私たちは日々、自分に足りないと思うところを見つけだしては、それらにつけ足すためにせっせと走りまわり、あっちをいじくり、こっちを立て直し ・・・ よりよい自分になろうと努力します。
しかし ・・・ そもそも「よりよい自分」っていったいなんなんでしょう? なにを目指しているんでしょう?
すでに「自分ではない」なにものかが、よりよい自分ってどういうこと??
それってもしかして、ほんとうの自分を否定して破壊する行為になってない??
私たちは、あるがままにリラックスして、そのままの自分でいることで、幸せを感じていいはず。そして、そのあるがままのほんとうの自分でいることでこそ、自分にとってのベストの現実を体験することができます。
だったら、幸せになろうと走りまわるよりも先に、自分に尋ねなければならないことがあるかもしれません。
それは、「なぜ、私はこのままの自分で幸せになってはいけないのだろう?」ということ。
幸せになろうとする以前に、すでに幸せがちゃんと保証されていて、
もしも、自分がその幸せを全力で阻んでいるとしたら ・・・ いったい何を思ってそんなことをしているのでしょう?
「幸せになったら、誰もかまってくれなくなる。愛されない」とか・・・
「幸せになったら、イジメにあうにちがいない」とか・・・
「幸せになったら、もうゲームオーバーな感じがして退屈。もっとドラマチック感がほしい」とか・・・
「幸せになったら、私を苦しめた誰かを反省させることができなくなる」とか・・・
「幸せになったら、親の教育方針にあわない(親はこの世界は甘くないといつも言っていた)」とか・・・
「幸せになったら、居心地が悪い(ずっと、ストレスを感じてきたから、幸せなんてむずむずする)」とか・・・
気づかないフリをしながらも、必ずこころのなにかにはなにか企みがあるのです。結局、シンプルに幸せであることよりも、自分のなかの考えのあれこれが好きで、そこにとどまっていたいのです。
つまり、ほんとうは意図的に幸せにならないことを選んでいる、ということ。・・・ でも、それはもう、過去の決意かもしれません。いつだって手放してかまわないのです。
そんな自分の過去の決意に気づくことができたとしたら、そもそも走りまわる努力なんていらなくなって、
たった今、このままで、安らぎ、幸せを感じるてもかまわない、と自分に許してあげることができるかもしれません。
まずは、自分のこころがやっているパターンに気づくことが大切なのですね。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )