かなりのお気に入り♪ 「坂さん」

丁未 坂(ひのとひつじ さか)」さんは、このブログでも何回かご紹介しているお店です。そして、「たかちゃんミシュラン」唯一の五つ星(五個が満点よ!)。わたしの大好きなお店です。

れっきとした「和食屋さん」ですが、フレンチが合体。メインとデザートがめいっぱいフレンチしています。おダシが繊細なお椀のあとに大胆なお肉の煮込料理が出てくるのに最初はびっくりしたけれど、これが不思議とあっちゃうのですね〜。見事に調和させるのは、ご主人坂さんの腕とセンス。

お料理はいちいち感想をのべる必要がないほど、ホントに一皿一皿おいしいです!そのうえ、坂さんが丁寧に集めていらっしゃる器が目に楽しい♪

さて本日最大の目的、それはデザート!毎回いただいているカボチャの温かいデザートがあるのですが、残念ながら冬期限定。いよいよシーズン最後なのです。カボチャの甘味にバターとリキュールがきいていて、そこにメープルアイス。あつあつをいただきます。ヒャ〜!絶品。こんなおいしいスウィーツ、どこでもいただけません。絶対、カフェをやってももうけると思います。あと、新作のスウィーツ、ココナツのブラマンジェもいただいてみました♪ぱっと明るい春らしい一皿。柑橘類がさわやかで、春が待ち遠しくなるお味でした。

みなさまにご紹介したいところは尽きないのですが、そうそう、お蕎麦を忘れちゃいけません。お食事のお蕎麦も坂さんならでは。手打ち十割り蕎麦。そうなると、お蕎麦がおいしいカフェっていうのもできそうですね(パスタよりうけるかも!)。坂さん、代官山界隈にそんなお店やりません?

春にむかって、うけとる気まんまん!

ひさびさに丸一日のお休み♪

さて、何をしようか?・・・数枚たまった美術館のチケット、そろそろ使わなくっちゃね。買い物もいくつかあったっな〜・・・。

しかし、このどちらも「しなくちゃ」いけないこと。頭で考えているのですね。しなくちゃいけないことはおいといて・・・ぶっちゃけ「何がしたいの?」と自分のハートにきいてみた。そうしたら、以外にも「そうじ」・・・だそうな。それも、モノを捨てた〜い衝動。

ゴミ袋とマスクと髪どめを用意して(髪どめはもちろん髪を束ねるのです。ヤル気がうかがえますでしょ!)、本日お掃除Dayとなりました。「やりたい!」と思ったことには、自然とわくわくするではありませんか。お金もかからず、なおかつお家もきれいになるというエンターテイメント!

大きなゴミ袋を用意して、捨てるわ!捨てるわ!途中、なつかしいもの、おもしろいものに遭遇してはお決まりの道草タイムも。なので、午前と午後をかけたわりには、ひと部屋どまり。でも、4つのゴミ袋を見るとかなりの達成感です。気持ちがすっきり爽快。より地に足がついたような気分。自分の生活をよりコントロールできてる満足感とでもいうのでしょうか。

その昔、こんなふうに衝動的に、かなり徹底的にモノをすてまくったことが2回ほどありました。そして、どちらもその直後、かなり大きな転機がやってきましたっけ。

新しいモノをうけとるスペースはばっちりできたし、今回は何がやってくるのかな〜。楽しみ。期待でいっぱい。

これだけ期待されちゃ、宇宙さんだって何もくれないわけにいかないでしょ♪(これこぞ、おねだりの極意!!)

「眠っちゃったの!エコサンデー」

地球温暖化問題に取り組む元米国大統領候補アル・ゴアさん。彼のセミナーをドキュメンタリーにしたのが、今上映中の「不都合な真実」。

「私たちが知らされていない環境破壊の現状をが、もっとつぶさに肌で感じられるかも・・・」と予告を見て興味を持ったのと、「エコサンデー」キャンペーンで500円で観られるというイージーな理由でさっそく出かけました。

バージン・シネマの巨大スクリーンで前から三列目はちとキツイ。でも、夕食をお腹いっぱい食べてマブタがおも〜い私たちにとっては、こんな至近距離の迫力映像では寝るどころじゃないでしょ〜、と思っていたのですが・・・・。

・・・みごとに寝ました。もちろん、このドキュメンタリーの意図、内容ともども文句のつけようがないのでが、なんせアル・ゴアさんが英語でまくしたて、のべつまくなしのチャートやグラフのオンパレード・・・。もう、左脳がフリーズ状態になって、右脳が開いたとたんトランス状態(お昼ね状態)におちいってしまいました。

やっぱり、この方政治家ですから、喋らせるとどうも演説になっちゃう。でも、ほんとうに人に伝えたいとか心情にうったえるときは、説明やら数字は期待されるほど受けとれないものです。それよりも「感覚」「ヴィジュアル」に訴えるほうが大切なのです。

たとえば、このポスターにしてもグラフや数字ばかりだったら興味をもたないけど、この不気味な煙突の写真が感覚をくすぐるのですよね。ですから、今起きてる危機に関する実際の映像やストーリをふんだんに取り入れ危機感をしっかりあおったすえに、数字を紹介するし解決策を提案する・・・、すると即座に私たちの潜在意識にその「感覚」が伝わることでしょう。

もっともっと「右脳(感覚・イメージ)タイプ」のプレゼンテーションがこれからの「伝わる」プレゼンテーションの主流になることでしょう。

08-02-09 おひとよしの考察

以前、掲示板の書き込み(#701)で、天使の風さんから「おひとよし」についての考察を依頼されておりました。かなり遅ればせながらですが(汗)、分析させていただきま〜す。

「お人好し」と「親切」あるいは「めんどうみがいい」というのは似て非なるものです。「おひとよし」というと、自分を犠牲にしたり、いいように使われてしまうというようなちょっと負のイメージ。実際、ほんとうに「いいように」使われちゃっているのでしょうか?「おひとよし」の正体とは?

「おひとよし」には、二つのタイプがあると思います。

たとえば、悪口や陰口をいわれても心底反応しない、というか好意的にしかとらえられない人。「あの人がこんなこと言ってたよ」といっても、「そうなんだ〜♪そういうとこもあるかもね〜」とにこにこどこ吹く風。ほんとうに気にしていないし、どこかノーテンキなのです。

このタイプは、自分の外側に存在するものに対しての信頼があるので、争わず、戦わず、風になびく葦のように、ものごとを愛でています。そして、自分が苦しくなる余計な信念はかかえないのです。そして、何も失うものはない、とわかっているので怖れがありません。存在していることで、どこか自然に人を癒してしまう天然「おひとよし」さん。

さてもう一方は、「人からよく見られるために」「あるいはいイイ人だと思われたいため」に「おひとよし」を装います。これは、心底の「おひとよし」というよりは、「見返り」を期待してやっているもの。一見いいなりになることで、ちゃっかり欲しいものを手にしようという隠れた意図あり!いいなりになることで、優位な立場に立とうとするのですね。しかし、周囲の人々は潜在意識下でその策略に気づいています。「おひとよしね〜」というニュアンスの中には、「あざとい」とか「ぶりっこ」とか「ちゃっかり」という批判や皮肉がこもっている場合もあります。

このタイプは、誰の心の中にもある負の感情をよびさますします。まわりで見ている人は、自分の中の同じイヤな部分を白昼にさらされるようで不快感をおぼえることも。

なので、天然の「おひとよし」さんはおおいに結構!でも、もしなんらかの意図(自分を守るとか、手に入れるとか、他人をコントロールする)でやっているとしたら、結局それは自分を傷つけることになってしまいます。なぜなら、「自分はガマンをしないと欲しいものが手に入らない存在だ」と決めてしまうことになるから。それに、せっかく「おひとよし」をやっても思うような見返りがなかったら、いつか大きな怒りと恨みにかわり豹変・大爆発するおそれも・・・おおコワ。

自然体がいちばん!

08-04-11 「君を幸せにできるのは僕しかいない」症候群 その2

「君を幸せにできるのは僕しかいない」
このセリフ、「あなたの幸せの責任は僕がとります」と断言してるようなもの。いいんですか〜?そんなこと言っちゃって?

幸せか幸せじゃないかって、「個人」の心が選ぶもの。早く言ってしまえば、人が最悪って思う環境でも「幸せ〜♪」と満喫してしまう人もいるし、こんな申し分ない環境だったらさぞ幸せであろうという人でも、「わたしほど不幸モノはいない」とおもってる人もあり。「個人」の心のバランスなわけです。そのバランスは他人には変えることはできないのです。

だから、「ぜんぜん幸せになれない!」と、ダンナさんを何回とりかえてもモトノモクアミ。その奥さんが自分のものの見方と共存している限り何も変わらないのです。自分が問題のみなもとだから。

それを他人が満たしてあげることができると誤解すればするほど、乾きを増長させるというメカニズム。奥さんの心の中の「幸せを感じるセンサー」は故障しているので、ちょっとでも献身的に与えてくれる人を見つけると、この人さえもっとたくさん与えてくれれば問題は解決すると思ってしまい、いよいよ吸血鬼化してしまいます。

結局、どんな問題でも外側から何かを与えたり加えたりして癒すことはできないのですね。なぜなら、どんな問題も外側には存在せずに、そのひと個人のものだから。「幸せにしてくれ!」といっくら外側に向かって叫んでも何をどうすることもできません。

結局はすべては自分。視点をぐるりと180°転換させて自分に向けること。他人に期待するのはやめて、自分の心と正直に向き合って、心の声をきいて、何が自分にとって心地よいのか、そのために自分がどうすればいいのかをちゃんと聞いてあげなくてはならないのです。自分に与えられるのは自分しかいないのですね。

08-04-03 「君を幸せにできるのは僕しかいない」症候群

「ぜったい幸せにするから僕と結婚してくれ」
・・・・よくあるプロポーズの言葉。

いっけん、ウルワシ〜ク響きます。女性にしてみれば言われてみたいセリフかもしれません。

が・・・「ええっ!!そんなこと言っちゃっていいの?」というのがわたしの正直な感想。こんなプロポーズするから離婚率が高くなるってものです。それに、ダンナさん、ご自分の首を限りなくしめることになりますぜ・・・。

だって、こう言われた奥さんは、ちょっとでも幸せ感が薄くなったとたんに、「ちょっと、ちょっと、アンタの努力がたりないせいでワタシちっとも幸せじゃないわよ。あの約束はどうしたの?」とダンナさんを責めはじめます。

すると、だんなさんはアセって、「じゃ、じゃあ、これならどうだ!」と甘やかし、「ぜんぜん、たんな〜〜〜い!」とダンナさんにさらに要求(人の欲望は限りなし)、「ほんじゃ、こ〜したらどうじゃ?」と頑張れば、「まったく的をえていない」と奥さんの怒りが爆発し・・・さらなる悪循環へ突入。で、奥さんのくちぐせときたら「あなたと結婚したばかりに・・・云々」。ダンナさんは自信も魅力も失い、たんなるダメおやじと化してゆきます。そして、奥さんはさらに見捨てる・・・。

こういう奥様は、誰と結婚しても結局は幸せじゃないのがわかってないのですよね。

人が幸せに感じるか感じないかは「誰かに何をされたか、されないか」とう問題ではない・・・ということになかなか気づけません。

ダンナさんが外側から幸せ感を押しつけてたとしても、一瞬は「あ〜幸せ♪」って感謝されるかもしれませんか、その努力はあっというまに底なし沼に吸い込まれ、あらたに拡大した要求となってダンナさんに襲いかかることになるでしょう。
(次回につづく)

08-05-11 「うんざり」レベルが人生を変える!

セラピーでのひとこま。

クライアントさんがご自分の問題を話されます。

よ〜くお話をうかがったうえで、違った角度からのものの見方を提案させていただくことがあります。「こんなふうに考えることもできますよね〜?」と。

そんなとき、「そうそう、そうなんです。それはもう知っています」とか「それは聞いたことがありますから」と、どんな考えもアドバイスも立て板に水のごとく、ソク右から左へと却下されることがあります。

そんなとき、ちょっともったいないな〜と思います。

なぜなら、知識で知っているかどうかをお尋ねしているわけではないからです。「頭でその知識を知っていること」と、それを「人生に受け入れる」「それを生きてみる」ということはまったく別なことなのです。

たしかに、どこか本で読み知った知識かもしれません。でも、知識はあくまでも知識。「頭のレベル」です。

わたしたちをつき動かし、人生を操作しているのは、「心のレベル」「潜在意識のレベル」です。頭のレベルに山のように知識をつんでも、行動はなかなか変えられません。

頭でさんざん知っていることだからこそ、本当に変わろうとするときは、それをもう一度受け入れて、どういうことなのかじっくり感じて、味わって、そして潜在意識に落ちるまで気長につきあってあげなければならないのです。ほんとうに心を開いて、自分に迎えいれてあげることなのです。

たとえば、自己啓発本などで「よ〜〜し!元気をもらったぞ!」というとき。直後はまるで人生が変わったように生き生きするのですが、一週間もするとあの感動パワーはどこへやら。なにひとつ変わっていない・・・。読書という頭脳レベルの刷り込みは、日常生活の刺激によってすぐにかき消されてしまいます。

そうならないためには、「知っている」「わかった」というレベルから、「もう、聞くのもイヤ」という「うんざりレベル」までもっていかなければなりません。

たとえば、この本の考え方はすばらしい!と思ったら、今日から三ヶ月間は寝る前に同じ本を読み続けるとか。感動したセンテンスを書き出して、毎日目を通すとか。とにかく、(頭で)「わかったぞ!」のレベルを超越して「いいかげんにしてくれ〜!うんざりだ」というところまでいかなくてはなりません。「うんざり」すると、その考え方と自分がひとつになって、あらたな自分の考え方のスタンダードとして確立します。潜在意識に落とし込むことができるのです。

今はなんでもスピードの時代。「はい、わかった!次ぎ!」といいたいところです。が、是非自分があらたに持ちたい考え方、生き方があったら、「わかった」段階から「もう、うんざり」までしつこく取り組んでみてください。ここまでくると知らぬ間に、ものの見方が変わっています。

しつこ〜いコテコテ読書は魂を育ててくれますよ。

08-05-19 知ってるようで知らない本心

自分がある経験に直面することによって、はじめて自分の本心、望みが見えてくることがあります。

どういうことかというと・・・、
信じていることがわたしたちの現実を創りだすという考え方から、「その人が経験していることを見れば、その人が何を本当に信じているかがわかる」といいます。

つまり、私たちの経験は自分が「何を信じているか」にもとづいて創りあげられるわけなので、結果としての経験をつぶさにながめることによって、自分の深いところにある潜在意識下の本当の思いを知ることになるのです。

人との関係がダメになるとき、潜在意識下では「もうこの関係は十分だわ」「終わりにした方がいい」ということを「お互い」(これは片方ではないのですね)がわかっていて、それが表面化されついには別れにいたるものです。でも、表面の意識、つまり理性ではそのことが理解できずパニックに陥ったり、被害者になったり・・・・。でも、こうして見ると、両者同時にあきらめに達しているので、被害者は存在しません。

また、何か目ざすものがなかなか手に入らないような場合も、たんにたくさんのモノを持ちたがるエゴ(表面意識)がそれをほしがっているだけで、じつは深いところにある自分の目的にはそぐわないのです。つまり、深い部分では望んでいない。手に入らなくて当然なのですね。

だから、目の前の結果が好きでなくても、でもじつは重要な軌道修正だったり、真実の自分に気づかせてくれるチャンスだったりします。

でも、興味本位のエゴはいぜん「そっちに進みたい〜!」と抵抗を続けることもありますが・・・。 (^。^;)

「なるほど〜、これがわたしが欲しかったものかぁ」と完璧に自分が創りだした結果として味わうとき、また次ぎの選択、つまりあらたに何が欲しいか意識的に選びなおすことができ、次ぎなる展開もやってくるのでしょう。むむ・・・。

08-06-04 あなたは自分が決めたものになってゆく!

昔から、「くじ引き」「抽選」「じゃんけん」のたぐいは、妙に自信があります!得意です。

だいたい「歳末抽選会」のようなものは家族代表として引かされていたし、実際それなりの実績もあげておりました。

「くじ引き」だったら、すくなくとも二〜四等はあたりまえ、ときには一等も!
生涯二度だけ買った「宝くじ」は、六千円と三万円の当たり。かなりささやかですが、いちおう当たりだわ!(^-^; 

ハガキで行われる「抽選」ものは、当たりの常連。だから、ぬいぐるみやら、ブランドものの食器やら、雑誌の無料購読やら、戦利品は数えきれません。

「じゃんけん」も、イケます!その昔、「ランチただメシ」を賭けてよくじゃんけんをしましたっけ。もちろん圧勝。でも、わたししか勝たないからつまらな〜い・・・と文句jを言われましたよ〜。

でも、英会話のグループレッスンに通っていた頃は、じゃんけん圧勝がわざわいに。いつも「じゃんけん」でそのチャプターのサマライズ(要約)をする人を決めていたのですが、それもなんなく連勝。勝って「まぬがれた!」と喜んでいると、外人の先生に「勝ちとった君ができるんだ!おめでとう」と言われ、毎度四苦八苦でサマリーをしてました。

ある人は、「運には限りがあるから、そんなことで使い切ったらつまらない」などとおっしゃいます。なるほど〜。そう思っているその方には、使いきった運は支給されはしないでしょうね〜。

こういう「当たり」ものの場合、生計や生存がかかっていないので「当たらなかったらどうしよ〜」とか「お願いだから、当たってくれ〜!」という怖れや執着がないので、一回「当たるぞ!」とインプットしてしまうと、そのプログラミングはまったく邪魔されずに繰り返されるようです。

わたしの場合は「当たりグセがつけばつくほど、もっと当たる!」と信じているので、どんどんパワーアップ。信じれば信じるほど、加速してゆきます。

そして、「運」に限りがあるほど、神さまはケチではありません。むしろ、いっぱい受けとってほしいのです。プレゼントしたいのです。(^-^)v
だから、「いっぱい受けとるぞ!」と軽く決めてしまいましょう♪

すると、ほらお届けものがひとつ・・・。
「ウェスティンホテル東京」のお食事券一万円分!!けど・・・・、いったいこれいつ応募したかしらん・・・??(笑)

08-06-10 たまには「心の目」の視力測定もね!

コンタクトレンズをリニューアルいたしました。

メニコンメルスプランのメンバーになっているので、年に一回は新調の機会がやってきます。しかし、こまごま視力を測定したり、眼科にかかったりが面倒で一年たち二年になり・・・。ようやく重い腰をあげました。

足が遠のいているあいだに新しい製品ラインが開発され、さらに薄く、さらに小さく、さらにクリアに。そして、微妙に変化している視力にもあわせてもらい、視界がくっきりさわやか。心持ちも変わろうというものです。単純。 (^。^;)

でも、わたしたちはふだん「心の目」で世界を見ているので、実際の視力の矯正よりもじつは「心の目」の矯正のほうが大切。実際の目は外側で起ったことを映すだけですが、それをどのように解釈し、どのように自分の経験とし、どのように自分の成長の糧とするかは心の目が判断すること。

心の目が近視になっていると問題に固執してどんどん狭い視野にはまりこんでゆきます。だから、ドツボにはまったように困った状況から抜け出せなくなります。問題の解決は、問題よりも大きくならないとできないのですよね。
あるいは、心の目が乱視になっていたら、自分に向けられるたくさんの優しさや愛情があったとしても、それを歪曲してしか体験できないかもしれません。。

だから、心の目の視力も計れたらいいのにな〜と思います。
「今、ちょっと心の目の視力がおちていますね〜。お疲れのようですから、おいしいものを食べてたくさん寝ましょう」とか、「心の目が乱視ぎみですよ。ラクになる新しいものの見方、考え方を処方しておきましょう」なんてね。

心の目が健康で澄んでいると、同じ世界に住んでいても見える景色が違ってきます。
ふだん感じてる世界よりも、より平和で愛にあふれて、そして思いやりのある、そんな世界を体験できるでしょう。

「心の目」の視力こそ、幸せを感じるキーポイント。
「オフィス・るん」では心の視力測定でもはじめましょうかね〜。