きょうは、クライエントのY子さんにいただいたメール、「仕事を辞めたいのに辞められない、というループにはまっている感じ」について ・・・。
私たちはみんな、人生をとおして「ここじゃない、どこか」病にかかっています。
「今の私じゃない、もっと素敵な自分になること」「この人じゃない、もっと理想の誰かと一緒にいること」「この仕事じゃない、もっとワクワクする何かにかかわること」「この今じゃない、もっとエキサイティングな今にいること」 ・・・ とにかく、これじゃない! これじゃない! という感じは、まるで呪文のように繰りかえされます。
「これじゃなければ幸せになれるのに」が、今起っていることに対する決まり文句なのです。
それは、自分の不満足感、欠乏感はいつも、パートナー、収入、仕事、おかれた環境、自分の容貌・性格 ・能力、あの人、その人・・・ のせいであり、それを改善したり、乗り越えたり、切り捨てたりすることで、もっとよい何かを手にすることこそが人生であると教育されてきたから。
そうですよね〜。私たちの両目はいつも「外」という世界、そこに現れるあらゆるもの(自分の身体とイメージを含めて)ばかりを見ているのですもの。これを変えずして何を変える!という感じです。
でも、先に言ってしまうと、今の「これしかない!」のです。他なんてないのです。これが今の自分の人生 ・・・ と言えるまで、これなのです。
なぜその状況が目のまえにあるのか・・・ ということを理解すると、少し感じ方は変わります。
状況を変えようと、人やものや世界に挑んでも思うようにいかず ・・・ コントロールはいつも失敗し、結局、さらに無力感、無価値観がつのるばかり ・・・という結果になります。
じつは、これぞ人生のワナ、エゴのワナ。変えることができないものにつねに挑戦させることで、さらにココロをくじき、自分のふがいなさを強化する ・・・という超イジワルなしくみ。
そう、コントロールしようと思えば思うほど、じつはできないのです。もともとできないものだから。すると、同じ努力をグルグル繰りかえすはめになり、ついには「自分に能力がないせいで」と自分を責めるようになります。そして、さらに変えたい気持ちがつのります。
人生じたいをどうとらえるのか ・・・ 「抵抗すべきこと」とみなすのか、あるいは素直に「体験すること」とみなすのか ・・・ その違いによって、結果が変わります。
エゴは「抵抗しろ!」と大声で言いはります。
でも人生とは、ただそのまま「体験する」こと。やってきたもの、目のまえに現れたものを、そのまま、あるがままに体験すること。
「そっか〜。うまくいかないってこういうことか」「なるほど。ジレンマってこんな感じか」「ふたつの思いに引き裂かれるってこんなふうに感じるのか」 ・・・という具合に。自分が抵抗して、切り離してきた「感じ」を受け入れる旅でもあるのです。
私たちは、自分にとって都合のいいことだけを体験することこそが、うまくいっている人生だと思っているけれど、それは勘違いというもの。
人生はつねに、過去に棚上げにしてきた、体験するのを避けてきた、その感じを「今度こそ。感じてみてくださいね」と提示しつづける ・・・ というわけ。
そして、素直に感じる(受け入れる)と、それは分離感がなくなりひとつになって、自分という広大さのなかに溶けさって、ついには終わりになるから。終わりになったら、それから自由になれます。
だから、「ここじゃないどこか」「これじゃない何か」「もっと他のもの」というのは存在しないのです ・・・ 残念ながら。
今あるこれだけが、自分が体験するために人生にさし出されている唯一のものであって、これを体験することが自分のお役目そのもの。
でも、体験にいろんな「こうであるべき」や価値判断やストーリーやこだわりがくっついていると、それは「抵抗」というものに変わって、苦しいものになるかもしれません。
ただそのままの体験として、なにひとつ価値判断せず、素の感覚の「体験」としてあるがままに受けとめるとき、まったく別のものになります。
そして、そうしたがゆえに、さっさと過ぎ去ってくれて、それは終わりになり、新たな体験がやってくるのです。
そのように体験されるまでは、ものごとは膠着状態。
だから、人生がさし出してくるものを、あれこれ御託を並べずに受け入れて、サクサク体験してみること。
そうすると、人生の流れとひとつになって、「あ!結局、よかったわ!これで」っていうセリフが自然と出てくるようになります。
Y子さんいわく、「このループ感は、自分の心の中の思いが統一されておらず、統合されておらず、ぐちゃぐちゃだから・・・・ではないだろうか?」と。
Y子さんが今、仕事や人生について「他の場所に行きたいのに行けない」感じがあるのであれば、徹底的に今感じているその感じ(葛藤や不満や、矛盾や混乱など)に向きあって、ただただその感じを自分に経験させてあげてください。
そのジレンマやくちゃくちゃ感をしっかりと受けとめたときに、「その感じ」から卒業して、きっと次の扉が自動的にやってきます。次の扉というのは、いつも自分で開くものではなくって、勝手にやってきて開いてくれるものなのですね。
そのためには、人生が「いいよ!」というまで、その感じを堪能(?)しきってみること。
きっと、次なる扉が自然にあらわれて、Y子さんはそれを当然のことのように開くことができるのだと思います。 (✿´ ꒳ ` )
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )