コロナ禍のご時勢で、ふだんは感じたこともないさまざまな感情に出くわしている方も多いことと思います。
不安やイライラというフラストレーションにはじまって、自分の存在をおびやかされているような孤独や怖れに直面している方もいらっしゃるかもしれません。
そんな馴染みのない感情に出くわすと、私たちはどうしてよいのかわからなくなります。
そもそも、外の世界との向きあい方のお勉強はいろいろしてきましたが、トント自分の内側にあるこころに関する学びはしていないからです。だから、こころの扱い方がわからないのです。
すると、慣れない感情に圧倒されて感じないフリをしたり(感情の切り離し)、目をそむけたり(飲酒、ゲーム、買い物、ネットなどへの依存)、とにかく感情から逃げようとしてしまいがちです。
誰かに話すとヨイとも言われますが、もちろんコミュニケーションはこころの健康には欠かせないことですが、根本的な解決策とはなりません。
私たちがしてしまいがちなのは、その感情から逃げてしまうことなのです。
その結果、感情は行き場を失い、こころの奥深くに抑圧され、それが自分自身と自分の目にする世界に映し出されるようなり、自分をおびやかすことになります。
感情はしっかりと受けとめられてこそ、消えさることができるのです。逃げるのではなく、受けとめることが必要です。
すべての誤り(感情を含めて、自分にとっての妨害に感じるもの)は、自分の意識の光にさらされることで消滅させることができます。それは、こころの痛みに意識的になる、注意を向ける、ということです。
私たちの意識は、まるで闇のすべてを照らし出し、撲滅させるパワフルなレーザービームのようなもの。なぜなら、私たちこそがその光の源だからです。私たちの意識のなかで消えさることができないものは何もありません。
だから、自分をおびやかすような感情に出会ったときには、決してソッポを向かないことが大切なのです。
自分から近づいて行き、ちゃんと見て、受けとめてあげることをしなければなりません。
そうすると、それらは自分の光のなかに溶けさってゆきます。
受けとめるときには、ちょっとしたコツがあります。
それは、コトバやストーリー、ラベルを使わないこと。
動揺を感じたら、その感情にコトバやストーリーをくっつけないようにします。ただ沈黙します。価値判断しません。そうすると、それはただの中立的な感覚となります。ただのエネルギー的な感覚です。良くも悪くもなく、恐ろしくもキケンでもありません。
たとえば、正座をしていて足がしびれちゃったときのよう。ビーーーンという感覚や、ジンジンしたり、ひきつれたり、ドクンドクンしたりしています。
感情はコトバをつかわないことで、ただシンプルな感覚となります。それをそのまま受け入れてみましょう。
足がしびれたときも、ただビーーーーンという感じに自分をゆだねていると思います。同様に、そこにある感情の感覚に自分をゆだねてみましょう。
すべては、逃げることなく、すすんで自分の意識のなかに迎え入れ、無条件に受け入れてあげることが大切です。
感情に対して、この無条件の受け入れができたならば、あとはお酒でも、ゲームでも、買い物でも、いつもどおりにお好きなだけどうぞ。
でも ・・・ もしかすると、そんなに強迫的に飲みたくなったり、ゲームをやりつづけたりという感覚がなくなり、あっさりと満足してしまうかもしれません。
何かに執着しているときには、その執着心や依存心の下には隠されたままになっている未解決なものが存在しています。
執着じたいをどうしかしようとしがちですが、いったいなにを隠すためにそれをしているのかを見てあげることこそが大切です。その下にあるものが癒されると、同時に執着心も依存症も緩和されるのです。
さまざまなストレスにさらされる今だからこそ、ちょっと時間をとって、じっとこころを感じてみましょう。
じつは、日常的に自分がどのように感じているのか、こころの状態のチェックをすることは大切なことなのです(こころは定期検診がないですものね!)。虫歯のようにズキズキしてくれるまえに、こころはいきなりバッタリいってしまうのです。
今、あなたはここちよいですか? 安らいでいますか? リラックスしていますか?
もし、ぷち不安があったり、落ちつかなかったり、ざわざわしたり、あるいは強い怖れを感じているようだったらい、少しゆったりとしてご自分のあるがままの感情を受け入れる時間をとってみましょう。
あれこれのコトバや名札をはずして、その感覚を迎え入れてあげましょう。
感情を否定したり、隠したりすることなく受け入れてあげることで、感情はどんどん解放されて、軽く自由になってゆきます。
そして、ついには感情というゴミの下に隠されていた本来の自分があらわれはじめます。それは、じつは何にもおびやかされることのない、怖れることのない、ゆるぎない安らぎの自己の感覚です。
感情というゴミに直面してあげることで、自分でも知ることのなかった自己に出会うとができます。その自己こそが、どんなときでも力づよくあなたを支え、幸せの源となってくれます。
こんなふうにふだん感じたことのない感情を感じている今だからこそ、自分の自己という宝ものに向かって、どんどんこころを浄化してあげるミソギの機会へと変えてあげることができるのです。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )