サクラのお散歩

今年もサクラが、もりもりです。
下から見上げて写真を撮っていると、ひとつひとつの花がきそうようにこちらを向いてみんなでカメラ目線なのですよ。そろって「撮って〜!撮って〜!」と声をあげているよう。

こちらはわたしのお気に入りのお散歩道。サクラ並木の間隔、舗装されていない小径の感じが好きなのです。さまざまな表情のあるサクラ並木があちらこちらにあり、知らないうちに三時間も歩き回ってしまいました。

塩漬けにしたサクラの花や葉っぱはとてもいい香りがしますが、咲いているサクラは匂いがないと思っていました。でも、あまりにたくさんのサクラの木に囲まれていると、ふっといい匂いがするのです。とってもほのかにあわ〜く。梅の花は小さくひとつふたつ開いていると、ふっといい香りがして花に気づいたりします。でも、サクラは香りで人をひきつける必要がないのですね。

11-04-10 「ちょーだい、ちょーだい」の心のブラックホール その2

(その1より)
ここまで、それはまるで女性だけの問題のように書いてきましたが、この「満たされなかった」と信じているものを「相手からむしりとる」という行為は男性も同じ。つまりみんなが持っているパターンです。

さて、こんな自己パターンに気づくためにはどうするのか?

まず自分が幼少時代「何を与えて欲しくて」「与えられなかったのか」を意識にのぼらせることにより、自分がどんな要求を強くもっているのかに気づくことが大切です。そのためにはよくワークショップで行うちょっとしたエクササイスが有効です。

【喪失体験をケアするワーク】

1, 親(あるいは、愛してほしかったのに愛がえられなかった相手)に対して手紙を書きます。
相手がすでに亡くなってしまっていてもかまいません。

2、まず相手への感謝の気持ちからはじめ、してほしかったけれどしてもらえなかったこと、あるいはえられなかったものなどについて書きます。
「お母さん、わたしをここまで育ててくれてありがとう。あなたとはたくさんの楽しい思い出があります。しかし、あなたはわたしをめったに褒めてくれませんでした。褒めるよりも、いつも指示されたり正されたりしていた気がします。だからわたしは自分がどこか欠陥があるのかと信じてきました。わたしはただそのままの自分を無条件に愛してほしかったのです。・・・云々」というように、語りかけるように書いてゆきます。

3, 書き上がったら、声に出して読みあげます。
これは自分の癒しのために書いているので、相手に渡すことはしません。もし信頼できる人がいたら自分の前に坐ってもらい、親のかわりに手紙を読むのを聞いてもらいます。一人で読んでもかまいません。声に出してください。

4,  読み終わったら、しばらく静かに自分の感情を感じます。
その頃の感情が再び甦ってきて涙が流れるかもしれません。感情、涙とともにいる時間を十分とってください。

5, 落ち着いたらふたたび手紙にもどり、そのなかに書かれている自分の要求(無条件に認めてほしかった、信頼してほしかったなど)に丸をつけます。
この手紙だと、「ああ、褒めてほしかったんだな〜」とか、「指示されたり正されるのではなくて、そのままの自分でいいと言ってほしかったんだな〜」と手にできなかったものに気づいてゆきます。

6, 自分の満たされなかった要求を、どのようにしたら自分で満たせるか考えます。
たとえば、親に「無条件に認めてほしかった」場合は、自分が自分に対してどれだけつらくあたっているか、否定しつづけているのかに気づきます。そしてきょうから失敗しても、理想の自分でなくても、明るく自分を認めることを自分に約束し、実行してゆきます。

おわかりのように、わたしたちは足りないものを外に調達しにゆこうと必死でしたが、結局外には見つけることができなかったのです。なぜなら、みんながみんな「足りない」と思っていて、人に真に与える余裕などないからです。すると親でさえも、自分のブラックホールを埋めるためにこどもを利用してしまいます(これ、意外によくあるパターンです。たとえば親から十分愛してもらえなかった穴埋めに、こどもを自立させず自分につなぎとめて依存させることで愛されてると感じようとするパターンなど・・・)。だから、自分のブラックホールは自分でリペアするしか方法がない、ということなのです。

どこがうまくいっていないかわからなければ、それをうまくいかせる方法は皆目検討がつきません。しかし、自分にはどんな穴があるのかがわかれば、まずそれだけでも他人にこっそりとその穴を埋めさせようとしてかなりのエネルギーを費やしている自分に気づくことができます。

実は心の世界でも、モノの世界でも、足りないものは外から調達することは出来ないのです。なぜなら、すべては自分の心のなかからはじまり、それが外へと広がってゆくからです。自分が見ている世界は、すべて自分の心の中の世界なのですね。だから、「愛」にしても「豊かさ」にしても「幸せ」にしても、外からやってくるのを手ぐすねひいて待つのではなく、「自給自足」の心意気を持たなければなりません。自分でちゃんと面倒をみてあげなければならないのです。

それには、まず自分の心の欠乏、要求に、自分がちゃんと寄りそうことからはじめてみることをおススメいたします。(^_^)v

気づきの日記「“ちょーだい、ちょーだい”の心のブラックホール」 その2

(その1より)
ここまで、それはまるで女性だけの問題のように書いてきましたが、この「満たされなかった」と信じているものを「相手からむしりとる」という行為は男性も同じ。つまりみんなが持っているパターンです。

さて、こんな自己パターンに気づくためにはどうするのか?

まず自分が幼少時代「何を与えて欲しくて」「与えられなかったのか」を意識にのぼらせることにより、自分がどんな要求を強くもっているのかに気づくことが大切です。そのためにはよくワークショップで行うちょっとしたエクササイスが有効です。

【喪失体験をケアするワーク】

1, 親(あるいは、愛してほしかったのに愛がえられなかった相手)に対して手紙を書きます。
相手がすでに亡くなってしまっていてもかまいません。

2、まず相手への感謝の気持ちからはじめ、してほしかったけれどしてもらえなかったこと、あるいはえられなかったものなどについて書きます。
「お母さん、わたしをここまで育ててくれてありがとう。あなたとはたくさんの楽しい思い出があります。しかし、あなたはわたしをめったに褒めてくれませんでした。褒めるよりも、いつも指示されたり正されたりしていた気がします。だからわたしは自分がどこか欠陥があるのかと信じてきました。わたしはただそのままの自分を無条件に愛してほしかったのです。・・・云々」というように、語りかけるように書いてゆきます。

3, 書き上がったら、声に出して読みあげます。
これは自分の癒しのために書いているので、相手に渡すことはしません。もし信頼できる人がいたら自分の前に坐ってもらい、親のかわりに手紙を読むのを聞いてもらいます。一人で読んでもかまいません。声に出してください。

4,  読み終わったら、しばらく静かに自分の感情を感じます。
その頃の感情が再び甦ってきて涙が流れるかもしれません。感情、涙とともにいる時間を十分とってください。

5, 落ち着いたらふたたび手紙にもどり、そのなかに書かれている自分の要求(無条件に認めてほしかった、信頼してほしかったなど)に丸をつけます。
この手紙だと、「ああ、褒めてほしかったんだな〜」とか、「指示されたり正されるのではなくて、そのままの自分でいいと言ってほしかったんだな〜」と手にできなかったものに気づいてゆきます。

6, 自分の満たされなかった要求を、どのようにしたら自分で満たせるか考えます。
たとえば、親に「無条件に認めてほしかった」場合は、自分が自分に対してどれだけつらくあたっているか、否定しつづけているのかに気づきます。そしてきょうから失敗しても、理想の自分でなくても、明るく自分を認めることを自分に約束し、実行してゆきます。

おわかりのように、わたしたちは足りないものを外に調達しにゆこうと必死でしたが、結局外には見つけることができなかったのです。なぜなら、みんながみんな「足りない」と思っていて、人に真に与える余裕などないからです。すると親でさえも、自分のブラックホールを埋めるためにこどもを利用してしまいます(これ、意外によくあるパターンです。たとえば親から十分愛してもらえなかった穴埋めに、こどもを自立させず自分につなぎとめて依存させることで愛されてると感じようとするパターンなど・・・)。だから、自分のブラックホールは自分でリペアするしか方法がない、ということなのです。

どこがうまくいっていないかわからなければ、それをうまくいかせる方法は皆目検討がつきません。しかし、自分にはどんな穴があるのかがわかれば、まずそれだけでも他人にこっそりとその穴を埋めさせようとしてかなりのエネルギーを費やしている自分に気づくことができます。

実は心の世界でも、モノの世界でも、足りないものは外から調達することは出来ないのです。なぜなら、すべては自分の心のなかからはじまり、それが外へと広がってゆくからです。自分が見ている世界は、すべて自分の心の中の世界なのですね。だから、「愛」にしても「豊かさ」にしても「幸せ」にしても、外からやってくるのを手ぐすねひいて待つのではなく、「自給自足」の心意気を持たなければなりません。自分でちゃんと面倒をみてあげなければならないのです。

それには、まず自分の心の欠乏、要求に、自分がちゃんと寄りそうことからはじめてみることをおススメいたします。(^_^)v

11-04-08 「ちょーだい、ちょーだい」の心のブラックホール その1

セラピーを受けにいらっしゃる方の中には、彼氏やだんなさまに「おまえ、行ってこい!」と言われて予約される方も少なくありません。(ホントは、相手だけ変えようとしてもムダな抵抗ではあるのですが・・・汗)。

それはさておき、そんな「送りこまれちゃいました!(+_+)」な女性をみているとある共通点がうかがえます。それは、まず彼氏なりだんなさまに「ああして、こうして」と注文・要求が多く、思いどおりにならないとご機嫌ナナメになるということ。

その女性のなかには「理想の彼氏、だんなさまとはかくあるべし!」という確固とした刷り込みがあり、それにそっていないといちいちつっかかってきて、ついには口で言ってもダメだとわかると引きこもる、黙りこむ、むくれる、というエネルギーによる武力行使に出るわけです(注・引きこもる、黙りこむ、むくれるは決して弱さの表現ではありません。れっきとした攻撃のひとつで、使用する本人にとってはいちばんなじみがある定番の攻撃方法。また、有効に相手をコントロールできると知っていて使われるものです。男性にとっては言葉で論理的に議論できないというのは、わけがわからずお手上げなわけです。また引きこもられると、扱い方も男性にはわかりません)。

やってるご本人、女性にとってはいたってふつ〜、定番の反応なのです。そうです、わたしたちは何をしていようと、いつだって本人にとってはごくあたりまえのこと。だから、「このように反応して何が悪い」と開き直り、話しあいにもなりません。

もともと女の子というものは理想の王子さまを思い描きながら育つものですし、自分がお姫さまになりたい願望も強いもの。で、いったん彼氏ができると、「よしきた!」とばかりに相手の現実はさておいて、「理想の彼氏とはこういうものである」、「そうあらねばならない」をかかげて迫ってくるわけです。

すると、レストランに入るときドアをあけてくれない、自分だけずんずん行っちゃう彼氏に・・・・ちがうだろ〜!とムラムラ腹が立つ。もちろん、つきあいはじめの初々しいころは何も言いませんが、あるところから理想にそぐわない現実に対して怒りが炸裂しはじめるわけです。

その遠慮が薄らいできたあたりから、女性は自分のなかでずっと不足してきた愛情の埋め合わせをするために、必死で相手に「与える」ように要求してきます。それは、モノにしろ愛情にしろ、まるで底なし沼。この場合、いくら与えても、いくらやさしくしても、決して満足することはありません。

このいっくら与えても満腹にならない「欠乏感」は、じつは今にはじまったことではなかったのです。それは、幼少の頃から耐えていた痛みであり、おりあらば、あわよくば、埋めるチャンスを今か今かと伺っていた心の中のブッラクホール。両親とのあいだで決して満たされることのなかった「要求」であり「期待」であり「無条件の愛」なのです。

この「欠乏感」という心の穴は誰でも持っているものですが、とくにこどもの頃、親に十分な、そして健全な注意を向けてもらえなかったこどもは、深くて暗い底なし沼なブラックホールを抱え、それが心の真ん中に君臨しているわけです。

