声楽を教えている友人からのメール。「風邪をひいた生徒さんがレッスンにやってきて、どうやらその風邪をもらってしまったみたい(汗)。風邪のときはご遠慮くださいとお願いしてたのに・・・」と。
そうですよね〜。思いっきり声をはりあげて歌うレッスンでは、ひどい風邪っぴきはそりゃ気になるでしょう。じつはわたしも小さなカウンセリングルームで、クライエントさんがマスクもされずひどい風邪をひかれているとやっぱり気になることがあります。
友人の場合は「お願いしてたにもかかわらず、来ちゃった!」 そうな ・・・。そうなんですよね。こうしてほしいと思っても、自分以外のことは完璧にコントロールすることはまずできません。だからといって、ビクビク被害者でいるのもね。
実際わたしも「いやだな〜。風邪うつったらどうしよう」と思っていると、ただちにもらってしまったものです。「ノロウィルスから回復しました」とおっしゃっているクライエントからも、しっかりともれなくいただきました。
いいえ、これはもらったのではなくって、私が私のためにつくったのです。つまり、自作自演!
なぜなら、「私以外は、誰ひとりとして私に影響を及ぼすことはできない」のです(ほんとうは被害者なんて、誰にもなれっこないのです)。
そして、「怖れるものは、もれなく確実にやってくる」ということ。
かつて風邪をひきやすかった私は(毎冬、ひいてました)、あるときハタと「私ってもしかすると、けっこう被害者チックなのかも・・・」と思い当たり、自分の考えを調べてみました。
というのは、そもそも私たちは身体ではなく、エネルギー体。そしてふだん自分自身がどんな存在か、まったく記憶喪失者のごとく忘れているのですが、じつはそのエネルギーとしての自分は宇宙にも入りきらないほどの広大さがある存在です。なぜなら、私たちはみんな創造の源とひとつだから。宇宙をつくったものは、宇宙よりも当然大きいのですよね。
それがどうしちゃったことか、何の間違いか、ひとの目にも見えないほどのちっぽけな細菌に怯え、あっというまに征服されるなんて・・・ど〜ゆうこと? それって、ゾウさんとムシの戦いよりも話しにならないものです。宇宙以上の存在と菌なんてね。
私たちの体験はすべて、「わたしたちが世界をどのように見るか」にかかっています。自分の見ようとしているものしか見ることができません。
怖れの目を通してみれば、自分を攻撃し迫害し、死にいたらしめるものがうようよしているように見えて、戦々恐々として、日々守り、戦わねばなりません。
もし安らぎ(愛)という目を通してみれば、じつはそこには何の戦いもなく、されば怖れるものも、自分の身を守らなければならないものも存在しない、平和な世界が広がって自分が安らいでいるのがわかるのです。
見たいものを見せてもらえる自由があるのが、この世界です。
ついつい自分の広大さを忘れてしまうと、自分のことを細菌よりもちっちゃくて、ちっぽけで、すぐさま破壊されてしまうようなはかない存在だと勘違いしてしまいます。勘違いからは勘違いな体験がもれなくやってきて、その思いこみから、どんな小さなものにもこてんぱんにされてしまう自分という自己イメージをでっちあげ、さらに自分が小さくなり恐ろしものだらけになり・・・延々と悪循環におちいります。
なんだ! 宇宙以上のもの(私)と細菌(風邪)の戦いか〜。勝敗は見えている。 ・・・と冷静に考えるようになってから、去年も今年も風邪をひかなくなりましたよ〜。ちょっとだけ、被害者を脱したみたいです(いやいや、まだまだ無意識でいろいろやってますがな ・・・苦笑)。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー )