12-05-19 ココロがボッキリ折れたなら・・・ その2

その1より

自分を固く信じてやってきたHちゃん。しかし、自分を信じすぎたゆえに絶不調の憂き目にあうことに・・・ってことは、自分を信じる気持ちはあまり役に立たないのでしょうか?

いいえ、いいえ、わたしも同様の悩みを持つクライアントさんに「自分を信じる」ことの大切さはまずお話ししています。

でも、それは単独の「自分」、俺サマボートでずんずん行く自分を信じることではなくって、もうちょっと大きな自分のことなのです。

単独の「自分」を支えてくれている宇宙や天、神、あるいは高い自己(それぞれお好きな概念で)という「大きな力を含んだ自分」を信じる、ということなのです。

わたしたちが自分のアタマで考えられることは、自分の本当の能力のほんの数パーセントにも満たないものです。一方、食べたり、消化したり、眠ったり、体温を保ったり、安全を確保したり・・・とわたしたちが生存するために必要なことは、このアタマのたった数パーセントでななく、もっと「高い自己」によって自動的に制御されています。

つまり、「高い自己」は自分が思っているよりも、何千、何万倍ものパワーや智恵があり、わたしたちが安全に生きていけるようにあらゆる面で気遣ってくれているのです。気づいていなくても、そんな無限のバックアップに常に支えられてこそ無事に生きているわたしたちなのです。つまり、今までの「生存」は決して自分の力ではなく、高い存在にやさしく支えられて守られて育まれてきたということ。

しかし、わたしたちは人生のいざというとき、ほんとうに大切な決断をしようとするときに限って、お伺いをたてなければならない存在を完全に忘れて、たった数パーセントでしか考えられないちっちゃな脳ミソだけで解決を試みようとします。宇宙にあるわたしたちの無限のバックアップから見れば、それは鳥の脳ミソはおろか、ミドリムシの脳ミソよりも、もっともっとちっちゃい脳ミソですべてを取り仕切ろうとしているようなものです(ん?ミドリムシに脳ミソって??)

わたしたちはとってもちっちゃな「俺サマ自己」の決断が最高のものであると信じて、必死でそれに頼ろうとします。本当は宇宙のすべてにつながっている「無限の自己」というスーパーコンピューター以上のバックアップがありながら・・・すっかり忘れているのですね。

つまり、「自分を信じる」ということの本当の意味は、すぐに高波にホンロウされちゃったり、沈没さえもしかねないちっちゃな「俺サマ自己」に頼ることではなくって、宇宙のバックアップにつながっている「高い自己」、自分を今まで生かし続けてきた本当の自己に信をおくということなのです。

どうもわたしたちは小さいときから「自分のアタマでちゃんと考えなさい!」と教育をされてしまったがために、膨大な情報をもつ本当の自己とのつながりを断ってしまうようになりました。全部自分でやらなくちゃならない、人になんか頼っていはいけない、もっと逞しく強くならなくっちゃ・・・・これは、「自分ではどうにもできない」というか弱さを自覚しているがゆえに、「もっと自分ひとりでちゃんとしよう!」とまちがった自立へと突き進んでしまったのです。

お父さんもお母さんも、先生も、頼れる大人は、「自分でやらなくっていいんだよ。あなたには頼っていい存在が生まれる前からちゃんとついているんだから」なんて誰もほんとうのことは教えてくれなかったのですものね。

わたしたちには自由意志があるので、「自分でやっちゃう」人には「高い自己」はちょっかいを出しません。「ああ、自分でやりたいのですね。もっといいやり方、幸せになるやり方がありますが・・・。あなたがわたしに尋ねるまで、わたしは静かにしていましょう」と、どこかの過保護な親御さんのように決して強要することなく見守り続けます。

だから、「高い自己」に「尋ねる」ということを知らないと、わたしたちは一生、自分のちっちゃな脳ミソ、限界のある思考の中で限界のある現実を創りだして、それを維持するために必死で戦わなければならなくなります。

自分の人生をもっと安全でラクなものにするために、「高い自己」に甘える、仲良くするすべを学ばなければなりません。さて、それにはどうしたらいいのでしょうか?

その3へ続く

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト