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イタリアン ロースト好き

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

そのむかし、イタリアを訪れて感動したことのひとつがコーヒーがおいしかったこと。

日本ではド○ールさんで出てくるようなコーヒーが主流で、エスプレッソベースのコーヒーといえばイタリア料理のお店でしか飲めなかったのです。でも、イタリアのコーヒーチェーン、セガフレードが出店してからは、気軽にエスプレッソやエスプレッソベースのコーヒーが飲めるお店もふえましたね。

その頃は、イタリアのコーヒーメーカーのお豆ばかりを探して飲んでいました。LAVAZZA とか illy とか。なかでも好きだったのが KIMBO。でも店頭ではめったにお目にかかれなくって。

今ではイタリアンローストのおいしいコーヒー豆はいっぱい出回っているけれど、KIMBO を見つけるとついなつかしくて買っちゃう♡  

昨日もスーパーの祭事コーナーで発見。うちにはネスプレッソのアマレッティ風味(アマレッティもイタリアの味!)がたくさんあったけど、もちろんゲット!

さっそくいれてみたら、うん! イタリアの味です♪

PS 同じく KIMBO 好きのMちゃ〜ん! ゲットしたからね〜。(^o^)

 

 

わあ、オシャレ!

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お花屋さんというと、バケツに放りこまれた花たちが店先にひしめいているというイメージですが・・・ こちらのお店は、フラワーショップと呼ぶにふさわしいディスプレイ。見とれてしまいました。

こんなお花屋さんさんは、どんなブーケを作ってくれるのかな? こんどお願いしてみましょう。

まだ大寒で雪も降りそうですが、この頃になるとどこのお花屋さんもいい匂いがします。サクラ草やパンジー、そしてストックやらスイートピーなど、やさしい色合いのお花がいっぱい。そんなお花につられて、まだまだ寒いけれどもこころが春へと向かいはじめます。

 

 

 

はあ〜・・・♡

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うるわしい女性たちのたたづまいに、おもわずため息。

Bunkamura で開催されている「英国の夢 ラファエル前派展」に足を運んできました。

わたしのこよなく愛する画家 フレデリック・レイトン卿の作品もいくつか展示されていました。

見てください。この美しさ。レイトンの描く女性はほんのりと体温が感じられるものの、女神のような神々しさがあります。

ほかにも、アルマ=タデマやエヴァレット・ミレイ、ウォーターハウス 、ロセッティ、バーン・ジョーンズ など、ヴィクトリア朝時代の作品がざくざく。日本ではお初の作品もたくさんあります。

この時代の絵画は、古代ローマ、ギリシャや神話を題材にしたものが多く、描かれている女性たちもミステリアスな美しさをたたえ、ドラマチック。

こちらはミレイの作品、「春 林檎の花咲く頃」。女の子たちののどかなピクニック風景に見えますが、じつはそれぞれの表情にその未来を暗示しているそうな。横たわる右側の女の子のすぐそばには釜が描かれていますが、彼女の未来はいかに・・・?

池をのぞきこむのは、自分に恋しちゃったナルキッソス。「エコーとナルキッソス」ウォーターハウス

けだるい感じの半裸の美女たちは、ジョセフ・ムーアの「夏の夜」。

Bunkamura ザ・ミュージアムにて3/6 までです。

 

 

今年は直感とともに、まったりと♪

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静かな年明けがすぎたら、あっというまに日常が押しよせてきました。・・・ 気がつけば、もう一月も半ばですね!

えっと、今年の目標はなんでしたっけ? いえ、目標がまったくないのが今年の目標。毎日仕事以外は、ほとんどノープランがモットー。そのとき瞬間にひらめいたこと、心を動かされたことに時間を使うようにしています。

思考であるエゴちゃんは心配症で「あれをやれ、これをやれ」とうるさいのですが、その多くの動機は「未来のため」という怖れにもとづいたもの。「怖れ」や「心配」が動機だと、頑張って行動しても結局はは残念な結果になってしまいます。

そのかわりに、高い意識にその時々に必要な直感だけをいただくことにすると、ずいぶんとムダな行動がはぶかれて、途中の流れも、結果もスムーズ。そのうえ、自然とゆったりタイムが生みだされることになります。心配もしなくなるので、省エネなのです。

さて、今年初の休日は・・・

お友だちのプレゼントの買いものへ。これも直感で。お顔をイメージすると、すぐにイメージが浮かんできました。だからショッピングも超早いっ! (^_^)v

あいた時間はまったりとお茶っ  ♬(今年初のお外珈琲タイム!)

あ、以前から気になっていた「星乃珈琲」が目のまえに。

これこれ!このスフレパンケーキ♪

P K 好きとしてはチャレンジしてみたかったのです!(中目方面って、星乃さん見あたらないのです)

表面はサクッ、なかはしっとりスフレでペロリといただきました。(二段でも楽勝だったかも・・)お店も落ちついていてイイ感じです。(銀座店でした)

P K 後のスイーツトレンド、シュー生地のなんとかとか(ポップオーバーでしたっけ? )、いまいち流行らなかったですね。やっぱりP K 人気は根強い!今年はノープラン&直感でまったりタイムをたくさんつくりだし、おいしいスウィーツティータイムをたくさん楽しみます! (^-^)ノ

 

気づきの日記「こころのゴミ屋敷をお掃除しましょ!」

昨晩、あるテレビ番組で「卑弥呼と天照大神は同一人物なのか?」と検証していたとき、あるパネラーさんが「人間は、都合の悪いことをぜんぶ神様のせいにしてきた。それが神話なんです」というような説明をされていました。

「なるほど〜・・・ たしかに」と思いましたよ。

だって、世界的ベストセラーの大河小説(?)のなかでも、神様に楽園をおわれたカップルの悲劇のストーリーがありましたっけ。それを執筆したのは神様ではなくって人間なのだ、ということを忘れてはいけません。それでも、「そんなことはしとらんぞ〜!」と激怒して雷をおとさない神様の器はやっぱり宇宙規模に大きいのです。

わたしたちは、無意識のうちにひどいことが起ると「なぜですか?神様!」と嘆き、「もう神など信じない」と背をむけます。みんな何がしかのことで、神様に恨みをもっているのです。

そんなふうに見える神様がなぜイジワルではないとわかるのか・・・というと、日々、セラピーするなかで、クライエントさんの問題をどんどんつきつめていくと、究極的には神様(あるいは、大いなる力)に対して、「ごめんなさい。私が悪うございました。すべてわたしでございます」という信念が出てくるからなのです。「勝手に家出をしたのはわたしです」と。

そして、この信念ゆえに「自分を小さく小さくして、見つからないように隠れていよう」とか、「この世の果てまでも逃げきるぞ」とか、「まったく違う自分になって、ぜったいバレないように目をくらまそう」なんていうことをやっているのです。すると、とっても孤独で、とっても怯えていて、とっても悲しい自分になってしまうのです。自分こそが裏切り者だと知っているから。

こんなことを聞くと「まさか!」と思うかもしれませんが、それぞれの暗いこころの下にはこんな思いがもれなく身をひそめているのです。そしてその隠し持っている思いに気づいてしまったら大変なので、自分を忙しくして何がなんだかわからなくしたり、いろいろな物・人・出来事とかかわって自分が満たされているフリをしたり ・・・どうにか裏切り者の孤独で苦しい気持ちを忘れようとします。

「るん」のセラピーのなかでは、クライエントさんがほんとうに信じていることを探求するために、どんどんこころを掘りすすめるようなことをしていくのですが、わたし自信も日常で「プチいやな気分」のときも、あるいは「メガ級落ちこみ」のときも、ひるまずに自分に対してこの「信じていることの探求」を行っています。

セラピーセッションでは、口頭のやりとりで行いますが自分でやるときにはどんどんノートに書きとめていくのです。

昨日、お茶をしていたときにもふと「そこはかとない不安」を感じました。別にほうっておいてもどうってことはないほどのかすかなものです。けれど、こんなちっちゃな不安こそ、深いところに隠れている何か大きなものから浮かびあがってきた泡のようにとらえます。下に何かがあるぞ!というように。

そこで、さっそく喜々として探求をはじめました。

「そこはかとなく不安を感じる 」→ なぜなら、いつ何が起るかわからない世の中だから(いっけん妥当な答えのように感じても騙されてはいけません)→ (するとこんなイメージがわいてきました)古代コロッセオのなかに迷いこんでライオンに食われそうな自分 → 神様は外から見てるけど何も関知していない、助けようともしない → なぜなら、わたしはちっちゃい存在だから → 今度は、鈴虫になった自分が大きなカブトムシに食べられそうになっているイメージ → わたしは虫ケラのように小さくて神様にとってどうでもいいんだ → この宇宙の無限さが示すように、それぐらわたしは源(神)からはるか彼方に逃げてきた → だから自分でサバイバルするしかない → ついに強大なうしろだてを失ってしまった。不安だ・・・。

強力なバックアップ(神様)から家出をしてきて、すべてを失って昆虫のようにか弱く生きているイメージが「そこはかとない不安」の原因だったのです。

そのときどきの問題やテーマで出てくるイメージはいろいろですが、結局のところは「家出してきた(逃亡してきた)」あるいは「見捨てられた(と思いたい)」という信念が深いところにあります。

自分で「家出してきた」ことは認めたくないから、神様に「見捨てられたかわいそうなわたし」という被害者の美談をでっちあげたいのですよね〜。神様が悪い、神様のせいだ!って。

でも、癒しを起こすにはつねに「はい、わたしでございました」「すべてわたしです」というところに戻らなくてななりません。

そうちゃんと認められたときにこそ、こんな思いはこれ以上もっていなくていいのだと知ることができます。

どれだけ自分の信念、思いによって、自分を虐待していることか。ひとつひとつの間違った思いを手放していくことこそ、こころの安らぎなのです。

幸せであることとは、まさに自分の思いで自分を虐待することなく、間違った思いのひとつひとつを手放してちゃんともとのクリーンなこころに戻してあげることなのです。そうすると、自然な状態こそが「安らぎ・喜び」といえるようになるのですよね。

ゴミ屋敷に住んでいるひとは、自分の家がゴミでいっぱいだという認識をもっていませんよね。こころもじつは同じ。ほんとは悲惨なゴミ屋敷だったりします。(^。^;  (まわりは知ってても、言わなかったりして・・・。)

クリーンで快適なおうちに住みたいですね〜。

今年もみなさまとともに、せっせとこころのゴミ捨てに励みたいと思います!!

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

 

お茶の間シネマトーク「ハッピーエンドの選び方」

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ハッピーエンドの選び方」・・・なんていうタイトルを聞くと、おしゃれな街でくりひろげられるラブコメディかと思っちゃいますが、N.Y. もでてこなければ、恋人たちも見あたりません。でてくるのは、おじいちゃん、おばあちゃんのみ。それもかなり高齢の。

舞台は老人ホームで、そこで描かれるのは、なんと安楽死。つまり、自分の人生の最後をどう選ぶのか・・・というお話なのです。

発明好きのおじいちゃん、ヨヘスケルは神様からかかってくる電話機とか、薬の飲み忘れ防止マシンなど、ホームのみんなのためにいろんな器具を手作りしているのですが、末期の病と延命治療に苦しむ友人からのたっての願いで安楽死マシンを作りあげるのです。それはみんなにお別れをしてから、自分でボタンを押して旅立っていくというもの。

罪悪感にさいなまれながらも、友人とその家族のために安楽死マシンを秘密裏に使用するのですが・・・どこからかそのウワサを漏れ聞いたお年寄りから、使用の依頼が次々と。なんと、ついには最愛の妻までもが使いたいと言いだし・・・。

苦しむものを逝かせるのか、それとも自分の安らぎのために引きとめるのか・・・そんな選択を迫られます。

ベビーなテーマのはずですが、どこかユーモラスで思いやりと愛がにじみ出ています。認知症が進行しはじめて服を着るのを忘れてダイニングにやってきてしまったのを痛く恥いるヨヘスケルの奥さんのために、友人たちみんなが全裸で彼女を迎える・・・なんていう笑っちゃう場面も。ホームの風紀を乱すなと怒られるのですが、そんなことよりもおじいちゃん、おばあちゃんにとっては、傷ついた心の癒しのほうが最優先なのです。

医療が発達すればするほど、ほんとうだったらとっくに生きていないような場面でも生き続けられる時代。もちろん家族は「生きていてさえくれれば」という思いもあるけれど、本人にしてみたら迷惑きわまりなくて「自然に安らかに旅立たせてくれ」が本音かもしれません。

世界的に高齢化社会になってきているせいか、以前にくらべてお年寄りの生き方やら、旅立つまでの選択やら、そんなテーマが恋愛ものよりもずっと多くなってきているように感じられるこのごろ。自分の将来とかさねあわせながら、いろいろと考えさせられることも多いのです。

こちらはイスラエルの映画で、ヴェネチア国際映画祭でも受賞してる作品です。

 

謹賀新年 2016

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明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

本年がみなさまにとって、健やかで幸多き一年となりますようにお祈り申し上げます。

オフィス・るんは、一年をとおして、みなさまの「こころのすす払い」に尽力してまいります。

ふだんからセッションのあいまにはバナナと仲良しなのですが(とってもお腹がすくので!)、今年はバナナと仲良くすればするほどシッポがはえてくるかもしれませんね〜。年末までには、りっぱなおサルさんになれるでしょうか(笑)。

オフィス・るん 古川貴子

 

お猿さんの神社へひと足早い初詣

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あっというまに今年も最終日、大晦日となりました。皆さま、どのようにお過ごしでしょうか?

わたしは、恒例のひとあし早い初詣(お礼参りでもありますが・・・)で、山王日枝神社にお詣りしてきました。(すっかり道を間違えて、総理官邸をめざしておりました・・・汗。)

ここは来年の干支のお猿さんが、狛犬さんのように控えております。

今年の感謝と来年のご挨拶をすると、荷をおろしたようにスッキリ新年が迎えられます。

もう、サクラが開いています!!

そして、Mちゃんとのお疲れさまランチは、「ひらまつ」さんにて。

おいしいフレンチをいただきながら、今年最後のおしゃべり&くつろぎタイム。

駅伝の応援、頼まれちゃいました。順天堂のハタ。

テレビのまえでこのハタを振りまわして、「青○頑張れ!」と叫んでしまいそうです。(汗)

さてさて、無事恒例行事もすんで、新年を迎える気まんまん☆ (^-^)ノ

この一年、大変お世話になりありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。

 

 

Merry Christmas :)

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かなりの美声ですが、一回聴くだけでそうとうな満腹感(笑)。 

気づきの日記「みんな、自分が嫌い?! その2」

(その1より)

外の世界に見えるものが自分の心のなかにあるイメージの投影(映しだし)であるのなら、じゃあ、イヤな体験をしている自分って、結局自分が悪いのか ・・・そう思ってしまいます。

たしかに、すべては「自分発」で、そうでないものなどないのですが、その「自分発」のものがほんとうに真実なのか・・・というと、じつはそうではありません。「真実ではない」 ということなのです。つまり、自分でもほんとうの自分がわかっていません。

ほんとうの自分を外に投影している ・・・というよりは、じつは自分のなかで持ちきれなくなったゴミを外に見ているという方が正しいのです。自分でもちゃんとわかっているのですね。「こんなの、ほんとうの自分のイメージではない」ということが。だから、外にゴミ捨てして、無かったことにしたいのですが、結局はつねに目にすることになってしまっていますが。

私たちが自分だと思っているイメージは、両親からの扱いや評価、幼稚園や学校などでの自分の立ち位置など ・・・すべて外からの影響によって洗脳されていきます。

たとえば、自分の性質がとても活発だったとします。それを好む親であれば「よい子」と評価され、好まれないならば変えるように仕向けられるかもしれません。あるがままの自分を受けいれてもらえないと、その子は自分が「ダメな子なんだ」「劣っているから親が困っている。親を困らせる自分は価値がない」というように決めつけてしまいます。ほんとうは、親のお好みに合わなかった、ただそれだけで、他の家に生まれていたらまた事情は違っていたかもしれません。

そして、家で、幼稚園で、学校で、仲間内で、つねに外の反応を気にしているうちに、自分の価値も自尊心もゆらいできて、すっかり自分が誰だかわからなくなってしまいます。強いお姉ちゃんがいたら、うまく巻かれておいたほうが生きやすいと思うかもしれないし、親に過剰に期待されると、すっかり「よい子の仮面」と一体化してしまうかもしれません。人の目を気にしていると、なにを基準に自分のアイデンティティを確立してよいのか、さっぱりわからなくなります。

そして、ほんものじゃないズレてる自分を生きてるのはとってもエネルギーを消耗するし、フラストレーションを感じます。私たちがわけもなく憂鬱になったりイヤな気持ちになるのは、ほんとうの自分とはズレた自分を生きつづけ、それが自分に定着してしまった嫌悪感やウソっぽさから湧き上がってくるものです。

私たちの高い自己(ハイヤーセルフ)はそんなズレた状態のまま私たちをほっておくことはしないのです!(これは、ホッとしますよね。)

高い自己のアラーム、「あなた、ズレてますよ!ほんとうの自分にそろそろ戻るときですよ」というお知らせは、じつはイヤな出来事をとおしてやってきます。楽しいばかりだったら、人はなにひとつ改善する必要を感じられないからです。

「イヤな気持ち」「うまくいかない出来事」「くりかえす問題」は、ちょっと立ち止まりなさいというシグナル。

でも、人はそのシグナルに気づくとなにをするかというと、それを解決すべくしゃかりきになってさらに行動を起こそうとします。なにか手を打たねば!行動せねば!と。すると、さらに迷宮に入ってしまいます。

だって、立ち止まって欲しいために鳴っていたシグナルですから。(仕方ありませんよね。私たちはこういうことに関して、まったく学校で教育されていません。でも、英語を習うよりも先に、自分と自分の心について学ぶことの方が大切だと感じてしまいます。)

問題あれこれが起きてイヤ〜な気持ちになったとき、みんなそんな気持ちは感じたくないから、どうにか誤摩化そう、気晴らしをしようとします。けれど大切なことは、まずはしっかりと立ち止まって、ちゃんと自分の気持ちを感じることが大切なのです。

気持ちを感じたくないから逃げるのですが、この際、ドッジボールです!正面から、その感情のボールを受け止めましょう!

なぜなら、小さい頃に「対応不可能」と決めつけてガンガン呑みこんだたくさんのネガティブな感情こそが、ほんとうの自分につながることを邪魔しているからです。

ひとつひとつの言われた言葉やされた扱いを思い出すかもしれませんが、とにかく解放しなくちゃならないのは、そのとき呑みこんだ気持ちです。これが自分の晴れ晴れとした快晴の青空のような広がりのうえをスモッグのようにすっぽりとおおって、まったく光を通さなくなっているからです。

ほんとうの自分とのディスコネクト(分離)状態・・・。パワーがまったく供給されません。

だから不安になって、あらゆることに手を出します。買い物依存、恋愛依存、アルコール依存、ギャンブル依存、過食、薬物依存、回遊魚のような絶えまない活動・・・。そのうち、自分のダメなイメージともすっかりと仲良しになり、イヤな気持ちも慢性化してしまいます。

問題があるなしにかかわらず、つねに自分がなにを今感じているのかに気をつけているというのは、自分のなかをクリーニングする習慣をもつようなもの。

イヤな気持ちを見つけたら、しっかりと受けとめて、抱きしめて愛おしむような気持ちで感じてあげます。イヤな気持ちを泣いている小さな子どものようにイメージして、抱きしめてあげます。(イヤな気持ちだったはずなのに、愛おしくて泣けてきたりします。)すると、自分のなかにす〜っと溶けるように、消え去っていきます。(マシュマロがココアのなかに溶けてくみたい。)

そして、これがすんだら次なるステップへ。

自分に対する間違った考え(自己卑下や被害者意識など)は自分がしっかりと握りしめてきた考えなので、なかなか自分では訂正することができません。

なので、高い意識に委ねて、ほんとうのことを見せてもらいます。「わたしは、自分が(価値がない、嫌いである)と信じています。でももう、この考えは持ち続けたくありません。ほんとうのことを見せてください。感じさせてください」とお願いします。

自分が見たがっているほんとうの自分とはなんでしょう?・・・それは、唯一のもの、ワンネスの一部である完璧な自分。愛であり、安らぎであり、喜びであり、豊かさであり、輝きである自分。ひとつのもの(完璧さ)しか存在しないのであれば、それ以外を見てるわたしたちはどこかおかしいということになります。

おかしいということは、正す必要があるということ。でも、それを自分ではどうすることもできない ・・・となれば、ホンモノの自分自身の記憶ともいえる存在、正気の自分ともいえる存在である高い自己(ハイヤーセルフ)にお願いして、それを見せてもらうことが必要なのです。

それを理解すると、問題が見えたときにはつねに自分を正す、ほんとうの自分に連れ戻してあげるチャンスとなります。間違いは目にしない限り、どこが間違ってしまっているのか気づきようがありません。目にしたときには、「ここを変えましょう。もうこれを手放しましょう」と教えてもらっているということです。

だから、被害者意識をもったり、あるいは自分を責めるとなく、「自分の心の間違っているところ教えてもらった」「これを手放せばいいんだ」と心を切り変えればいいわけです。

そして、手放すときも決して自分でやる必要がないところが、なんともお手軽で嬉しいところ。

ただ高い意識に「これは外になるのではなく、私の心の中の問題です。これをもう持ち続けたくありません。どうぞ手放せるように助けてください」と、人のせいにしないで自分の間違いを認めて、手放す意思を示すと高い自己は即座にそれを行ってくれます。

だから、こんな問題をつくってしまって!とか、こんなことを外に見る自分は酷すぎる!と、自分を責めることはなく、ただ静かに取り消しをしていきます。

わたしも以前はイヤな気持ちを感じると、過剰に活動的になったり、あるいはいろいろと気晴らしをしたり、刺激を求めたりしたものです。でも、どれも根本的な解決ではないと気づいたのも、だいぶいろいろとやってからです。(ほんとうに解決になっていないと心の底から気づかないと、なかなかやめないものですね。汗)

せっかく「ほんとうの自分に戻ってね!」というアラームが鳴っているのであれば、目をそらすことなく、どれどれ、この問題に関する気持ちをしっかりと真っ正面から受けとめて、そして高い自己に丸投げしちゃって、あとはうまくやってもらいましょう!(この渡す姿勢こそが重要なようです!)

まずは、イヤ〜な気持ちをちゃんと感じて受けとめる。そして、高い自己に委ねて依頼する!

あとは少しづつ気持ちも落ち着いてくるし、ムリに自分を好きにならなくても自然とありのままの自分でよいのだ!という信頼がもどってきます。そうすると、外の世界も安らぎが感じられるようになてくると思います。(^_^)v

 

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング