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気づきのぷちノート「幸せになろうとする努力よりも・・・」

私たちは日々、自分に足りないと思うところを見つけだしては、それらにつけ足すためにせっせと走りまわり、あっちをいじくり、こっちを立て直し ・・・ よりよい自分になろうと努力します。

しかし ・・・ そもそも「よりよい自分」っていったいなんなんでしょう? なにを目指しているんでしょう?

すでに「自分ではない」なにものかが、よりよい自分ってどういうこと??

それってもしかして、ほんとうの自分を否定して破壊する行為になってない??

私たちは、あるがままにリラックスして、そのままの自分でいることで、幸せを感じていいはず。そして、そのあるがままのほんとうの自分でいることでこそ、自分にとってのベストの現実を体験することができます。

だったら、幸せになろうと走りまわるよりも先に、自分に尋ねなければならないことがあるかもしれません。

それは、「なぜ、私はこのままの自分で幸せになってはいけないのだろう?」ということ。

幸せになろうとする以前に、すでに幸せがちゃんと保証されていて、

もしも、自分がその幸せを全力で阻んでいるとしたら ・・・ いったい何を思ってそんなことをしているのでしょう?

「幸せになったら、誰もかまってくれなくなる。愛されない」とか・・・

「幸せになったら、イジメにあうにちがいない」とか・・・

「幸せになったら、もうゲームオーバーな感じがして退屈。もっとドラマチック感がほしい」とか・・・

「幸せになったら、私を苦しめた誰かを反省させることができなくなる」とか・・・

「幸せになったら、親の教育方針にあわない(親はこの世界は甘くないといつも言っていた)」とか・・・

「幸せになったら、居心地が悪い(ずっと、ストレスを感じてきたから、幸せなんてむずむずする)」とか・・・

気づかないフリをしながらも、必ずこころのなにかにはなにか企みがあるのです。結局、シンプルに幸せであることよりも、自分のなかの考えのあれこれが好きで、そこにとどまっていたいのです。

つまり、ほんとうは意図的に幸せにならないことを選んでいる、ということ。・・・ でも、それはもう、過去の決意かもしれません。いつだって手放してかまわないのです。

そんな自分の過去の決意に気づくことができたとしたら、そもそも走りまわる努力なんていらなくなって、

たった今、このままで、安らぎ、幸せを感じるてもかまわない、と自分に許してあげることができるかもしれません。

まずは、自分のこころがやっているパターンに気づくことが大切なのですね。

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング

 

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ご近所イルミネーション☆☆

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季節はずれの暖かさから一転、きょうはぐっと気温が下がりました。

それでも、まだ手袋もマフラーもしていないので、年末にしてはだいぶ暖かく感じます。

仕事終わりのお散歩タイムも、とっぷりと暮れてしまうようになりました。

つめたい風のなかでこそ、イルミネーションが映えますね。(今年の目黒川は、ほんのちょっとだけのイルミネーションです。)

 

 

お茶の間シネマトーク「ルイの9番目の人生」

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予告を観たときから気になっていた作品です。ベストセラー小説の映画化だそうです。

ルイ少年はたった9歳にして、息もたえだえの崖っぷち人生。

なぜなら、毎年一回、災難に遭遇して命を落としそうになるから。

刃物が自分に向かってくるという彼の誕生にはじまって(彼は帝王切開だったのです)、ベビーベッドに寝ている自分めがけてシャンデリアが落下し全身骨折、ようやくハイハイできるようになればコンセントで感電死寸前、はたまた食中毒やら・・・・ついには、崖から落下して昏睡状態に陥ってしまいます。

9歳にして、あまりにも数奇な人生 ・・・ いったい彼はどうしたのでしょうか? 何が起こっているのでしょうか?

みなさまは、何を想像されたでしょうか? わたしも、あらすじを耳にしたときに3つ、4つ推理をいたしました ・・・。

観ていて、これはサスペンスなのか、はたまたミステリー? ファンタジーのようでもあり、ちょっとオカルトチック・・・。観ながら、推理や妄想がふくらみます。

結末は ・・・ 観てのお楽しみ♪ (ちなみに、私の推理はことごとくハズレました・・・汗)

ここに登場する精神科医もドクターも、ちょっとフシギちゃん(苦笑・映画に登場する心理職の人っていつもあやしすぎる・・・)。

いちおう心理職には、クライエントと向きあうときの職業倫理(ルール)があるのですが、映画に登場するセラピストやカウンセラー、精神科医って、そんなの知ったこっちゃない!という感じですね(だからこそオモシロイ?!)。

涙壷度:☆☆☆☆☆(ゼロ・・・お涙ものではありません)

 

気づきの日記「セラピーを受けたのに・・・くりかえす問題」

「セラピーを受けていい調子だったのに ・・・ また同じような問題にハマってしまった ・・・ 」 というとき、

失敗してしまったのではないかという挫折感や、やっぱり変われない私という罪悪感を感じてしまうことがあります。

多くの方が勘違いしているのは、セラピーとは一生のあいだで一回(あるいは1クール・3回)ぐらいを受ければ、もうそれで OK なのだと思ってしまっていること。

残念ながら、なかなかそうはいきません(もちろん、“そのとき” の問題はそのセッションで解決されることでしょう)。しかし、誰でも生きているかぎりは、一生問題に遭遇しつづけます。それが人生というもの。

じつは、すべての人がものすごい量の問題をつくりだす原因をこころのなかにかかえているのです。しかし、それらは無意識化していて、なかなか気づくことがありません。

そのように問題がつぎからつぎへとやってくる人生において、セラピーとは「これは問題だ!」と解釈していたものに対して、だんだん反応しなくなったり、つまり重要視しなくなったり、解釈が変わってしまうために、以前のようにそれを「問題である」ととらえなくなることです。それによって、自分の目にする世界が変わってきます。

そのためには、少しづつこころを再教育してゆく必要があり、たった一回、あるいは数回受けただけではこころのクセから完全に抜け出すことができません。もちろん、そのとき問題だとしていたことに対しては、そのときのセラピーで解決することは可能です。

でも、楽器の練習のごとく、少しづつ練習しながら上達してゆく ・・・ それがこころの再教育にもあてはまります。間違ったパターンが起こるたびに、忍耐強くこころを矯正してゆく必要があるのです。

「これは問題だ!」とさわぎまくるエゴのパターンにだまされず、私たちが静かに完全にスルーすることができるようになるまで、何回もお試しがつづきます。練習問題をときつづけることによって、なんなく答えが導き出せるようになるために、何度も練習させられるような感じです。

そして、練習の成果として、今までとは違う正しい思考や態度が自分のものとなります。

「あの人はいいな〜。私みたいに悩みがなくて。問題とは無縁で、あっけらかんと生きているように見えるもの」とまわりの誰かのことをうらやましく感じ、また自分のことを繊細すぎると恥じてしまうことがあるかもしれません。

けれども、この世界に存在している限り、こころに問題(罪悪感)をかかえていない人はひとりもいません。

難しい問題ややっかいな感情に見まわれているように感じるならば、それは手放す準備ができたとき! そのために、無意識にあった罪悪感や怖れがようやくこころの表面に浮上してきて、それに気づくようになってしまったというわけです。

誰もが問題のタネをかかえています。こころの深いところに、まったく気づかれないように。ない人はいません。でも、「そのとき」がきていない人には、罪悪感や怖れはまったく意識の表面に浮上してくることがありません。

そんな人に「悩みはありますか?」と聞いても、「そんなものありません!悩んでいるんですか? たいへんですね〜」と答えられるかもしれません。けれども、そんな人でもそこはかとない違和感や怖れ、孤独観は感じているに違いありません(それは慢性の頭痛のように、常態化してしまっているだけなのです)。

私たちは、無意識のなかに隠しもっていた罪悪感や怖れを手放す準備ができたときに、問題・悩み・怖れとして隠しもっていたものと向き合うことになります。それを癒すために。

そのときがきたら、解放のときが到来したことを理解して、ただ手放してゆくだけです(今回の人生では、そのようなことは起こらない人もいます。それぞれのときがあります)。

それが始まったとしたら、それはほんとうの自分に目覚めるための時限爆弾(?)が動きだしたときであり、爆発(真の目覚め)が起こるまで、まるでタマネギの皮をむくように、解放としての癒しがつづいてゆきます(こころにある罪悪感や怖れは、よくタマネギやミルフィーユの層にたとえられます。それらを一枚づつ剥がすような作業が癒しなのですね)。

つまり、一枚かたづけると、つぎの層が出てきます。でも、タマネギにしてもミルフィーユにしても、一枚目も二枚目もまったく同じに見えるので、「あれ?セラピーでかたづけたはずなのに、また戻ってきちゃった」と思うわけです。

それは戻ってきたのではなく、ただつぎの層に進んだだけです。癒しがさらにディープに進んだというわけです。でも、事象としては、前回とまったく同じような状態であらわれるので、まるで失敗したからまた同じことをくりかえしているような敗北感を感じてしまいます。でも、いつかは皮はむききれ、層はなくなります。

このように、こころはたくさんの層をなしているので、根気よく浮上してきたものを一枚一枚はがしてゆく必要があるわけです。

それをしてゆくうちに、古いものの見方が完全に正されて、正しいあるがままのものの見方、考え方を身につけてゆくことができるようになります。それは、痛みをしらないものの見方です。

だから、一回セラピーを受けたのに「失敗した!」と自分を責めずに、問題が出てくるたびに「癒しがすすんだから、新たな層が出てきた!」と忍耐強く向きあう必要があります。

そんなわけで、セラピーを習慣化して一ヶ月に、あるいは数ヶ月に一度、こころのお掃除にいらっしゃる方が多いのです。実際、少しセラピーにいらっしゃらないと、溜まった感じが不快に感じるとおっしゃいます。もちろん、ご自分でケアすることもできます。

そのように忍耐強く向きあってゆくうちに、今までとは違った世界の見方を確実に自分のものにしてゆくことができます。

そんなわけで、そのときがきていて癒しがはじまっていると感じたら(問題がどんどんやってくるように感じたら)、それは長いあいだ抑圧されて、完全に闇に葬られていたものがようやく春の雪のように消え去ろうとしているプロセスです。

またとない解放のチャンスをいただいているときであり、「今ならできる!」というときです。

あせらずに、ただ気長にそれに向きあって、こころのなかを見てゆくことが大切なのですね。

 

 

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気づきのぷちノート「今あるものがあるもの」

たった今、経験していることを、ただあるがままに経験してみます。

正直に、なにひとつ避けることも、抵抗することも、隠すことも、意味を変えようすることもなく・・・。

今あるものだけがほんとうに「あるもの」。これだけがあって、これだけで OK 。今の経験にとどまるならば。

なぜなら、これがあるものだから。

たとえば・・・

ある朝、冷蔵庫をあけると玉子がころんと一個あったとします。で、目玉焼きを作って食べました、マル

けれど、「え〜!玉子一個だけ? ベーコンがあったらベーコンエッグができるのに。トーストもないなんて?」という考えがよぎったとたんに、たった今あるのもが残念でわびしいものになります。

なにも言わなければ OK だったのに・・・。

あるがままにちゃちゃを入れることで、惨めになることにまんまと成功しました。

私たちはいつもこんなことをしている気がします。

思考が「あるがまま」にちゃちゃをいれるやいなや、とたんにそこにあった平和が打ち消されて問題がつくりだされるのです。

たった今、ここで起きていることとピッタリと親密であること。なにか(不平不満、価値判断・・・)が入りこむ、ちょっとのスキマもつくらないこと。起きていることを起きているままにしておくこと。

わたしたちは、「こうだったらいいのに、こうあるべきなのに・・・」とあたりまえのように口にするけれ、そのセリフは今あるものにはまったくあてはまらないのです(ほんとは、「今あるもの」について、ありえないセリフなのです)。

なぜなら、これだけがあるから・・・。

じゃあ、すべてに対して OK と言おう!ときめます。さて、いったいどんな気持ちになるのでしょうねか? (自分のなかでなにが起こるか、それも観察してみましょう!)

 

 

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和のあまみ

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最近いただいた愛らしい和のお菓子。やさしい甘さにこころがなごみます。

京都の金平糖・・・

このところ、金平糖にご縁があって少しまえにもいただきました。

お砂糖のシンプルな甘さにほのかな香りがついていて、「こんなにおいしかったんだ!」と金平糖再発見でした。(そうですよね!金平糖は宮内庁御用達の由緒正しいお引き菓子ですものね。)

ちょっと甘いものがほしいな〜というとき、数粒を口にふくんでいるとこころが満足します。和のキャンディですね。

会津の打ち菓子・・・

和三盆とそば粉のとっても上品な甘さの落雁。雅な姫が描かれた八角形の箱に入っています。

口のなかですっと溶けて、ふんわりとした甘さにほっとなごみます。

和紙にひとつづつ包まれていて、お花のよう。

出雲のお饅頭・・・

ご当地饅頭っていろいろありますが、この子たちは初対面です。

ドジョウ掬いスタイルがなんともかわいくて、なごみますね〜♡

なかは、おいしい白あんです。

チョコなどの舶来系のお菓子の甘味は自己主張が強いように感じますが、和のお菓子はひかえめでありながらしっかり癒し系の甘味です。

どれも、けっこう珈琲にあうのでした。ごちそうさまでした♡

 

 

気づきの日記「ひとつである内側と外側」

目を閉じると・・・そこに暗闇としての内側のスペースが広がっているのを感じます。

しばらくそのまま目を閉じて坐っていると、考えは勝手にあらわれてくるし、突然お腹がなったり足が痺れたりという感覚というものもあらわれたり。また、昔の記憶がふとやってきては、それとともに感情がわきあがってくることもあります。

その内側のスペースには、考えやら感覚、記憶、感情などがやってきては去っていくのです。

そして、その同じスペースに色や形や動きもあらわれることができます。それは、目を開いたときには顕著です。

そのスペースにはっきりとした色や形や動きが加わることを私たちは「世界」と呼び、考えや感覚、記憶、感情などのあらわれとは別もの扱いにしています。世界という外側と、こころの世界という内側というふたつの世界にわけているのです。

しかし、自分の考え、感覚、記憶、感情と、世界と名づけられた色や形や動きという要素は、まったく同じスペースにあらわれているものであり、じつは内側と外側の区別というものはありません。

それは、自分の意識(こころ)というステージ上で起きているように見える現象の数々なのです。そして、それらは、やってきては去ってゆきます。

いつも流れているのです。せき止めることなくただ流れていることによって、そこにはおだやかさがあります。

通称「世界(外側)」と呼ばれるところに一本の樹があるとします。私たちはこの樹について、いつ新芽を出し、いつ生い繁り、いつ花を咲かせ、いつ葉をちらすのか、まったく予測できません。知らなくていいと思っています。

その一本の樹の一生を予測できないことは理解できるのですが、樹と同じスペースに存在している自分というものの行動、考え、感情、記憶、感覚などが予測できないということはなかなか受け入れることができません。

けれど、自分の意識のスペースに存在する、という意味では、樹も、ポストも、カップも、あなたも私も、まったく同じレベルなのですね。

私たちは、自分については「いつ芽が出て、いつ花が咲くのか? 私こそが決めることができるのだ」と信じがちです。「この結果は私しだしだ!」と。でも、そう信じて、そうならないことこそが苦しみの原因といえます。

この自分の内側のスペースにあらわれてくるのもの、考え、感覚、記憶、感情、世界(人と自分)にはコントロールということがまったく通用しません。自然発生的に勝手にじゃんじゃんやってきては、ただ静かに去っていきます。(わたしたちがちょっかいを出さなければ・・・)

そして、それをそのまま、あるがままにしておくことが「ゆだねること」であり「明け渡し」です。

自分ではうかがい知ることができない完全な秩序に対して、自分を「ゆだねる」ことです。

でも、私たちは自分のあれこれについて「私がどうにかできる」「私こそ私の行くすえを決める人」と信じているので、流れくるものをじゃんじゃん行かせてあげることができず、少しでも自分の意にそわないと、すぐにちょっかいを出してつかみかかり、思いどおりにしようとしてはケンカを売って、それらがそのまま去っていくことを許さないでいるのです。

コントロールしたくてしたくてたまらない存在とは、じつはほんとうの自分ではありません。エゴという名の思考であり、そのニセの自分にこそ、ご退場いただかなければなりません。

エゴは口を開けばイジワルなことしか言いません。ちょっといいことを言ったとしても、自分を特別に感じさせて人とのあいだに溝をつくろうとします。必ずあとで仕打ちがまっているのです。

だから、エゴにはそのスペースから何歩も退いてもらって、スペースの向こう側に落っこっちゃってください(向こう側ってどこだ??笑)。

エゴというニセの自分はあまりにも怖がりなので、コントロールが存在しないところで懸命に仕切ろうと頑張ります。しかし、それができないからこそ問題が生まれ、苦しみが生まれてしまいます。

コントロール狂のエゴには何歩も後ろにおさがりいただいて、そのかわりにほんとうの自分であるハイヤーセルフにご登場いただきます。そして、その光のなかですべてを見ることで、別な見方ができるようになります。

いままでステージには照明がないまま暗闇のなか手探りで奮闘していたのです。だから、ものごとをあるがままに正しく見たり、受け入れることができませんでした。

このスペースをハイヤーセルフの光で照らしてもらえるようにお願いします。すると、ステージに光がやってきて、光であふれて、「あれ? いままで怖いと思っていたものは全然怖いものではなかった!」と気づくかもしれません。

これがすべてを自分で決めようとする「コントロール」というものを手放して、もとから存在している宇宙の秩序、完全さのなかに「明け渡して」、あるがままに見せて、体験させてもらうこと。

ハイヤーセルフのいっぱいの光のなかで、「いったいなにが起こっていくのだろうと?」と興味しんしんで見ること。

エゴではなく、ハイヤーセルフとともに見ることで、「かならず、いちばんいいことがもたらされる」という確信と安心感を感じることができます。

それこそが、そこに存在しているギフトを受けとるために大切な「信頼」です。ハイヤーセルフの手を握って、その存在の光とともにいれば大丈夫!という信頼。

ただ後ろにさがる気持ちで、静かにして、さまざまなものがあらわれるそのスペースをオープンしてみましょう。

そしてやってくるものを、ハイヤーセルフとともに信頼をもって穏やかに受けとめて、そして見せてもらいましょう。「すべては、私にとってのかけがえのないギフトだ!」という信頼とともに♡

 

 

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沈丁花まで・・・

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きょうは曇り空でしたが、ここのところ雲ひとつない気持ちのいい空が広がっていました。

都心も、木々が色づきはじめています。

昨日の夕方、信号待ちで足をとめたとき、ふと春の宵を感じたのです。

それは、どこからか風にのってきた花の香りのせい。

あたりをみまわしてみたら、なんと沈丁花が開いていました。

サクラやら、セミやら、沈丁花まで、バラエティゆたかな晩秋です(笑)。

 

 

♪♫•*¨*•.¸¸♪♫•*¨*•.¸¸♪

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