Q: こちらのブログを読んでいて、自分の「裁いてしまう」考えに気づきました。こころのなかで「あの人はここがおかしい」「この人は常識がない」と絶えず考えてしまい、あるがままにできないのです。まだまだだな〜と感じてしまいます。
A: 自分が目にしている世界は、自分のこころの状態の写し絵です。もし本当に安らかで幸せな世界に住みたいと願うなら、自分のこころのなかから「罪」や「攻撃」の想いを一掃する必要があります。
それらをきれいにしてゆこうとする努力のなかで、世界がかわってゆきます。
しかし、私たちは「除去」するべきものに出くわすと、つい自己嫌悪におちいってしまいがちです。そのために間違った反応をしてしまうのです。
裁いてしまう自分のこころに拒絶を感じて、「除去作業」はすっかり忘れ、今度は自分自身を裁いて(ホコ先が変わっただけです)、除去すべきだった想いは隠されてしまいます。そして、その「罪」「攻撃」の想いは次の標的がみつかるまで保持されるのです。
上記の Q のなかに、「裁いてしまう自分をまだまだだな〜と感じてしまう」とありますが、まさに裁いてしまう自分をふたたび裁いてしまっているわけです。
他人に向けられようと自分に向けられようと、裁きは裁きです。他人を裁くのをやめたいあまりに、自分を裁いてしまっては本末転倒です。
それよりも、この地球上にいる人で裁いていない人は誰もいないので、むしろ「裁き」をしてしまったらそのつどしっかり「認識」できるようになることが大切です。
なぜなら、ちゃんと意識しない限り、なにをやめるのかがわからないからです。
「ああ、私は裁いてばっかりいる」とそのつど気づけることこそが、それをやめるための最初の一歩なのです。
そして、次の段階は、捨てるゴミ(やめたい想い)を正しく捨てること。
ゴミの収集はハイヤーセルフが担当してくれます。
ハイヤーセルフを呼んで、「今、○○さんを常識がない人だと裁いてしまいました。これは本当の私の想いではなく、エゴの想いです。私のこころから取り去ってください」とゴミの撤去をお願いしましょう。
ゴミの下には、「罪」や「攻撃」などとは無関係の自分が輝いています。捨てるだけであらわれます。
自分が「誰かのなかに見ている間違い」は、そもそも自分の間違いです。
こころがそれらを拒絶して、外に捨てようとしたあまりに他の人にかぶせてしまった「自分のゴミ」なのです。
もともと自分のなかにたまっていたのですが、あまりにも見るに耐えず、捨てることを決めました。しかし、片づけ方がわからなかったため、外に投げ捨てれば自分のなかはきれいになると信じて、他の人になすりつけてしまいました。
けれども、その他人に押しつけたゴミにはゴムひもがくっついていて、結局は自分のところにビヨヨ〜〜ンと戻ってくるようになっているのです。
相手から戻ってくるそのゴミ(もともと自分のもの)を、私たちは攻撃や間違いとして知覚します。(相手にゴミを押しつけたのは自分なので、ほんとうは自分の方が先に相手を攻撃していたわけです。)
このように、こころのなかで「罪」や「攻撃」の想いをためこんでいると、結局それを人のなかに見ることになり、次に自分が攻撃されているように感じてしまうのです。それは、人と自分のあいだを行ったりきたりしてしまいます。
行ったりきたりさせるよりも、きっぱりと取り去りましょう。
自分のこころに「罪」や「攻撃」のカゲがちらついたなら、自己嫌悪におちいったり隠したりせずに、ちゃんとその存在を認識し、ハイヤーセルフに渡してしまうことで、永久に取り去ることを選択しましょう。
たとえばハイヤーセルフにいらない想いを渡すというのは、こんなイメージです。
地球の人々のあいだでゴミを押しつけあうことで「裁き」をつづけていたのを、もっと高い次元、宇宙に放り出して、大気圏でプシュっと燃やしてしまうような感じ。地上ではなく、別のレベルで処理をしてもらうイメージです。
これをするためには、自分のイヤなところに出くわしても、自分を責めたりそれをなきものにしようとするのではなく、
「片づけるために気づいたのだ」とほんとうの自分に戻るための「こころの修正の機会」にすることです。
これをどんどん練習してゆくと、ちょっとでもそのままスルーしようとすると、逆にすごくイヤな気持ちになったりします(歯磨き忘れて、ヤな気持ち・・・みたいな)。
トライ&エラーで練習をつづけますが、たとえエラーしてしまったとしても、けっして責めずに、
ただ気づいて、そして手放すべくハイヤーセルフにつながりましょう。
間違った反省よりも、ただ高い次元において「取り除く」ことが大切なのですね ( •ॢ◡-ॢ)
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )