでしょね? コワさが足りない・・・。トシのせい??

で・・・ たんだん観ているうちに疲れてきて(けっこう長いんです、これ) ・・・ 三分の二ぐらのところまできたら、なぜだか画像がいきなりぐちゃぐちゃになってしまいあえなく観るのを断念しました(観なくていいってこと?)。どちらかといえば、こっちの出来事のほうがよっぽどホラーです(笑)。

最後になにか衝撃的なオチでもあったのでしょうか? ちょっと気になりますが。

ホラー度を期待しすぎなければ、こどもたちが恐怖と闘いながらひと夏をすごす「スタンド・バイ・ミー」ホラー版のような成長物語として楽しめます。幼少の頃の自分と重ねあわせて、共感できることもあるかもしれません。

「サイコ」とか「キャリー」とか「オーメン」とか・・・むかしのホラーはめっちゃコワかったです(汗)。「エクソシスト」なんて、女の子の首が一回転するだけなのに、なぜあんなに盛りあがったのか??(笑)。むかしのホラー、いえ恐怖映画は、あまり直接的ではない、何が起こっているのかわからない不気味さにこそぞわぞわさせられたのだと思います。