気づきの日記「怖れや不安の本当の原因 〜クレー射撃の名手になる〜」

 

こころが怖れや不安を感じているとき・・・その原因とはいったい何なのでしょうか?

「もちろん、今起きている状況、あるいはこれから起きるかもしれない状況です!」と言われるかもしれません。

仕事がうまくいかない、人間関係で問題が起きている、体調が思わしくない、先行きに不安を感じる・・・というように。

私たちはこのような状況に対して、環境を変えたり、能力向上をはかったり、相手をどうにかしようとしたり、健康対策をとったり・・・改善をはかる努力をします。

そうすることに問題はないのですが、これらが怖れや不安の原因であり、解決策もここにあると信じてしまうと、結局同じ問題をくりかえすことになってしまいます。ほんとうの原因が放置されたままだからです。

そもそも、怖れや不安を感じているのは「自分」なので、たとえものごとや人が変わろうとも、怖れや不安は新たな状況のなかでも簡単に姿を現すことになります。処理しないかぎり、いつまでもどこまでもつきまとってくるのです。

 

怖れや不安はもともと自分のこころにあるもので、ものごとと結びつくことでそれが原因のように感じられてしまうのです。

では、なぜ自分はこんなに怖がりで、不安を感じてしまうのでしょう?

それは、自分で自分を脅すのをやめられないからなのです。

そもそも、その状況そのものが怖いのではなく、自分の「その状況に対するでっちあげ」こそが怖いのです。

私たちはいつもこころのなかで、自分自身を脅すのをやめることができません。

 

 

一日のうちにアタマに浮かんでくる思考の数は、数万個という膨大なものです。そのほとんどが日々、同じセリフのくりかえしです。さらに、思考の80%は、自分を幸せにしない否定的な内容となっているのです。

ということは、年がら年中飽くことなく、自分の考えで自分を攻撃していることになります。それなら、怖れや不安を感じてあたりまえです。

「最近太ってしまった醜い私」

「過食や飲み過ぎをやめられない意志の弱い私」

「友人との会話でバカみたいな発言をしている私」・・・ダメな私、みっともない私、価値のない私。

一日のうち、アタマに現れる意識的、無意識的な思考をチェックしてみると、他の人に対しては決して口にしないような辛辣なセリフであふれています。

このような否定的な思考のオンパレードは、何ら検閲もされず、無条件に丸ごと信じられてしまっているのです。

だからこそ、そこからネガティブな妄想が発展し、怖れや不安がふくらんでいってしまうのです。

 

 

はっきりしておかなければならないことは、「思考はただ浮かんでくるものであって、自分自身ではない」ということです。

自分が考えているように感じていますが、そもそも「考えを止めることができない」ことを考えると、自分でもコントロールがきかない思考は勝手に湧いてくるものにすぎません。

たった3分後にさえ、どのような考えが浮かぶのかさえも予測することができません。また、内容のほとんどが否定的となれば、それは事実ではないし、簡単に受け入れるべきものではないのです。

このような得体の知れないものはそのまま放っておくことで、タバコの煙のようにふわふわと消え去ってゆきます。大切なのは、「かかわらない」、「うのみにしない」ことです。

わざわざその煙にまかれる必要はありません。煙にまかれれば、具合が悪くなってしまうのです。

 

 

自分ではない思考に影響されてしまわないように、浮かんでくる思考に気づいて、モニタリングしてみましょう。モニタリングとは、離れて眺めることです。

眺めているとき、そこに距離が生まれ、巻き込まれてしまうことを防ぐことができます。

放っておけば、それはただ消え去ってゆくのです。

このように自分のなかに現れてくる思考を客観的に気づくことで、クレー射撃をしているように自分にとって有害な思考を退治することができます。

気づきというビームを照射するだけで、それらの思考を見抜き、撃破することができるのです。

 

 

まずは、自分だと信じていた思考から距離をとりましょう。

いままで、無条件に受け入れてきた否定的で有害な思考に気づき、眺めてみることです。

それらに対して、「いったい何を言っていることやら・・・私は信じません」と、ひとごとのように観察してみましょう。

思考の支配から逃れることこそが、怖れや不安から解放されることであり、自然と安らぎを感じることができるようになります。

そして、怖れや不安が邪魔しないからこそ、ものごとに対する解決策が直感的にやってくるのです。

すべては安らぎのなかで手放しておくことで、正しい方向へと導かれてゆきます。

怖れや不安を手放すために、思考に気づき、静かにながめる習慣をもってみましょう。