きょうは寒いですね〜。
目黒川のサクラは今だにもりもりと持ちこたえていますが、少しづつ葉桜になってきました。きょうも交通整理のおまわりさんがたくさん駆り出されて、サクラ並木は人波であふれかえっています。
そんな地元をはなれて、今日の午後は神楽坂をぶらぶらお散歩。
PAUL でまったりお茶しています。
ここのスウィーツはどれも大きいっ!ラズベリータルトにチョコタルトも四分の一いただきました。お腹いっぱいです。(*^v^*)
きょうは寒いですね〜。
目黒川のサクラは今だにもりもりと持ちこたえていますが、少しづつ葉桜になってきました。きょうも交通整理のおまわりさんがたくさん駆り出されて、サクラ並木は人波であふれかえっています。
そんな地元をはなれて、今日の午後は神楽坂をぶらぶらお散歩。
PAUL でまったりお茶しています。
ここのスウィーツはどれも大きいっ!ラズベリータルトにチョコタルトも四分の一いただきました。お腹いっぱいです。(*^v^*)
やることがとにかく早いという、せっかちなAさん。でも、人生、今だかつて心から楽しんだことがない・・・と。
それもそのはず。せっかちさんは思考がクルクル超高速で回転しています。そして思考だけで現実の表面をスルスルと滑っていく感覚です。それには実体が伴いません。ある意味、バーチャル・リアリティ。
自分の生き生きとした生命力が、怒濤のような自分の思考の中に埋もれ、自分のパワーとふれあうことがないのですね。
「生きる」ということは五感をフルに稼働させること、実際に身体を使って体験すること、それによって自分の中の生命力が喜ぶこと。ところがAさんの場合は、暴走気味の自分の思考についていくことが精一杯で、「今、ここ」を体験しながら、それを自分の生命力で受けとめることがおざなりになっているようです。
思考にたより、永らく五感を使っていないと、「ん??感じるって、ど〜いうこと?」となってしまいます。ご本人は「感じている」つもりでも、すぐに「考えたり」「解釈したり」というモードに入っているのですよね。これは男性にとても多く、ご自分の感覚・感情について尋ねても、応えは一般論なのです。
「いろいろな味を感じる」「季節の風や花の匂いを感じる」「人のぬくもりを感じる」「愛を感じる」「くつろぎを感じる」「美しい音色を感じる」「自然にあふれる色を感じる」「言葉にできない感じを感じる」・・・・など、日々の生活の中で感じられること、体験できることは様々。
感じるときには、五感のすべてのモードを使って、それがどんなか感じようとします。呼吸はゆっくりになり、忙しかった頭はお休みして、どちらかというと身体全体を使う感じです。リラックスして、身体の中にエネルギーが戻ってくる感じがします。また、感じることによって、自分の中に広がりを感じるし、自分の中の「思考ではない」もっとイキイキしたものに出会うことができます。
思考を続けていて、このようなリラックス感、イキイキ感を感じることはありません。
Aさんの場合は「コントロールされないようにするためにせっかちになって、感じるかわりに思考モードになってしまった」わけですが、同時につらい母娘関係であったために「これ以上感じてしまったら、自分がだめになってしまう」と思い、自分を防御するひとつの方法として、感情を感じるヒマを与えなくしたという理由もあるようです。
いずれにしても、「感じる」モードが閉じた人生を過ごしていると、どうにも人生が味気なくなって「こんなはずじゃなかった」ということになります。それぐらい「感じること」は大切で、「感じること」はまさに自分の生命力に出会うことであり、いきいきした人生を送るカギでもあります。
Aさんの子どもの頃から握りしめていた「(母から)支配されないために、なんでも超高速でやるべき」という信念は、彼女が小さな子どもとして無力であったときには役に立ちましたが、もう十分に自分のことを自分で守ることができる今となっては、彼女の人生を楽しくするには役に立っていないようです。
「こんな、いらない信念を握りしめていたんだ!」と単に気づいて意識にのぼらせ、何かこれからの自分に役に立つ新しい信念を決めるだけでも、変化を起こすことができます。すぐに体験する自分の世界が変わってくるのに気がつきます。(セラピーのセッションの場合には、もう少し深いところから信念を取り去し、入れ替えるという作業をしてあげます。)
Aさんの場合は、旧い信念をお掃除したあと、「人に対しても、自分に対しても、支配とは無縁である」という新しい信念に置き換えたのでした。それと同時に、思考をスローダウンするために、自分の注意を頭の中におかず、外に出して、ひとつひとつを感じてみることも練習してみます。
翌々日にお目にかかったAさんのモードは、どこかゆったりしてきているように感じられましたよ。
おもしろいもので、わたしたちは「自分の信じていること」を少し置き替えてあげるだけで、すぐさま見える世界が変わります。つまり、わたしたちは自分の信念という色眼鏡で色づけした世界しか見ることができないので、適切なレンズの交換(信念の交換)は見える世界をバージョンアップさせるためにはとても大切なことなのですね。
コンタクトレンズでも眼鏡でも、こどものときからの度数ではあわなくなるのは当然。今の自分にあった度数のコンタクトや眼鏡(信念)が心地よい世界をつくってくれるのです。
そして不思議なもので、一人の見方が少し変わることで、その人に関係している多くの人たちの見方もまた同時に変わっていくことが起ります(たとえば、家族の誰かがセラピーを受けると、他の家族までいろいろと変わっている・・・という具合に)。そう、これは「わたしたちは常に自分がこうだと思っている世界を見ている」ということ。
自分が変われば、モロモロも一緒に変わる。みんな連動しているのです。すべては、世界は、ひとつですからね♪
(こちらのブログはご本人のご了承を頂いた上で書かせていただきました)
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)
(その1より)
やることがとにかく早いという、せっかちなAさん。でも、人生、今だかつて心から楽しんだことがない・・・と。
それもそのはず。せっかちさんは思考がクルクル超高速で回転しています。そして思考だけで現実の表面をスルスルと滑っていく感覚です。それには実体が伴いません。ある意味、バーチャル・リアリティ。
自分の生き生きとした生命力が、怒濤のような自分の思考の中に埋もれ、自分のパワーとふれあうことがないのですね。
「生きる」ということは五感をフルに稼働させること、実際に身体を使って体験すること、それによって自分の中の生命力が喜ぶこと。ところがAさんの場合は、暴走気味の自分の思考についていくことが精一杯で、「今、ここ」を体験しながら、それを自分の生命力で受けとめることがおざなりになっているようです。
思考にたより、永らく五感を使っていないと、「ん??感じるって、ど〜いうこと?」となってしまいます。ご本人は「感じている」つもりでも、すぐに「考えたり」「解釈したり」というモードに入っているのですよね。これは男性にとても多く、ご自分の感覚・感情について尋ねても、応えは一般論なのです。
「いろいろな味を感じる」「季節の風や花の匂いを感じる」「人のぬくもりを感じる」「愛を感じる」「くつろぎを感じる」「美しい音色を感じる」「自然にあふれる色を感じる」「言葉にできない感じを感じる」・・・・など、日々の生活の中で感じられること、体験できることは様々。
感じるときには、五感のすべてのモードを使って、それがどんなか感じようとします。呼吸はゆっくりになり、忙しかった頭はお休みして、どちらかというと身体全体を使う感じです。リラックスして、身体の中にエネルギーが戻ってくる感じがします。また、感じることによって、自分の中に広がりを感じるし、自分の中の「思考ではない」もっとイキイキしたものに出会うことができます。
思考を続けていて、このようなリラックス感、イキイキ感を感じることはありません。
Aさんの場合は「コントロールされないようにするためにせっかちになって、感じるかわりに思考モードになってしまった」わけですが、同時につらい母娘関係であったために「これ以上感じてしまったら、自分がだめになってしまう」と思い、自分を防御するひとつの方法として、感情を感じるヒマを与えなくしたという理由もあるようです。
いずれにしても、「感じる」モードが閉じた人生を過ごしていると、どうにも人生が味気なくなって「こんなはずじゃなかった」ということになります。それぐらい「感じること」は大切で、「感じること」はまさに自分の生命力に出会うことであり、いきいきした人生を送るカギでもあります。
Aさんの子どもの頃から握りしめていた「(母から)支配されないために、なんでも超高速でやるべき」という信念は、彼女が小さな子どもとして無力であったときには役に立ちましたが、もう十分に自分のことを自分で守ることができる今となっては、彼女の人生を楽しくするには役に立っていないようです。
「こんな、いらない信念を握りしめていたんだ!」と単に気づいて意識にのぼらせ、何かこれからの自分に役に立つ新しい信念を決めるだけでも、変化を起こすことができます。すぐに体験する自分の世界が変わってくるのに気がつきます。(セラピーのセッションの場合には、もう少し深いところから信念を取り去し、入れ替えるという作業をしてあげます。)
Aさんの場合は、旧い信念をお掃除したあと、「人に対しても、自分に対しても、支配とは無縁である」という新しい信念に置き換えたのでした。それと同時に、思考をスローダウンするために、自分の注意を頭の中におかず、外に出して、ひとつひとつを感じてみることも練習してみます。
翌々日にお目にかかったAさんのモードは、どこかゆったりしてきているように感じられましたよ。
おもしろいもので、わたしたちは「自分の信じていること」を少し置き替えてあげるだけで、すぐさま見える世界が変わります。つまり、わたしたちは自分の信念という色眼鏡で色づけした世界しか見ることができないので、適切なレンズの交換(信念の交換)は見える世界をバージョンアップさせるためにはとても大切なことなのですね。
コンタクトレンズでも眼鏡でも、こどものときからの度数ではあわなくなるのは当然。今の自分にあった度数のコンタクトや眼鏡(信念)が心地よい世界をつくってくれるのです。
そして不思議なもので、一人の見方が少し変わることで、その人に関係している多くの人たちの見方もまた同時に変わっていくことが起ります(たとえば、家族の誰かがセラピーを受けると、他の家族までいろいろと変わっている・・・という具合に)。そう、これは「わたしたちは常に自分がこうだと思っている世界を見ている」ということ。
自分が変われば、モロモロも一緒に変わる。みんな連動しているのです。すべては、世界は、ひとつですからね♪
(こちらのブログはご本人のご了承を頂いた上で書かせていただきました)
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)
今年はずんずん季節が移りゆきます。
お花見は楽しめましたか?
「るん」から一分ぐらいのところが、えんえんと続くサクラ並木で圧巻です。
訪れる方々から「あら〜、見事ね」という声があがると、地元民としてはちょっと誇らしくなってしまいます。╰(✿´⌣`✿)╯
ああ〜、ほんとうにキレイ!!
今年もありがとう、ありがとう。
「「なにごとにも”超せっかち”なんです」というクライエントのAさん。
やることはなんせ早く、そのうえ人にまかせられない性格。なぜなら、自分がやったほうがよっぽど早いですからね。しかし、なんでこんなにせっかちなのか?
彼女の深い意識を調べてみると、こんな思い込みがありました。「せっかちになって、自分が一方的にイニシアチブをとってしまえば、人からコントロールされることもなく、安全でいられる。だから、すべてを超高速で行うべし」。こんな指令が潜在意識から出ていたのですね。もちろんご本人も潜在意識のこのような意図にはまったく気づいていません。
どうやらこれは支配的な母親の影響らしく、支配から逃れるためには、なんでもとっととやっちゃうのがいちばん!と信じたのです。しかし、おもしろいことに支配されるのがイヤだったはずなのに、いつのまにか自分も人を支配していたんですね・・・「先に支配しちゃうぞ、支配されないためには」と。
まったくもって、「親のああいうところだけはイヤだ」と言っていると、まさに知らぬまに汚染されているとうか、同類になっているのがわたしたち。
これは親への抵抗が強いほど明らかです。たとえば、親が小さいときに蒸発した ・・・と嘆いていると自分も蒸発することになり、また親の浮気が嫌だった ・・・と嫌悪していると自分も知らぬまに浮気をしていたり、最たるものは家庭内暴力。あんなに虐待や暴力されていやだったはずなのに、無意識のうちに大切な人をぶったり、言葉で虐待したり、と同じ態度をとっていたりします。
わかっていたら、もちろんやりませんよね。すべて無意識です。無意識層へと刷り込まれた行動や考えは、無意識のうちに出てきちゃう。(わたしたちの行動のほとんどは「無意識」だって知ってました?何か・・・つまり、信念に乗っとられて無意識に動いたり、喋っているのです。)
セラピーをしながらたくさんの方にお目にかかっていると、当のご本人はまったく気づいていなくても、まるで親と同じパターンの生き方や行動をしている場合が多々あります。その生き方しかお手本がないのがこども時代。好きだろうが、嫌いだろうが、それしかお手本がないので、パターンとして刷り込まれてしまうのですね。そして、本人は気づかなくても、外から見ていると「あら、あら、あんなにイヤだと言っていたのに、まったく同じことしてるよ」と気がついてしまいます。
Aさんはせっかちになることによって、まんまと自分のペースでコトを運び、人には支配されないですんでいるのですが、じつは「ぜんぜん楽しくなかった」そうなのです。Aさんいわく、「四十数年生きてきて、一度も楽しくないの」と。
あらあら、どうしたことでしょうか?いつも明るくて、頭の回転が早くて、手際のいい彼女がそんなふうに感じているなんて思いもよりませんでした。
でも、それもそのはず・・・。せっかちさんは、いつも頭がクルクル高速で回転していて、まるで頭の中で「思考」というバーチャルな世界を生きているのです。パッと見て、ササッと判断する。「ああ、それってこういうことね」「ふんふん、それなら知ってる」「それって、こういう感じなのよ」・・・すべてを過去の記憶というストックから引っぱってきて、それで片づけてしまいます。それに、思考は実体をともなっていません。さきほども書いたように、バーチャルなのです。「思考」とはつながっても、「今」という実体とはなんら接触していません。
するとどうなるか・・・だんだん、だんだん人生が無味乾燥状態になっていきます。イキイキした生気が感じられません。ワクワク感もドキドキ感もなく。どうやって楽しんだり、リラックスしていいのかわかりません。
こんな症状、会社でバリバリと働いてきた男性にも見られがちです。
さてさて、どうしたらよいのでしょうか?
(その2に続く)
「なにごとにも”超せっかち”なんです」というクライエントのAさん。
やることはなんせ早く、そのうえ人にまかせられない性格。なぜなら、自分がやったほうがよっぽど早いですからね。しかし、なんでこんなにせっかちなのか?
彼女の深い意識を調べてみると、こんな思い込みがありました。「せっかちになって、自分が一方的にイニシアチブをとってしまえば、人からコントロールされることもなく、安全でいられる。だから、すべてを超高速で行うべし」。こんな指令が潜在意識から出ていたのですね。もちろんご本人も潜在意識のこのような意図にはまったく気づいていません。
どうやらこれは支配的な母親の影響らしく、支配から逃れるためには、なんでもとっととやっちゃうのがいちばん!と信じたのです。しかし、おもしろいことに支配されるのがイヤだったはずなのに、いつのまにか自分も人を支配していたんですね・・・「先に支配しちゃうぞ、支配されないためには」と。
まったくもって、「親のああいうところだけはイヤだ」と言っていると、まさに知らぬまに汚染されているとうか、同類になっているのがわたしたち。
これは親への抵抗が強いほど明らかです。たとえば、親が小さいときに蒸発した ・・・と嘆いていると自分も蒸発することになり、また親の浮気が嫌だった ・・・と嫌悪していると自分も知らぬまに浮気をしていたり、最たるものは家庭内暴力。あんなに虐待や暴力されていやだったはずなのに、無意識のうちに大切な人をぶったり、言葉で虐待したり、と同じ態度をとっていたりします。
わかっていたら、もちろんやりませんよね。すべて無意識です。無意識層へと刷り込まれた行動や考えは、無意識のうちに出てきちゃう。(わたしたちの行動のほとんどは「無意識」だって知ってました?何か・・・つまり、信念に乗っとられて無意識に動いたり、喋っているのです。)
セラピーをしながらたくさんの方にお目にかかっていると、当のご本人はまったく気づいていなくても、まるで親と同じパターンの生き方や行動をしている場合が多々あります。その生き方しかお手本がないのがこども時代。好きだろうが、嫌いだろうが、それしかお手本がないので、パターンとして刷り込まれてしまうのですね。そして、本人は気づかなくても、外から見ていると「あら、あら、あんなにイヤだと言っていたのに、まったく同じことしてるよ」と気がついてしまいます。
Aさんはせっかちになることによって、まんまと自分のペースでコトを運び、人には支配されないですんでいるのですが、じつは「ぜんぜん楽しくなかった」そうなのです。Aさんいわく、「四十数年生きてきて、一度も楽しくないの」と。
あらあら、どうしたことでしょうか?いつも明るくて、頭の回転が早くて、手際のいい彼女がそんなふうに感じているなんて思いもよりませんでした。
でも、それもそのはず・・・。せっかちさんは、いつも頭がクルクル高速で回転していて、まるで頭の中で「思考」というバーチャルな世界を生きているのです。パッと見て、ササッと判断する。「ああ、それってこういうことね」「ふんふん、それなら知ってる」「それって、こういう感じなのよ」・・・すべてを過去の記憶というストックから引っぱってきて、それで片づけてしまいます。それに、思考は実体をともなっていません。さきほども書いたように、バーチャルなのです。「思考」とはつながっても、「今」という実体とはなんら接触していません。
するとどうなるか・・・だんだん、だんだん人生が無味乾燥状態になっていきます。イキイキした生気が感じられません。ワクワク感もドキドキ感もなく。どうやって楽しんだり、リラックスしていいのかわかりません。
こんな症状、会社でバリバリと働いてきた男性にも見られがちです。
さてさて、どうしたらよいのでしょうか?
(その2に続く)
ご近所は今や、観光地のよう!
急に開きはじめたサクラに、目黒川沿いは露店が並び、平日にかかわらず人波がおしよせています。(ただいま、七分咲き)
何年か前までは静かだったのに、すごいですね。
目黒川で行われる春のフェスティバルは4月7日。今年は「葉桜祭り」ですね。
もうすぐ、バクハツ的に春です♪
おうちゴハンのときには、玄米食です。
以前は売られているお弁当に玄米なんてあまり見かけなかったけど、最近の駅中弁は何でもあり!玄米のお弁当もいくつかチョイスできます。
近頃のお気に入りは「いとはん」さんの「管理栄養士監修のバランス御膳」(←いかにも身体によさそうな・・・)。
さすがに、生のお野菜と季節のお野菜がたっぷり入って、ゴハンも玄米。このゴハン、ゴマがたくさん混ぜてあって、さらに香りのいいゴマ油もまぶされて、ちょっとおこわみたいな食感が気に入っています。
うちでも玄米が炊きあがったら、ゴマ油まぶしてみようかな。
Gくんの進学祝い。
Gくんとは友人の息子さんなのですが、ときにはPK戦の同志(簡単に言えば、パンケーキ仲間)であり、またあるときにはわたしのセミナーの有能アシスタントであり、Gくんがベビーのときからの知り合いでもあります。
いや〜、若人にとっては、三年、いえ一年、半年でさえも、ものすごく大きな変化の渦中なのですよね。どんどん変わる!
「変化しなくなったものは、消滅に向かう」といいますが、わたしにとっての変化・・・というと、「ある日突然、腰痛!」などというネガティブ系が多くなりつつあり・・・ (・∀・i) 。(それよりも、ある日突然、消滅しないように気をつけなくちゃ!)
ひとつひとつの節目を確認しながら、成長を祝うこと・・・成長がわかりづらいトシだからこそ、故意に何においても成長を確認することは大切だな〜と感じます。
Gくん、おめでと〜! ヽ(´∀`)ノ
お菓子がとどきました。
石川県小松在住のNSさんから。
地元の銘菓、「雪花糖」。創業天保8年というと・・・どうやら、100年以上つづくお菓子処のようです。
クルミがまること和三盆で包まれたやさしいお味のお菓子。
じつはNSさんにはお目にかかったことはなく、ツイッターがご縁でたま〜に短いおしゃべりをさせていただいています。
そんなご縁で、お住まいの小松からおいしいお菓子をいただいてしまいました。嬉し〜!
ありがとうございます。 (*^▽^*)
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