気づきの日記「身体の調子が悪いとき」

 

体調が悪いとき、私たちはそのことばかりを気にしてしまいます。

心配することこそが癒しのように感じてしまい、あれこれ考えたり、それに対してさまざまなことを試みたり・・・。

じつは、始終それに気をとられてしまうことが、その解決を難しくしてしまうのです。

なぜなら、いつも気にすることでそこにエネルギーが注ぎこまれ、それを大きくし、自分でそれを「手におえない大きな問題」にまで仕立てあげてしまうからです。(いつも気にする、ということは、じつはそれを「愛している」ということと等しいのです。)

そうすることで、真の原因がそのまま温存され、その結果である具合の悪さもそのまま保たれつづけることになります。

目にしているものは、ほんとうの原因の影にすぎません。

真の敵と戦わずその影帽子と戦っても、何の成果も期待できません。

架空の敵と戦うと疲弊します。なぜなら、相手はぜったいに倒れないからです。(起きあがりこぼしと戦っているようなものですね!汗)

私たちは、ついつい目にしているものを信じ、そればかりを相手にしてしまいがちです。

しかし、そもそも目に見えるものは、見えないものから生まれた現象(かたち)にすぎません。

たとえば ・・・ 高速道路に蜃気楼のようなものがあらわれることによって事故が多発したとします。

その問題を解決するために、蜃気楼を片づけに向かっても意味がないのと同じです。

問題はそこじゃないよ!と笑われてしまいます。蜃気楼が発生する原因を調べて、その原因を排除しなければならなかったのです。

体調が悪いときに私たちがせっせとしていることも、蜃気楼退治と同じです。

かたちは必ず、かたちのないものから生まれます。それは、こころです。

だから見えないものこそが重視されなければなりません。

もし、見えるものにこだわってしまうと、大切でないものが自分にとって重大になり、自分を支配するパワーを与えてしまうことになるのです。

いったん、見えているものから注意をはずして、それを生み出しているこころへと戻り、そこに注意を注いであげることが必要です。

こころの本来の性質である「安らぎ」のスペースへと戻って、そこにとどまってあげることが正気を取り戻すことになります。

そこに落ち着けば、すべては自ずとそこの力に導かれてゆきます。そこは答えのあるスペースだからです。そこにこそ、すべてを解決する力があります。

蜃気楼に注ぎ込んでいた注意を逆向きにして、こころの静けさのスパースに戻り、そこをリアルにしてあげましょう。そのスペースを愛してあげましょう。(私たちはそこをカラッポにして、影にばかり向かっています!)

その静けさのスペースのなかから外をみるとき、こころの静けさと同じものが見えるようになります。

かたちに囚われていたこころをかたちから退かせると、かたちのないものが力を取りもどすことができるのです。かたちのないものこそが、すべてを統治する源です。

目にみえるものから退いて、静かなこころのスペースへと安らいだら、そこから与えられる直感を受けいれて、それに従ってみましょう。

ただそこから生まれる考えや行動について行ってみましょう。努力なく導かれる感覚が生まれます。

そのスペースでこそ、こころは正気を取り戻すことができ、正気のこころからは正しい知覚が生まれます。

正しい知覚には、愛と安らぎと喜びだけが存在しているはずです♡

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング