15-07-10 こころのストレス度診断 〜Part 1 〜

考え方のクセで、おもわぬ心のエネルギーを浪費しているかもしれません。
あなたは、いくつあてはまりますか?

□ 1. モノやひとに対して、すぐコメント、価値判断したくなる

□ 2. 推理や妄想が、先走りがち

□ 3, いつも何か考えている

□ 4. 人生は計画や目標が大切だ

□ 5. 状況をコントロールしたい、主導権を握りたい

□ 6. 「こうするべきだ」「〜しなければ」と考えがち

□ 7. 幸せになるには、苦労や努力が必要だ

□ 8. そういう星の下に生まれた

□ 9. なにかあると自分を責めがちだ

□ 10. まだ許せない人がいる

□ 11. 自分の気持ちを感じるのが苦手

□ 12. スケジュールがカラになると不安だ


【診断】

6つ以上の方は、知らぬうちに心がお疲れモードになり、いらぬエネルギーを浪費しているかもしれません。ほんとうに使いたいところにエネルギーが注げなくなっているのでは?

それぞれのコメントは・・・。

1. 無意識のうちに、自分の価値や能力を疑っています。自信がないので、ものや人を価値判断、コメントすることで自分が優位に立てると感じます。あるがままの自分を怖れずに受け入れましょう。

2. 「今」この瞬間にいるのが苦手なので、自分のでっちあげたドラマ(思考)の中だけで生きています。しかし、時間は「今ここ」にしかありません。今ここを生きることでしか、自分の本当のパワーを使うことはできません。またドラマの中で生きることで、被害者のポジションを好むことになります。

3. 現実を怖れて拒否しています。現実から逃げるといつも空虚で、決して心からの充実感を感じることはありません。深呼吸をして、「今」に戻ってきましょう。

4. 自分で人生の舵をとりたいとあせっています。無意識のうちに「先手をとらないとやられてしまう」と信じているからです。しかし、充実した未来を手にするには、しっかりと「今」ここに意識を向けることが大切です。その瞬間には、その瞬間に必要なものは与えられますが、受けとるためには「今」にいる必要があります。先のことは手放して、この瞬間にすべてのエネルギーを注ぎましょう。

5. ほっておいたら不利になる、攻撃される・・・という怖れがあります。力をぬいて委ねたときに、人生の流れは自分とって完璧になります。自分を包みこんでいる完璧な宇宙の流れにお任せする、という信頼の気持ちを大切にしましょう。

6. あるがまま」に抵抗しています。しかし、「あるがまま」の現実に抵抗すると、必ず敗北します。なぜなら、すべては「あるがまま」でしかないからです。戦うよりも、自分を包みこんでいる流れに任せましょう。

1〜6はすべて、「あるがまま」に対する抵抗です。あるがままの自分、あるがままの今、あるがままの状況。「あるがまま」にしておくとひどいことになる、という怖れの信念から、必死でコントロールを試みます。しかし、すべてをつくりだしているのは「心」であって、「心」が原因なので、目に見えるものを必死でコントロールしようとしてもエネルギーが枯渇し、敗北感がつのります。

「あるがまま」にできない「怖れ」こそ、取り組むべきものです。

「いったい何を怖れているのか」という自分の心のなかにある真の「原因」を明らかにして、それが本当のことなのかを問うことが大切です。怖れを本当に正面から見つめると、たいてい間違ったものの見方が明らかになります。その思いこみは真実ではありません。

何を怖れているのか、明らかにしてみましょう!

7以降のコメントは次回にて♪

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

 

気づきの日記「こころのストレス度診断 〜Part 1 〜」

考え方のクセで、おもわぬ心のエネルギーを浪費しているかもしれません。
あなたは、いくつあてはまりますか?

□ 1. モノやひとに対して、すぐコメント、価値判断したくなる

□ 2. 推理や妄想が、先走りがち

□ 3, いつも何か考えている

□ 4. 人生は計画や目標が大切だ

□ 5. 状況をコントロールしたい、主導権を握りたい

□ 6. 「こうするべきだ」「〜しなければ」と考えがち

□ 7. 幸せになるには、苦労や努力が必要だ

□ 8. そういう星の下に生まれた

□ 9. なにかあると自分を責めがちだ

□ 10. まだ許せない人がいる

□ 11. 自分の気持ちを感じるのが苦手

□ 12. スケジュールがカラになると不安だ

【診断】

6つ以上の方は、知らぬうちに心がお疲れモードになり、いらぬエネルギーを浪費しているかもしれません。ほんとうに使いたいところにエネルギーが注げなくなっているのでは?

それぞれのコメントは・・・。

1. 無意識のうちに、自分の価値や能力を疑っています。自信がないので、ものや人を価値判断、コメントすることで自分が優位に立てると感じます。あるがままの自分を怖れずに受け入れましょう。

2. 「今」この瞬間にいるのが苦手なので、自分のでっちあげたドラマ(思考)の中だけで生きています。しかし、時間は「今ここ」にしかありません。今ここを生きることでしか、自分の本当のパワーを使うことはできません。またドラマの中で生きることで、被害者のポジションを好むことになります。

3. 現実を怖れて拒否しています。現実から逃げるといつも空虚で、決して心からの充実感を感じることはありません。深呼吸をして、「今」に戻ってきましょう。

4. 自分で人生の舵をとりたいとあせっています。無意識のうちに「先手をとらないとやられてしまう」と信じているからです。しかし、充実した未来を手にするには、しっかりと「今」ここに意識を向けることが大切です。その瞬間には、その瞬間に必要なものは与えられますが、受けとるためには「今」にいる必要があります。先のことは手放して、この瞬間にすべてのエネルギーを注ぎましょう。

5. ほっておいたら不利になる、攻撃される・・・という怖れがあります。力をぬいて委ねたときに、人生の流れは自分とって完璧になります。自分を包みこんでいる完璧な宇宙の流れにお任せする、という信頼の気持ちを大切にしましょう。

6. あるがまま」に抵抗しています。しかし、「あるがまま」の現実に抵抗すると、必ず敗北します。なぜなら、すべては「あるがまま」でしかないからです。戦うよりも、自分を包みこんでいる流れに任せましょう。

1〜6はすべて、「あるがまま」に対する抵抗です。あるがままの自分、あるがままの今、あるがままの状況。「あるがまま」にしておくとひどいことになる、という怖れの信念から、必死でコントロールを試みます。しかし、すべてをつくりだしているのは「心」であって、「心」が原因なので、目に見えるものを必死でコントロールしようとしてもエネルギーが枯渇し、敗北感がつのります。

「あるがまま」にできない「怖れ」こそ、取り組むべきものです。

「いったい何を怖れているのか」という自分の心のなかにある真の「原因」を明らかにして、それが本当のことなのかを問うことが大切です。怖れを本当に正面から見つめると、たいてい間違ったものの見方が明らかになります。その思いこみは真実ではありません。

何を怖れているのか、明らかにしてみましょう!

7以降のコメントは次回にて♪

 

 

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ごほうび

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

今年も行ってきました。きっちりと年に一回しか行かないお寿司屋さんに。

何のごほうびでしょ?

それは、確定申告。自営業の友人と行くのがお約束。かれこれ、もう何年続いているでしょうか?わたしたちのトラディションなのです。

え、確定申告って三月でしょ?って。このズレ具合 ・・・(笑)。いつもこんなものです。

いつも変わらずおいしいお寿司に感動。でも年に一回だからこそ、スペシャル感がましてさらに美味に感じます(なんにしてもおいしさを増すのは、たま〜にっていうのと、お待ちかね感ですよね。)

店長のおまかせで握っていただきました。で・・・きょうのハンサムくんです。炙りトロ。最後のお好みの一貫でも、この子をリクエストしました。

生のお魚とゴハンというシンプルさで、このおいしさ! 今や世界を魅了するお寿司、あっぱれです!

「お腹いっぱい!」と友人と口をそろえていると、板さんに「口の大きさを見ながら握っているからね」と言われました。それって大きく握ったのか、小さく握ったのか??

ごちそうさまでした♡

@築地 すし大さん

 

気づきの日記「トビラがひらく魔法のことば」

梅雨まっさかりです。

ひんやりしているようで、寝苦しい。そんな心地悪さから、先日、明け方に長い夢を見ました。もちろんハッピーとはほど遠い夢。あまりにリアルで、目が覚めてからしばらくのあいだ夢のダメージから抜けられず「この事態をどうしよう・・・」と考えてしまったほどです。

しっかり目が覚めてしまえば、その滑稽さ、つじつまの合わなさにただ笑ってしまうだけなのですが・・・ (>_<) 。

その夢のなかでは、わたしの大好きな信頼している人がありえないほど酷くイジワルで怖かった。

なぜにあんなにいい人をこんなにも悪者にしちゃったのか・・・ごめんなさいね〜! という気持ち。

そうです、夢にでてくる人はすべて自分そのもの。自分の隠しもっている感情や無意識に信じていることを見せてくれます。だから、あの人のイジワルさは、ま
さに自分のイジワルさであり怒りであり、凶暴性、攻撃性のあらわれ。わたしたちは自分のなかで持ちきれなくなった気持ちや思考を、夢のなかで表現してカタ
をつけようとします。誰かを悪者にして、自分は悪くないと安心したいのです。

自分のなかに「汚物」を抱えているのはなんとも気持ち悪い。だから誰かほかの人のせいにして、自分のネガティブさのすべてを被せて演じさせちゃう。そして
自分はちんまりと可哀想な被害者でいようとします。でもほんとうは、凶暴なのはあくまでも自分の思考であって、まあ、自分でもわからないように自分で自分
に噛みついているようなものです・・・。

じつは、この自分のなかのゴミ捨て作業は夢のなかだけで秘密裏に行われているわけではありません。日常生活、現実と思えるところでも、まったく同じことを行っているのです

日常生活で登場する自分にとっての悪者は、もれなく自分の影であり、この世の理不尽さ、残酷さ、はかなさも、すべて見たくないと思っている自分の感情と思考を外側にぶちまけたもの。だから、ここも結局は夢のなかと同じ世界、自分がでっちあげている白昼夢の世界なのです。

夢も、そしてこの現実といえる夢も、自分の心のゴミ捨て場となっています。自分の心のなかで、持ちきれなくなったものを捨てることによってできあがってしまった世界。(イメージ・思考を投影した世界。)

なんということか、そのゴミ捨て場のなかに自分は住みついています(まあ、そうですよね。心の中のいらないものを外に捨てても、結局は自分が目にするのはそれしかありません)。ゴミ屋敷の住人のように、わたしたちは自分の捨てたものやその汚さに気づきもしないのです。

最近、自分にとって大切なひととケンカをしました。二十数年の関係のなかで、もっともシリアスなケンカ。

「あれ、この人、こんなにシンラツな人だった? こんな残酷だった?こんな傷つけるようなセリフ言うなんてどうしちゃったの?」と思ったけど・・・。

まてまて、シンラツなのは誰だ?残酷なのは誰?傷つけているのは誰?・・・
ここも、夢のなかと同じ、自分の思考の世界。ここでもわたしは自分の凶暴性に出会ってしまいました。そして、ほんとうは愛情いっぱいで穏やかな人に、すご
い悪役を演じさせているし・・・。ここでも「こんなヒドイ人にでっちあげてゴメンナサイ」なのです。

ところで、死んじゃって、あちらの世界に行って「あ〜、やっとヘンな現実をいう白昼夢の世界から脱出した」と思うかもしれません。でも、夢の世界は入れ子
状態、マトリョーシカのようになっています。じつは、まだ夢は続きます。眠ってみる夢、起きてみている夢、死んじゃったと思っている夢、そして生まれかわ
る夢・・・。

いったいどこに終わりがあるのでしょう。このメビウスの環に出口があるのでしょうか?

「この世界、ヘんなことばっかり起る。スピリットのはずのわたしたちは身体という容れものの調子が悪くなるのを見るし、愛情いっぱいの人がキレはじめた
り、愛が成就したと思ったら死んじゃったり、これ以上の幸せはないと思ったとたんにありえない不幸が襲ってきたり・・・。これはほんとじゃない。こんな世
界おかしいぞ!(怒)本当のことが知りたい!」・・・それがほんとうにお腹の底からの叫びになったときに、ポロリと手のなかに見たことのないカギが落ちて
きます。このメビウスの環のなかにある隠し扉、脱出口のカギ。

でもこのカギが手のひらに落ちてくるには、こころの底からの正直な叫びが必要な気がします。

わたしたちは、自分の気持ちを誤摩化しているうちはなかなかこの白昼夢のような世界のおかしさに気づかないし(そう、みんな自分をなだめなだめ生きていま
す。「そんなにここは悪いところじゃないよね!」って(まあ、そうでもいっていないとやっていられないとこでもあります)。でも、心の深いところでは、み
んなじつは疲れ果てているし、絶望しているし、神さまにに対して怒ってる。

その気持ちを正直に認めて、「これはおかしいよ!これってほんと? 真実を知りたい!」と心から思ったときに、ちゃんと宇宙はそれに答えてくれるのです。

夢のなかで、信頼する人が残酷だった。・・・ あ〜、夢でよかった!
白昼夢のなかで、大切な人が怒りまくって攻撃してきた。・・・ お〜、これも夢だったか!

「これはわたしの心のなかの間違った思いからつくりだしたイメージであって、ほんものなんかじゃない、わたしはほんとうのことを見たいんだ!」

そう決めると、宇宙はその声にかならず答えてくれるし、はかりしれないパワーのある自分の心もそれに従って違うものを見せはじめます。

目のまえのホラーにくさらずに、ひとつひとつのことを間違ったイメージをキャンセルするチャンスにしていくこと。「これほんとうじゃない、わたしが見たいのはこれじゃない」・・・ これこそ、悪夢から脱出する魔法のことば、新しいトビラがひらくことば。

「わたしが見たいのは、愛であり平和であり、喜びであり光です。なぜなら、わたしこそが愛だから」と!

わたしたちの自由意志を尊重してくれている宇宙は、このひとことこそを待っているのです。「そうです!幸せを選んでくださいね ♡ あなたは幸せになる権利があるのです。そして幸せはすでに用意されています。あなたはあなたが選んだものを見るのです」と!

 

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15-07-02 トビラがひらく魔法のことば

梅雨まっさかりです。

ひんやりしているようで、寝苦しい。そんな心地悪さから、先日、明け方に長い夢を見ました。もちろんハッピーとはほど遠い夢。あまりにリアルで、目が覚めてからしばらくのあいだ夢のダメージから抜けられず「この事態をどうしよう・・・」と考えてしまったほどです。

しっかり目が覚めてしまえば、その滑稽さ、つじつまの合わなさにただ笑ってしまうだけなのですが・・・ (>_<) 。

その夢のなかでは、わたしの大好きな信頼している人がありえないほど酷くイジワルで怖かった。

なぜにあんなにいい人をこんなにも悪者にしちゃったのか・・・ごめんなさいね〜! という気持ち。

そうです、夢にでてくる人はすべて自分そのもの。自分の隠しもっている感情や無意識に信じていることを見せてくれます。だから、あの人のイジワルさは、まさに自分のイジワルさであり怒りであり、凶暴性、攻撃性のあらわれ。わたしたちは自分のなかで持ちきれなくなった気持ちや思考を、夢のなかで表現してカタをつけようとします。誰かを悪者にして、自分は悪くないと安心したいのです。

自分のなかに「汚物」を抱えているのはなんとも気持ち悪い。だから誰かほかの人のせいにして、自分のネガティブさのすべてを被せて演じさせちゃう。そして自分はちんまりと可哀想な被害者でいようとします。でもほんとうは、凶暴なのはあくまでも自分の思考であって、まあ、自分でもわからないように自分で自分に噛みついているようなものです・・・。

じつは、この自分のなかのゴミ捨て作業は夢のなかだけで秘密裏に行われているわけではありません。日常生活、現実と思えるところでも、まったく同じことを行っているのです

日常生活で登場する自分にとっての悪者は、もれなく自分の影であり、この世の理不尽さ、残酷さ、はかなさも、すべて見たくないと思っている自分の感情と思考を外側にぶちまけたもの。だから、ここも結局は夢のなかと同じ世界、自分がでっちあげている白昼夢の世界なのです。

夢も、そしてこの現実といえる夢も、自分の心のゴミ捨て場となっています。自分の心のなかで、持ちきれなくなったものを捨てることによってできあがってしまった世界。(イメージ・思考を投影した世界。)

なんということか、そのゴミ捨て場のなかに自分は住みついています(まあ、そうですよね。心の中のいらないものを外に捨てても、結局は自分が目にするのはそれしかありません)。ゴミ屋敷の住人のように、わたしたちは自分の捨てたものやその汚さに気づきもしないのです。

最近、自分にとって大切なひととケンカをしました。二十数年の関係のなかで、もっともシリアスなケンカ。

「あれ、この人、こんなにシンラツな人だった? こんな残酷だった?こんな傷つけるようなセリフ言うなんてどうしちゃったの?」と思ったけど・・・。

まてまて、シンラツなのは誰だ?残酷なのは誰?傷つけているのは誰?・・・ ここも、夢のなかと同じ、自分の思考の世界。ここでもわたしは自分の凶暴性に出会ってしまいました。そして、ほんとうは愛情いっぱいで穏やかな人に、すごい悪役を演じさせているし・・・。ここでも「こんなヒドイ人にでっちあげてゴメンナサイ」なのです。

ところで、死んじゃって、あちらの世界に行って「あ〜、やっとヘンな現実をいう白昼夢の世界から脱出した」と思うかもしれません。でも、夢の世界は入れ子状態、マトリョーシカのようになっています。じつは、まだ夢は続きます。眠ってみる夢、起きてみている夢、死んじゃったと思っている夢、そして生まれかわる夢・・・。

いったいどこに終わりがあるのでしょう。このメビウスの環に出口があるのでしょうか?

「この世界、ヘんなことばっかり起る。スピリットのはずのわたしたちは身体という容れものの調子が悪くなるのを見るし、愛情いっぱいの人がキレはじめたり、愛が成就したと思ったら死んじゃったり、これ以上の幸せはないと思ったとたんにありえない不幸が襲ってきたり・・・。これはほんとじゃない。こんな世界おかしいぞ!(怒)本当のことが知りたい!」・・・それがほんとうにお腹の底からの叫びになったときに、ポロリと手のなかに見たことのないカギが落ちてきます。このメビウスの環のなかにある隠し扉、脱出口のカギ。

でもこのカギが手のひらに落ちてくるには、こころの底からの正直な叫びが必要な気がします。

わたしたちは、自分の気持ちを誤摩化しているうちはなかなかこの白昼夢のような世界のおかしさに気づかないし(そう、みんな自分をなだめなだめ生きています。「そんなにここは悪いところじゃないよね!」って(まあ、そうでもいっていないとやっていられないとこでもあります)。でも、心の深いところでは、みんなじつは疲れ果てているし、絶望しているし、神さまにに対して怒ってる。

その気持ちを正直に認めて、「これはおかしいよ!これってほんと? 真実を知りたい!」と心から思ったときに、ちゃんと宇宙はそれに答えてくれるのです。

夢のなかで、信頼する人が残酷だった。・・・ あ〜、夢でよかった!
白昼夢のなかで、大切な人が怒りまくって攻撃してきた。・・・ お〜、これも夢だったか!

「これはわたしの心のなかの間違った思いからつくりだしたイメージであって、ほんものなんかじゃない、わたしはほんとうのことを見たいんだ!」

そう決めると、宇宙はその声にかならず答えてくれるし、はかりしれないパワーのある自分の心もそれに従って違うものを見せはじめます。

目のまえのホラーにくさらずに、ひとつひとつのことを間違ったイメージをキャンセルするチャンスにしていくこと。「これほんとうじゃない、わたしが見たいのはこれじゃない」・・・ これこそ、悪夢から脱出する魔法のことば、新しいトビラがひらくことば。

「わたしが見たいのは、愛であり平和であり、喜びであり光です。なぜなら、わたしこそが愛だから」と!

わたしたちの自由意志を尊重してくれている宇宙は、このひとことこそを待っているのです。「そうです!幸せを選んでくださいね ♡ あなたは幸せになる権利があるのです。そして幸せはすでに用意されています。あなたはあなたが選んだものを見るのです」と! 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子/ヒプノセラピスト・心理カウンセラー

梅雨のひととき、再会ランチ

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

福岡からきているなおみちゃんと、ひさびさの再会♡ 六本木の和食屋さん「遊ヶ崎」さんでランチです。

なおみちゃんとの出会いは十数年前のフロリダ。その地で出会った人たちは、今でも強い絆で結ばれています。

なおみちゃんには、自由な心で羽ばたくこと、自分を大切にすること、自分の気持ちに正直であること、勇気をもって生きること、いくつになってもチャーミングでいること・・・そんなことをなおみちゃんはライブの生き方でいつも思いださせてくれるステキな女性です。

いろんなことがマンネリ化しがちなおとし頃の私たちですが、いつも「今、ここ」にある幸せに心をひらきながら楽しんで生きたいな〜と思いました。

おみやにもらった福岡のあまおうのお菓子。

フィナンシェに苺のホワイトチョコがコーティング。多菓子(たかこ)、目がハートです(笑)。ありがと〜♪

なおみちゃん、またね〜!!

 

紫陽花をもとめて

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

窓をあけ放しているとクチナシの甘い香りがただよってきます。そのむかし、この季節に母が庭のクチナシを一輪飾ってくれると、部屋がなんともいい香りに包まれましたっけ。

最近は、この季節になると紫陽花がみごとに咲くご近所のお家を楽しみにしています。

ところが・・・今年はなんと、紫陽花どころかお家まで姿を消し、更地になっておりました ・・・がっかり・・・。

その帰り道、別のたくさんの紫陽花との出会いがありました。♡

代官山の TENOHA さんにて。

紫陽花ベンチ。

 

15-06-22 いま、何パーセントしあわせですか?

「なんか楽しめないんだよね・・・」  こんなセリフをよく聞きます。

あるいは、「楽しんじゃいけない気がするんです」。

ずっと夢みていた異国の地をついに旅しているときも、ようやくとれた休暇でやってきた南の島でねそべっているときも・・・そこはかとなくまとわりつく、不安感、罪悪感、違和感・怖れ・・・ こんなところでこんなことをしていていいのだろうか、何か間違っていないのだろうか・・・と。

楽しんでいるときにそんなふうに感じる人は、あんがい多いものです。

ずいぶん前のこと、夏に4週間ほどバリ島ですごしたものですが、海辺のコテージに泊まり、マリンスポーツを楽しみ、川ではラフティングをし、朝日を求めて山を登り、夜はバリダンスを楽しみ・・・そんなパラダイスな日々でも、お仲間に「今、何パーセントぐらい楽しんでいる?」と尋ねると、ナント45% とか、よくても 65%  とか 70% ぐらいだったのです。そういうわたしだって、手放しで100% なんてとても楽しめてなかったものです。

これはセラピーでも起ることで、今まで年がら年じゅう調子が悪くてウツっぽかった人がだんだん幸せな気分になってくると、「何かおかしいぞ」と不安になってくるのです。落ちつかない。

わたしたちの身体に恒常性があるように(体温、自律神経、体調をつねに一定に保つ働き)、じつはこころにも恒常性、つまり慣れた状態に保っておこうとする働きがあります。なのでウツっぽい状態が長く続いていると、それがその人にとってはふつうの状態になるために、よい気分になるとこころが危険信号を発してストップさせようとします。「そんなよい気分はおかしいのだ!もとに戻れ!」と。

どうやら、パラダイスな休暇もたまにしかやっってこないので、この恒常性を保つシステムがアラームを鳴らして、いやな気分になるのかもしれません。

それだけ、わたしたちにとっては窮屈な状態が「ふつう」になってしまっているのか?!

真にこころから解放されて、みじんの不安も怖れもネガティブさもなく、どこまでもつづく真っ青な大空のように開放感を味わったことがあるでしょうか?こころおきなく、なんのてらいもなく、自分を思い切り表現したことがあるでしょうか?

でも、すべては「慣れ」なのだと思います。わたしたちは「幸せです」といいながらも、かなりベールのかかった精神状態にいます。こどものときに、ふざけて母のストッキングをかぶったことがありました。よく見えない世界。・・・きっと本当にクリアな喜びのある幸せな世界に比べたら、わたしたちの「幸せです」はかなりストッキング状態に近いのかもしれません。

そんなそこはかとないウツな状態、ネガティブが漂う状態に慣れてしまっているなら、恒常性のアラームが鳴らないようにだましだまし変えていくこと。こころから楽しむことを少しづつ習慣にすること、自分をこころおきなく解放することをゆるしてあげること。

何がわたしを縛っているのでしょうか?

それは神様でもないし、宇宙でもないし・・・むしろ、神様も宇宙も、その完璧さから創造されたわたしたちに完璧さ、喜び、幸せをじゅうぶんに堪能してほしいと願っています。

それを許さないのが「自分の頭」「自分の思考」。

南の島で楽しんでいるときでも、見ているのは真っ青な空でもなく、エメラルドグリーンの海でもなく・・・見つめているのは、まだ来ていない未来だったりします。「こんなにお金使っちゃって大丈夫だろうか?」「この先どうなるの?」「戻ったら仕事を探さなくちゃ。すぐにないかもしれない」・・・せっかく楽しい経験をしていても、こころはいつも架空の不安のなかをさまよっています。まだ起ってもいないし、起るのかもわからないでっちあげの不安のなかで、まえもってしっかりと苦しんでいるのです。

「幸せは、いつかやってくるだろう」

残念ながらやってこないのです。

幸せは、今、たった今、自分が自分で自分を幸せにしてあげること。そうやって、今幸せであることで、幸せのレンズをとおして幸せが目の前に広がる様子が見えるようになるものです。

だから、たった今、自分から幸せになってみる。自分を幸せにしてあげる、幸せでいようとする・・・これが大切なのだと思います。

いつも自分に少しづつ幸せをあげていると、不幸の恒常性アラームが突然鳴りひびくこともなく、気がついたら幸せな人になっていられるのだと思います。

ちっちゃなことから、幸せでいましょうね♡ 何を自分にプレゼントしてあげましょうね?

 

 

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気づきの日記「いま、何パーセントしあわせですか?」

「なんか楽しめないんだよね・・・」  こんなセリフをよく聞きます。

あるいは、「楽しんじゃいけない気がするんです」。

ずっと夢みていた異国の地をついに旅しているときも、ようやくとれた休暇でやってきた南の島でねそべっているときも・・・そこはかとなくまとわりつく、不安感、罪悪感、違和感・怖れ・・・ こんなところでこんなことをしていていいのだろうか、何か間違っていないのだろうか・・・と。

楽しんでいるときにそんなふうに感じる人は、あんがい多いものです。

ずいぶん前のこと、夏に4週間ほどバリ島ですごしたものですが、海辺のコテージに泊まり、マリンスポーツを楽しみ、川ではラフティングをし、朝日を求めて山を登り、夜はバリダンスを楽しみ・・・そんなパラダイスな日々でも、お仲間に「今、何パーセントぐらい楽しんでいる?」と尋ねると、ナント45% とか、よくても 65% とか 70% ぐらいだったのです。そういうわたしだって、手放しで100% なんてとても楽しめてなかったものです。

これはセラピーでも起ることで、今まで年がら年じゅう調子が悪くてウツっぽかった人がだんだん幸せな気分になってくると、「何かおかしいぞ」と不安になってくるのです。落ちつかない。

わたしたちの身体に恒常性があるように(体温、自律神経、体調をつねに一定に保つ働き)、じつはこころにも恒常性、つまり慣れた状態に保っておこうとする働きがあります。なのでウツっぽい状態が長く続いていると、それがその人にとってはふつうの状態になるために、よい気分になるとこころが危険信号を発してストップさせようとします。「そんなよい気分はおかしいのだ!もとに戻れ!」と。

どうやら、パラダイスな休暇もたまにしかやっってこないので、この恒常性を保つシステムがアラームを鳴らして、いやな気分になるのかもしれません。

それだけ、わたしたちにとっては窮屈な状態が「ふつう」になってしまっているのか?!

真にこころから解放されて、みじんの不安も怖れもネガティブさもなく、どこまでもつづく真っ青な大空のように開放感を味わったことがあるでしょうか?こころおきなく、なんのてらいもなく、自分を思い切り表現したことがあるでしょうか?

でも、すべては「慣れ」なのだと思います。わたしたちは「幸せです」といいながらも、かなりベールのかかった精神状態にいます。こどものときに、ふざけて母のストッキングをかぶったことがありました。よく見えない世界。・・・きっと本当にクリアな喜びのある幸せな世界に比べたら、わたしたちの「幸せです」はかなりストッキング状態に近いのかもしれません。

そんなそこはかとないウツな状態、ネガティブが漂う状態に慣れてしまっているなら、恒常性のアラームが鳴らないようにだましだまし変えていくこと。こころから楽しむことを少しづつ習慣にすること、自分をこころおきなく解放することをゆるしてあげること。

何がわたしを縛っているのでしょうか?

それは神様でもないし、宇宙でもないし・・・むしろ、神様も宇宙も、その完璧さから創造されたわたしたちに完璧さ、喜び、幸せをじゅうぶんに堪能してほしいと願っています。

それを許さないのが「自分の頭」「自分の思考」。

南の島で楽しんでいるときでも、見ているのは真っ青な空でもなく、エメラルドグリーンの海でもなく・・・見つめているのは、まだ来ていない未来だったりします。「こんなにお金使っちゃって大丈夫だろうか?」「この先どうなるの?」「戻ったら仕事を探さなくちゃ。すぐにないかもしれない」・・・せっかく楽しい経験をしていても、こころはいつも架空の不安のなかをさまよっています。まだ起ってもいないし、起るのかもわからないでっちあげの不安のなかで、まえもってしっかりと苦しんでいるのです。

「幸せは、いつかやってくるだろう」

残念ながらやってこないのです。

幸せは、今、たった今、自分が自分で自分を幸せにしてあげること。そうやって、今幸せであることで、幸せのレンズをとおして幸せが目の前に広がる様子が見えるようになるものです。

だから、たった今、自分から幸せになってみる。自分を幸せにしてあげる、幸せでいようとする・・・これが大切なのだと思います。

いつも自分に少しづつ幸せをあげていると、不幸の恒常性アラームが突然鳴りひびくこともなく、気がついたら幸せな人になっていられるのだと思います。

ちっちゃなことから、幸せでいましょうね♡ 何を自分にプレゼントしてあげましょうね?

 

 

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ベージュ色のサングラス♡

ヒプノセラピスト、古川貴子のブログ

サングラスいただきました〜♪

さっそく、いつものモデルさんにかけていただきましょう。

お〜、そうきましたか。リゾートっぽいですね。お似合いですよ!

このサングラス、フレームが微妙なグレーっぽいベージュ。つるの部分はゴールドのコンビです。

ブラックはハードなイメージになりすぎる一方、ブラウンはよくある感じになりがち。でもこの色は、ソフトでわたしの肌とリップの色に合うようです。

学生時代からわたしのことをよく知る友人は、たびたびお洋服も見立てて送ってくれるのですが、いつも本人以上にピッタリなチョイスをしてくれます。

自分のことってわりと固定観念があるので、客観的にみてくれるよくわかっている人がいるととても助かります。センスがよければなおさらです!この友人は20代の頃から、人目をひくとってもオリジナリティあふれるオシャレの達人で、わたしもずいぶん刺激を受けました。

あれからウン十年、今もたっぷり刺激をうけています!ありがとう♡