15-11-07 問題はもう一人の自分からの挑戦状

なにか問題が起ったとき私たちは、「いったい、自分のなにがいけなかったのか?」「自分のなにが足りなかったのか?」と、自分の間違いさがしをはじめます。

たとえば彼氏(彼女)とひどくケンカしたとき、「あの私のひとことがいけなかったのかも」とか、「いや、あのとき私がああしなければよかったのかも」と。そう考えれば考えるほどこの次会うときに、そのままの自分でいられなくなり萎縮してしまいます。

あるいは病気になってしまったとき。「お肉ばっかり食べていたのがいけなかったのかも」「もっと早く食習慣を変えてさえいれば」「いや、私のくよくよグセのせい?」」と、手あたりしだい自分の過去を責めて否定する方向にいってしまいます。

でも問題のほんとうの原因って、じつは自分が思っているようなところにはないものです。それに、そもそも行動が原因になっていることはありません。すべてはこころの問題。セラピーをしていると本当によくわかりますが、問題の根本はご本人にも思いもよらないような、ふとした思い込みにあったりするのです。

過去の自分のあれこれを批判することは、いたずらに自分に対する罪悪感と無価値感をふやしてしまうことになりかねません。

それに、人生に問題はつきもの!そのたびごとに自分を責めてしまうとさらに自分を小さくする悪循環にはまってしまいます。

じつは、それこそが問題が起きている最大の目的でもあるのですが・・・。

私たちのなかには、自分をくじこうとするイジワルなもう一人の自分がいます。いつも「どうせできっこないよ!」とか「そんなことしたってムダ!」「どうせそんな自分さ」とささやきかけるその存在です!

そのイジワルな自分が問題を作りだしては、その問題を使って無力な価値のないダメな私として自信をなくさせようとしかけてくるのです。いったい自分の「何が足りなくて」「何がダメで」「何が間違っちゃって」・・・というダメだらけの自分の信念をより強固にゆるぎないものにするために。

自信をくじき、罪悪感を深めることこそ、問題の目的なのですね。

だから、「いつだってうまくできずに問題を作っちゃう不十分な私」という自責の念は、まさにイジワルな自分のおもうツボ。

いずれにしもイジワルな自分はたえず問題をふっかけてくるし、それはドラマチックになるようにしくまれています。

そうとなれば、問題が目のまえにやってきたら、そのワナにはまらないためにサッと意識を変えることこそが必要になります。

イジワルな自分からの挑戦状には、まっこうから勝負しようとしてもラチがあかないのです。問題の原因はやすやすと見つからないようにできています。

原因探しでいたずらに自分を責めることはやめて、問題を光の下にもっていって「贈りもの」に変えてしまうことが大切。それは、たった今起きていることが、どんなふうに自分の最高の幸せの役に立ってくれるのか?そのために、これをどう生かしたらいいのか? ・・・その方向に意識を向けて、それを見せてほしいと高い意識にお願いします。

たとえば、料理人さんが今夜の食材としてレンコン一本を渡されたとします。「えっ?こんなものじゃおいしいものはなにも作れない。どうしてこんなもの買ってくるんだ?指示の仕方が間違っていたのか?」えんえんと、なぜここにレンコンがあるのかに不満を言ってもラチがあきません。

問題を贈りものに変えるとは、「なるほど〜。レンコン買ってきちゃったのね。レンコンの新しいレシピを作るいい機会だわ。じゃあ、今までにないとびっきりのびっくりするようなメニューを作って、こんなレンコン食べたことないと言わせてみましょう!手持ちのどの食材といちばん合うかな?」とくるりと方向を変えることもできます。

よりよく生きること、幸せに生きることって、目のまえで起きた問題を大騒ぎすることでも、あれこれ分析することでもなく、それをすぐに材料に変えて「最善」のなにかに仕立てる、ギフトに変えてしまう、というチャレンジ。

それによって、ラッキーな人になるのか、あるいは悲惨な被害者になるのか。それは、神さまが決めることではなく、自分が選択することなのですね。

じつは、こんなことを感じて考えたのも、数日まえに会った友人のおかげ。

彼女はふつうに言えば、にっちもさっちもいかない、いかなる迂回路も逃げ道もないように見えるガケっぷちに立たされちゃった人。

まさにガケのギリギリに立っているように見えはするけれど、彼女はすでにこれをしっかりと贈りものに変えてしまっていたのです。つまり、ガケっぷちにいる彼女の背中にはたくましい羽が生えていたのです。

そんな彼女は、いろいろないらないものそぎ落として、とっても透明でピュアでシンプルで、ほんとうのことだけを見据えているようなすがすがしさと軽やかさがありました。

そして、日に日に強まっていく愛と感謝を味方に、たくさんのミラクルを見はじめている。まさに、「なんで?」「どうして?」というのをとおりこして、その状況に光をあてて、贈りものに変えて、そしてわたしにもその光を照らしかえしてくれているのです。

問題のおもうツボでボコボコな被害者になるのか、それともそれを確かに贈りものであると認識して本当に極上の贈りものに変えてしまうのか。

「今がすごく幸せ。すべてが感謝だ」と言う友人は、まさに、究極のカケっぷちに魔法をかけて、光を放っているのを感じましたよ。

そんな生き方をするのに、わざわざガケっぷちは必要ありませんが、あらためてどんな問題も、ひとつひとつ輝きに変えてゆくことがわたしたちにとって生きるということで、その魔法は望むことで手に入れることができるのだな〜とこの友人を見ていて、強く感じたのでした。

こんなひとつひとつの出会いによって、わたしは今まで『いつだってミラクルは起る!』ということを身をもって教えられてきたし、もはや疑いようのないものになっているのですが、またひとつそれを見せてもらっています。Dちゃんに感謝です♡

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

気づきの日記「問題はもう一人の自分からの挑戦状」

なにか問題が起ったとき私たちは、「いったい、自分のなにがいけなかったのか?」「自分のなにが足りなかったのか?」と、自分の間違いさがしをはじめます。

たとえば彼氏(彼女)とひどくケンカしたとき、「あの私のひとことがいけなかったのかも」とか、「いや、あのとき私がああしなければよかったのかも」と。そう考えれば考えるほどこの次会うときに、そのままの自分でいられなくなり萎縮してしまいます。

あるいは病気になってしまったとき。「お肉ばっかり食べていたのがいけなかったのかも」「もっと早く食習慣を変えてさえいれば」「いや、私のくよくよグセのせい?」」と、手あたりしだい自分の過去を責めて否定する方向にいってしまいます。

でも問題のほんとうの原因って、じつは自分が思っているようなところにはないものです。それに、そもそも行動が原因になっていることはありません。すべてはこころの問題。セラピーをしていると本当によくわかりますが、問題の根本はご本人にも思いもよらないような、ふとした思い込みにあったりするのです。

過去の自分のあれこれを批判することは、いたずらに自分に対する罪悪感と無価値感をふやしてしまうことになりかねません。

それに、人生に問題はつきもの!そのたびごとに自分を責めてしまうとさらに自分を小さくする悪循環にはまってしまいます。

じつは、それこそが問題が起きている最大の目的でもあるのですが・・・。

私たちのなかには、自分をくじこうとするイジワルなもう一人の自分がいます。いつも「どうせできっこないよ!」とか「そんなことしたってムダ!」「どうせそんな自分さ」とささやきかけるその存在です!

そのイジワルな自分が問題を作りだしては、その問題を使って無力な価値のないダメな私として自信をなくさせようとしかけてくるのです。いったい自分の「何が足りなくて」「何がダメで」「何が間違っちゃって」・・・というダメだらけの自分の信念をより強固にゆるぎないものにするために。

自信をくじき、罪悪感を深めることこそ、問題の目的なのですね。

だから、「いつだってうまくできずに問題を作っちゃう不十分な私」という自責の念は、まさにイジワルな自分のおもうツボ。

いずれにしもイジワルな自分はたえず問題をふっかけてくるし、それはドラマチックになるようにしくまれています。

そうとなれば、問題が目のまえにやってきたら、そのワナにはまらないためにサッと意識を変えることこそが必要になります。

イジワルな自分からの挑戦状には、まっこうから勝負しようとしてもラチがあかないのです。問題の原因はやすやすと見つからないようにできています。

原因探しでいたずらに自分を責めることはやめて、問題を光の下にもっていって「贈りもの」に変えてしまうことが大切。それは、たった今起きていることが、どんなふうに自分の最高の幸せの役に立ってくれるのか?そのために、これをどう生かしたらいいのか? ・・・その方向に意識を向けて、それを見せてほしいと高い意識にお願いします。

たとえば、料理人さんが今夜の食材としてレンコン一本を渡されたとします。「えっ?こんなものじゃおいしいものはなにも作れない。どうしてこんなもの買ってくるんだ?指示の仕方が間違っていたのか?」えんえんと、なぜここにレンコンがあるのかに不満を言ってもラチがあきません。

問題を贈りものに変えるとは、「なるほど〜。レンコン買ってきちゃったのね。レンコンの新しいレシピを作るいい機会だわ。じゃあ、今までにないとびっきりのびっくりするようなメニューを作って、こんなレンコン食べたことないと言わせてみましょう!手持ちのどの食材といちばん合うかな?」とくるりと方向を変えることもできます。

よりよく生きること、幸せに生きることって、目のまえで起きた問題を大騒ぎすることでも、あれこれ分析することでもなく、それをすぐに材料に変えて「最善」のなにかに仕立てる、ギフトに変えてしまう、というチャレンジ。

それによって、ラッキーな人になるのか、あるいは悲惨な被害者になるのか。それは、神さまが決めることではなく、自分が選択することなのですね。

じつは、こんなことを感じて考えたのも、数日まえに会った友人のおかげ。

彼女はふつうに言えば、にっちもさっちもいかない、いかなる迂回路も逃げ道もないように見えるガケっぷちに立たされちゃった人。

まさにガケのギリギリに立っているように見えはするけれど、彼女はすでにこれをしっかりと贈りものに変えてしまっていたのです。つまり、ガケっぷちにいる彼女の背中にはたくましい羽が生えていたのです。

そんな彼女は、いろいろないらないものそぎ落として、とっても透明でピュアでシンプルで、ほんとうのことだけを見据えているようなすがすがしさと軽やかさがありました。

そして、日に日に強まっていく愛と感謝を味方に、たくさんのミラクルを見はじめている。まさに、「なんで?」「どうして?」というのをとおりこして、その状況に光をあてて、贈りものに変えて、そしてわたしにもその光を照らしかえしてくれているのです。

問題のおもうツボでボコボコな被害者になるのか、それともそれを確かに贈りものであると認識して本当に極上の贈りものに変えてしまうのか。

「今がすごく幸せ。すべてが感謝だ」と言う友人は、まさに、究極のカケっぷちに魔法をかけて、光を放っているのを感じましたよ。

そんな生き方をするのに、わざわざガケっぷちは必要ありませんが、あらためてどんな問題も、ひとつひとつ輝きに変えてゆくことがわたしたちにとって生きるということで、その魔法は望むことで手に入れることができるのだな〜とこの友人を見ていて、強く感じたのでした。

こんなひとつひとつの出会いによって、わたしは今まで『いつだってミラクルは起る!』ということを身をもって教えられてきたし、もはや疑いようのないものになっているのですが、またひとつそれを見せてもらっています。Dちゃんに感謝です♡

 

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ハロウィンがおわればもう・・・

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

日本人は、意外とイベント好き。

ハロウィンの飾りがはずされるやいなや、もうあちこちにクリスマスがお目見え。たっぷり楽しめますね〜。

あ、ここは一年中クリスマスのお店でしたっけ!(^。^;  (クリスマスカンパニー)

恒例の馬車とツリーのイルミネーション @代官山ディセ

ヒルサイドテラス

 

女子のおしゃべりは癒し

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

女子のお喋りって、あ〜だこ〜だ話しているうちにまたたくまに時間がすぎさります。

この日の女子会のお題目はざっとこんな感じ。

最近多いUFO、UMA、心霊現象ものの番組にカツをいれたり(笑)。だって、あまりにもいいかげんすぎて、もう驚く気にもなりません。(もやは、でっちあげ前提か?!) ・・・ あるいは、破局や結婚で自滅にいたるアスリート考。それだけパートナーシップってこころやエネルギーの状態に影響大なのですよね。 ・・・あるいは、めざましく効いたサプリ、まったく効かないサプリの話、アンチエイジングのあれこれ、そして学生時代の部活の根性話まで・・・。

気がついたら4時間経過。すっかり夜がふけておりました。書き並べてみると、(^。^;  。これこそが女子のお喋りです。

よく男性は、とりとめのないお喋りが苦手だといいますよね。でも、女子の癒されポイントはこのとりとめのなさにあり。

なぜなら、よくセラピーセッションで耳にする不満は、だんなさんや彼に日常のおしゃべりをすると、すぐに説教になったり、諭されたり、分析されて解決策を提案されちゃったり ・・・ そんなとき女性は「ちが〜う!!」と叫びたくなる。ただ口にしてみたかっただけだよ! これをお喋りっていうんだよ〜!と。

女子会だったら、「そっか〜、そうだよね」「わかる、わかる」」「そういうことあるよね」・・・と理解して共感して寄りそってもらえる。解決なんて求めていないのです。受けとめてもたえたらそれで癒されちゃう。(セラピーだってそう。それが大前提です!)

なので、女子会は理解、共感、寄りそい、そして癒しの場なのでした。(4時間もあれば、エネルギー大チャージ!!ありがとう♡ )

この日は、外苑前のイタリアン @osteria Pino Rosso さん。とってもおいしかった♪

南瓜のスープ、冷菜は鴨と洋梨と海老と帆立、温菜はサワラとアスパラのチーズソース

トリュフのクリームパスタ、牛の赤ワインローストと秋野菜、ティラミス、 ごちそうさまでした。(^O^)/

そろそろ冬じたく

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

なんて今日は寒いのでしょう!

そろそろまじめに冬じたくをしなくては・・・ と、本日はコートや冬服のアイロンかけ。

BGMはユーミンの「 SEASONS COLOURS  秋冬 」。ユーミンのいろいろなアルバムから秋冬テーマの曲をセレクトしたもの。

音楽って、あっというまに時間をこえてその頃の気持ちや記憶にワープさせてくれます。学生時代はどっぷりユーミンを聴きながらの日々だったので、すっかり忘れていたいろんな場面、そして冬の暖かな雰囲気を思い出してなつかしかった!  ちょっと感傷的な家事タイムとなりました(笑)。

11月ともなると、いよいよ晩秋から冬へのうつりかわり。

数日まえにお外カフェしましたが、これがこの秋さいごのテラスでの読書かな。

@ウエスト青山ガーデン
(先日、お友だちと来たときには混んでて入れなかったけど、仕事の空き時間にふらっとよってみたらすんなり入れました。)

クリームチーズのミルフィーユ♡  クリームチーズがしっかりとしてて珈琲によくあいます。秋の空気にぴったりのお菓子でした。

15-10-29 恋愛体質?ホレっぽいのが悩み

会社に「ホレっぽくて問題になっている」男性がいる、と友人。「まわりが気をもむのよ」と話してくれた。

社内でも、取引先でも、飲み会でも、出会った女性にすぐ恋愛感情をいだいてしまうとか。もちろんそれに続くさまざまなアクションを、ソクとりはじめるそうな。

おひとりだったら問題はないのですが、パートナーとお子さんあり。そうなるとホレっぽいのは問題で、まわりもそのたびにハラハラするとか。

これが原因で一度は離婚の憂きめにあい、新しいパートナーに落ち着くかとおもいきや、またもや熱烈に愛する人を見つけて恋愛が進行中。

「なぜ、わたしはこんなにもホレっぽいのでしょうね?」と、悩んでいるのか自慢なのかわからないつぶやきをこぼしているとか(笑)。ご自分では愛がたくさんあるから、と納得していらっしゃるようですが。

誰かを好きになる・・・ って、もちろん悪いことであるはずがありません。自分のなかの愛があふれだしているわけですから。

でもここで問題なのは、「運命の人」が新しくつぎからつぎへとあらわれること。つまり出会う人をすぐに「運命の人」と思ってしまい執着すること。

この「決まったひとがいてももっとほかに欲しい」という飢餓感、執着感が問題なのです

わたしたちは育ってくる環境のなかで、たくさんの妥協を経験してきます。

どんな妥協かというと、ほんとうの自分を手放すという妥協。

より愛されるためにほんとうの自分を捨てて親の好みにあわせるとか、兄弟から攻撃をうけないように我慢したり妥協するとか、幼稚園や学校という社会でより認められ仲間に入れてもらえるように別の自分を装うとか ・・・。

そんなことをしているうちに、どんどん本来の自分がデフォルメされて違うものに仕立てあげられていきます。そしてしまいには、ほんとうの自分らしさ、自分の輝きがどんなだったのか、自分でもまるで思い出すことができません。妥協をしてきたことすら、自分で気がついていないのですから。

当然、本当の自分で生きていないなら、こころのどこかに葛藤をかかえているし、こころから満足することはありません。

そして、その葛藤さえも自分で気づかないふりをして生きています。何か違うと思っているのに、どこかがおかしいと思っているのに、それをはっきりとこころで自覚できず、なにかすっきと晴れ渡ることができない空のように、うっすらとモヤがかかったような状態。でも、その状態にもいつしか慣れて、それがふつうだ、そんなもんなんだと感じてしまいます。

ほんとうは、こころは知っているのです。大切な輝きを失ってしまっていることに。

そして誰かに出会います。

こころがすごく動いた!ドキドキした!・・・ じつは、これはとうに失ってしまったと思っていた輝きの片鱗にとつじょ出会ってしまった驚きです。だから、とっても知っている感じ、懐かしい何かに出会った感じ、見つけてしまったことに興奮します。

そしてたいてい、「この人こそ、自分にとって大切な人なんだ!」「この人をのがしてはいけない!」と思いこんでしまいます。

ほんとうは、それはうまく生きようと努力した幼少時代に、自分が自分から切り離してしまったほんとうの自分の輝きです。自分のこころの奥の奥の奥のほうに隠されつづけてきたものの輝きを、相手がいま見せてくれているのです。「そろそろほんとうの自分に戻りなさい」、そんなメッセージがきているわけです。

それを自分のこととしてではなく、相手がすべてであると信じると相手にひどく執着することになります。この人が去ってしまったら、またこの感覚が失くなってしまうと怖れるわけです。

失う怖れからコントロールに走ったり、あるいは自分のすべてのパワーを丸投げして相手に依存してしまったり、あるいは強迫的に相手に幸せにしてもらおうとまた違う自分を装いはじめます。

このワナにはまると、せっかく自分の輝きの片鱗を見つけてほんとうの自分に戻ろうとしていたにもかかわらず、ふたたび自分を完全に失うゲームに突入してしまいます。「自分にはなにもありません。あなたがわたしの幸せのすべてです」ということになってしまうからです。

それはまるで、イソップ物語にでてくる肉をくわえた犬のよう。肉をちゃんとくわえているのに、水に映った自分の姿に反応して「わん!」と吠えたら肉は水にボチャン。自分がすでにもっているものを外にあると勘違いして執着することによって、もっていたものを失う方向へと進んでしまいます。

なので、この男性もモテるから恋愛体質というわけではなく、自分のなかに何かを失っているという飢餓感が強いのだと感じます。そして、せっかく失ったものを取り戻す手がかりを見つけられそうになったときに、いつも相手に執着して自分を失うパターンにはまっているわけです。

相手に魅力を感じたときに、自分のこころが「懐かしがっているもの」を感じているということに気づいてあげること。そして、それがじつは自分の奥深くにしまいこまれていることを知って、そこに注意をむけて解放してあげる ・・・ということをしてあげるのが自分が幸せになるやり方。

よく「人に見える美しさは、すでにあなたのなかにある」といいますが、まさにそうなのですね。良い例でも悪い例でも、いつでも人は自分を映しだしてくれる鏡です。

人に魅力を感じたときには、自分のなかで遠い昔になくしてしまったと思っていた輝きをもういちど自分の手のなかに取り戻すチャンス。相手のよさを尊敬して、慈しんで、そして自分のなかにもそれがあるのだと感じてあげることによって、きっと眠っていた輝きが目を覚まして、そして自分の世界をより明るしてくれるのだと思います。

こんな見方ができるとホレっぽさも、自分をより幸せにしてくれますよね。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「恋愛体質?ホレっぽいのが悩み」

会社に「ホレっぽくて問題になっている」男性がいる、と友人。「まわりが気をもむのよ」と話してくれた。

社内でも、取引先でも、飲み会でも、出会った女性にすぐ恋愛感情をいだいてしまうとか。もちろんそれに続くさまざまなアクションを、ソクとりはじめるそうな。

おひとりだったら問題はないのですが、パートナーとお子さんあり。そうなるとホレっぽいのは問題で、まわりもそのたびにハラハラするとか。

これが原因で一度は離婚の憂きめにあい、新しいパートナーに落ち着くかとおもいきや、またもや熱烈に愛する人を見つけて恋愛が進行中。

「なぜ、わたしはこんなにもホレっぽいのでしょうね?」と、悩んでいるのか自慢なのかわからないつぶやきをこぼしているとか(笑)。ご自分では愛がたくさんあるから、と納得していらっしゃるようですが。

誰かを好きになる・・・ って、もちろん悪いことであるはずがありません。自分のなかの愛があふれだしているわけですから。

でもここで問題なのは、「運命の人」が新しくつぎからつぎへとあらわれること。つまり出会う人をすぐに「運命の人」と思ってしまい執着すること。

この「決まったひとがいてももっとほかに欲しい」という飢餓感、執着感が問題なのです。

わたしたちは育ってくる環境のなかで、たくさんの妥協を経験してきます。

どんな妥協かというと、ほんとうの自分を手放すという妥協。

より愛されるためにほんとうの自分を捨てて親の好みにあわせるとか、兄弟から攻撃をうけないように我慢したり妥協するとか、幼稚園や学校という社会でより認められ仲間に入れてもらえるように別の自分を装うとか ・・・。

そんなことをしているうちに、どんどん本来の自分がデフォルメされて違うものに仕立てあげられていきます。そしてしまいには、ほんとうの自分らしさ、自分の輝きがどんなだったのか、自分でもまるで思い出すことができません。妥協をしてきたことすら、自分で気がついていないのですから。

当然、本当の自分で生きていないなら、こころのどこかに葛藤をかかえているし、こころから満足することはありません。

そして、その葛藤さえも自分で気づかないふりをして生きています。何か違うと思っているのに、どこかがおかしいと思っているのに、それをはっきりとこころで自覚できず、なにかすっきと晴れ渡ることができない空のように、うっすらとモヤがかかったような状態。でも、その状態にもいつしか慣れて、それがふつうだ、そんなもんなんだと感じてしまいます。

ほんとうは、こころは知っているのです。大切な輝きを失ってしまっていることに。

そして誰かに出会います。

こころがすごく動いた!ドキドキした!・・・ じつは、これはとうに失ってしまったと思っていた輝きの片鱗にとつじょ出会ってしまった驚きです。だから、とっても知っている感じ、懐かしい何かに出会った感じ、見つけてしまったことに興奮します。

そしてたいてい、「この人こそ、自分にとって大切な人なんだ!」「この人をのがしてはいけない!」と思いこんでしまいます。

ほんとうは、それはうまく生きようと努力した幼少時代に、自分が自分から切り離してしまったほんとうの自分の輝きです。自分のこころの奥の奥の奥のほうに隠されつづけてきたものの輝きを、相手がいま見せてくれているのです。「そろそろほんとうの自分に戻りなさい」、そんなメッセージがきているわけです。

それを自分のこととしてではなく、相手がすべてであると信じると相手にひどく執着することになります。この人が去ってしまったら、またこの感覚が失くなってしまうと怖れるわけです。

失う怖れからコントロールに走ったり、あるいは自分のすべてのパワーを丸投げして相手に依存してしまったり、あるいは強迫的に相手に幸せにしてもらおうとまた違う自分を装いはじめます。

このワナにはまると、せっかく自分の輝きの片鱗を見つけてほんとうの自分に戻ろうとしていたにもかかわらず、ふたたび自分を完全に失うゲームに突入してしまいます。「自分にはなにもありません。あなたがわたしの幸せのすべてです」ということになってしまうからです。

それはまるで、イソップ物語にでてくる肉をくわえた犬のよう。肉をちゃんとくわえているのに、水に映った自分の姿に反応して「わん!」と吠えたら肉は水にボチャン。自分がすでにもっているものを外にあると勘違いして執着することによって、もっていたものを失う方向へと進んでしまいます。

なので、この男性もモテるから恋愛体質というわけではなく、自分のなかに何かを失っているという飢餓感が強いのだと感じます。そして、せっかく失ったものを取り戻す手がかりを見つけられそうになったときに、いつも相手に執着して自分を失うパターンにはまっているわけです。

相手に魅力を感じたときに、自分のこころが「懐かしがっているもの」を感じているということに気づいてあげること。そして、それがじつは自分の奥深くにしまいこまれていることを知って、そこに注意をむけて解放してあげる ・・・ということをしてあげるのが自分が幸せになるやり方。

よく「人に見える美しさは、すでにあなたのなかにある」といいますが、まさにそうなのですね。良い例でも悪い例でも、いつでも人は自分を映しだしてくれる鏡です。

人に魅力を感じたときには、自分のなかで遠い昔になくしてしまったと思っていた輝きをもういちど自分の手のなかに取り戻すチャンス。相手のよさを尊敬して、慈しんで、そして自分のなかにもそれがあるのだと感じてあげることによって、きっと眠っていた輝きが目を覚まして、そして自分の世界をより明るしてくれるのだと思います。

こんな見方ができるとホレっぽさも、自分をより幸せにしてくれますよね。

 

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わさんぼん♡

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

Lちゃんの香川のおみやげ。打ち菓子です。

かわいいお月見だんごバージョン。

少しまえにいただいたのですが、しばし鑑賞しておりました。

さて、きょうはついにおやつにさせていただきます。

お口のなかでふわっととけて、和三盆ってほんとうに癒される甘味。こういう手作りの和のお菓子、大好きです。

 

 

昭島で秋の休日

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

さわやかな秋晴れのいち日、昭島へとお出かけしてきました。

いつも楽しいお誘いをしてくださる少し歳のはなれたお友だち。もう二十数年のおつきあいになります。

さて、昭島ってどんなとこ?・・・それが意外とオシャレな雰囲気。たくさんの緑のなかにゆったりとしたカフェやレストランがあって、公園にはロッククライミングも ・・・その広々とした様子はアメリカの郊外をイメージさせます。

まず、昭和の森にある車屋さんという和食屋さんでランチ♪

静かな庭園をながめながら、秋の実りがいっぱいの美しいお料理をいただきました。お喋りにも花が咲いて、お料理がさらにおいしくなりますね。

 

 

 

 

 

その後は、ホールに移動して、「秋のうたコンサート & うたごえ喫茶」へ。

お友だち世代は「うたごえ喫茶」というのが流行っていて、よく足をはこばれたそうな。本日は、そのコンサートバージョン。コンサートを聴くだけでなく、お茶とお菓子を楽しみながら一緒に歌うパートもあるのです。

この日のゲストは、ベイビー・ブーさん。男性のアカペラユニット。テレビでもご活躍のようですが、最近のネスカフェゴールドブレンドCM でのあの有名なハーモニー 「DABADA〜♪」は、ベイビー・ブーさんだそうです。

すごくハーモニーがしっかりとしている実力派。そのうえ男性の声がこんなに癒し系だとは・・・。おもわずウットリ、ホッコリの歌声でした。

休憩時間にベビー・ブーさんたちに接近(笑)。決めポースをくださいました〜♪

後半のコンサートは配られた歌集で一緒に歌います。曲目が「高校三年生」とか「百万本のバラ」など、多少世代ギャップにもかかわらず (^。^;  、わたしもおもいっきり歌ってきましたよ〜。 (^o^)

みなさんが懐かしそうに口ずさむ歌声は、それぞれの人生のさまざまな場面が感じられて、思わず胸があつくなるようでした。

わたしたちはさらに帰りぎわ、おなごりおしくて素敵なカフェでお茶もして♪  あ〜、楽しかった。満喫しました。こころもからだもリフレッシュ♡ 素敵な一日をありがとうございました。m(__)m

お安くフレンチ

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

先日のお友だちとのランチ♪

広尾にあるステキな白亜の洋館 ・・・ですが、

ランチのコースは野口さんお二人ほどというリーズナブルさ!

高くておいしいのはあたりまえで、お安いとお味もそれなり・・・というところが多いのですが、ここは思いのほかおいしかった♡

ふたりで「おいし〜!」「シェフ、センスいいね〜!」を連発。サラダのジュレも、お魚、お肉のソースも本格的。お肉の質にいたってはとってもシルキーだったし、デザートもまったく手抜きなし。

こちらのお店、結婚式を手がけていらっしゃるそうで、ハレの日ディナーのとっておきレシピをランチでおしげもなく提供してくださっているようです。

シェフはお顔をだされませんが、頑張っているシェフこそフィードバックが必要。

ということで、サーブをしてくださった女性に伝言ゲームのごとく、ふたりからのシェフへの賞賛をたんとお送りしておきましたよ。

おいしいお料理、ごちそうさまでした〜。

レス アルカーナ 広尾 さんでした。