12-07-03 かんたん♪お絵描きセラピーはいかが?

最近、毎日シコシコ色えんぴつをナイフで削っています。

ミニ鉛筆削りだとすぐ芯が折れちゃう。そうでなくっても、力いっぱいぐりぐり色をぬるのでボキボキ折れるし。

ぐりぐりボキボキするのはわたしではなくって、お子さん、クライアントさんです。こども向けのセラピーに使っているのです。

大人はことばで表現してスッキリするところがあるけれど、こどもの場合、「どんな気持ち?」と聞いても、「え〜・・・わかんない」と言われるか、黙られてしまいます。

そこで「絵」で表現するアートセラピー登場。

とってもかんたん、そして効果ばつぐん!誰にでも使えます。やり方はこんなふう・・・。

もともと潜在意識の中は言語というよりもイメージ優勢の世界なので、ダイレクトに絵と色で表現してもらうことによりネガティブな感情や信念の解放を促すことができます。

そういえば、昨晩NHKの番組で企画案などを絵で表現しているという会社が紹介されていました。自分の考えを一枚の絵にしてみると、文字を並べるよりも広がりのある表現ができ、自分でも新しい気づきを得ることができるということでした。

お子さんはたいてい親に連れられてセラピーにきた、という意識が強く、「自分が修正されなければならない」ことに不満を抱いています(ほんとうは修正ではなくて、視点の転換なのですが...)。セラピストは親とグルになっている敵にされます。

そういう場合はノーテンキに、「○○ちゃ〜ん、一緒にお絵描きしよ〜♪」と誘ってみます。すると、「え〜、下手だから・・・」と言いつつもたいてい嬉しそうにのってくれます。

「ねぇねぇ、○○ちゃん、学校ちょっとお休みしてるんだって?行けない日って、身体にどんな感じがあるの?」と遊びにかこつけて、すかさず身体の感覚から尋ねてみます。

すると、「う〜ん、ここんとこ(胸と喉をさして)になにかある感じ」というお答え。「あそう、それってどんなものでできてるの?」とさらに身体の中の感覚の大きさ、重さ、硬さ、色、質感、密度などを尋ねます。

身体の中の「それ」をよ〜く感じてもらいながら特定したら、「じゃあさ〜、それ、そっくり紙の上に移してみてよ。紙の上にお引っ越しだよ。色鉛筆で描くとどうなる?」とうながすと、まったく躊躇なく描きすすめてくれます。

たまたま紫色が折れてたら、「どうしても紫じゃなくっちゃダメなの」と言われ、あせって削るわたし。削って渡すと、ぐりぐり力いっぱい塗っているうちにポキっ!また、あせってわたしが削っていると、「折れた芯で描くよ」と、ちっちゃい芯で必死に描いています。(ちゃんと自分の気持ちの色は決まっていて、それは絶対ゆずれないのです。それにこの力の入れようからも、紫のエネルギーのパワーが伝わります。)

描きあがったらちょっと絵の説明をしてもらいます。びっくりすることに、ひとつひとつにちゃんとした細かい意味があのです。自分の気持ちの細部までを表現しています。(この説明で何が起きているのかは、だいたいつかめます。)

つぎに、わたしが絵のメインの部分にマイクを向ける仕草をして、絵にインタビューして語ってもらうのです。

「ねえねえ、この人(絵のある部分)、何て言ってる?何困ってるの?」「どうして欲しいのかな?」と絵にマイクを向けると、○○ちゃんが絵になりきって答えてくれます。そうなのです、自分のことじゃないと、あんがいすらすら正直な気持ちを語ってくれます。(「絵」じゃなくって、ぬいぐるみを使うこともあります。つまり、こどもと同じ悩みを持っているぬいぐるみにインタビューするのです。)

そして本人である○○ちゃんに、この困っている人(絵のある部分)に対してアドバイスしてもらいます。「ねえねえ、○○ちゃん、この人、こうこうこうで学校行けないだって。どうしてあげたらいいと思う?」って。すると、本当は自分がして欲しいこと、あるいはして欲しくても気づかなかったことを語りはじめます。

自分のことだと気持ちも解決方法も思いつかないけれど、あんがい他人のことだとわかるものです。これは大人でも同じですね。ちゃんと解決策は自分の中にあるのです。

おおかた解決方法を語ってもらったら、「じゃあさ〜、その解決策使って、さっきの問題が解決したらさ〜、この絵はどんなふうに変わるんだろ?」

そして、もう一枚新たに描いてもらいます。さっきまで紫、黒、茶色のオンパレードだったのに、今度はピンクや水色、黄色などのラブリーで暖かい世界が描きだされます。

わお!自分で提案した解決策でここまで明るく自由になれるんだ!とびっくりします。

描き終わる頃には、本人も気持ちが軽くなっています。

もちろん、これはたんに描いて気分転換になるだけじゃなくって、無意識のうちに潜在意識の中の怖れを解放することに役立っているし、また心の方向転換を自然なかたちで行っているのです。

これは、別にお子ちゃま向けのセラピーでもなんでもなくって、大人にもとっても有効。わたしもお絵描き大好きなので、たまにやっています。

みなさまも、「な〜んかもやもやするなぁ」「なんだか、やる気でないよ」という原因がはっきりしない落ち込みや、「あの上司、あったまにきた!」なんていうように感情が高ぶっているときなどに、是非、気軽に紙を用意して、ぐりぐりと表現してみてくださいね。

 うまく描く必要はありません。ただ描きたいままに。楽しくって簡単だけど、すっきり感、かなりありますよ〜。

かんたん♪お絵描きセラピーはいかが?

最近、毎日シコシコ色えんぴつをナイフで削っています。

ミニ鉛筆削りだとすぐ芯が折れちゃう。そうでなくっても、力いっぱいぐりぐり色をぬるのでボキボキ折れるし。

ぐりぐりボキボキするのはわたしではなくって、お子さん、クライアントさんです。こども向けのセラピーに使っているのです。

大人はことばで表現してスッキリするところがあるけれど、こどもの場合、「どんな気持ち?」と聞いても、「え〜・・・わかんない」と言われるか、黙られてしまいます。

そこで「絵」で表現するアートセラピー登場。

とってもかんたん、そして効果ばつぐん!誰にでも使えます。やり方はこんなふう・・・。

もともと潜在意識の中は言語というよりもイメージ優勢の世界なので、ダイレクトに絵と色で表現してもらうことによりネガティブな感情や信念の解放を促すことができます。

そういえば、昨晩NHKの番組で企画案などを絵で表現しているという会社が紹介されていました。自分の考えを一枚の絵にしてみると、文字を並べるよりも広がりのある表現ができ、自分でも新しい気づきを得ることができるということでした。

お子さんはたいてい親に連れられてセラピーにきた、という意識が強く、「自分が修正されなければならない」ことに不満を抱いています(ほんとうは修正ではなくて、視点の転換なのですが...)。セラピストは親とグルになっている敵にされます。

そういう場合はノーテンキに、「○○ちゃ〜ん、一緒にお絵描きしよ〜♪」と誘ってみます。すると、「え〜、下手だから・・・」と言いつつもたいてい嬉しそうにのってくれます。

「ねぇねぇ、○○ちゃん、学校ちょっとお休みしてるんだって?行けない日って、身体にどんな感じがあるの?」と遊びにかこつけて、すかさず身体の感覚から尋ねてみます。

すると、「う〜ん、ここんとこ(胸と喉をさして)になにかある感じ」というお答え。「あそう、それってどんなものでできてるの?」とさらに身体の中の感覚の大きさ、重さ、硬さ、色、質感、密度などを尋ねます。

身体の中の「それ」をよ〜く感じてもらいながら特定したら、「じゃあさ〜、それ、そっくり紙の上に移してみてよ。紙の上にお引っ越しだよ。色鉛筆で描くとどうなる?」とうながすと、まったく躊躇なく描きすすめてくれます。

たまたま紫色が折れてたら、「どうしても紫じゃなくっちゃダメなの」と言われ、あせって削るわたし。削って渡すと、ぐりぐり力いっぱい塗っているうちにポキっ!また、あせってわたしが削っていると、「折れた芯で描くよ」と、ちっちゃい芯で必死に描いています。(ちゃんと自分の気持ちの色は決まっていて、それは絶対ゆずれないのです。それにこの力の入れようからも、紫のエネルギーのパワーが伝わります。)

描きあがったらちょっと絵の説明をしてもらいます。びっくりすることに、ひとつひとつにちゃんとした細かい意味があのです。自分の気持ちの細部までを表現しています。(この説明で何が起きているのかは、だいたいつかめます。)

つぎに、わたしが絵のメインの部分にマイクを向ける仕草をして、絵にインタビューして語ってもらうのです。

「ねえねえ、この人(絵のある部分)、何て言ってる?何困ってるの?」「どうして欲しいのかな?」と絵にマイクを向けると、○○ちゃんが絵になりきって答えてくれます。そうなのです、自分のことじゃないと、あんがいすらすら正直な気持ちを語ってくれます。(「絵」じゃなくって、ぬいぐるみを使うこともあります。つまり、こどもと同じ悩みを持っているぬいぐるみにインタビューするのです。)

そして本人である○○ちゃんに、この困っている人(絵のある部分)に対してアドバイスしてもらいます。「ねえねえ、○○ちゃん、この人、こうこうこうで学校行けないだって。どうしてあげたらいいと思う?」って。すると、本当は自分がして欲しいこと、あるいはして欲しくても気づかなかったことを語りはじめます。

自分のことだと気持ちも解決方法も思いつかないけれど、あんがい他人のことだとわかるものです。これは大人でも同じですね。ちゃんと解決策は自分の中にあるのです。

おおかた解決方法を語ってもらったら、「じゃあさ〜、その解決策使って、さっきの問題が解決したらさ〜、この絵はどんなふうに変わるんだろ?」

そして、もう一枚新たに描いてもらいます。さっきまで紫、黒、茶色のオンパレードだったのに、今度はピンクや水色、黄色などのラブリーで暖かい世界が描きだされます。

わお!自分で提案した解決策でここまで明るく自由になれるんだ!とびっくりします。

描き終わる頃には、本人も気持ちが軽くなっています。

もちろん、これはたんに描いて気分転換になるだけじゃなくって、無意識のうちに潜在意識の中の怖れを解放することに役立っているし、また心の方向転換を自然なかたちで行っているのです。

これは、別にお子ちゃま向けのセラピーでもなんでもなくって、大人にもとっても有効。わたしもお絵描き大好きなので、たまにやっています。

みなさまも、「な〜んかもやもやするなぁ」「なんだか、やる気でないよ」という原因がはっきりしない落ち込みや、「あの上司、あったまにきた!」なんていうように感情が高ぶっているときなどに、是非、気軽に紙を用意して、ぐりぐりと表現してみてくださいね。

うまく描く必要はありません。ただ描きたいままに。楽しくって簡単だけど、すっきり感、かなりありますよ〜。

焼肉ヒプノ?

昨日はひさびさに熱海出張。

午前と午後にセッションをこなして、その後は仲良しワンちゃんたち(トイプー)とお遊びタイム。

声でわかるのか、はたまた匂いか、上の階から転がるように駆け下りてきて、顔から突っこんできます。わ〜、覚えていてくれたんだ。ありがとう!

しばらく会わないうちに一匹増えてる。新顔さんは同じくトイプーのゆきちゃん。処分されちゃう直前で救われてきた子です。

だからおびえているのか、抱っこすると飛行中のモモンガみたいに全身つっぱちゃう。抱っこされ方がわからないのです。

そこで、ちょっとやってみましたよ。犬ヒプノ。

抱っこしたまま、「わたしがさ〜んからいちまで数えると、ああ〜、もう瞼がおもくって、ちょ〜っともあけてられない、深〜い眠りに落ちてゆくような、そんな感じです。身体も温泉に入ったときみたい、ああ〜気持ちがいい〜、ぐ〜ったり、全身のちからがぬけちゃいます・・・・云々」と犬の催眠療法士。(あ、犬が温泉知ってるか?って。熱海在住の犬は毎日温泉浴なのね。)

すると、みるみるうちにゆきちゃん脱力。あんなに突っ張っていたのに、だらんだらん、とろとろ、ゆるゆる、ぐったり。

かかった!かかった!あんなに緊張状態だったのに。(でも、かかった、とようよりも、すべての催眠は自己催眠なので、ゆきちゃんが自分でかかってくれたのです。)

たぶん、これは言葉というよりは声の調子。なぜなら、催眠誘導はレストランのメニューを読んでいてもできるのです。「ホンゴレ〜、カルボナ〜ラ、イカスミ〜、あなたは三歳のあの夏にもどります」ってな具合に。あ、こんどからクライアントさんのお好きなメニューでセッションするとか。焼肉コースにしますか?それともイタリアン?なんて(笑)。

たしかに、音声の専門家に「あなたの声はふつうの人と周波数が違うから、かんたんに潜在意識まで届く声だ」と言われたことがありましたっけ(おお、なんとキケンな!)。どうやら、じゅうぶん犬にも有効。明日からこちらも開業か?!

その横顔は・・・

仕事を終えた夕方、ガラス張りのカフェでコーヒーを飲みながらペーパーワークあれこれを片づけていたとき・・・。

 

 

目の端になにか動物の横顔がかすめた。

 

 

ネコなんかじゃない。もっと大きい・・・。イヌ・・・?このへんは変わったイヌがたくさんいるからね。いや・・・さらに大きかったぞ。・・・ロバ・・・?まさかね!

 

 

 

 

きゃ〜、ほんとにロバだった。

ちなみに、ココは代官山の駅前。あなた、いったいどこからやって来たの?

12-06-26 どれだけ好きなの?(表参道)

「いつも表参道を通るとすごい行列だけど、何のお店だろう?一度行ってみたい」

と言われ、ネットで調べてみました。すると、ハワイ発のオムレツとパンケーキのお店「Eggs's Things」。

パンケーキはうちでもよく作るし、朝カフェするときの定番メニュー。つまりパンケーキには目がない!

じゃあ、朝カフェでトライしてみよう!ということになったけど、いざお出かけとなると「並ぶのめんどくさ」と徒歩5分の代官山マーメイドカフェか IVY PLACE どまり。

しかし、いったん興味をもったら体験せずにはいられないわたしは、仕事のミーティングにかこつけて行って来ちゃった!(^-^*)/

さいわい雨の朝で、行列は15名程度。やった〜、ティズニーランドなみの二〜三時間待ちをまぬがれた!ラッキー!

メンツはわたしと Lちゃん、そして若人の男子、Gくんも!

なにこれ?っていう感じですけど、これで一人前(決して小皿ではなく、大皿です)。すごいとはわかっていたけど、わたしたちはこのイチゴのパンケーキに加えて、バナナがごんろごんろしているワッフルと、じゃがいももりもりのオムレツまで頼んでしまったのでした。

すご〜くおいしい!けど、どこかノルマを達成しなければならないようなプレッシャーがつきまといます。意識が朦朧とするぐらい (^^;  格闘しましたよ〜、朝から。ああ・・・ハタチの男子を動員して大正解!Gくんの頑張りで、なんとか制覇です!しかし、すごかった・・・(汗)。

でもね、あんまりにもすごくって「行ってきちゃったのだ!」とも言いだせず、事実をカミングアウトしたのはしばらくたってから。

すると・・・

「Some things can never be forgiven.......................................」
世の中には許されないこともあるんだぞ....(きゃ〜ん!パンケーキのこととなると、マジで怒ってる?汗)。

はい、次はわたくしがご馳走させていただきます。

と言いつつも、わたしにはすでに次なるターゲットがあって、早くこっちに行きた〜い!シドニー発の「bills」のリコッタチーズのパンケーキ。一号店、七里ケ浜ではすごいことになっていましたね。これが表参道にも出店されたのです。Lちゃん、Gくん、bills もおいしそうだよ〜!

どれだけ好きなの?

「いつも表参道を通るとすごい行列だけど、何のお店だろう?一度行ってみたい」

と言われ、ネットで調べてみました。すると、ハワイ発のオムレツとパンケーキのお店「Eggs's Things」。

パンケーキはうちでもよく作るし、朝カフェするときの定番メニュー。つまりパンケーキには目がない!

じゃあ、朝カフェでトライしてみよう!ということになったけど、いざお出かけとなると「並ぶのめんどくさ」と徒歩5分の代官山マーメイドカフェか IVY PLACE どまり。

しかし、いったん興味をもったら体験せずにはいられないわたしは、仕事のミーティングにかこつけて行って来ちゃった!(^-^*)/

さいわい雨の朝で、行列は15名程度。やった〜、ティズニーランドなみの二〜三時間待ちをまぬがれた!ラッキー!

メンツはわたしと Lちゃん、そして若人の男子、Gくんも!

なにこれ?っていう感じですけど、これで一人前(決して小皿ではなく、大皿です)。すごいとはわかっていたけど、わたしたちはこのイチゴのパンケーキに加えて、バナナがごんろごんろしているワッフルと、じゃがいももりもりのオムレツまで頼んでしまったのでした。

すご〜くおいしい!けど、どこかノルマを達成しなければならないようなプレッシャーがつきまといます。意識が朦朧とするぐらい (^^;  格闘しましたよ〜、朝から。ああ・・・ハタチの男子を動員して大正解!Gくんの頑張りで、なんとか制覇です!しかし、すごかった・・・(汗)。

でもね、あんまりにもすごくって「行ってきちゃったのだ!」とも言いだせず、事実をカミングアウトしたのはしばらくたってから。

すると・・・

「Some things can never be forgiven.......................................」
世の中には許されないこともあるんだぞ....(きゃ〜ん!パンケーキのこととなると、マジで怒ってる?汗)。

はい、次はわたくしがご馳走させていただきます。

と言いつつも、わたしにはすでに次なるターゲットがあって、早くこっちに行きた〜い!シドニー発の「bills」のリコッタチーズのパンケーキ。一号店、七里ケ浜ではすごいことになっていましたね。これが表参道にも出店されたのです。Lちゃん、Gくん、bills もおいしそうだよ〜!

12-06-16 学校に行けないこども・・・どうする? その2

その1より

「学校に行かないこどもを、なんとか行かせたい!」というのは、こどもを思ってというよりは、じつは自分の満足を優先させたい、安心を得たいという親本位の考えです。なぜなら、こどもは学校に行けない=行きたくない、のが事実なのです。

そのこどもに、親は「どうして?」「そんなんじゃダメでしょ?」と追求の手をゆるめません。こどもはその追求に反発します。

まずしなければならないのは、こどもを「理解して受けとめる」こと。

理解することの基本は「無条件の受容」です。こどもが投げてきた球に対して「白」「黒」つけずに、そのまま受けとって、同じ球を投げ返してあげること。つまり、「学校に行きたくない」というこどもに、いい、とか、わるい、という価値判断は手放して、「そっか〜、行きたくないんだね」と受けとめて、その子とひとつになってどんな気持ちなのかを理解しようとすること。

不思議なもので、この「無条件の受容」があるとホッとするせいか、特別道を示してもらわなくても自分の中のポジティブな面が顔を出してくるのですね。何も間違っていない、という安心感からココロの自然治癒力が生まれるのです。

実際はこの「受容」がすっぽり抜けて、「早く正気を取り戻して、わたしたちの望む筋書きを生きるいい子でいでちょうだいね」というコントロールと隠された意図からこどもを「どうにかしよう」とあせってしまいます。

すると、こどもは敏感にそれに反応します。(ことばよりも、エネルギーのほうが雄弁に本当の意図を語ります。)こどもは、「その勝手な決めつけがいやなんだよ!」「自分のことを真剣に考えていない」と反発するのです。ある意味、親を冷静に試しているところさえあります。「学校へ行けない、期待に応えない自分。それでも、愛してくれているのか」と。

だから、親はまず「学校には行くべき」とか「この子はこう生きるべき」という決めつけを手放して、その子の気持ちとひとつになって感じることからはじめなくてはなりません。価値判断のないまっさらなところからこどもと繋がって受け入れ、リード、サポートをします。様々なことが起る社会(学校)の中で、親こそが「何が起っても、そのままのあなたでいいのよ」とつねにOKを出しげあげる人生のセイフティーネットになってあげることが大切なのです。

学校や仕事に行けない、引きこもってしまうこどもが増え続けている昨今、こどものココロの根っこが今ひとつしかりとはっていないのを感じます。

幼児が親から離れて保育園や幼稚園という社会に出てゆくとき、それまでに十分甘えることを認められて育ってきたこどもは、安心して大胆な冒険をすることができるようになります。何が起っても、安心して戻る場所がある、助けてくれる人がいる、そのままの自分にOKを出してくれる人がいる、という安心感が自分に対する自信へとつながっているのです。だから安定して新しいチャレンジができるし、失敗しても大丈夫と感じることができます。

もし幼児期にそのように十分に甘えたり完全に受容される経験が欠落していると、自分の存在の根っこの部分がゆらゆらしたまま大きくなってしいます。すると、どこか不安で、安定した感覚をもって冒険したり、挑戦したり、失敗することもできなくなります。その不安感が頂点に達すると、自分の内側にこもるようになってしまい、引きこもりを生み出してしまいます。

あらら〜、わたしちょっと育て方、失敗しちゃったかも・・・・という方。もしそうなら、今からでも大丈夫。「どんなあなたでも、あなたへの愛情は変わらないよ」ということを態度と言葉でしっかりと伝えてあげてください。こどもの言葉を判断することなく、そのままを受けとめる練習をしてください。もしそれをするのがむずかしかったり、ためらったりしてしまうのなら、もしかすると自分の中にこどもに対する「秘密の脚本」があって、その脚本をまだ手放せずにいるのかもしれません。

何よりも大切なことは、「こう生きるべき」「こうするべき」という自分が当然に思っている「こどもに対する筋書き」を手放すことです。「こども自身が書こうとしている筋書き」を尊重してあげること。たとえそれが未熟に見えたり、価値がなく思えても、大切にして、さらによい案を提案しながら常によりそっていてあげることです。

どうしても、わたしたちは自分が生きてきたように(つまり、親が自分にしたように)こどもにしてしまいます。「いえ、わたしは親のやり方が許せなかったから、絶対こどもには同じことはしていません!」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、わたしたちは「されたこと」や「今、していること」はあまりにも自分と一体化しすぎているため、自分が何をしているのか冷静に眺めることができないのが事実です。一体化しているものは、自分にとってあたりまえなのです。しかしハタから見ると、「あらら、根本的には同じかもよ〜」というように見えます。

そして、この親から受けた教育の違いで、「こどもに対する接し方」で夫婦が対立することになります。

夫と妻のそれぞれの教育方針。こどもは混乱しそうですね。こどもの問題を解決しなければならないのに、夫婦で対立したらさらに困ったことに・・・。さて、どうしましょう?次は夫婦の問題です。

(その3につづく)

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト

気づきの日記「学校に行けないこども・・・どうする?」その2

その1より

「学校に行かないこどもを、なんとか行かせたい!」というのは、こどもを思ってというよりは、じつは自分の満足を優先させたい、安心を得たいという親本位の考えです。なぜなら、こどもは学校に行けない=行きたくない、のが事実なのです。

そのこどもに、親は「どうして?」「そんなんじゃダメでしょ?」と追求の手をゆるめません。こどもはその追求に反発します。

まずしなければならないのは、こどもを「理解して受けとめる」こと。

理解することの基本は「無条件の受容」です。こどもが投げてきた球に対して「白」「黒」つけずに、そのまま受けとって、同じ球を投げ返してあげること。つまり、「学校に行きたくない」というこどもに、いい、とか、わるい、という価値判断は手放して、「そっか〜、行きたくないんだね」と受けとめて、その子とひとつになってどんな気持ちなのかを理解しようとすること。

不思議なもので、この「無条件の受容」があるとホッとするせいか、特別道を示してもらわなくても自分の中のポジティブな面が顔を出してくるのですね。何も間違っていない、という安心感からココロの自然治癒力が生まれるのです。

実際はこの「受容」がすっぽり抜けて、「早く正気を取り戻して、わたしたちの望む筋書きを生きるいい子でいでちょうだいね」というコントロールと隠された意図からこどもを「どうにかしよう」とあせってしまいます。

すると、こどもは敏感にそれに反応します。(ことばよりも、エネルギーのほうが雄弁に本当の意図を語ります。)こどもは、「その勝手な決めつけがいやなんだよ!」「自分のことを真剣に考えていない」と反発するのです。ある意味、親を冷静に試しているところさえあります。「学校へ行けない、期待に応えない自分。それでも、愛してくれているのか」と。

だから、親はまず「学校には行くべき」とか「この子はこう生きるべき」という決めつけを手放して、その子の気持ちとひとつになって感じることからはじめなくてはなりません。価値判断のないまっさらなところからこどもと繋がって受け入れ、リード、サポートをします。様々なことが起る社会(学校)の中で、親こそが「何が起っても、そのままのあなたでいいのよ」とつねにOKを出しげあげる人生のセイフティーネットになってあげることが大切なのです。

学校や仕事に行けない、引きこもってしまうこどもが増え続けている昨今、こどものココロの根っこが今ひとつしかりとはっていないのを感じます。

幼児が親から離れて保育園や幼稚園という社会に出てゆくとき、それまでに十分甘えることを認められて育ってきたこどもは、安心して大胆な冒険をすることができるようになります。何が起っても、安心して戻る場所がある、助けてくれる人がいる、そのままの自分にOKを出してくれる人がいる、という安心感が自分に対する自信へとつながっているのです。だから安定して新しいチャレンジができるし、失敗しても大丈夫と感じることができます。

もし幼児期にそのように十分に甘えたり完全に受容される経験が欠落していると、自分の存在の根っこの部分がゆらゆらしたまま大きくなってしいます。すると、どこか不安で、安定した感覚をもって冒険したり、挑戦したり、失敗することもできなくなります。その不安感が頂点に達すると、自分の内側にこもるようになってしまい、引きこもりを生み出してしまいます。

あらら〜、わたしちょっと育て方、失敗しちゃったかも・・・・という方。もしそうなら、今からでも大丈夫。「どんなあなたでも、あなたへの愛情は変わらないよ」ということを態度と言葉でしっかりと伝えてあげてください。こどもの言葉を判断することなく、そのままを受けとめる練習をしてください。もしそれをするのがむずかしかったり、ためらったりしてしまうのなら、もしかすると自分の中にこどもに対する「秘密の脚本」があって、その脚本をまだ手放せずにいるのかもしれません。

何よりも大切なことは、「こう生きるべき」「こうするべき」という自分が当然に思っている「こどもに対する筋書き」を手放すことです。「こども自身が書こうとしている筋書き」を尊重してあげること。たとえそれが未熟に見えたり、価値がなく思えても、大切にして、さらによい案を提案しながら常によりそっていてあげることです。

どうしても、わたしたちは自分が生きてきたように(つまり、親が自分にしたように)こどもにしてしまいます。「いえ、わたしは親のやり方が許せなかったから、絶対こどもには同じことはしていません!」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、わたしたちは「されたこと」や「今、していること」はあまりにも自分と一体化しすぎているため、自分が何をしているのか冷静に眺めることができないのが事実です。一体化しているものは、自分にとってあたりまえなのです。しかしハタから見ると、「あらら、根本的には同じかもよ〜」というように見えます。

そして、この親から受けた教育の違いで、「こどもに対する接し方」で夫婦が対立することになります。

夫と妻のそれぞれの教育方針。こどもは混乱しそうですね。こどもの問題を解決しなければならないのに、夫婦で対立したらさらに困ったことに・・・。さて、どうしましょう?次は夫婦の問題です。

(その3につづく)

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト

べこちゃん、いただきました♪

その昔、会津の「赤べこ」(お菓子)というと、ピンク色をしたお餅でした。きめの細かいきな粉がまぶされていて、小豆がはさまった上品な味わいのお菓子。

今やべこちゃんはキャラクターになっていて、こんなにキュートなお菓子がいろいろあるのですね。べこちゃん色の真っ赤な箱が可愛いです。

べこちゃんのストラップも!

この子はお腹のクリーナーで携帯をきれいにしてくれます。

殺風景だったわたしの携帯。さっそくつけましたよ〜。べこちゃんがつぶれないように、携帯、特別扱いです。

ごきげんうかがい

台風がじゃんじゃんやってくる不思議な六月ですね。

ここ数年、真夏のような六月が続いていたので、梅雨らしい雨模様には少しほっとします。

代官山の裏通りに、毎年あじさいが塀の向こうからこぼれるように咲くお家があります。

今年も元気かな〜?と、あじさいのご機嫌伺いに行ってきました(楽しみにしていると、突然、ばっさり・・なんてこともあるので。)

まだ小さい花が多かったけれど、無事に元気にしてました。よかった!(*^_^*)