「大学生の息子さんの恋愛や行動に、つい口を出しすぎて煙たがられてしまう」というA子さん。
としごろの息子さんに限らず、私たちはコミュケーションにおいて相手の言葉や態度のみに気をとられ、抵抗したり、拒絶したりして、なかなかそこにある「想い」を受け取ることができません。
親が口にする「頑張りなさい!」は「あなたならきっとできるから、頑張りなさい!」であり、「気をつけるのよ!」というひとことも、「今日もあなたに安全に過ごしてほしいから、気をつけてね」という愛や励ましがこめられていたりします。
しかし、こどもにとってはそれを圧力と感じ、「わかっているよ!」「それ以上言わないで」と抵抗や怒りを感じてしまうのです。
それは、受け取る人のなかにある被害者意識や、自信のなさによって、その言葉を自分なりに解釈してしまうからです。
もし、自分を信じることができ、安心しきっていたならば、きっと「お母さん、大丈夫だから!心配しなくていいよ」と穏やかに伝えたことでしょう。
こころが不安定だと、相手から愛を伝えられたとしても、それを素直に受け取ることができません。自分の怖れが愛を帳消しにし、攻撃に置き換えてしまうのです。
怖れや心配、疑いがこころにあると、つねに自分の体験を歪めてしまうことになりかねません。そのため、自分のまわりからたくさんの愛を送られていようとも、それを感じとることができず、自分は愛されていないという被害妄想に陥ってしまうのです。
このようなコミュニケーションの歪みは、誰もが経験することです。
自分のこころのなかにある痛みのせいで、私たちはなにひとつ正しく知覚することができないのです。そして、安全な環境のなかにいようとも、くつろいで幸せを感じることができません。
ここで大切なことは、「自分が知覚するすべては、自分のこころが選んでいる」ということを認識することです。
心地よくない体験をしているのなら、体験そのものが間違っているというよりも、自分のこころが間違っているため、正しくものごとを認識できていない、ということです。
自分の体験していることが気に入らないなら、いったん立ち止まってみましょう。
「私のこころこそが動揺していたたため、不安な世界を目にしたに違いない。こころを落ち着ければ、別な世界を見ることができるのだ」と気づいてみましょう。
そして、軌道修正のために仕切りなおします。
「私が見たいのは、このようなものではない。安らぎと完全さだけを目にしたい」と決め直し、ものごとをもういちど見てみましょう。
たとえば、息子さんんに「あなた、そんなことで大丈夫なの?」と声をかけたくなるとき、
「あ、これは自分のなかにある怖れを息子のなかに見て、自分で心地よくないストーリーをでっちあげている。間違っているのは彼ではなく、私なのだ」と気づくことです。
そしてこころを落ち着けて、「私が見たいのは、完全さ、安らぎだ」と決め直します。
さらに、自己の高い意識であるハイヤーセルフに「今の状況を愛のなかで見られるように助けてください」とお願いしてみましょう。
愛をもって見ているとき、怖れや不安、疑いは姿を消し、安らぎのなかでものごとの意味が変化してゆくのがわかります。
意味が正されれば、こころは穏やかさを取り戻し、その穏やかさが自分の目にする世界、体験へと広がって、安らぎの世界を見せてくれます。
今まで握りしめてきた怖れや心配の想いは、とりあえずハイヤーセルフに渡してしまいましょう。そして、ここからは愛のなかで完全さだけを見るのだ、と決め直しましょう。
息子さんに対しても、心配からたくさんの言葉をかけるよりも、ただ信頼し、安心のなかで見ようとすることで、なによりも自分自身が落ち着くことができます。そのスペースのなかで、息子さんも自信を取り戻し、心地よくものごとを進めることができるようになります。
自分自身が「見たい!」と決めたものは、必ず見えてきます。それが自分の世界となるのです。それこそがこころの力です。
だから、自分が喜べるものだけを見るのだ!と決めましょう。
怖れや疑いに呑まれそうになったら、ぜひこの歌を口ずさんでみましょう。それは、「これでいいのだ~♪」というバカボンの歌です。
すべてはそのまま放っておいても大丈夫なのです。必要なのは、安らぎのなかでハイヤーセルフとともにものごとを味わい愛でること。それだけです。
もし、何かすべきことがあれば、そのためのインスピレーションは必ずやってきます。あるいは、気づかないうちに、自動的に必要な行動を起こしているかもしれません。
ハイヤーセルフにつながって、安心して過ごしましょう♪ きっと、たくさんの愛や安心が見つかるはずです。