「どうしようもない夫をどうにかしてください」という50代の女性からのご相談。
「どのように、どうしようもないのですか?」とお尋ねすると、「いっつもグ〜タラしている」「ぜんぜん成長しようとする気がない」と。
なるほど〜・・・奥さまから見ると、どうしようもなく感じるのかもしれませんが、おそらくご本人にインタビューしたら「いたって、わたしらしく生きています」と、生きたいように生きているとおっしゃるかもしれません。つまり、だんなさまが奥さまの理想に沿っていないだけであって、決して何かが間違っているわけではありません。
このようにご相談のうちの何割りかは、「こどもをどうにかしたい」「妻を変えたい」「恋人のここがいや」とご相談にいらした本人の問題ではないことがあります。
基本的に、セラピーはご本人のものです。なぜなら、「変わりたい」と思わない人をどうにかすることは地球を逆回転させるぐらい大変なことなのです。(一方、「本人が心から変わりたい」と思っているときには、鬼に金棒!心の底から望むことは、どこまでも可能性を切り開いていくことができます。)
そうなんですね。モノゴトにしろヒトにしろ、自分の意向に沿っていないとき、わたしたちは「これはおかしい!」とばかりに、それを自分の望みにあうように変えようと挑みかかります。
しかし、たいてい「事実」というものには抗えなくなります。「事実」とはつまり、年がら年じゅう笹を食べてごろごろしているパンダに、サルのような機敏さをもとめても所詮ムリなのです。パンダはパンダ、いくら教育しようとしても努力させようとも、身軽なサルにはなるはずもなく・・・。
つまり、だんなさんはもとからパンダだったわけです。それをどこで勘違いしたのか、理想をかかげてしまったのか、他の動物だと思いこんでしまった。でも、パンダはパンダにしかなれない。いくら口厳しく言われても、教育されても。だから「事実」は「事実」と認めて、あきらめてくださいな、ということになります。
もともとそうであるものにいくら文句を言っても、逆ギレされるか無視されるのがオチなのですね。エネルギーを使ったわりには思い通りになることはなく、「パンダじゃない、サルのはずだ!」と叫べば叫ぶほど自分が苦しくなります。
それよりも、「そうよね。あなたはパンダなのよね。そう、そう、それでいいのよ」と、現状をあっさりと受け入れてあげたほうが「自己変革」への近道となります。そうなんです。誰からも「変われ!」とプレッシャーをかけられず、完璧に存在を肯定されたとき、わたしたちは「もっとよくなっちゃおうかな!」と上を目指す勇気とココロの余裕が生まれます。
現代のカウンセリングの基礎を築いたC・ロジャースも言っているように、人にはもともと自己実現しようとする(もっとよくなろうとする)心の働きが備わっていて、全面的に現在の自分を受け入れられたときにこそ、その力がもっとも活性化すると説いています。それは、何ひとつジャッジ(価値判断)されることなく、そのままでぜんぜんオッケーだよ〜と言ってもらうこと。「あなたであることが最高!」と、全部の注意を向けて見守ってもらうこと。
「パンダ」状態を絶賛されることが、そのだんなさまを変えるカギなのです。
さて、なぜにわたしたちはこうも人に干渉して、変えたいと思ってしまうのでしょうか?