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フルーツサンド♪

古川貴子のブログ、ヒプノセラピー/カウンセリング

八百屋さんが作ったフルーツサンドとして大人気になったダイワさんのフルーツサンド。

フルーツを丸々パンにはさんで、そのすきまに生クリーム ・・・という、パンよりもフルーツをいただいている感覚です。

すぐ近所にお店があるわりには、日中は並んでいたりするので最近はすっかりご無沙汰でした。

でも、きょうはR子さんが差し入れてくださいました〜! イエ〜イ! (*⁰▿⁰*)

パイナップルと黒バナナ ・・・とうかがったように思ったのですが、

ん?これは黒いキウイかしらん?

味ってあんがい曖昧なもので、バナナといわれればとってもバナナだし、キウイといわれればキウイな感じ(笑)。どっちも黒いプツプツがあるしね!(って、かなりてきと〜!苦笑)

パイナップルは、けっこうな迫力で安定の美味しさです。

フルーツサンドはいろいろあれども、ダイワさんのはフルーツそのものの味が濃くって、生クリームのあっさり感とパンのふわふわ感があいまってやっぱりいちばんお気に入りです。

このふわふわジューシー感、幸せ  ˘⌣˘♡  一気にいただいちゃいました。ごちそうさまです♡

PS 黒バナナキウイの正体は、レッドキウイでした〜(笑)。

 

 

 

お茶の間シネマトーク「フルメタルジャケット」

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いつか観ようと思ってず〜っとお蔵いりしていたスタンリー・キューブリック監督の作品です。兵士に志願した青年たちとベトナム戦争を描いています。

ロシアのウクライナ侵攻のニュースが連日たえまなく報じられるなか、観るなら今だわ・・・と、ようやく鑑賞にいたりました。

ごくふつ〜の若者が髪をそり落とし、訓練服に袖を通し、海兵隊のキャンプに入ったとたん、まるで人間以下の扱いを受けながら過酷に訓練されてゆきます。

それは、彼らを強靭な殺戮兵器に仕たてあげるために地獄に突き落としているようにも見えます。

ぽっちゃりおっとりのレナードくんはまったく訓練についていけず、教官からはつらくあたられ、訓練生からも集団イジメにあい、ついにぽっちゃりおっとりくんは変貌をとげます。彼は第一号の殺戮兵器になってしまったのです。それも、完全にターゲットを誤った。

やがて訓練生たちは前線であるベトナムに送りこまれます。

そこではじめて目にする親しい仲間たちの凄惨な死。また、自分自身にも現実としてふりかかる死の恐怖。

たとえ相手をしとめられたとしても、ひとりの人間としてその相手の目のなかをのぞきこんだときに自分の罪悪感にふるえることになります。(→予告をみる

軍隊のもろもろのセリフがスーパーお下品ですが、そこのところはなんとかスルーいたしましょう (^^;;

このような戦いが今だにつづいているなんて・・・こどもたちに「イジメはぜったいだめです。ちゃんと話しあいましょう!」なんて、どの口が言えるのでしょうか?

また、ニュースで「女性やこども、民間人が犠牲になりました」と報道していますが、兵士だったら何人死んでしまおうが問題ないように聞こえてしまいます。

武器も化学兵器はダメ、クラスター爆弾はダメとか ・・・ でも爆弾は爆弾、兵器は兵器で、結局は人をあやめる目的しかないのにそんな区別をしてどういう意味があるのか?!

結局は、ひとりひとりのこころのなかから「闘い」の思いをなくしてゆくことしかないのでしょう。

 

 

 

気づきの日記「問題解決は、“静けさ” で!」

 

予想外のことがおきたとき・・・

たいへん、たいへん、ああしなきゃ! いや、こうだ!
あれして! これして!

と、テンパって行動に走りがちです。

でも、まずは深く息をして、ただ「止まって」みましょう。

止まって、「誰がパニクっているのか?」「誰がコワがっているのか?」調べてみましょう。

そこでワーワー声をあげているその声に気づいてみましょう。

その声に気づけた、認識できた・・・ ということは、それは自分ではなかったのです。

認識できるものは自分と離れているからです。

ただ自分は後ろに下がって、そこでワーワーいっているその声を眺めていましょう。すると、だんだん静まってくることに気づきます。

このように、ニセモノの声はそれにしっかりと気づくことによってご退場いただけるのです。ニセモノだと正体をあばかれてしまったら、スゴスゴと消え去ってくれます。

ほんとうの自己には声がありません。静けさ、安らぎそのものです。

そして、うるさい声にご退場いただき、静まることによってほんとうの自己を呼び覚ますことができます。

その自己のなかにこそ、すべての答えがあります。

静けさという自己のなかで、この問題がどのように解決されるのかをただ見ていましょう。

なにがどう展開するのか、おもしろがって見ていましょう。

ニセモノさえいなくなれば、静けさと安らぎさえあれば、あとはうまくカタがつくはずです。

きっと、「そうきたか!」というちょっとびっくりな方法で解決するかもしれません。

 

 

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お茶の間シネマトーク「ペイ・フォワード」

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ラジオのパーソナリティーさんが話題にしていたこの作品。封切りになってすぐに観た記憶があるので、もう二十年以上まえになります。

あの「シックスセンス」の愛らしい少年が出ていたことと、エンディングの出来事しか覚えておらず・・・あらためてもう一度観なおしてみることに。

中学一年の社会科の授業。

「自分のまわりの世界がガッカリ感でいっぱいなら ・・・ きみたちがクルリと変えてしまえ!」先生が出した課題が、「世界を変える方法を考え、それを実行してみる」ということ。

中学一年生らしい提案がつづくなか、トレバー少年のアイデアはちょっと変わったものでした。

それは、Pay It Forward。「人から受けたよい行いを別の三人に渡そう!」ということ。

よい行いをしてくれた相手に返すのでもなく、自分のところで止めてしまうのでもなく、別の三人に本人ができないことをしてあげることでつないでいく、というのです。

そうすることで、よい行いが閉鎖的にそこで止まってしまうのを防ぎ、一人から三人へ、さらに九人へとどんどん広がってゆくことになるのです。(→予告をみる

彼は自分の提案をもちろん自分で生きようとするのです ・・・ が、自分が期待するような筋書きとはならず意気消沈してしまいます。

でも、傷が癒えるときには膿みを出すことが必要なように、じつはよい行いの刺激をうけて癒しの膿みが出ているだけだったりするのですが、表面しか見ないことで気づくことができなかったりします。

実際、真の変化は表面ではなく、こころのなかで起きているのです。

彼がそれを生きようとするだけで、すでにまわりも変わらずにはいられない ・・・ 一人一人の存在とはそんな影響を与えるものですよね。

以前観たときには、エンディングに気をとられて全体を把握していませんでしたが、今回観てみて、トレバー少年のお母さんや先生の変化など、まったく違った感想をもちました。

観る時期によって、作品はまったく違ったものを見せてくれるものですね。

PS トレバー少年役のハーレイ・オスメントくんのちょっぴり「ハ」の字になった眉毛、なんとも愛らしいです♡

 

 

 

とぅるんとぅるんなドーナツ

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中目の駅前にドーナツ屋さんができました。

この「I'm donut?」、「アマムダコタン」という大人気のパン屋さんがやられているそうな。

それが、いつもおそろしく何重にも列をなしていて、ディズニーランドもびっくり。

今朝とおりかかったら、あら ・・・ 少しはマシ? な様子だったので、ごくごく軽い気持ちで列に加わってみたら ・・・ とんでもないっっ! これは半日仕事だわ・汗(通常、三時間待ちですと・・・)。

二十個ぐらい購入される方が多いようで、女の子数人の手作りではぜんぜんまにあっていないご様子。これが数時間まちの原因のようです。

それでもなんとかゲットしてきました!

本日は、カスタード、ピスタチオ、フランボワーズの生クリーム系ドーナツ。袋を渡されたとき、まるでリンゴかとうふか? というような重量感。

お皿に並べてみたら、外はカリっとしているのに、とぅるんとぅるんで腰がなく直立しません(やっぱりとうふっぽい!)。

食感は、すごくモッチモチでしっとり。これが生ドーナツなの?!最近はなんでも「生」はやりですね!

まずはフランボワーズをいただいてみると、クリームチーズとフランボワーズの酸味のきいた生クリームがさっぱりしていて、濃いめのコーヒーによくあうお味でした。ひとつでお腹がいっぱいです。

今はかなりの行列ですが、すいてきた頃にお砂糖のかかったグレーズドタイプもためしてみたいです♡

 

 

 

春のオンラインお茶会♪

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コロナ禍で人とたわいもないおしゃべりする機会がめっきり減って、もう二年余。

電話ではおしゃべりをしていたものの、こうしてオンラインでお茶会をしてみると、対面での雑談能力が激しく退化していることを実感します(汗)。

女子のおしゃべりって言葉がとうとうと湧きでてくるものですが、いざ対面してみると自分がしゃべりたいことについての単語がまったく浮かんでこず、アタマのなかでの単語の検索が追いつきませんっ(汗)。

会話が減ったせいで、いつのまにかあらゆることを言語化せずにイメージのまま完結していた弊害でしょうか?

それでも話題は尽きず、メイクのことからはじまって、はまってるNetflixの俳優さんのあれこれやウクライナ戦争のことまで・・・。

女子のおしゃべりはまるで、ぱんぱんになったこころの空気圧を減らしているかのごとく、あちこちいろんなトピックスへと飛んでゆきます。

そして、ちょっと落ち着いた頃にはもう二時間半も経過!? (*⁰▿⁰*)

いくらでも話せますね(笑)。

ちなみに、本日のおやつのテーマは、「春」あるいは「ハイヤーセルフさんのおススメ」。

その結果、お互いにイチゴスウィーツとカフェオレとなりました〜♪

どんなところにいても、すぐさまカフェで向かいあっているようにお話できる、なんと便利な時代になったことでしょう。

楽しい時間をありがとうございました♡

 

 

 

まにあいました♪

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なかなかすいている時間にお花見散歩に出られず、もうすっかり散ってしまったかしら?と思っていた目黒川の桜並木。

このところの雨風にもたえて、まだみごとにお花をつけておりました。

しだれ桜はみずみずしい新緑とのコントラストがとてもきれいです。

ここからは一気に芽ぶいて、景色がいっぺんいたしますね。

 

 

 

気づきの日記「感情の波を怖がらないで ー その先に広がる自由」

 

感情を手放すことは本来の自分に戻る旅

私たちの心は、本来の自己へと向かう旅の途中にあります。その旅路で私たちは、さまざまな経験を通して「自分ではないもの」を少しずつ手放しながら、ありのままの自分を取り戻していきます。

 

 

痛みは「ニセモノの自分」からのサイン

本来の自己を解放するためには、まず「自分ではないもの」に気づくことが大切です。特に、心の痛みや違和感は大切なサインと言えます。痛みは、「まだ手放せていないものがここにあるよ」と教えてくれる合図。怖れや怒り、罪悪感などの感情が浮上するとき、それはまさに解放のチャンスなのです。

しかし、私たちはつい「こんな感情を持ってはいけない」と思い込み、それを無視したり、抑え込もうとしてしまいます。けれど、感情を抑圧すればするほど、心の奥深くにたまり、やがてコントロールできない形で表面化してしまうのです。

 

 

映画やドラマを活用する

人生の中で体験できる出来事は限られていますが、映画やドラマを通じて、私たちはさまざまな感情を疑似体験することができます。登場人物に共感しながら、自分の中にある未解決の感情を浮上させることができるのです。

その未解決な感情は、いつのまにか自分の目にする世界をぼやけさせたり、モノトーンのような色褪せたものにしていたかもしれません。

感情を感じること自体を「良くないこと」と思っていると、せっかくの解放の機会を逃してしまいます。大切なのは、感情が湧き上がることを怖れず、ただそれを眺めて流してあげることです。

 

 

感情を手放すコツ

感情は本来、ただ「さらさらと流れていくもの」です。しかし、感情を怖れると、まるでスポンジのようにすべて吸収し、自分自身がその感情に支配されてしまいます。

では、感情をためこまずに流すにはどうすればいいのでしょうか?

1. 判断しない:感情に「良い・悪い」のラベルを貼らず、ただそこに現れているエネルギーとして感じ、受け入れる。

2. ストーリーを作らない:感情が湧いたとき、「これは過去のせい」「誰々のせい」とストーリーに逃げ込まず、そのままの状態で見つめる。

3. 呼吸を意識する:深呼吸しながら、感情が体の中を通り抜けていくのをイメージする。

4. 身体の感覚に注意を向ける:感情が湧いたとき、胸のあたりが締めつけられる感じがするなら、その感覚にやさしく寄り添いながらリラックスする。

このシンプルなステップを繰り返すことで、感情は自然と解放され、心は軽くなっていきます。

 

 

感情を解放すると世界が変わる

感情を押し戻さず、あるがままに感じて流すことができるようになると、自然と心の静けさ、安らぎが訪れます。そして、心が穏やかであればあるほど、目に映る世界も優しく安らかなものになっていくのです。

さらに、世界が鮮やかにいきいきと感じられるようになり、心の余裕が生まれることで今の自分にふさわしい新しい出会いやチャンスが増えていきます。思いがけない幸運が舞い込んだり、シンクロニシティが起こったり、直感が冴えることもあるでしょう。

あなたの中にあるネガティブな感情を、怖れずに感じ、手放してみましょう。きっと、今よりもっと自由で軽やかで、ワクワクするような世界が広がっていくはずです。

 

 

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気づきの日記「運命は決まっている?それとも、自由に選べる?」

 

運命とは、決まっているのでしょうか? それとも、自由に選べるのでしょうか?

 

決まっている・・・と考えると、落ちつかない気持ちになるかもしれません。自分はどんな運命にさらされているかわからないし、その運命から逃れることもできない、と感じてしまうからです。

 

そして、運命が決まっているのなら、これまで自分の人生の最高指揮官として采配をふるってきた自分自身にとって、その権力を丸ごと奪われ、なすがままにされてしまうというような無力感も感じられます。

 

「自分の人生を好きなように生きている」と信じてきたのに、まるで両手両足をもぎ取られたように感じてしまうのです。

 

しかし、運命が決まっていることに対して、別の見方で見ることもできます。

 

もしも大いなる存在、それは宇宙でも、神でも、源でもかまいません、その大いなる存在にすっぽりと護られて、自分の幸せにプラスになることしか起こらないとしたら、どのようなことが起きていても最終的にはいちばん良い結果になるとしたらどうでしょう? 

 

そうであるなら、不確かな未来に怯え、道に迷わないように必死で人生をコントロールしようとするよりも、大いなる存在におまかせしてしまう方がずっと安全でラクで確実だといえます。

私たちがいくら固い決意をして人生をコントロールしようと試みても、結局起こることは勝手に起こってしまいます。

 

雨が降るときには、いくら「てるてる坊主」をたくさん並べても雨を止めることはできません。それと同じように、何かが起こるときには起こらざるをえないのです。

 

しかし、その起こることを自分への「攻撃」や「罰」と捉えるのか、それとも自分への「愛」や「恩寵」と捉えるのかで、その意味は大きく変わってしまいます。

 

もし「起こること全体が愛の法則に支えられている」ということがわかったとしたら、もっとリラックスして安らかに過ごすことができることでしょう。実際、私たちは大いなる愛の法則に完全に護られているのです。

 

どうしても抗うことができなかった出来事を長い目で見たとき、自分にとっても周りにとっても「あのことが起こってよかった」と思える善きこととして経験されたことは誰にでもあると思います。

 

起こることはしっかりと見届けさえすれば、すべては善きことであることがわかるかもしれません。

 

実際、私たちは「自分が見ようとしているもの」だけを目にしています。なぜなら、「自分」こそが見るためのフィルターだからです。

 

こころが怖れでいっぱいであれば、怖しいものばかりが目に飛びこんでくるであろうし、こころに愛や穏やかさがあれば、愛や穏やかさにあふれた世界を目にすることができます。

 

まさに、世界はこころのあわせ鏡といえます。そうであるなら、たとえ運命がどうであろうと、愛に満たされた穏やかなこころで出来事を見ることこそが、自分が護られているという愛の法則を確信することになり、それが幸せへのカギとなります。

 

「私は是非とも、愛の法則に支えられた世界を目にしたい」とこころに強く決めてみましょう。

「運命は決まっている」というとき、私たちはまったく変更不可能で逃げ道のないガチガチに固まった一本道を想像してしまうものです。

 

しかし、「決まっている」というのは、「たくさんの可能性がすでに存在していて決まっている」という意味であり、たったひとつの道だけが与えられている、というわけではありません。

 

起こっていることに対して不平不満を言いつづければ、私たちは不平不満の世界を目にすることが可能です。自分のこころを変えるまで、同じ状態を見つづけることでしょう。

 

しかし、こころがいったん自分の運命を受け入れ、愛や穏やかさを取り戻すことで、目にする世界は穏やかで愛のある世界へと進路を変えてゆくことができます。

 

運命は決まっているといえども、自分のこころの状態によっていつでも変更が可能なのです。自分のこころの状態は、まさに自分の目にする世界を変容させるパワーそのものだからです。自分のこころの状態にみあった世界へと、即座にチューニングされます。

 

そして、いつでもこころの状態を変えることによって、運命に変化をもたらすことができるのです。

また、運命をよきものにしたいとき、自分を守り導いてくれる存在であるハイヤーセルフにこころを開いてみましょう。ハイヤーセルフのちからを借りることも、運命の軌道を変化させる大きなちからとなります。

 

叡智そのものであるハイヤーセルフは、どんなときにも私たちの幸せのみを願ってくれています。しかし、そのちからを借りるには、自分からハイヤーセルフにつながる必要があります。

 

どんなときでも「助けてください」とハイヤーセルフに導きを求めることで、自分自身がハイヤーセルフのちからにつながることができます。

 

助けを求めさえすれば、ハイヤーセルフはすぐさまレスキューに飛んできてくれます。そのレスキューはまさにミラクルであり、「こんなことが起こるなんて!」と驚くような、私たちにとって予想できないような道を示してくれるのです。

 

なぜなら、ハイヤーセルフのレスキュー方法は運命という時間のなかから私たちを救出し、ハイヤーセルフ独自の時間のなかへとシフトさせてくれるからです。通常の時間からワープして、問題を回避させてくれるのです。

 

ハイヤーセルフの助けをえるためには、ハイヤーセルフとこころをひとつにする必要があります。

 

「ハイヤーセルフ、この問題を私とともに見て、ハイヤーセルフの見方ができるように助けてください」とお願いしてみましょう。ハイヤーセルフには問題という概念がないため、ハイヤーセルフとともにその状況を見ることによって自分自身も問題というものを認識しなくなることが可能なのです。

 

こころを開いて助けを求める気持ちさえあれば、私たちは時空を超越したハイヤーセルフの知覚とともにラクな道を進むことができるようになります。

ハイヤーセルフとともにものごとを見られるようになると、ものごとと闘うよりも安心して受け入れることができるようになります。

 

起こることをそのままに受け入れることは、運命というカルマを解消することであり、自分に災をもたらしていたカルマのストーリーを終わりにすることです。

 

ものごとを抵抗せずに無条件に「受け入れる」とうことは、そのものごとを支えていたエネルギー全体がゆるみ、カルマとして存在していた出来事を消滅に向かわせることができるのです。

 

どのようなことが起きていても、「もう金輪際、このような問題はくり返さない」とこころに決めて、ただリラックスして状況を「受け入れる」という姿勢をもつようにしてみましょう。そうすることによって、すべての出来事を「カルマを終わりにする」という目的のために使うことができるのです。

 

私たちはいつでも、自分にとってより幸せな世界に住むことは可能です。自分のこころのちからを使って、またハイヤーセルフの超越したちからにつながることによって、運命の道筋を幸せへと導いてゆきましょう。

 

「人生のなかで、いったい何が起こるかわからない」とこころを暗くするのではなく、自分のこころを愛と穏やかさで満たし、自分をつねに助け導いてくれるハイヤーセルフという存在にこころを開いて助けを求めてみましょう。

 

すると、愛という法則に支えられ安全に護られている運命という道を、ハイヤーセルフという頼もしい存在に導かれながら、安全に軽やかに旅をすることができることに気づくでしょう。

 

 

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春コスメ♡

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韓国コスメに詳しいお友だちが、ときどきさし入れをしてくださいます。

まるで、「どっかから見てた?!」というぐらい、今の私にどストライクなものばかりなのです。

そして、美容大国韓国コスメって、シャレているし、お肌にも優しくってとっても使いやすい。

今回は口紅とリップスクラブ、そしてスキンモイスチャライザー♪
(唇もお肌もパッサパサになっていたのが、もろバレでした?!汗)

なにか春用のコスメが欲しかったところなので、このラインナップもリップの色味もハマりまくりです♡

女子にとってコスメって、もちろん使うのも嬉しいけれど、ただながめているだけでワクワクするものです。

今年は急に春らしくなり、もう今にも桜が咲きそうですね。

春均分でさっそく使いま〜す♪ いつもありがとう♡