気づきの日記「人の話なんか聞いちゃいません、私達」その2

(その1より)

幼児や小学生の頃は、正すことも、教えてあげることも必要だけれど、思春期にもなったら独立したひとりの人間として考えを尊重してもらう必要があります。(大人であったら、なおさらです!)

それは必ずしも言っていること全部にOKを出すことではなくって、たとえその意見が間違っているように思えても、「一人の人間の感じ方、考え方」としてまずは大切に受け入れて理解しようとしてあげること。わたしたちは「それは違っている」と思うと、ソク、切り捨てたり、却下したりしたくなってしまいます。でも、「今のあなたは、そう感じているのね」とまずは受けとってあげることが大切。

全部まるごと判断しないで受けとったあと、「自分とは違うな・・・」と思うところがあったらあとから、「この部分は、わたしはこう感じたんだけど、こんなふうにも考えられないかしら?」と提案して話しあってみることになります。これだと、会話はキャッチボールが続いて、しっかり「聴いてもっている」感を持つことができます。

つまり、幼児の頃は教育する(教え、さとし、導く)ことはしなければならないけれど、思春期をすぎたら見守り、応援し、話しあう。(幼児であっても、このキャッチボールのボールはちゃんと受けとってあげないといけませんよね。)

わたしたちはみんな自分が正しいと思っているので、相手が間違っているのをそのままにしておくのはイヤなのです。とくに、それが自分が「生んで」「育ててきた」対象だと、なおさら。未熟なイメージしかありません。とにかく、とっととコンントロールをして、修正して、自分が安心したいのです。自分の理想の道筋に乗せたい。・・・でも、これは自分と相手の境界線を越えている行いです。人間の間には、一個の個人として尊重すべき、おかしてはいけない境界線があります。こどもといえども、自分の考えを大切にしてもらう権利があるし、自分の考えで間違えてみる権利もあるのです(危険や生命をおかさない限りで)。

そうやって見守ることで育っていく、見守ることで本当の自分を思いだしていく、その成長のプロセスを信頼してあげなければなりません。・・・見守ることって、とってもエネルギーがいりますね。

「さっさとアドバイスしたいわたしはじつはネガティブを怖れている、ネガティブに感染するのがいやなのだ」と「その1」の中で書きましたが、わたしたちはネガティブに侵食されるのを極度に怖がっています。まるで悪い伝染病にかからないようにしているみたいに。

それは、「小さいときから、ネガティブさを感じることを自分に許していないから」。つまり、落ちこんだ感情、自己否定的な感情、現実逃避的な感情、破壊的な感情・・・。これらの感情はよくないと教育されているので、ほんとうに自分が感じていることを自分に感じさせることを許してきていません。すぐに理由をつけて他の感情にすりかえたり、ムリやり大丈夫だと思わせようとしたり、その感情をなかったことにしたり・・・自分の中にネガティブさを見つけると、さっさとそれを処理しにかかります。

そんなクセがついているので、人の中にネガティブを見つけると、ソワソワしてきて耐えられず、自分のものじゃないのにさっさと片づけにとりかかろうとするわけです。

カウンセリングやセラピーにおいても、クライエントさんに対して「この人は悩んでいるかわいそうな人。助けてあげなくてはいけない人」として改善しようとすると、セッションはうまくいきません。相手から抵抗が出てきます。

「あなたはダメだから、変えてあげよう」という考えは、そもそも相手への否定から始まっています。そして、人は変えられたくなんかないのです。変わるんだったら自ら気づいて、自分で変わりたい。

そして、わたしたちは、たった一人でもいいから、誰かに自分の潜在的な力(まだ見えていない力)を信頼してもらうことによって、それを確実に自分のものにしていく力があります。

潜在的な力とは、その人の奥に眠るどんな状況も乗りこえて、成長してゆける逞しさ、完璧さ。「あなたは大丈夫なんだ」という見方を貫いてあげることによって、潜在的にその人の中に眠るお宝を発掘してあげるこことができるのです。そしてそのお宝は、それを信じられる人のもとにしかやってきません。

「まだうまくできていないあなただけれど、でもちゃんとプロセスの上にいるから大丈夫。あなたの中にはうまくやる力がちゃんとある。わたしはそれを知っているし、わたしはそれを見守っているよ。だから、今は弱音を吐くこともOK。こころおきなく、安心して吐き出してごらん」こんなふうに言ってもらって、気持ちを判断されたり、切り捨てられたりすることなくしっかりと受けとめて聴いてもらえると、「よ〜し!もう一度、頑張っちゃおうかな〜」と自分の中から力が湧いてくるものです。

そして、その人の可能性・完璧さを信じてあげることは、同時に自分自身の可能性・完璧さを信じるという、自分への大きな贈りものにもなるのです。わたしたちは、いつも自分が信じているものを受けとります。

信じることは、相手への、そして自分への、何にもかえがたい贈りもの。そして、それをしてあげられるのは、やっぱり、親であり、パートナーであり、親友であり・・・。だから、近しい人を修正しようとやっきになるよりも、手放しで最高の応援団長になってあげることが、その人のスゴイ力へと目覚めさせ、変身する呼び水になるのですね。そして、自分も同じ方向に導かれていく・・・。

さてさて、あなたは誰の応援団長になりますか?そう、まずは・・・自分、ですよね!Wink

 

(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/心理療法家・ヒプノセラピスト)