たった今、経験していることを、ただあるがままに経験してみます。
正直に、なにひとつ避けることも、抵抗することも、隠すことも、意味を変えようすることもなく・・・。
今あるものだけがほんとうに「あるもの」。これだけがあって、これだけで OK 。今の経験にとどまるならば。
なぜなら、これがあるものだから。
たとえば・・・
ある朝、冷蔵庫をあけると玉子がころんと一個あったとします。で、目玉焼きを作って食べました、マル
けれど、「え〜!玉子一個だけ? ベーコンがあったらベーコンエッグができるのに。トーストもないなんて?」という考えがよぎったとたんに、たった今あるのもが残念でわびしいものになります。
なにも言わなければ OK だったのに・・・。
あるがままにちゃちゃを入れることで、惨めになることにまんまと成功しました。
私たちはいつもこんなことをしている気がします。
思考が「あるがまま」にちゃちゃをいれるやいなや、とたんにそこにあった平和が打ち消されて問題がつくりだされるのです。
たった今、ここで起きていることとピッタリと親密であること。なにか(不平不満、価値判断・・・)が入りこむ、ちょっとのスキマもつくらないこと。起きていることを起きているままにしておくこと。
わたしたちは、「こうだったらいいのに、こうあるべきなのに・・・」とあたりまえのように口にするけれ、そのセリフは今あるものにはまったくあてはまらないのです(ほんとは、「今あるもの」について、ありえないセリフなのです)。
なぜなら、これだけがあるから・・・。
じゃあ、すべてに対して OK と言おう!ときめます。さて、いったいどんな気持ちになるのでしょうねか? (自分のなかでなにが起こるか、それも観察してみましょう!)
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )