気づきの日記「怒り・・・ってじつは気持ちイイ?」

 

またまたコロナの協力金の申請がスタートしました。いそいそと添付資料を用意し、いざ申請サイトへ!

ところが、どこをくまなく探しても申請ボタンが見当たらず(汗)・・・問い合せをしようものなら電話は混みあい(大汗)、こりゃ一日仕事だわ〜!

ようやくつながったと思ったら、「最新のブラウザを使ってください」「書面での申請は今のところ考えいません」ですと〜〜〜!(怒)

世の中全員が最新のブラウザを使っているというこの前提はなんなんしょ?! そもそも電子申請などできない方だってゴマンといるというのに、これって差別?!

べつに電話口の方がそう決めたわけではないけれど、どうしても「ひとこと言っておきたい!」という怒りの気持ちがムクムクと・・・(この場合は、提言するというよりも、怒りたい、このイライラをどうにかしたい!)。

怒ってみると、怒りに酔いしれていることがあります。

怒りのエネルギーに占拠されて、怒りを放出する気持ちよさに酔いしれ、もともとなにが原因であったかなんてももうどうでもよくなり、ひたすら怒りを放出する・・・。

これ夫婦喧嘩などではよくあるようです。静かに話しあって解決できることも、怒りだしたら止まらず、怒りに酔いしれて、ただ怒りをぶちまけることだけが目的になってしまうのです。

私の場合も、「なにをぬかす!」と怒りをぶちまけたい衝動を感じながら、その一方でこころの他の部分は冷めているのです。「ホ〜ラ、また被害者になろうとしてる〜!怒りをぶちまけてスッキリしたいんだよね〜」と冷静にながめているのです。

でも、怒りのエネルギーって強力。そうは思っても、その炎をまったく消火できないこともあるのです(この場合は、早急にブレーキがかかりましたが)。

「怒りたい!」という衝動は思いのほか強烈で、どこか正当な感じがして魅力的なのです。一気にイイひとになれる感じ。「あなたは間違っていて、私は完全に正しいのよ!どんだけあなたが間違っているのか教えてあげるわ!」的な。

イイ人になれる快感と、もともとためこんでいた怒り・不平不満を一気に解消できるスッキリ感、さらにエネルギーをメラメラ燃焼して自分のパワーに酔ってる感  ・・・ 怒りにはそんな耽溺性の気持ちよさがあるように思います。

だから、怒っていると、問題なんかどうでもいい、この感じをもっと大きくしたい〜!となるわけです(あおり運転や危険運転も、こんな怒りがメラメラしちゃった結果かもしれませんね)。

私たちは自分の抑圧したイヤな感じをスッキリしたいがゆえに、ある意味、罪(間違い)にめざといわけです。怒るチャンスを逃したくないのです。「ほ〜ら、あなた間違ったわよ!それですむと思ってるの?」と。

まさに怒りって「麻薬」級の依存性があります。私たちはみんな、その中毒症なのです。

相手にぶちまけなくっても、自分に自虐的に怒ってしまうのも同じ症状です。ネチネチ自分を責めつづけているのも、じつはそれに酔いしれているのです。

しかし、怒りを使う限り、そのあと必ずしっぺがえしがやってきます。

「ああ、爆弾落としてしまった!私が攻撃したとバレて罰せられないように、さっさとヨワヨワで不幸な自分を演出しよう!」と自分で自分を弱体化して、天罰が下るのをさけようとします。

元気で幸せでいようものなら、今までのツケが全部ふりかかってきそうだからです。そうなれば、弱ければ弱いほどよいのです。(ほんとうは天罰などなく、どちらにしても自分が自分を罰しているだけなのですが・・・)。

「わかっちゃいるのに、ああ、また怒ってしまった!」と後悔するのも、自分を責める怒りの別バージョンです。

怒っちゃったときには罪悪感を抱くのではなく、ハイヤーセルフにお願いしましょう。「怒り狂っていたのは、私のエゴです。もうこのエゴを大切にしたくありません。私のこころから取り去ってください」とニセの自分を除去してもらいましょう。

この除去を、怒り、攻撃性が顔を出すたびにきっちりできれば、怒ることもまた自分のこころを不法占拠しているエゴのお掃除に使うことができるのです。

すぐに気がついてお掃除をすすめてゆけば、怒ることで快感に酔いしれてあとで痛いめをみることがなくなります。もっと安らかなこころの状態こそを愛するようになります。

湧きあがってしまう怒りを逆手にとって、自分が見失ってしまっていた本来のこころの静けさを自分のものとできるように、「怒りに気づいて」「ハイヤーセルフとともにお掃除」を習慣にしましょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング