10月も下旬に入ろうとしていますが、昨日も今日も、そして明日も、ほぼ夏日。部屋ではまだ扇風機が回っています。
そうはいっても、仕事が一段落して散歩に出る頃には、もう陽が落ちてあたりは闇に沈んでいます。深まりゆく秋を感じます。

長くつづいた猛暑で今年の金木犀はいったいどこへいってしまったのだろう?と思っていたら、ようやく昨日ぐらいから風にのって香ってくるようになりました。
空が青くて、風も心地よく、暑すぎず寒すぎず、そんな季節にぴったりのこころがほっころと癒される香りです。
10月も下旬に入ろうとしていますが、昨日も今日も、そして明日も、ほぼ夏日。部屋ではまだ扇風機が回っています。
そうはいっても、仕事が一段落して散歩に出る頃には、もう陽が落ちてあたりは闇に沈んでいます。深まりゆく秋を感じます。
長くつづいた猛暑で今年の金木犀はいったいどこへいってしまったのだろう?と思っていたら、ようやく昨日ぐらいから風にのって香ってくるようになりました。
空が青くて、風も心地よく、暑すぎず寒すぎず、そんな季節にぴったりのこころがほっころと癒される香りです。
先日、お昼の情報番組を観ていたら、「アンガーマネジメント(怒りを感じたときの対処法)」について取りあげられていました。
たしかに、怒りというのはとても破壊的な感情で、一瞬にして人間関係が損なわれたり、仕事を失ってしまう原因になったり、またそれ以上に自分自身を決して幸せにせず、健康まで蝕んでしまうので、マネジメントするにこしたことはありません。
番組のなかでは、怒りを感じたら「じっと6秒ガマンする」、あるいは「相手への理解をもつ」ことによって怒りを軽減するすることができる、と紹介されていました。
確かに「ひと呼吸おくこと」や「相手を理解しようとすること」は、怒りが爆発することから救ってくれるかもしれません。
しかし、それはあくまでも対処療法であり、怒りの原因を根本から解消することにはいたっていません。
私たちが怒りの感情を感じているとき、その怒りの下には必ず原因となる信念(自分について信じていること)が潜んでいます。
それはたいてい、このような信念です。「私は人や世界に怯えている」「私は傷つけられて悲しい」「私は価値もなく小さな存在だ」という、か弱く傷ついた自分自身のイメージです。
そして、その怒りの原因となる信念を隠すことなくしっかりと向き合うことで、結果として現れていた怒りの感情を手放すことができるようになります。
怒って感情をむき出しにしている人をイメージしてみてください。
恐ろしい形相、荒々しい怒鳴り声、勢いよく振りあげたこぶし ・・・ それはとても強そうなイメージがあります。
しかし、その人はなぜ、そんなに強そうな形相をしなければならないのでしょうか?
もともと、こころのなかに強さの感覚がある人は、このような強そうな形相を必要とはしません。強そうに装わなければならないとしたら、それは自分のなかに弱さや不安を感じていて「大きく見せなければ、支配されてしまう」という心理が働いているからです。
もともと強さを感じている人は、強さの演出をする必要がないのです。
ほんとうの強さというものは、凪いでいる海のようにどっしりと穏やかで静かな状態です。決して荒ぶってはいないのです。
人が荒ぶらなければならないとしたら、それはその人が自分の弱さに怯えていて、それをカモフラージュするために強い自分を演出しているときです。強さをわざと作りだしているのです。装われた強さは、必要以上に声が大きくなり、さらに手が出てしまったり、足まで出てしまったりするのです。
怯えている犬が全力で吠えつづけるように、大きな声や暴力、激しい形相で威嚇しようとします。
しかし、大きな声も、振りあげたこぶしも、伝えたい何かがあるときにはまったくの逆の効果となり、何も内容が伝わらなくなってしまいます。聞いてもらえないどころか、人は遠ざかってしまうのです。
怒りの原因に対処して、穏やかな自分になりたいのなら、自分が怒ってしまった場面の直前へと記憶を戻してみましょう。
そのとき、自分の内側でいったい何が起こっていたのか、自分自身で検証してみるのです。
たとえば、職場の上司に「こんなこともできないなんて、おまえはバカか?」と叱責されたとします。
そう言われて抑えきれない怒りを感じてしまうのなら、じつは自分が自分のことをすでにバカだと信じていたのです。そして、職場の上司が口にした言葉がまさにビンゴだ! と感じたので、あまりにも図星の指摘に怒りが湧き上がってしまったのです。
しかし、もし自分のことを「バカだ」と感じていなかったなら、「おまえはバカか?」と言われてもピンとこないため、怒りではなくキョトンとした顔をしているかもしれません。あるいは、そのひとことについて何も記憶に残らないかもしれません。
私たちは相手の言葉が自分を傷つけたと感じがちですが、それよりも前に「自分で自分に対して同じことを思っていた」か、あるいは「自分には価値がないと信じていた」のです。
そして、それをまるで上書きするかのごとく他人に指摘されたことで、秘密をあばかれたように感じ、思わず怒りがこみあげてしまいます。それは、「自分でそう思っていたのに、あなたまでそれを言うのか?!」と無意識のうちに反発してしまうからです。
自分のなかに自分自身を卑下するような感情がなければ、たとえ相手が何かを言ったとしてもとくに強い感情が湧いてくることはありません。むしろ、「この人は何を言っているのだろう?」と怪訝に感じるかもしれません。
そういったわけで、怒りを感じた直前の感情を調べてみることによって、自分のなかに弱さやコンプレックスの感覚が存在し、それをあらためて他人に指摘されたことで攻撃されたと感じ、怒りがこみあげてしまった、ということに気づくことができます。
同じような怒りを繰り返さないためにも、自分のなかにある弱さやコンプレックスの感覚を認識してあげることが大切です。
しっかりと意識されたものは、繰り返すことができなくなります。怒りの原因が何であるのかがわからないままであったなら、同じことが繰り返されるのを止めることができません。
しっかりと認識したなら、「この傷づいている自分、小さく弱く感じている自分は過去の自分自身であって、今の自分とは何の関係もない」ということに気づきましょう。
私たちは過去の癒やされていない自分を今の自分にオーバーラップさせてしまいがちです。しかし、一つづつ気づくことによって、私たちは簡単に過去から解放されることができるのです。
過去の傷ついた感情、小さな自分のイメージは、高い自己であるハイヤーセルフに取り去ってもらいましょう。「この傷ついた感情はほんとうの私ではありません。私のなかから取り去ってください。ほんとうの私の強さや穏やかさを感じさせてください」とお願いすることで、それがもたらされます。
そして、ハイヤーセルフから光とともに強さや穏やかさが自分のもとにやってきて、自分自身を包み、満たしてゆくのを感じてみましょう。
このように、怒りを感じた直前の気持ちを調べることで、自分のなかに放置されていた傷ついた感情や弱さの感覚を見つけることができます。
見つけたら、ハイヤーセルフに除去してもらいす。これを繰り返すうちに「小さな自分」という間違ったイメージが手放され、無意識的に怒りを感じていた場面が減ってゆきます。
6秒ガマンすることも役に立つ方法ですが、怒りの原因となる自分のこころの傷や弱さの感覚を見つけてあげることで、私たちは確実に穏やかで、容易に動揺しないほんとうの自分を取り戻すことができます。
自分のこころの弱さと向き合って、それをハイヤーセルフとともに優しく解放してあげましょう。
これはこころのお掃除につながり、怒りを感じる場面が少なくなるだけでなく、自分が痛みを感じたり落ちこんだりするような出来事も減ってゆき、こころのなかに安らぎや喜びの感覚が大きく広がってゆきます。
過去の自分の弱さを清算し、のびやかで安らかな自分のこころの光と愛を取り戻しましょう。そして、その光で自分も世界も安らかに照らしてあげましょう。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
先日、お昼の情報番組を観ていたら、「アンガーマネジメント(怒りを感じたときの対処法)」について取りあげられていました。
たしかに、怒りというのはとても破壊的な感情で、一瞬にして人間関係が損なわれたり、仕事を失ってしまう原因になったり、またそれ以上に自分自身を決して幸せにせず、健康まで蝕んでしまうので、マネジメントするにこしたことはありません。
番組のなかでは、怒りを感じたら「じっと6秒ガマンする」、あるいは「相手への理解をもつ」ことによって怒りを軽減するすることができる、と紹介されていました。
確かに「ひと呼吸おくこと」や「相手を理解しようとすること」は、怒りが爆発することから救ってくれるかもしれません。
しかし、それはあくまでも対処療法であり、怒りの原因を根本から解消することにはいたっていません。
私たちが怒りの感情を感じているとき、その怒りの下には必ず原因となる信念(自分について信じていること)が潜んでいます。
それはたいてい、このような信念です。「私は人や世界に怯えている」「私は傷つけられて悲しい」「私は価値もなく小さな存在だ」という、か弱く傷ついた自分自身のイメージです。
そして、その怒りの原因となる信念を隠すことなくしっかりと向き合うことで、結果として現れていた怒りの感情を手放すことができるようになります。
怒って感情をむき出しにしている人をイメージしてみてください。
恐ろしい形相、荒々しい怒鳴り声、勢いよく振りあげたこぶし ・・・ それはとても強そうなイメージがあります。
しかし、その人はなぜ、そんなに強そうな形相をしなければならないのでしょうか?
もともと、こころのなかに強さの感覚がある人は、このような強そうな形相を必要とはしません。強そうに装わなければならないとしたら、それは自分のなかに弱さや不安を感じていて「大きく見せなければ、支配されてしまう」という心理が働いているからです。
もともと強さを感じている人は、強さの演出をする必要がないのです。
ほんとうの強さというものは、凪いでいる海のようにどっしりと穏やかで静かな状態です。決して荒ぶってはいないのです。
人が荒ぶらなければならないとしたら、それはその人が自分の弱さに怯えていて、それをカモフラージュするために強い自分を演出しているときです。強さをわざと作りだしているのです。装われた強さは、必要以上に声が大きくなり、さらに手が出てしまったり、足まで出てしまったりするのです。
怯えている犬が全力で吠えつづけるように、大きな声や暴力、激しい形相で威嚇しようとします。
しかし、大きな声も、振りあげたこぶしも、伝えたい何かがあるときにはまったくの逆の効果となり、何も内容が伝わらなくなってしまいます。聞いてもらえないどころか、人は遠ざかってしまうのです。
怒りの原因に対処して、穏やかな自分になりたいのなら、自分が怒ってしまった場面の直前へと記憶を戻してみましょう。
そのとき、自分の内側でいったい何が起こっていたのか、自分自身で検証してみるのです。
たとえば、職場の上司に「こんなこともできないなんて、おまえはバカか?」と叱責されたとします。
そう言われて抑えきれない怒りを感じてしまうのなら、じつは自分が自分のことをすでにバカだと信じていたのです。そして、職場の上司が口にした言葉がまさにビンゴだ! と感じたので、あまりにも図星の指摘に怒りが湧き上がってしまったのです。
しかし、もし自分のことを「バカだ」と感じていなかったなら、「おまえはバカか?」と言われてもピンとこないため、怒りではなくキョトンとした顔をしているかもしれません。あるいは、そのひとことについて何も記憶に残らないかもしれません。
私たちは相手の言葉が自分を傷つけたと感じがちですが、それよりも前に「自分で自分に対して同じことを思っていた」か、あるいは「自分には価値がないと信じていた」のです。
そして、それをまるで上書きするかのごとく他人に指摘されたことで、秘密をあばかれたように感じ、思わず怒りがこみあげてしまいます。それは、「自分でそう思っていたのに、あなたまでそれを言うのか?!」と無意識のうちに反発してしまうからです。
自分のなかに自分自身を卑下するような感情がなければ、たとえ相手が何かを言ったとしてもとくに強い感情が湧いてくることはありません。むしろ、「この人は何を言っているのだろう?」と怪訝に感じるかもしれません。
そういったわけで、怒りを感じた直前の感情を調べてみることによって、自分のなかに弱さやコンプレックスの感覚が存在し、それをあらためて他人に指摘されたことで攻撃されたと感じ、怒りがこみあげてしまった、ということに気づくことができます。
同じような怒りを繰り返さないためにも、自分のなかにある弱さやコンプレックスの感覚を認識してあげることが大切です。
しっかりと意識されたものは、繰り返すことができなくなります。怒りの原因が何であるのかがわからないままであったなら、同じことが繰り返されるのを止めることができません。
しっかりと認識したなら、「この傷づいている自分、小さく弱く感じている自分は過去の自分自身であって、今の自分とは何の関係もない」ということに気づきましょう。
私たちは過去の癒やされていない自分を今の自分にオーバーラップさせてしまいがちです。しかし、一つづつ気づくことによって、私たちは簡単に過去から解放されることができるのです。
過去の傷ついた感情、小さな自分のイメージは、高い自己であるハイヤーセルフに取り去ってもらいましょう。「この傷ついた感情はほんとうの私ではありません。私のなかから取り去ってください。ほんとうの私の強さや穏やかさを感じさせてください」とお願いすることで、それがもたらされます。
そして、ハイヤーセルフから光とともに強さや穏やかさが自分のもとにやってきて、自分自身を包み、満たしてゆくのを感じてみましょう。
このように、怒りを感じた直前の気持ちを調べることで、自分のなかに放置されていた傷ついた感情や弱さの感覚を見つけることができます。
見つけたら、ハイヤーセルフに除去してもらいす。これを繰り返すうちに「小さな自分」という間違ったイメージが手放され、無意識的に怒りを感じていた場面が減ってゆきます。
6秒ガマンすることも役に立つ方法ですが、怒りの原因となる自分のこころの傷や弱さの感覚を見つけてあげることで、私たちは確実に穏やかで、容易に動揺しないほんとうの自分を取り戻すことができます。
自分のこころの弱さと向き合って、それをハイヤーセルフとともに優しく解放してあげましょう。
これはこころのお掃除につながり、怒りを感じる場面が少なくなるだけでなく、自分が痛みを感じたり落ちこんだりするような出来事も減ってゆき、こころのなかに安らぎや喜びの感覚が大きく広がってゆきます。
過去の自分の弱さを清算し、のびやかで安らかな自分のこころの光と愛を取り戻しましょう。そして、その光で自分も世界も安らかに照らしてあげましょう。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
近所でランチをするときお友だちにお店選びをお願いすると、まったく知らなかったお店や食べたことのないメニューに出会うことができます。
昨日のランチは、パッタイとカオマンガイ。Sちゃんチョイスです♡
二十代の頃、タイに行ったときにはパクチーが大の苦手で、これらのお料理にかなり苦戦し何を食べたのか覚えていません。
しかしどうしたことか、今はパクチー大好き人間で、ときどきタイ料理屋さんでテーブルの上に「どうぞご自由に!」とフリーパクチーが活けてあると、わしわしと遠慮なく完食してしまいます。
このお店もボリュームたっぷりで、本場のお味♡
だから、すっかりタイ料理のお店かと思いきや、じつはシェフもお店の方もインド人。そして、インドの音楽がかかっていて、ガネーシャ像がおいてありました😆
なので、このスパイスの効いたソーセージは、まさにインドお味です。(世界地図全体で見たら、タイもインドもご近所ですものね!笑)
インドの音楽を聴きながらひさ〜しぶりに食べたパクチー香るタイ料理、エキゾチックで美味でした。@Asian Dining SITAさん
食後は、まったりお茶タイム。こちらも、近いわりには足を運ぶことがない Good Sound Coffeeさん。
この日はご近所で、冒険でした〜♪
誰しも一度はこんな経験があるのではないでしょうか。
「あの時の言葉、どういう意味だったんだろう?」 「なんであの人はあんなことを言ったのだろう?」 「どうして、あんな出来事が起きてしまったんだろう?」
私たちは、もう過ぎ去った出来事について、何度も頭の中で繰り返し考えてしまうことがあります。しかし、その「過去」は、もうどこにも存在していないのです。目の前の「今」には、もはや影さえ残っていません。
それでも、思い悩んでしまうのは、自分の心がそのとき大きく揺れて、感情が刺激され、動揺してしまったから。怖れや悲しみ、怒りや傷つきといった感情が、心を波立たせてしまったのです。
本来、私たちの心は、鏡のようにすべてを映し出す穏やかな湖のようなもの。風がなければ、波ひとつない静かな水面なのです。しかし、心の中で「こんなはずじゃない」「なぜあんなことが…」と考え始めると、まるで石を投げ込んだように波紋が広がり、どんどん波立ってしまいます。
そして私たちは、出来事や他人の言動の「理由探し」に夢中になってしまい、自分の心の動揺そのものに目を向けることを忘れてしまいます。本当は、その波立った心にこそ、解決の鍵があるにもかかわらず…。
たとえば、SNSで誰かの何気ない言葉に傷ついてしまったとき。「どうして、あんなこと言うの?」と相手を責めたり、自分を責めたり、延々と考えてしまう。でも、その外側ばかりに目を向けている間、自分の心の中で「どんな思い込み」が傷つきの原因になっているかには気づくことができません。
「こんなこと、起きるべきじゃない」 「私は否定された」 「愛されていないのかもしれない」
そんな風に、自分で無意識に信じ込んでいることが、自分の心を苦しめているのです。
だからこそ、外側の出来事を変えようとするより、心の内側を見つめてみましょう。「私は今、どんな信じ込みを握りしめているのだろう?」と。
もし「起きることはすべて、善きことの流れの一部なのだ」と受け入れられたなら、出来事の表面に振り回されることなく、心を立て直すことができます。波立つ湖にも、静けさが戻ってくるのです。
それでも、自分ひとりでその誤りに気づけないときには、心を開いて助けを求めましょう。
「私は今、何を間違って信じているのか教えてください」と、自分の内なる高次の存在=ハイヤーセルフに問いかけてみるのです。
または、信頼できる人に素直に「どう感じる?」と尋ねてみてもいいでしょう。そのとき、宇宙は必ず、あなたに必要な答えを与えてくれます。助けは、あなたが心を開いて求めた瞬間に、どこからでもやってくるのです。
悩みの渦に巻き込まれてしまったときこそ、自分の心に問いかけ、誤った思い込みを手放すチャンスです。
そして何より大切なのは、「私は本来、穏やかな心で生きられる存在だ」ということを思い出すこと。
未来は、まだ存在していません。 過去も、もう存在していません。
あなたが「今、この瞬間」の心を正せば、どこまでも穏やかに、自由に、光の中を歩いていくことができるのです。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
誰しも一度はこんな経験があるのではないでしょうか。
「あの時の言葉、どういう意味だったんだろう?」 「なんであの人はあんなことを言ったのだろう?」 「どうして、あんな出来事が起きてしまったんだろう?」
私たちは、もう過ぎ去った出来事について、何度も頭の中で繰り返し考えてしまうことがあります。しかし、その「過去」は、もうどこにも存在していないのです。目の前の「今」には、もはや影さえ残っていません。
それでも、思い悩んでしまうのは、自分の心がそのとき大きく揺れて、感情が刺激され、動揺してしまったから。怖れや悲しみ、怒りや傷つきといった感情が、心を波立たせてしまったのです。
本来、私たちの心は、鏡のようにすべてを映し出す穏やかな湖のようなもの。風がなければ、波ひとつない静かな水面なのです。しかし、心の中で「こんなはずじゃない」「なぜあんなことが…」と考え始めると、まるで石を投げ込んだように波紋が広がり、どんどん波立ってしまいます。
そして私たちは、出来事や他人の言動の「理由探し」に夢中になってしまい、自分の心の動揺そのものに目を向けることを忘れてしまいます。本当は、その波立った心にこそ、解決の鍵があるにもかかわらず…。
たとえば、SNSで誰かの何気ない言葉に傷ついてしまったとき。「どうして、あんなこと言うの?」と相手を責めたり、自分を責めたり、延々と考えてしまう。でも、その外側ばかりに目を向けている間、自分の心の中で「どんな思い込み」が傷つきの原因になっているかには気づくことができません。
「こんなこと、起きるべきじゃない」 「私は否定された」 「愛されていないのかもしれない」
そんな風に、自分で無意識に信じ込んでいることが、自分の心を苦しめているのです。
だからこそ、外側の出来事を変えようとするより、心の内側を見つめてみましょう。「私は今、どんな信じ込みを握りしめているのだろう?」と。
もし「起きることはすべて、善きことの流れの一部なのだ」と受け入れられたなら、出来事の表面に振り回されることなく、心を立て直すことができます。波立つ湖にも、静けさが戻ってくるのです。
それでも、自分ひとりでその誤りに気づけないときには、心を開いて助けを求めましょう。
「私は今、何を間違って信じているのか教えてください」と、自分の内なる高次の存在=ハイヤーセルフに問いかけてみるのです。
または、信頼できる人に素直に「どう感じる?」と尋ねてみてもいいでしょう。そのとき、宇宙は必ず、あなたに必要な答えを与えてくれます。助けは、あなたが心を開いて求めた瞬間に、どこからでもやってくるのです。
悩みの渦に巻き込まれてしまったときこそ、自分の心に問いかけ、誤った思い込みを手放すチャンスです。
そして何より大切なのは、「私は本来、穏やかな心で生きられる存在だ」ということを思い出すこと。
未来は、まだ存在していません。 過去も、もう存在していません。
あなたが「今、この瞬間」の心を正せば、どこまでも穏やかに、自由に、光の中を歩いていくことができるのです。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
近くまでいらしたお友だちとお茶タイム。
昔からある美味しい珈琲のお店、ヴェルデさんへ(@恵比寿)。
小さな珈琲屋さんですが、朝とおりかかると焙煎の煙が煙突からモックモクとあがっていて、街中が香ばしい香りに包まれます。
ご主人の焙煎するお豆は人気で、業者さんも買いにいらっしゃるよう。
コロナですっかりご無沙汰していたので、ひさしぶりの来店です。
きょうはオーダーしたことがなかったアイスカフェオレ、そしてご主人手作りのキャラメルシフォンケーキを。
アイスカフェオレは、ミルクに負けないしっかりとした珈琲の味わいがさすが珈琲屋さんでした。
一時間ほどのお茶タイムでしたが、すっかりリラックスいたしました ( ´∀`)
犬は吠えたいときに吠えますし、噛みつきたいときに噛みついてきます。
「そんなことをするべきではない!」といくら言いきかせようとも、そうしたいときにはそうするものです。
人もまったく同じで、怒りを爆発させたい人は爆発させますし、怒鳴りたい人は怒鳴ります。
なぜなら、怒りを爆発させたい、怒鳴りたい、それがその人のしたいことだからです。それをすると気分がよくなると信じているのです。
「そうすると気分がいいから、そうしたい!」と思っている人に「そうするべきではない」と言っても、あまり説得力がありません。
本人がこころの底から、怒りの爆発も人を怒鳴ることもほんとうの解決策ではなく、むしろ自分も相手もダメージを受けてしまう、だから「もうこのやり方はやめよう」と気がつくまで、それがやむことはないのです。
いったん確立されてしまった習慣というものは、その人がしっかりとした認識をもって「やめる決心」をするまで、そのプログラミングは生きつづけるものなのです。
人は結局、自分がしたいようにすることしかできないので、その「したいようにしている」怒りに関して、巻き込まれて被害者にならないようにすることが大切です。
たとえば、「怒鳴りたい人」がいる場合、その対象となる「怒鳴られる人」は決して気分がよいものではありません。怒鳴られることによって、こころがひどく傷ついてしまう場合もあります。
しかし、いったん「この人は吠えたい犬と同じで、ただ怒鳴りたいだけなのだ」と理解することができれば、それは「自分に対して」行われているのではないことに気づきます。そして、客観的に落ち着いて対処することができるようになります。
ただ静かに「私にどうして欲しいのかを伝えてください」と言ったり(これは、その人の怒りと伝えたいと思っている内容とを切り離すのに役立ちます)、あるいは相手の感情がおさまるまで静かにその状態を味わい愛でていることもできます(これは、その人の怒りの劇場に参加することなく、自分はシラフな状態を保っていることです。まったく参加しない人が目のまえにいるき、相手は怒りをもちつづけることが難しくなります)。
私たちが怒っている人を苦手とするのは、「その怒りは、自分に対する攻撃だ」と個人的にとらえ、恐れを感じてしまうからです。
そして、自分はこのように怒られても仕方のない存在なのだ、と受け入れてしまうのです。
しかし、ミスをしたから、あるいは何かがうまくできないからといって、怒鳴られて当然なのでしょうか? ミスと怒鳴ることは、まったく結びつきません。
たとえ何かミスを犯してしまったとしても、ミスを指摘されたり、修正をうながされたり、ダメ出しをされるようなことはあるかもしれませんが、そこに怒りが加えられる正当なことではないのです。
ただ、「きみがこんな失敗をして残念だ」「どうしてこうなったと思う?」「解決策は?」「対処法は?」と静かにいちばんよい立て直し方法を話しあうことができます。
しかし、怒りをぶつけてしまうと、相手はこころを閉ざしてしまうし、ともに理性を失い、それ以上有益なコミュニケーションがとれなくなってしまいます。
どのようなことにおいても、起きている出来事と怒りは結びつけられるものではないのです。
爆発しやすい人は、ただたんに罪悪感や無価値観という劣等感を自分の内にためこんでおり、それがガスのように自分のなかに充満しているがために、ちょっとイラっとすることで簡単に着火してしまいます。
そして、その小さな火花で、ガス爆発が起こったときのように周りに破壊的な影響を及ぼすエネルギーを撒き散らしてしまうのです。
またそのような人は、溜めこんでいる感情のゆえにとにかくそれらを放出したいので、ほんの小さなイラっとしたことで大放出という大きな爆発になってしまうのです。
大爆発を起こした人は、そのときにはスッキリしたように感じるかもしれませんが、じつはあとからイヤな気分に襲われるか、あるいは好ましくない体験に遭遇したりします。
なぜなら、こころは相手を攻撃してしまった罪悪感に襲われ、罪悪感を感じていれば、その気持ちを相殺するために自分に対してイヤな体験を作り出し、「ほら、私もイヤな思いをしているから、おあいこね!」とそれで平等になったと安心するからです。
イヤな気分や望まない体験が自分の怒りの爆発と関係していると気づくことがないので、その因果関係を認識することはなく、改善することもできません。
このように怒りを爆発させつづけることが好きな人がいるということをアタマにおいたうえで、人とのつき合いをもつことが大切です。
もしも、怒りのガスがたまった相手が着火してしまった場合には、被害者になったり、怒りの劇場に参加したりせずに、ただ静かに見守り、ガスが抜け切るのを待ちましょう
怒りにホンロウされることなく、毅然とした態度で「声を荒げていると内容がよくわかりません。どうしたらよいのかを教えてください」などと、ものごとの要点の方に注意を向けるようにしてみましょう。
他者の怒りの本質が理解できるようになると、自分の怒りも客観的に見られるようになります。
ものごとに対して怒っているのではなく、癒やさなければならないポイントが浮上していることに気づきます。そして、それを正しく見て、癒すことができるようになります。
怒りに対して、恐れを感じることなく客観的な目線をもってみましょう。それは「強さ」の表現ではなく、「弱さ」から悲鳴をあげているように見えるようになるかもしれません。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
犬は吠えたいときに吠えますし、噛みつきたいときに噛みついてきます。
「そんなことをするべきではない!」といくら言いきかせようとも、そうしたいときにはそうするものです。
人もまったく同じで、怒りを爆発させたい人は爆発させますし、怒鳴りたい人は怒鳴ります。
なぜなら、怒りを爆発させたい、怒鳴りたい、それがその人のしたいことだからです。それをすると気分がよくなると信じているのです。
「そうすると気分がいいから、そうしたい!」と思っている人に「そうするべきではない」と言っても、あまり説得力がありません。
本人がこころの底から、怒りの爆発も人を怒鳴ることもほんとうの解決策ではなく、むしろ自分も相手もダメージを受けてしまう、だから「もうこのやり方はやめよう」と気がつくまで、それがやむことはないのです。
いったん確立されてしまった習慣というものは、その人がしっかりとした認識をもって「やめる決心」をするまで、そのプログラミングは生きつづけるものなのです。
人は結局、自分がしたいようにすることしかできないので、その「したいようにしている」怒りに関して、巻き込まれて被害者にならないようにすることが大切です。
たとえば、「怒鳴りたい人」がいる場合、その対象となる「怒鳴られる人」は決して気分がよいものではありません。怒鳴られることによって、こころがひどく傷ついてしまう場合もあります。
しかし、いったん「この人は吠えたい犬と同じで、ただ怒鳴りたいだけなのだ」と理解することができれば、それは「自分に対して」行われているのではないことに気づきます。そして、客観的に落ち着いて対処することができるようになります。
ただ静かに「私にどうして欲しいのかを伝えてください」と言ったり(これは、その人の怒りと伝えたいと思っている内容とを切り離すのに役立ちます)、あるいは相手の感情がおさまるまで静かにその状態を味わい愛でていることもできます(これは、その人の怒りの劇場に参加することなく、自分はシラフな状態を保っていることです。まったく参加しない人が目のまえにいるき、相手は怒りをもちつづけることが難しくなります)。
私たちが怒っている人を苦手とするのは、「その怒りは、自分に対する攻撃だ」と個人的にとらえ、恐れを感じてしまうからです。
そして、自分はこのように怒られても仕方のない存在なのだ、と受け入れてしまうのです。
しかし、ミスをしたから、あるいは何かがうまくできないからといって、怒鳴られて当然なのでしょうか? ミスと怒鳴ることは、まったく結びつきません。
たとえ何かミスを犯してしまったとしても、ミスを指摘されたり、修正をうながされたり、ダメ出しをされるようなことはあるかもしれませんが、そこに怒りが加えられる正当なことではないのです。
ただ、「きみがこんな失敗をして残念だ」「どうしてこうなったと思う?」「解決策は?」「対処法は?」と静かにいちばんよい立て直し方法を話しあうことができます。
しかし、怒りをぶつけてしまうと、相手はこころを閉ざしてしまうし、ともに理性を失い、それ以上有益なコミュニケーションがとれなくなってしまいます。
どのようなことにおいても、起きている出来事と怒りは結びつけられるものではないのです。
爆発しやすい人は、ただたんに罪悪感や無価値観という劣等感を自分の内にためこんでおり、それがガスのように自分のなかに充満しているがために、ちょっとイラっとすることで簡単に着火してしまいます。
そして、その小さな火花で、ガス爆発が起こったときのように周りに破壊的な影響を及ぼすエネルギーを撒き散らしてしまうのです。
またそのような人は、溜めこんでいる感情のゆえにとにかくそれらを放出したいので、ほんの小さなイラっとしたことで大放出という大きな爆発になってしまうのです。
大爆発を起こした人は、そのときにはスッキリしたように感じるかもしれませんが、じつはあとからイヤな気分に襲われるか、あるいは好ましくない体験に遭遇したりします。
なぜなら、こころは相手を攻撃してしまった罪悪感に襲われ、罪悪感を感じていれば、その気持ちを相殺するために自分に対してイヤな体験を作り出し、「ほら、私もイヤな思いをしているから、おあいこね!」とそれで平等になったと安心するからです。
イヤな気分や望まない体験が自分の怒りの爆発と関係していると気づくことがないので、その因果関係を認識することはなく、改善することもできません。
このように怒りを爆発させつづけることが好きな人がいるということをアタマにおいたうえで、人とのつき合いをもつことが大切です。
もしも、怒りのガスがたまった相手が着火してしまった場合には、被害者になったり、怒りの劇場に参加したりせずに、ただ静かに見守り、ガスが抜け切るのを待ちましょう
怒りにホンロウされることなく、毅然とした態度で「声を荒げていると内容がよくわかりません。どうしたらよいのかを教えてください」などと、ものごとの要点の方に注意を向けるようにしてみましょう。
他者の怒りの本質が理解できるようになると、自分の怒りも客観的に見られるようになります。
ものごとに対して怒っているのではなく、癒やさなければならないポイントが浮上していることに気づきます。そして、それを正しく見て、癒すことができるようになります。
怒りに対して、恐れを感じることなく客観的な目線をもってみましょう。それは「強さ」の表現ではなく、「弱さ」から悲鳴をあげているように見えるようになるかもしれません。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )
幾度となく、「もう、ギブアップだわ!」と音をあげた今年の夏ですが、いくら「もうダメ!」と叫ぼうともいっこうに涼しくなる気配もなく九月下旬を迎えました。
昨日から曇り空で蒸し暑いものの、ようやく灼熱地獄から救われた気分です。
先日、ランチ会のあと、お外でお茶をしたくて天空のオープンカフェに行ってみました。
まだ気温は33度ごえでしたが、少しばかり高くなった空を見上げ、ほんの少し秋を感じさせる風にふかれて、気のむくままにおしゃべりを楽しみながら午後を過ごすというゼイタクなひとときを過ごすことができました。
のんびり、ゆるゆる、リラックスなこころのヒーリングタイムでした。
これから季節がよくなるので、こんな気持ちのいいお茶タイムを楽しみたいものです。
ちなみに、この日のランチ会は、「クレッソニエール(クレソン畑という意味)」というビストロさん。
銀色の大きなプレートに、カボチャのスープ、メイン(私は巨大なソーセージのグリル、山盛りのピラフとポテトつき)、ニンジンサラダ、パン、コーヒー、焼きプリンがセットされて出てくる、という楽しいランチです。
お味も雰囲気も気分も、パリのビストロでした〜♪
〒153-0061 東京都目黒区中目黒1丁目3-11-1005 Tel 03-3719-6414
nakameguro Meguro-ku, Tokyo 153-0061
© 2022 office-lun.com All rights reserved.