月曜日, 2月 27 2023

月曜日, 2月 27 2023

気づきの日記「 “べき” ルールは手ばなしましょう」

 

どのような状況におかれていても、いつも人生が大変そうな人がいます。

たとえ健康で平穏な日々を過ごしていても、自分のやりたいことをしていても ・・・ 完全にくつろいで、こころを開いて、今を楽しんでいるようには見えません。いつも、背中に重たい荷物を背負っているようで、生きづらさとともに人生をおくっているように見えるのです。

その一方で、いつもお気ラクで楽しそうな人もいます。

楽しいことばかりの人生なのかと思いきや、よく聞いてみればビックリするような体験をしていたりします。しかし、われ関せずでひょうひょうと楽しげに毎日を過ごしているのです。それは、軽やかにするすると流れるような生き方です。

なにも問題が起きていない平穏さのなかで安らぐことができないのであれば、その生きづらさの原因は特定の出来事ではないことになります。

十分に安らぎや幸福感を感じられていいはずのときにくつろげないのは、「自分のこころ」にこそに不具合があり、誤作動をしているせいで、ものごとが正しく認知できなくなっています。

ものごとというのはすべて中立で、善くも悪くもありません。結局、善悪というのは、その個人にとって役に立つか立たないかの問題なのです。つまり、私たちは自分のこころのメガネ(自らの検閲)を通して、ものごとの意味あいを決定しています。

幸せであっていいときにくつろいで楽しめないのなら、おそらくそれは自分のこころのメガネが曇ってしまって、正しくその状況を判断できなくなっています。

このこころのメガネの曇りとは、自分で自分を守るために作りあげたたくさんの独自のルールです。

それは、ものごととは「こうであるべき」、という「べきルール」です。

たとえば、「私の人生はこうであるべき」「人はこういう場面ではこのようにふるまうべき」「私のお金の状態はこうあるべき」「私の身体はこう感じるべき」「世界はこうあるべき」「将来はこうあるべき」・・・ 気づいてみると山ほどの「べきルール」をもっていることに気がつきます。

そして、とくに生きるのが苦しく感じられるときには、今の現実に対して思いきり「べきルール」をかざして抵抗しているのです。

「こうあるべき」という理想をもてばもつほど、ストレスを感じることになります。なぜなら、やってくる現実は自分の理想(べきルール)にぴったりとおさまってくれないからです。

自分の「べきルール」にあてはまるはずだと思えば思うほど、その現実と闘うことになり、ひどくエネルギーを消耗してしまうのです。だから、「べきルール」をかざしているときは、いつも疲れはててしまいます。

常に目のまえにやってくる「今」というものは、好むと好まざるにかかわらず変えようがありません。それを変えようとすればするほど、苦しい思いをしてしまうのです。

「こうあるべき」という「べきルール」は、なければないほど安らぎを感じられるものです。

ものごとを自分の「べきルール」におしこもうとするよりも、目のまえにやってきたことをただ信頼してみましょう。

やってきたことこそが、今の自分にとって正しいこと、自分にとっての「答え」だと受けいれましょう。

自分自身は将来を見通すことはできませんが、自分をつねに導いてくれている高次の存在であるハイヤーセルフが自分とともにいて、人やものごとの関係やタイミング、そこに関係する全ての人にとっての善いことや、こころの癒しなどを見越して、すべてに配慮したうえで、今いちばんヨイことが進行中なのです。

ここの一点だけを見てもわからないかもしれませんが、決して間違った流れに乗っているわけではありません。むしろ、導かれているのです。

しかし、その流れに対して怖れを感じ、抵抗したりコントロールしようとすると、その導きの完全さが失われてしまいます。

たとえ今どうであっても、「起こっていることはいつだっていちばん善いことだ」と信頼して、ただ流れにまかせてみることです。( ♪これでいいのだ〜♪ まさに、天才バカボンのパパのセリフです! 笑)

もし、流れにまかせることで怖れなどの強い感情を感じるのであれば、それこそが自分が抑圧し向いあうことを避けつづけてきた癒すべき感情そのものです。ただ、その感情は「もう捨てて下さいね!」と浮上してきているのです。

そのように上がってきたのなら、受け入れて、感じて、手ばなして、終わりにしまいましょう。

そのような感情さえなければ、どんな状況下でもゆったりとくつろで身をまかせることができるようになります(じつは、怖れを感じている対象は、その隠していた「感情」そのものなのですよね)。

「べきルール」で身を固めて、自分が傷つかないように守ろうとすればするほど、コントロール不能な無力感を味わうことになります。それよりも、安心してすべてを受け入れて、「べきルール」のいらない自分になることです。

ただ、今起きていることに自分を明け渡して、こころを開いて、自分を委ねてみましょう。明け渡しのなかで、高い自己にすべての舵をとってもらいましょう。

強い抵抗を感じたら、今癒されるべき感情として、受け入れて感じてあげるだけでよいです。

気持ちのよい自然のなかで暖かな太陽の光をあびながら、ゆったりとボートで川を下ってゆくような気持ちです。今というときの大いなる導きのなかで、ただ安全に守られて、ちからを抜いて流されてみましょう。

きっとラクちんにものごとが進むはずです♪

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

23-02-27 “べき” ルールは手ばなしましょう

 

どのような状況におかれていても、いつも人生が大変そうな人がいます。

たとえ健康で平穏な日々を過ごしていても、自分のやりたいことをしていても ・・・ 完全にくつろいで、こころを開いて、今を楽しんでいるようには見えません。いつも、背中に重たい荷物を背負っているようで、生きづらさとともに人生をおくっているように見えるのです。

その一方で、いつもお気ラクで楽しそうな人もいます。

楽しいことばかりの人生なのかと思いきや、よく聞いてみればビックリするような体験をしていたりします。しかし、われ関せずでひょうひょうと楽しげに毎日を過ごしているのです。それは、軽やかにするすると流れるような生き方です。

なにも問題が起きていない平穏さのなかで安らぐことができないのであれば、その生きづらさの原因は特定の出来事ではないことになります。

十分に安らぎや幸福感を感じられていいはずのときにくつろげないのは、「自分のこころ」にこそに不具合があり、誤作動をしているせいで、ものごとが正しく認知できなくなっています。

ものごとというのはすべて中立で、善くも悪くもありません。結局、善悪というのは、その個人にとって役に立つか立たないかの問題なのです。つまり、私たちは自分のこころのメガネ(自らの検閲)を通して、ものごとの意味あいを決定しています。

幸せであっていいときにくつろいで楽しめないのなら、おそらくそれは自分のこころのメガネが曇ってしまって、正しくその状況を判断できなくなっています。

このこころのメガネの曇りとは、自分で自分を守るために作りあげたたくさんの独自のルールです。

それは、ものごととは「こうであるべき」、という「べきルール」です。

たとえば、「私の人生はこうであるべき」「人はこういう場面ではこのようにふるまうべき」「私のお金の状態はこうあるべき」「私の身体はこう感じるべき」「世界はこうあるべき」「将来はこうあるべき」・・・ 気づいてみると山ほどの「べきルール」をもっていることに気がつきます。

そして、とくに生きるのが苦しく感じられるときには、今の現実に対して思いきり「べきルール」をかざして抵抗しているのです。

「こうあるべき」という理想をもてばもつほど、ストレスを感じることになります。なぜなら、やってくる現実は自分の理想(べきルール)にぴったりとおさまってくれないからです。

自分の「べきルール」にあてはまるはずだと思えば思うほど、その現実と闘うことになり、ひどくエネルギーを消耗してしまうのです。だから、「べきルール」をかざしているときは、いつも疲れはててしまいます。

常に目のまえにやってくる「今」というものは、好むと好まざるにかかわらず変えようがありません。それを変えようとすればするほど、苦しい思いをしてしまうのです。

「こうあるべき」という「べきルール」は、なければないほど安らぎを感じられるものです。

ものごとを自分の「べきルール」におしこもうとするよりも、目のまえにやってきたことをただ信頼してみましょう。

やってきたことこそが、今の自分にとって正しいこと、自分にとっての「答え」だと受けいれましょう。

自分自身は将来を見通すことはできませんが、自分をつねに導いてくれている高次の存在であるハイヤーセルフが自分とともにいて、人やものごとの関係やタイミング、そこに関係する全ての人にとっての善いことや、こころの癒しなどを見越して、すべてに配慮したうえで、今いちばんヨイことが進行中なのです。

ここの一点だけを見てもわからないかもしれませんが、決して間違った流れに乗っているわけではありません。むしろ、導かれているのです。

しかし、その流れに対して怖れを感じ、抵抗したりコントロールしようとすると、その導きの完全さが失われてしまいます。

たとえ今どうであっても、「起こっていることはいつだっていちばん善いことだ」と信頼して、ただ流れにまかせてみることです。( ♪これでいいのだ〜♪ まさに、天才バカボンのパパのセリフです! 笑)

もし、流れにまかせることで怖れなどの強い感情を感じるのであれば、それこそが自分が抑圧し向いあうことを避けつづけてきた癒すべき感情そのものです。ただ、その感情は「もう捨てて下さいね!」と浮上してきているのです。

そのように上がってきたのなら、受け入れて、感じて、手ばなして、終わりにしまいましょう。

そのような感情さえなければ、どんな状況下でもゆったりとくつろで身をまかせることができるようになります(じつは、怖れを感じている対象は、その隠していた「感情」そのものなのですよね)。

「べきルール」で身を固めて、自分が傷つかないように守ろうとすればするほど、コントロール不能な無力感を味わうことになります。それよりも、安心してすべてを受け入れて、「べきルール」のいらない自分になることです。

ただ、今起きていることに自分を明け渡して、こころを開いて、自分を委ねてみましょう。明け渡しのなかで、高い自己にすべての舵をとってもらいましょう。

強い抵抗を感じたら、今癒されるべき感情として、受け入れて感じてあげるだけでよいです。

気持ちのよい自然のなかで暖かな太陽の光をあびながら、ゆったりとボートで川を下ってゆくような気持ちです。今というときの大いなる導きのなかで、ただ安全に守られて、ちからを抜いて流されてみましょう。

きっとラクちんにものごとが進むはずです♪

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング