先日、MS4Dで「美女と野獣」観てきました。MS4Dってどれだけ臨場感がますのだろう!と期待していたら、ひとつ間違うとシラケた体験になってしまうことも・・・。
まぶしいピカピカや、テーマパークのアトラクション顔まけのゴトゴトゆれる椅子、さらに突如ブシュッと顔に向かって噴射されるミストなど ・・・ 不自然な刺激で、あっというまに映画から注意が引き戻されて、劇場で坐っている自分へとさめてしまうのでした。
これと同じようなことが、じつは人生でも起こっています。
私たちのほとんどは、この人生ドラマにメリメリとのめりこんだ結果、はまりすぎていることにすら気づくことができません。映画に熱中しすぎたために、ながらく椅子にすわっている自分を忘れてしまったような状態。
自分にとっての「本当の現実」よりも、架空のドラマのなかに住みついてしまい、そのことに違和感さえ感じることがないのです。
でもある日「とき」が満ちてくると、人生ドラマ(画面)からの引き戻しが始まります。
「引き戻し」とは、映画館で不自然なミストやストロボで正気に戻ってしまったように、人生ドラマのなかでも正気に戻すようなことが起こりはじめるのです。
今までにないような刺激が、人生ドラマのなかに現れはじめます。今まで体験したことがないような不快感。まるでいきなりブシュッと顔にミストを噴射されるような、いやおうなくドラマから引き戻されるような刺激が・・・(お目覚めミストの洗礼!)。
そうすると、この人生ドラマの画面からふと離れることが起こり、「あれ?このなかで生きてるとずっと思っていたけれど、じつはここになんていなかったんだ〜・・・汗」という気づきが生まれたりします。
いきなりそのような気づきにはいたらなくても、ミストやストロボ的な不快な刺激が続くうちに、今までのやり方(生き方)ができなくなり、自然と生き方が修正されつづけて、気づきにいたる場合もあります。
私がMS4D映画で体験したように、せっかくストーリーのなかに入りこんでいたのに、不意の刺激によってそのストーリーから引きはがされて ・・・ そして、「人生ドラマと一体になってそのなかに生きていたはずなのに、あら〜、人生ドラマのワクの外に出ちゃったじゃない」っていうような。
私たちはもう何千回(?)も人間として人生ドラマをやっているうちに、この一個の身体こそが自分であるという考えに洗脳されて、自分のまわりにこそ世界がある、と信じて疑うこともしません。
まさか「自分の知覚しているすべてが自分」で、身体としての自分はその一部だとは気がつくことがありません。
万がいち、本当のことに気づいてしまって「私、身体じゃないんです〜」なんて言おうものなら、好ましくない待遇を受ける病院に入れられてしまいかねません(汗)。
「誰もここにはいないんです」とか「何も起こっていないんです」なんて言おうものなら、精神疾患のレッテルをはられるのがオチで、そうなると自分自身でも「頭がおかしくなった」と疑うことになるかもしれません。
でもね、不思議と「そのとき」が近づいてくると、MS4D映画のミストやら、椅子の震動やら、ストロボのごとく、むりやりこのストーリーへの耽溺から引き離すような刺激がじゃんじゃんやってくるようになるのです。
そして映画館で「あ、ここで椅子に坐っていたんだったわ」と気がつくように、人生ドラマから引き離されてまったく違う視点から自分を見ることが起こります。そして知るのです。「あ〜、自分は人生ドラマのなかになどいなかったんだわ」と。
私たちは、ミストやストロボのような不快な出来事が起こらない限り、このストーリーにどっぷりとはまりすぎていて、なんの疑問も抱くこともなく、かえってこのストーリーへの耽溺を深めていくようにも感じます。
でもいったん、このストーリーのなかで歯車がうまくまわらなくなったり、さらにそれが悪化して何が本当のことかわからなくなると、ふと正気に戻るというか、「この世界で本当のことって何だろう?」「本当のことを知りたい」と考えるようになるのです。
だから、今自分の人生ストーリーを生きていて、不快なミストやらストロボやら震動がやってきているとしたら、それはそろそろ「本当のことを知りましょう」「本当の自分に戻りましょう」というお知らせサインでもあるのです。
このようなアラームがならない限り、私たちはこの幻の人生ドラマのなかで、あと何千回でも輪廻できちゃうほど深い催眠状態です。
もし今、不快なことがやってきているのだとしたら、それらを無視してむりやり人生ストーリーを続けようとしたり、それに抵抗して闘ったりしようとするより、ただ起こっていることに身を投じてしまいましょう。
ミストにさらされ、ストロボ攻撃にあって、椅子の上で振りまわされて ・・・ しまいには、人生ストーリーの外にひっぱり出されて、シラフになっている自分に気づくことが起こるかもしれません。
「そのとき」がやってきたらそれは自然に起こり、そして新たなステージへと私たちを運んでくれるのです。
そのとき、私たちは過去何千年も「自分」であると思っていた自分から、ようやっと引きも戻されて、ほんとうの「正気」というものがどのようなものなのか知ることになるのだと思います。
刺激的な出来事が次々おしよせてくるように感じるとき ・・・ おびえてその出来事に飲まれてしまうのではなく、ついにお目覚めのベルがなっていると腹をくくり(といっても、リラックスして)、こころを開いて、その体験と向きあってみます。
不快な体験をちゃんと調べてみると、コワイと思っていたものが「な〜んだけっこうこどもだましのミストやストロボや震動だったわ〜!」と気がつくことになるのです。
(「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ ヒプノセラピー・カウンセリング )