なにか問題が起きているとき、
私たちのこころは一目散にその問題に突進してゆきます。そして、そこで解決をはかろうとこころみます。
解決とはそういうものだと思っているからです。
たとえば ・・・誰かとの不和があるとき、こころはその人に向かい、その人に対して「さあ、どうする?」「なにを言ったらいい?」と考えます。
何か失敗してしまったときには、「どうやって修復する?」「なにができる?」とその失敗について考え、解決策をひねり出します。
あるいは、なにか達成すべきことがあるときには、それについて「どこからなにをしたらいい?」「どんなふうにすればいい?」と思案します。
このように、つねに自分を離れてそっちに向かいます。
じつは、これが問題を複雑化してしまう原因でもあるのです。
なぜなら、問題と見えるものは「こころによる不具合」を隠しておくためのオトリ(影)だからです。
見えてるものはこころのなかにある問題の影であり、ほんとうの部分ではありません。影をいじっても何も変化を生みだせません。
だから、しなければならないのは、影について思案することではなく、影を生みだしている部分を修正すること。
影を生みだしている部分とは、「こころ」のことです。
こころが消化不良を起こして、ゲッと外にはきだしてしまったことが問題に見えます。
問題が起きてついついこころが外へと向かいそうになるとき、私のここのなかではこんな音楽が三味線の音色とともに流れます。
「かえってこいよ〜〜♪ かえってこいよ〜♪ かえってこ〜〜いよ〜〜♪」(村松和子さんの「帰ってこいよ」)
こころよ、そっちに向かってはダメだよ〜! そっちじゃないよ〜! ということです。
じゃあ、どこへかえる?
もちろんこころへ。外へ向かおうとするこころを、方向転換させて、こころへ戻すということ。
まず、原因となるこころの乱れを整えて、平穏にする必要があるのです。
なぜなら、私たちの見ている世界はこころの平和か混乱か、ふたつにひとつであり、それがさまざまなイメージ(影)であらわれているだけだからです。
また、こころの平和とひとつになることは、すべてである無限の源とひとつになること。そこから解決のためのインスピレーションもやってきます。
自分がどんな存在であるのかを、そのホームグランドに戻ったときに教えてもらうことができます。
その答えこそが、愛ややさしさ、安らぎとして世界にうつしだされることになるのです。
かえってこいよ〜〜♪
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )