今週は、予定していたミーティングやお友だちとのデートが延期となり、遠いところで起きているように感じていたコロナウィルスが現実味をおびてきました。
学校の休校、遊園地の休園、イベントのみあわせ・・・。お友だちは、ここまで一生懸命にお稽古を重ねてきた公演がキャンセルになってしまったそう。
大切にしてきた一回きりのイベントが突如なくなってしまうと、ほんとうにガッカリしてしまいますよね。
そうなってしまったからには仕方がないのですが・・・
「ガッカリ」「残念」な出来事をそのままにしておくと、ずっとこころのなかに不完全燃焼感が残ってしまいます。
しかし、この出来事を「幸せ」「喜び」のための再出発点にすることもできるのです。
じつは、このストーリーには別バージョンが存在しているのです。ディレクターズカット版です。
このディレクターズカット版を「見ることを選択する」こと、それがこのストーリーを別の脚本にきりかえます。
ディレクターズカット版は、通常上映されているのとは違ったストーリー展開やオチだったりします。
暗く悲しいお話だったはずが ・・・ あれあれ?どんどんコミカルに陽気になってくるとか、こころ温まるお話になってくるとか、逆転劇になってくるとか。
でもエゴ映画製作社は、そんな何の刺激もない、痛みのないシナリオには興味を示しません。この製作会社が好むシナリオは、怖れ、悲しみ、苦痛、孤独こそが命です。となれば、恐怖ものか、ホラーか、スリラーか、怨恨もの。
エゴ映画製作社では、楽しいなんてもってのほかで、そのようなストーリーは脚本としての価値はありません。日溜まりのなかでニコニコしているような人畜無害なストーリーは、ソク却下されます。
それでも、、悲しいがっかりストーリーには、ちゃんと「ウラ」のディレクターズエディションがあります。
それは、ハイヤーセルフの映像配給会社に保管されていて、「観たい」と申し出た人にだけ見せてもらえます。自ら申し出ることが必要です。
そのディレクターズカット版は、たしかに「ガッカリ」なように見える出来事からはじまりはするのですが、それがどんどん嬉しさの原因へと変わってゆきます。
「ああ、こうなったからこそ、このことを体験できた!」。このセリフ、誰もがこころのなかでつぶやいたことがあると思います。
「災い転じて福となす」というように、贈りものとなる体験へと導いてもらえるのです。
ハイヤーセルフの配給会は「観たい」という人にはそれを見せてくれるのですが、
エゴ映画製作社に出資している人(攻撃、裁き、批判にエネルギーを注いでいる人)には、その映像はまぶしすぎて見ることができません。
私たちはエゴ映画製作社の暗い画面を観るのに目が慣れきっていて、それしか観えなくなっています。ディレクターズエディションは、明るすぎて最初は観づらいかもしれません。
でも、「観たい」人はだんだん見えてくるのです。
すべての出来事には、ディレクターズカットがちゃんと用意されています。すでにあります。
ただ、ハイヤーセルフに「私はエゴのストーリーを無意識のうちに好んでいました。まさに、自分で怖れや苦しみ痛みを観ることを望んでいたのです。でも、もう望みません。それは、私にはふさわしくないとわかったからです。ハイヤーセルフ、私に私の真のストーリーを観させてください」とお願いします。
大切なのは、エゴ映画製作社に加担して、起こったことに対して抵抗したり、攻撃的になったり、批判したり、文句を言わないこと。そして、「自分が何を観たいのか」(エゴバージョンか、ハイヤーセルフバージョンか)をハイヤーセルフとともに自ら選びなおすことです。
「ガッカリ」にとどまれば、起こったことに対して文句を言ったり攻撃的になり、それはエゴ映画製作社に出資することであり、その結果どんどんエゴのストーリーが届くようになってしまうのです。
PS1・ハイヤーセルフは、高次の自己、大いなる自己、スピリットのことですが、
ご自分にとって信頼してお願いできる存在なら、エンンジェル、キリスト、観音さま、光、宇宙、神さま・・・呼び名はなんでもかまわないのです。
PS2・じつは、私たちがあたりまえに観ているストーリーはもうとっくに廃版になったもので、海賊版として流通しているだけです。ほんとうは、存在はしていません。だから、ぜひハイヤーセルフの配給会社に正規のストーリーを申請いたしましょう。
「これは違う」「楽しくない」と感じたら、批判したり文句を言うのではなく、ただ別バージョンのストーリーを要求しましょう。申し出ることが大切です。
それは、あなたに観てもらうために、すでにちゃんと用意されているのです♪
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )