「人の目が気になるし、人の気持ちにも左右されやすいのです」とAさん。「だから、こころが休まりません。いつも、これでいいのかな?間違っていないのかな?どう思われているのかな? と気になってしまうのです」と。
私たちは誰でも(たとえ、どんなに自信があるように見えるような方であっても)、
こころの深いところには「自分に対する不信感」が潜んでいるものです。(そうでなかったら、私たちはなにもする必要がなくなります。)
だから、誰でも「自分はなにものなのだろう?」「これでいいのか?」「正しくできているのか?」「間違っていないのか?」「はたして価値があるのだろうか?」と無意識のうちに問いかけています。
その結果として、「頑張る!」「努力する」「活動的になる」「自分をよくしなければ」「何かを変えよう!」とうまくいっている証明をしようと頑張ることになるのです。
そのとき、まわりにいる人こそが、これらの努力がちゃんと成果を出しているのかどうかをはかるモノサシとなるわけです。
彼らがヨイ反応を示してくれていれば、私は大丈夫なんだ!と。
だからこそ、うまくいってる? これでいい?と、まわりの人につねに気にして、承認を求めてしまうのです。
彼らが認めてくれれば、「ああ、自分の不足、不満足、足りなさがちゃんと補えているのだな〜」「努力が功を奏して、うまくごまかしがきいたのだな〜」(なんせ、最初から自分は足りないと決めていますから)と安心するわけです。
でも足りないものを必死で補い、認めてもらう、というのはある意味ではサギ的手口です(苦笑)。
だって、自分が好きでなないものの見栄えをちょっとばかりよくして、まんまと売りこんで、買ってくれたらしめしめと喜んでいるというようなものだからです。
自分こそが売りこんだ商品を信用していないのです。好きじゃないけれど、パッケージ、包装紙をなんとか見栄えよくしたら、あ〜ら!売れちゃった!やったぜ!、という感じです(笑)。
しかし、彼らが好きになってくれないと(でっちあげた自分を認めてくれないと)、やっぱりダメなのかと振りだしに戻ります。
(でも、彼らが認めないのは、彼らの勝手、あくまでも彼らの自己都合であって、ほんとうは私自身とはな〜〜〜〜んにも関係がないのです。しかし、それさえも自分と関係あると思ってしまうところが、すべての目線が自分の不足感だけに向いている、ということなのです。)
そもそもの大きな間違いは、
自分に対して自分が不信感をもってしまっていた、ということです。
自分のこころのなかで、「私ってなに?」「私ってどんな存在?」と、自分自身の価値について答えを求めた相手が、とんでもない詐欺師だったのです(それは、エゴとしての自分です)。
ほんとうのことを言うはずもなく、答えるこたえは、気落ちすることだけ、怖くなるようなことだけ、これっぽっちの愛もないツライ言葉なのです。
だったら、静かにして、こころを落ちつけて、ゆったりとした気分でもういちどちゃんと尋ねてみましょう。あるがままのほんとうの自分を知りたいと。自分の正しい価値を受けとりたい、ホンモノに答えを求めてみましょう。
宇宙は「求めた」からには、答えを与えてくれます。
あなたの正気であるハイヤーセルフに、ほんとうの自分を教えてほしいとお願いしましょう。
きっと、宇宙(神さま)は不良品や粗悪品はど創造していないのだ、ということを教えてくれることでしょう。そればかりか、自分がびっくりするような自己イメージを教えてもらえることになるでしょう。
でも、この答えは、「人」に頼っているときには受けとることはできません。方向が違うからです。ほんとうの自分に向かわなければなりません。
間違った自分像を正当化するために、賞賛、承認を他人から求める注意&愛情吸血鬼になるのをやめましょう。
正しい努力とは、人から認めてもらう、受け入れてもらうために払う努力ではなく、
自分ではない想い・イメージを自分のこころから一掃するために払う努力です。
正しくない想いさえこころのなかに存在しなければ、誰に対してもなにも要求する必要はないのです。
そうなれば、人の目線、反応から自由になることができます。
そのためには、こころに風をとおして、ほんとうの自分でない想い、愛でない想いはハイヤーセルフのごみ収集センターにお願いして一掃してしまいましょう。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )