気づきの日記「緊張からの解放 〜幸せのオセロゲームで勝利する〜」

 

ふだんの生活の中で、自分がどのような態度で世界や人々にかかわっているか、気にしたことはありますか?

私たちは、世界や人々に対して「優しく受け入れよう」とするよりも、無意識のうちに緊張を感じながら戦闘的な態度で向き合ってしまっているかもしれません。

それは、もし何か不都合なことがあれば、決して自分の不利にはならないように、損害を被ることがないように、ものごとを有利にすすめたいと警戒してるからです。

私たちにとって「この世界」は安全で安心な場所ではなく、気を緩めれば簡単にやられてしまう厳しい世界だと信じているからです。

誰もがリング上のファイターのようにファイティングポーズを緩めることができず、安らかにくつろぐことができないのです。

 

 

そんな世界の中で、幸せを感じる方法はあるのでしょうか?

安らぎを感じたいのであれば、「自分」と「世界」を切り離して考えるということをやめなければなりません。

「自分」と「世界」を二つのものだと捉えている限り、そこには摩擦が生まれ、対立することになってしまうのです。

世界とは自分の外側にあるように見えますが、それは自分の心が映し出されている映像であり、まさに自分の心そのものなのです。

心が変わればその映像は変わるので、心とともに目にしている世界は変化します。

しかし、自分の心が変わらなければ、見ている世界は変わることはありません。

つまり、自分を脅かしているのは世界や人々ではなく、自分の心のなかにある考えそのものなのです。

心が裁きや罪の思いを握りしめていることにより、つねに裁きや罪という出来事に出くわすことになります。

裁きや罪の思いを手放せば、世界も人々も安らかに知覚されるようになり、自分が脅かされているように感じることはなくなります。

世界と自分のこころが連動しているという、このメカニズムに気づくことが大切です。

 

 

自分にとって不都合なことを目にする原因は、心の中に同様のものを抱えこんでいるからです。

それは、世界や人々にに対する不信感や罪を信じる思いかもしれません。

外の世界に見える不快なものごとはまさに自分の心の中に存在し、こころはそれを抱えこみつづけることに耐えかねて、外へ外へと投棄するということが起こります。

しかし、いくら投棄をくりかえしても、またふたたび元の場所に戻ってきてしまうのです。まるでソンビのごとく再生し、また心の中に存在しているのです。

それは心のなかで消滅させない限り、消え去ることができないからです。

不快なものを外へと投棄することは、内側においても外側においても不快なものを体験することになり、むしろ問題を増やしてしまうだけなのです。

 

 

この悪循環から解放されるためには、自分が外へと不法投棄した問題を、クロからシロへと変えることです。

それは、「これは間違っている、罪があるというクロ」から、「これでOK、何も罪がないというシロ」へと認識を変える、ということです。

自分が投棄したものに対して大騒ぎするのではなく、何を目にしても「ただシロを見よう!」、何も問題がない、これで大丈夫なのだと決める、ということです。

そして、「一度見ようと心に決めれば、それを必ず目にできる」というのも心の素晴らしい力なのです。

「シロを見よう!」と心に決めることは、まさに「私はシロです!」、「これで大丈夫、何も問題がない」と言っているのと同じことです。

なぜなら、私たちは常に心の中にあるものを外に見ているからです。「もしシロが見えるのならは、自分もシロであるに違いない」ということになります。

自分が外に投棄したすべてに対して、もれなく「シロにしてしまう」「シロだけを見ようとする」というゲームを始めることです。

「自分が与えたものは、自分が受け取る」ことになるので、世界や人々に対してシロを与える、何も問題がなく罪がないことを与えることとは、自分ももれなくシロを受け取ることになるのです。

このゲームは、オセロのコマを返すようにどんどんシロを増やして、最後には勝利をおさめることができます。

シロであることは、何も問題がなく、罪がないこと。罪がないのなら、自分がどんなリスクや危険、苦しみからも無縁で、自分で自分を防御する必要がなくなるのです。

守る必要がなければ、そこは安全な場所のはずです。リラックスできるはずです。

シロを増やしてゆくことで、世界も自分も安らかに鎮ってゆくのです。

そして、この世界で闘いつづける必要ななく、愛し愛される世界の中で安心してくつろいでいる自分に気づくことができることでしょう。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング