気づきのぷちノート「受け皿をひろげる」

いただきもののクッキーです。おいしそ〜っっ♡

一口いただいて ・・・ ありゃ?! とびっくり。

甘いバニラ風味をイメージしていたら、想定外の塩味!

フタを見たら、「サレ(塩味)」の文字が。ゲランドのお塩を使った、赤はトマト、グリーンはバジル、イエローはチーズという、お野菜感とチーズの香りがいっぱいのサブレでした。

人って自分の想定した受け皿にあてはまらないものがくると、知覚がフリーズして素直に受け入れようとしなかったりします。だから、一瞬おいしいのかどうかわからなくなりました(モチロン、このサブレはとってもおいしいです♡)。

お友だちとランチをしていたときにも、そんなことが。

パンにグリーンとオレンジのコンフィチュールがそえてあったのです。口にしたとき、クリーンはオリーブとケッパーだとすぐにわかったのですが、オレンジの方はなん度口にしても味がさっぱりわからず ・・・なんか、まずっっ!(汗)

「なにコレ!?」という私に、お友だちが食べてみたら「たかちゃん、これトマトだよ!」と。

私は色から察してマーマレードだと信じていたので、マーマレードの味しか受けつけず、なんだかとってもヘンなお味に感じたわけです。けれど、あらためてトマトとして味わうと、素直においしくいただけました。

人間って、結局は、見るもの、聞くもの、体験すること、すべてを自分の「知ってること(受け皿)」にあてはめて、その受け皿に存在するデータから良いとか悪いと解釈しようとします。そこにあてはまらないものは、却下されたり、否定されたり、無視、拒絶されるのです。

また、そのデータから「昔、おなじ場面ではキケンだった」「うまくいかなかった」、だからこうするべきだ!という忠告がやってきて、また過去と同じパターンをくりかえすことになり、まったく同じ結果を手にすることになります(いつもグルグル同じこと!)。

自分の知っていることなんて、たかが知れているのに・・・。そんな小さな受け皿にこだわりつづけていると、せっかくやってきた新しい贈りものも無意識のうちにすべてスルーしてしまうことでしょう。

人に会うときも、何かを体験するときにも、まっさらな気持ちでいられたら(誰々さんに似ているとか、以前のあれと同じとか、過去に結びつけて解釈しようとしなかったら) ・・・。すべてはじめての体験となり、イヤだも、コワいも、ダメだも、ネガティブな感覚はひとつもなく、すべてがまったく新しく新鮮なわくわくする贈りもののように感じるかもしれません。

そうなったときにはじめて、自分を攻撃するものなどひとつもない、安全で穏やかな、こころから安心できる世界を見られるのかもしれません。

 

 

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