21-11-23 セラピーをはじめたら不安を感じます

 

Q: セラピーを受けはじめたら、以前よりも怖れや無力感、自己否定的な気持ちを強く感じるようになってしまいました。それは、朝起きたときや、ぼーっとしているときに感じます。なにが起きているのでしょうか?

A: セラピーを開始したとたんに今まで感じたことがない感情に出くわす、というのは「セラピーあるある」なのですが、安らぎや自己肯定感を高めるためにセラピーを受けているのにびっくりしてしまいますよね。

セラピーをはじめると、今まで何重にも強固にロックされていたこころの砦が緩みはじめるからなのです。

私たちは誰もが、こころの無意識の部分に巨大な怖れの塊を隠しもっています。ここに暮らす人で、それをもっていない人はいないのです。

私たちはその塊に直面するのがあまりに恐怖だったために、こころの奥底に埋めこみ、しまいには自分でもそれをすっかり忘れてしまったのです。

それが無意識というこころの城塞で、そこにカギをかけることで出くわさないようにはしているのですが、ふとこころが幸せのなかでくつろぐとそれが勝手に浮上してきてしまうのです。

ほんとうは、幸せのなかで、自分でないものは手放したいだけなのですが・・・。そしてやはり、クサイものはどこに置こうとも、隠しきれないということなのです。

その怖れの塊に怯えている私たちは、出くわさないようにするためにはなんだってするのだ!という心構えです。

私たちが怖れをさけるためにすることといえば、忙しくすることです。

なぜなら、怖れは安らぎのなかで浮上してくるので、とっちらかっているほど安全だ!とエゴは信じているからです。

そして、忙しくする口実は「誰かのため」という、一見よいことのようにも思えることも含まれています。しかし、結局は怖れから逃れるための手段です。

また、過度に刺激を求める(娯楽、嗜好品、恋愛、キケンなこと)というのも怖れを煙にまく方法のひとつでもあります。

じつは、怖れの下には大いなる安らぎや喜び、光が隠されています。

逆にいえば、怖れはエゴが真の自分の輝きを隠すためのラッピングとして使っているものなのです。

これを使えば、ぜったいにほんとうの自分には近づいてこないだろう、そして身勝手なエゴの姿をほんとうの自分だと信じて苦しみつづけるに違いない、と。

だから、「怖れに出会う」ということは、じつはほんとうの自分の輝きに向かってまっすぐに進みはじめている、ということなのです。

自分がためこんでしまった怖れは、その存在をちゃんと認識し、「これは私のもちつづけたいものではないのだ」という正気の判断によって、ようやく手放されるのが可能になります。

怖れに対して「これはいるものなのか、いらないものなのか」という選別ができるようにならなければなりません。

「こんな怖れは私には必要ない! これは私じゃないから」と怖れを握りしめる手を緩めることこそ、自分が解放されることになるのです。


だからまずは、「隠していた怖れが浮上してきてそれを感じることができるようになった」ということは、じつは逃げずにちゃんと直面する準備がととのった、という喜ばしいサインなのです。

怖れはたんにエネルギーなので、じつはドキドキ、ワクワク!というエキサイティングな感覚と中身は同じものです。

しかし、「これは私が避けてきた怖れであって、こんなものはぜったい感じたくない」と、その感じに「怖れ」という拒絶のレッテルをはってしまうと、それを直視できず、逃げることになってしまういます。

だから、せっかく怖れの感情があがってきたのなら、ただあるがままに受け入れて、感じてあげる必要があるのです。

すべては、無防備に受け入れてあげたときに、自分自身とひとつにとけあい、とけあったからには脅威であるものは存在しなくなります。

まずは、浮上してきた怖れのようなものは、解放のさきがけとして受け入れてみましょう。

そして、その感情に「怖れ」のレッテルをはることなく、ただ「その感じ」をそのままに受け入れ、愛でてあげましょう。

せっかく、今まで強固に閉じていたバルブがゆるんで、いらない感情が浮上してきているのなら、それを歓迎してあげましょう。

感情をそのままに感じることができるようになると、自分のなかがどんどん静かになり、その静けさのなかで真の安らぎや喜びや光に出会うことができるようになります。

だから、今までに感じたことがないような感情や思考が浮上してくるときは、解放が起こりはじめたことを喜び、高い意識であるハイヤーセルフに委ねて、解放を安らかに導いてもらいましょう☆

 

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング