「○○の王子様」ともどもお待ちしています

恒例のお茶&レクチャーの会「気づきと癒しのTea Time Vol.4」も目前(10/22)となりました。今回も早々とご予約いただき、おかげさまで満員御礼で締め切らせていただきました。ありがとうございます。

毎回、お客さまには会場となっている「南青山アニバーサリー」のたかちゃん特選スウィーツを召し上がっていただくのですが、決めてきましたよ〜。とっても秋らしいのを!こちらのお店のスウィーツは、ほんっとにどれをとっても「おいし〜〜!」と感動するので、ひとつチョイスするのは苦渋の選択です。今までは、「アニバーサリー」さんの定番でせめてきましたが、今回はこの季節の限定品、わたしもはじめて食べた「○○の王子様」というネーミングのスウィーツ(詳細は当日のお楽しみ)。おみやげも、なかなかいいチョイス!と自画自賛です。お楽しみに♪

さて、今回のテーマ、いろいろとお話したいことは山のようにあって、あれにしようか、これにしようかと目移りしています。いつもお茶会直前に自分の目につくことで内容をしぼっていくことにしているのです。ですので、今回は最近のクライアントさんにたびたびお教えしているメソッドを伝授しようと思います。使ってみて「とっても役にたった!」「やってみて人生が変わった!」「許せないことが許せた!」という簡単でパワフルなメソッド。題して、「あなたの人生をうわ向きにする小さくて大きな☆ヒケツ☆」。

また、後日レクチャーCDとして「るんショップ」にて販売させていただきますので、今回いらっしゃれなかった方もどうぞご利用くださいませ。
(バックナンバー V0l.1~3 も、「るんショップ」にて絶賛販売中です♪)

いつか、きっと!

「イイ湯だなァ〜♪ハハハン」といきたいところですが、いつも駅前にある「足湯」を横目にそそくさとタクシーに飛びのる熱海出張。いつか、この無料の「足湯」」につかりたいものだわ!と夢見ています。(あら、ちゃんとした温泉のほうがよろしくない?)

運転手さんに「お客さん、このまえも乗せましたよ〜」といわれてびっくり。熱海といえども、相当な数のタクシーが走ってますよ。よく覚えてましたこと。年配の運転手さんが多いせいか、のほほんとお喋りを楽しみながら熱海の朝ははじまります。ああ〜、なごむなごむ。

「顔の半分に塗ったら、反対側とくらべてください」

えっ?顔半分がどうなるって?半分だけ別人になっちゃうとか??・・・・じつはコレ、DMで送られてきた化粧品サンプルの使い方。半分だけ別人になったら、もう半分のためにやむなく買わなくっちゃならなくなりますね〜(汗)。

最近こんな化粧品サンプルがいろいろ送られてきます。ノーベル賞受賞の新成分配合だとか、神経伝達物質が細胞を刺激するとか・・・。サンプルだけで、一ヶ月スキンケアできちゃいそう。

でもね〜。使えば使うほど、状況は複雑になるような・・・。だから、さらなる化粧品が売れるんですよね〜。十数年まえは、私もそうとうなコスメフリークでした。でも、使えば使うほど肌の調子が悪くなって、「らむちゃん(当時のニックネーム)、高い美容液使ってるわりにはお肌かさかさ〜」と言われショックをうけましたっけ。コスメにいったん手をつけるととめどなく必要になる悪循環。

今はきっぱりといさぎよく「石けん一つと化粧水一本」これだけ!(どっかの化粧品会社のまわしもののようなセリフですが。)そ〜したら、嬉しいことに時間が増えたのですよ。自分の使える時間が。乳液つけたり、クリーム塗ったり、美容液にアイクリームに・・・。なんやかんやの時間って結構知らぬ間にかさばっていたのでした。なんせ、今は3分で終了。

すると、肌の調子が軽くて気持ちがいいとともに、心もなんだか重い枷から解放された喜びがあります。とはいっても、いちばん美容にいいのは大笑いと好き放題な生き方&感動いっぱいの日々にまさるものはありませんが。

そうはいいつつも、化粧水一本もたまには寂しくて、きょうはこのノーベル賞入り(?)のジェルをためしてみまっか!とわくわくしてます。(明日、顔半分が知らない人になっていてもご容赦を!)ま、たまにはかわったものをつけるのも、肌がびっくりするようで効果テキメン(そう、はじめて使うサンプルってめちゃくちゃ効いちゃって、購入したときにはガッカリすることも・・・)。ふだんはごくごくチープに、そして突如ハイテク化粧品を使うというお肌のショック療法、みなさまもおためしを〜!

ノスタルジックな夕べ

おまかせでつくっていただいたお酒は、まるで絞りたての果汁のような梨のカクテル。あまりにおいしくて、もう一杯。こんどは巨峰です。これもさらに甘く口あたりがよくって、飲めないわたしもついついいただいてしまいました。

めずらしくホロ酔いの夕べ。じつは、約九年ぶりに知りあいのO氏と再会。二十数年来のおつきあいなので、ちょっとやそっと会わなくてもなんだか昔のまんまです。と、いいつつも、このトシになると「あっ!パックぐらいしとけばよかった (^。^;) 」なんて、ちょこっとお肌が気になったりして。再会時のショックをやわらげるためにも、九年もインターバルをおいてはいけませんね(笑)。

その点、男性はいいです。二十代からダンディーでオシャレな方でしたが、四十路にはいってますますカンロクがついてきたご様子。ご自分でたちあげた会社も順調だとか。そのたたずまいからご無沙汰だった九年間の充実した時間がうかがわれましたよ。

成長はしても、いい意味でぜんぜんかわらない・・・そんな長いつきあいは心地よいものですね。

秋の午後、楽しんでますか?

午前中で仕事が終わった友人と、つるんでスーパーマーケットへ。

お天気がいいので、まずはスーパー左隣の有栖川記念公園でピクニックランチ。駅前の神戸屋でサンドイッチを調達したにもかかわらず、眼前に出現したNY発の老舗ホットドッグ屋さんに我を忘れて飛び込む友人。「チーズドッグ二つにポテト二つに・・・」いったいこんなに誰が食べるのだ〜?ちなみに、このホットドック、アメリカの「ホットドッグ早食いコンテスト」で有名です(去年のチャンピオンは日本人でしたね)。

日本人にはあまりなじみがないホットドックですが、アメリカに行くとみんな大好き、庶民の味です。この「ネイサンホットドック」、ジューシーでおいしかったですよ〜。

さて、ちょっと公園をお散歩してからスーパーへ。さすが、ナショナル・スーパー。ハロウィンムード一色です。あれやこれやを調達しつつ、ハロウィングッズもいくつか購入。

お買い物のあとは、スーパー右隣のアイスクリーム屋さん「31」で一休み。10月のハロウィンフレーバー、「パンプキンプリン」と「マジカルミントナイト」にトライ。この「マジカル・・・」、ミッドナイトブルーにダークブラウン、それにレッドとうアイスクリームにあるまじき色合いですがこの怪しさハロウィンナイトにはぴったりですね〜。ビターチョコテイストがかなりイケてます。

本日は、向こう三軒両隣ならぬ、お隣一軒両隣でじゅうぶん遊べてしまった午後でした。

気づきの日記 「大恋愛した〜い」あなたへ、新恋愛考察 その2

10/4日の「気づきの日記」の続きです。(インターバルをおいたら、自分でも何を書いてたか忘れてしまいました!笑)

そうそう、「大恋愛」についての話でしたっけ。

相手のイヤな部分でも、スキな部分でもそうなのですが、ようは相手に見えるものは自分のものなのです。自分の中になかったら触覚にひっかからないので、「好き」でも「嫌い」でもなくどうでもよくなります。

でも、今までの話では「無いからこそ、持ってる相手を好きになるんじゃ???」 ・・・・それもそうなんです。

じつは、自分の中にその部分は持っているけど、でもどこか奥ふか〜くにうもれてしまって忘れさってしまった自分の一部。自分が見失ったり否定したそんな自分を相手の中に見つけて憧れる・・・ようは、自分で自分に恋してるようなものです。

でもここで、「A男さん、なんてステキ。あんな人が私なんかとつきあってくれるなんて!」という相手を礼讃しはじめるとコワイことになります。相手はすばらしいから、私はダメ。だから嫌われないように努力する。いつもつま先立った状態で背伸びして、もとに戻せなくなります。そして、相手は素敵だけど、わたしは違う・・・という思いから、どんどん自分の価値をなくしてゆくのです。だから、熱病型恋愛はひとつまちがうと地獄絵巻となります。自分の魅力を取り戻すどころか、相手にパワーを与えて自分はもぬけのカラ。自分は小さなものになり下がってゆきます。相手なしでは自分の価値さえ感じられなくなって、ついにはゴースト人間になってしまいます。

・・・・・ほんとは、相手に見えているのはまぎれもなくホントの自分であるのに。

だから、相手に魅力を見つけた段階で、「こんな素敵なものが見えちゃったってことは、わたしの中にも同じ魅力がうもれてるってわけ??」と気がつくことがポイント。ここは鏡の世界。相手に見えるものはすべて自分のもの。自分が忘れてた、気づかなかった魅力が今まさに復活しようとしている兆候なのです。

相手のいいところを愛でつつも、そんな相手を好きになった自分を大事に大事にしてあげること。あくまでも、その恋愛の中で、自分をVIP扱いにしてあげることです。彼のことは大好きだけど、その関係の中で自分はどう感じているのか。心地よいのか、ムリをしているのか、必死なのか。そして、いつも相手にあわせてムリをしているようだったら、勇気をもって自分が心地よくなる提案をしてゆくことが大切です。相手だって、あなたが自分を大切にしていたら、もっと魅力を感じるようになるのです。

この人生の中で、自分を最高に大切に扱ってあげなかったらいったい誰がそうしてくれるのでしょう。DV(家庭内暴力)にしても、校内暴力にしても、イジメにしても、もし自分が人から大切に扱われないと不満があるようでしたら、まず自分が自分の気持ちを無視していないか、自分をないがしろにしていないかをチェックしてみてください。

いい恋愛をしたかったら、まず自分で自分を最高に可愛がることです。そうすると宇宙は、「ふむ、この子は自分はこんなに素敵だといっている。よし、とっておきの男性でないとダメなようだじゃな」ということになります。

なんにしても「大好き」「大嫌い」・・・「大」のつくものはあんまり健全ではありません。それよりも、真ん中「中庸」がいいのです。(すでにバアチャンじみた発言ですね・笑)、

大恋愛が「執着」や「コンプレックス」だなんてガッカリでした?でも、自分の中の未知の魅力が引き出されて、相手への執着がうすれたあたりから、本当のパートナーシップが築けるかどうか、二人の関係がホンモノに値するかどうかが確かめられるときがやってくるのです。そこからですよ〜〜、ホントの恋愛は!

「魔女会議」の夕べ

満月ではありませんが、魔女会議で丸の内に集合。めずらしく「丸ビル」に来てしまいました。すんごくオノボリさん気分。

まず、おススメに従って地下の食料品街で有名(らしい)「芦屋Takatora」のシュークリームを調達。エルメスの華やかなお皿にもられたシュークリームはトラ柄やシマウマ柄(もしかして、コレ、白いトラ?)の箱へ。いかにも関西あきんど風の演出です。このメンツだったら、イモリ柄のほうがよかったかも(笑)。

さて、慣れぬ「丸ビル」。チョイスしたお店は昔ながらの洋食屋さん「グリル満天星 麻布十番」。とろっとろのオムライスがウリだそうです。つけあわせに、「私は海老フライ!」「クリームコロッケ!」「ロールキャベツ!」とこれまたなつかしいラインアップ。それぞれ仲良く三つに切り分けていただきましたよ〜。

ガッハガッハ♪とテンションの高い三時間半余を楽しみ、それぞれさっそうとホウキで!といいたいところですが、地上の交通手段にて地道に帰途についたのでありました。

お散歩してますか?

この季節、毎日かわる空の表情がたのしみですね〜。どんどん高くなります。

夜、丸の内地下街を歩いていたとき、ふとキンモクセイが香ったのです。

「あれ?お花屋さん?」と思ったのですが、あとで地上にでてみたら、空気が甘〜い香りに包まれていました。

翌朝は、窓をあけるとまさにキンモクセイの季節。

きょうはお散歩でもして、一年分の香りを楽しんでこようっと♪

「存在に癒される」とはまさにこのこと!

その昔、ローマ法皇、故ヨハネ・パウロ二世が来日されたおり、幸運にも来日記念のミサにあずかる機会がありました。そのとき、ローマ法皇が姿を現すなり、どっと涙が溢れ出しとまらなかったのを思い出します。まわりを見まわすと、誰もがハンカチを握りしめ感動で顔をくちゃくちゃにしながら笑っていました。

なぜそんなことを思い出したかというと、きょう同じような体験をしたのです。「東京都写真美術館」にドキュメンタリーフィルムを観に行ったのですが、上映がはじまるといっせいに鼻をすする音がしてみんな泣いている様子。じつは、私もずっと涙がこぼれてしょうがありませんでした。

何を観たかというと、マザー・テレサの没後十年のドキュメンタリー。その活動と言葉を記録したものです。

マザーは「すべての人には愛し愛される権利がある。だから、これは福祉活動ではなくて魂にかかわる「愛」の行為である」と、政府からの援助はいっさい受けとらないという方針で活動を世界に広げてきたといいます。貧困を救うというよりも、もっと深刻な愛のない乾いた心を救うこと。ひとつまちがうと自己満足におちいりがちなボランティア活動ですが、純粋な愛に根ざした行為が人をひきつけ感動させる源となっているのでしょう。

マザーがアメリカの病院に活動で訪れたとき、すすめに従って健康診断を受けたそうです。そのとき心臓が悪いことが判明したそうなのですが、ただちにこのことは口止めされたとか。自分の状況、状態、それは神から与えられたもの、だから静かに受けとめるのだと。たとえどんな状況におかれたとしても、それが今いるべき「自分の居場所」であると。身体の悪いことはマザーにとっては普通の状態となったわけです。忙しい活動を緩めるどころか、同じように心臓に病と共生するように活動を続けたそうです。

自分のおかれた状況をまさに自分の居場所として選択しつづける、「すべてにサレンダーする」生き方。これは、セラピーの中でもつねにキーワードとなる言葉です。今までわかっていたつもりでしたが、マザーがまさにそれを生きる姿を見たとき、理解できたというよりもお腹の深いところにポト〜ンと落ちた気がしました。

「癒し」の仕事の原点をみせていただきました。

「存在に癒される」とはまさにこのこと!

その昔、ローマ法皇、故ヨハネ・パウロ二世が来日されたおり、幸運にも来日記念のミサにあずかる機会がありました。そのとき、ローマ法皇が姿を現すなり、どっと涙が溢れ出しとまらなかったのを思い出します。まわりを見まわすと、誰もがハンカチを握りしめ感動で顔をくちゃくちゃにしながら笑っていました。

なぜそんなことを思い出したかというと、きょう同じような体験をしたのです。「東京都写真美術館」にドキュメンタリーフィルムを観に行ったのですが、上映がはじまるといっせいに鼻をすする音がしてみんな泣いている様子。じつは、私もずっと涙がこぼれてしょうがありませんでした。

何を観たかというと、マザー・テレサの没後十年のドキュメンタリー。その活動と言葉を記録したものです。

マザーは「すべての人には愛し愛される権利がある。だから、これは福祉活動ではなくて魂にかかわる「愛」の行為である」と、政府からの援助はいっさい受けとらないという方針で活動を世界に広げてきたといいます。貧困を救うというよりも、もっと深刻な愛のない乾いた心を救うこと。ひとつまちがうと自己満足におちいりがちなボランティア活動ですが、純粋な愛に根ざした行為が人をひきつけ感動させる源となっているのでしょう。

マザーがアメリカの病院に活動で訪れたとき、すすめに従って健康診断を受けたそうです。そのとき心臓が悪いことが判明したそうなのですが、ただちにこのことは口止めされたとか。自分の状況、状態、それは神から与えられたもの、だから静かに受けとめるのだと。たとえどんな状況におかれたとしても、それが今いるべき「自分の居場所」であると。身体の悪いことはマザーにとっては普通の状態となったわけです。忙しい活動を緩めるどころか、同じように心臓に病と共生するように活動を続けたそうです。

自分のおかれた状況をまさに自分の居場所として選択しつづける、「すべてにサレンダーする」生き方。これは、セラピーの中でもつねにキーワードとなる言葉です。今までわかっていたつもりでしたが、マザーがまさにそれを生きる姿を見たとき、理解できたというよりもお腹の深いところにポト〜ンと落ちた気がしました。

「癒し」の仕事の原点をみせていただきました。