誰だってちいさな頃の自分はひとりになれば不安だし、わからないこと、対処できないことがいっぱい。そんなときに、ともに寄り添い、ただ見守ってくれる眼差しがあったか、なかったかは、その後の人生への安心感、自分に対する自信、そして未来への希望などに大きな影響を与えます。そこで与えられなかった無条件の愛はブラックホールとなり、つねにそれを埋めるためのチャンスを虎視眈々とねらうことになります。つまりその後の人生のなかで、足りなかったものを手に入れるためにあらゆるエネルギーを使うことになってしまうのです。

しかし、当の本人はそのような愛情の欠乏を相手に投影しているとはさらさら気づいていません。いつもあたりまえの行動・反応をとっているとしか思っていないのです。本人にとってはあくまでも、それが当たりまえですから。

なので、ついには彼氏やだんなさまに「重すぎる!」「要求が多すぎる」と嫌われてしまうハメに。彼らはブラックホールに吸い込まれ、ついには自分がなくなっちゃう恐怖を感じているわけです。

シッポを巻いて逃げられちゃうまえに、女性は自分が手に入れられなかったものを相手から力いっぱいむしりとろうとしている事実にしっかりと気がつかなければなりません。(むしりとろうとしても、往々にして、相手も足りないと思っているので、お互いむしりとる戦いになったりします。ふたりとも丸裸・・・汗。)

さて、このような悲惨な自己パターンにみずから気づくためにはどうしたらよいのでしょうか?
(その2につづく)

気づきの日記「“ちょーだい、ちょーだい”の心のブラックホール」その1

セラピーを受けにいらっしゃる方の中には、彼氏やだんなさまに「おまえ、行ってこい!」と言われて予約される方も少なくありません。(ホントは、相手だけ変えようとしてもムダな抵抗ではあるのですが・・・汗)。

それはさておき、そんな「送りこまれちゃいました!(+_+)」な女性をみているとある共通点がうかがえます。それは、まず彼氏なりだんなさまに「ああして、こうして」と注文・要求が多く、思いどおりにならないとご機嫌ナナメになるということ。

その女性のなかには「理想の彼氏、だんなさまとはかくあるべし!」という確固とした刷り込みがあり、それにそっていないといちいちつっかかってきて、ついには口で言ってもダメだとわかると引きこもる、黙りこむ、むくれる、というエネルギーによる武力行使に出るわけです(注・引きこもる、黙りこむ、むくれるは決して弱さの表現ではありません。れっきとした攻撃のひとつで、使用する本人にとってはいちばんなじみがある定番の攻撃方法。また、有効に相手をコントロールできると知っていて使われるものです。男性にとっては言葉で論理的に議論できないというのは、わけがわからずお手上げなわけです。また引きこもられると、扱い方も男性にはわかりません)。

やってるご本人、女性にとってはいたってふつ〜、定番の反応なのです。そうです、わたしたちは何をしていようと、いつだって本人にとってはごくあたりまえのこと。だから、「このように反応して何が悪い」と開き直り、話しあいにもなりません。

もともと女の子というものは理想の王子さまを思い描きながら育つものですし、自分がお姫さまになりたい願望も強いもの。で、いったん彼氏ができると、「よしきた!」とばかりに相手の現実はさておいて、「理想の彼氏とはこういうものである」、「そうあらねばならない」をかかげて迫ってくるわけです。

すると、レストランに入るときドアをあけてくれない、自分だけずんずん行っちゃう彼氏に・・・・ちがうだろ〜!とムラムラ腹が立つ。もちろん、つきあいはじめの初々しいころは何も言いませんが、あるところから理想にそぐわない現実に対して怒りが炸裂しはじめるわけです。

その遠慮が薄らいできたあたりから、女性は自分のなかでずっと不足してきた愛情の埋め合わせをするために、必死で相手に「与える」ように要求してきます。それは、モノにしろ愛情にしろ、まるで底なし沼。この場合、いくら与えても、いくらやさしくしても、決して満足することはありません。

このいっくら与えても満腹にならない「欠乏感」は、じつは今にはじまったことではなかったのです。それは、幼少の頃から耐えていた痛みであり、おりあらば、あわよくば、埋めるチャンスを今か今かと伺っていた心の中のブッラクホール。両親とのあいだで決して満たされることのなかった「要求」であり「期待」であり「無条件の愛」なのです。

この「欠乏感」という心の穴は誰でも持っているものですが、とくにこどもの頃、親に十分な、そして健全な注意を向けてもらえなかったこどもは、深くて暗い底なし沼なブラックホールを抱え、それが心の真ん中に君臨しているわけです。

誰だってちいさな頃の自分はひとりになれば不安だし、わからないこと、対処できないことがいっぱい。そんなときに、ともに寄り添い、ただ見守ってくれる眼差しがあったか、なかったかは、その後の人生への安心感、自分に対する自信、そして未来への希望などに大きな影響を与えます。そこで与えられなかった無条件の愛はブラックホールとなり、つねにそれを埋めるためのチャンスを虎視眈々とねらうことになります。つまりその後の人生のなかで、足りなかったものを手に入れるためにあらゆるエネルギーを使うことになってしまうのです。

しかし、当の本人はそのような愛情の欠乏を相手に投影しているとはさらさら気づいていません。いつもあたりまえの行動・反応をとっているとしか思っていないのです。本人にとってはあくまでも、それが当たりまえですから。

なので、ついには彼氏やだんなさまに「重すぎる!」「要求が多すぎる」と嫌われてしまうハメに。彼らはブラックホールに吸い込まれ、ついには自分がなくなっちゃう恐怖を感じているわけです。

シッポを巻いて逃げられちゃうまえに、女性は自分が手に入れられなかったものを相手から力いっぱいむしりとろうとしている事実にしっかりと気がつかなければなりません。(むしりとろうとしても、往々にして、相手も足りないと思っているので、お互いむしりとる戦いになったりします。ふたりとも丸裸・・・汗。)

さて、このような悲惨な自己パターンにみずから気づくためにはどうしたらよいのでしょうか?
(その2につづく)

11-04-07 今こそ、自分でできるトラウマセラピー

もともと会話によく登場するトラウマという単語、「心の傷」を意味します。東日本大震災後、「あの揺れはトラウマになった」というように、ますます常用されつつあります。

直接の被災地でないここ東京でも、余震、原発の恐怖、モノ不足など、常に不安感にさらされ続けることにより、それがボディーブローのように大きなダメージを与えトラウマに姿を変えたり、また抑圧していた古いトラウマを誘発し、感じたことのない痛みがさらけ出される場合もあります。

大きなトラウマも小さなトラウマも、知らないうちに心を蝕み、無意識のうちに人生のさまざまな局面に影をおとしはじめます。つきまとう倦怠感や恐怖心、未来への希望が損なわれ、生きている価値がないという自己否定へと発展してゆきます。そして、すべての行動の動機が必死で「何か避ける」か「何かを求める」という自己防衛に向かってゆきます。

昔、沢田研二さんの歌に♪身体のキズなら治せるけれど、心の痛手は癒せはしない♪というのがありました。身体のキズは自然治癒力によりある程度ほっておいてもメキメキ治癒しますが、心の場合はそうはいきません。それは痛みを感じることをさけるため、すみやかにバリアーで覆われ、キズなどなかったように振る舞い始めます。しかし、痛みは知らず知らずのうちにその人の人生の主導権を握り「怖れ」や「防御」で行動するようにかりたててしまうのです。

トラウマに癒しをもたらすためには、まず「気づき」が大切なポイントです。長くわけのわからない不安が続く、体調がおかしい、自分らしくない・・・そんなときにこそまず立ち止まり自分をケアする時間をとりましょう。

やり方はむずかしいことはありません。「何かヘンだとまず気づく」→「何でこんなふうに感じているのだろう」と尋ねてみる→「今、このように感じる必要があるのか?」→「じゃあ、同じ感じが過去にあったとしたらどんな場面?何が起きてた?」と探求してみます。

抑圧していたものを表面意識に引っぱり出し、認めてあげるだけで解放が起ります。気づくことによって、過去ではなくより「今」にいることができるようになるのです。

トラウマはそれをお掃除することによって、怖れにコントロールされる人生ではなく、自分の愛や喜びや可能性のために人生を選択できるようになります。トラウマの後ろに隠れた本当のあなたは可能性の宝庫。あなたの心には素晴らしいパワーがあるのです。
(セラピーコモンズ・ネットモールさんのセラピストコラムに掲載)

みなさまのレビュー

サプリCD・レクチャーCD

「CD受け取りました。ありがとうございました(^-^)
早速聴き 今の自分に凄く必要な事ばかりで、胸に染み込んでくるようで…何度も聴いて どんどん自分に入れようと思っています。毎日色々な変化が有りすぎて、抵抗しない事って ずーっと思ってはいるものの実際は抵抗し過ぎで(Θ_Θ)どんどん深みにハマって苦しくなっていたのですが、貴子さんの声で聴いていると 抵抗しないで行こうと すんなり思えて嬉しくなりました(^-^)
感謝も大切にしていきたいと思います。ありがとうございました。
何度も聴かせて頂いて変化の波に乗れるようにしたいと思います。」
「聴くサプリや、レクチャーCDなど、毎日、楽しく聞いております。
聴くサプリは、夜、寝る前に聞いていますが、気持ちが癒される感じで、とっても安眠できます。朝も気持ちがスッキリしますね。
レクチャーCDは、なるほど・・・と、腑に落ちそして、面白くてしかたありません。」

「(ヒプノ)CDを聞き始めてから数日後には、そのとき眠かったり疲れてたりしても、自然と笑顔になれるのです。「おおー、よくわかんないけど、<いま楽しいな!」って思えるようになりました。
大きな変化は、自分をとりまく環境がスムーズになったことです。自分に余裕がうまれ、自分がいる状況を客観的に見ることができるようになったからだと思います。」

「夜中にだれにも気を使わず自分に向って癒しの言葉がむけられるのが、たとえ(ヒプノ)CDであっても良いのかもしれません。無理をしない、宇宙から豊かさを与えられるというフレーズがとても心地よく、ゆったりとしたプラスの気持ちになります。これがとても良く感じられます。」

「楽しみにしていたレクチャーCDが届き、早速聴いています。とってもわかりやすくお話してくださっていて、嬉しいです。わかっていたつもりの内容でも、具体的に例をあげてくださっているので改めて納得するというか、理解が深まるというか・・・。時間もたっぷりなのでお得感ありますね(笑)。うーん、買ってよかった!です。」

見ぃ〜つけた♪

朝から郵便局、銀行めぐり。

帰りに、ひょっこりスーパーをのぞいてみました。

あった〜!ずっとありつけなかったヨーグルト。それに納豆も山のように積まれているじゃありませんか。

仕事が終わってスーパーに行くと、ヨーグルトのヨの字もないし、納豆の姿もとんと見かけない。そして、あちこちの棚がカラカラで、「こんなものまで?」というものがなかったりします。

さいわい23区は計画停電に入っていないので助かってはいるものの、夕方のモノ不足は予想外。

ヨーグルトはヨーグルトでも、それぞれに定番がありますよね。とくにこれは女性に人気なのですが、計画停電で生産が追いつかず、紙パックの工場にもダメージがあったようで品薄です。「おひとりさま二個まで」なので、また来週も朝スーパーに気合いを入れます!

開店したてのスーパーはすっきりと人も少なく、商品もお行儀がよく、すがすがしいものです。ちょっと行動を変えると、気分もかわりますね。

トラウマ・コラム

きょうから、いよいよ四月です。近所の目黒川の桜も大分ふくふくしてきました。ここからは、景色が一気に変わってゆきますね。楽しみです。

ところで、セラピーコモンズ・ネットモールさん(セラピー専門のポータルサイトです)にたかちゃんコラムが掲載されました。

「トラウマ」について書いて下さいとお題目をいただいていましたので、今のご時勢の震災PTSDやストレス障害とからめて「今こそ、自分でできるトラウマセラピー」というタイトルです。

じつは震災前に原稿ができていてアップするのみだったのですが、この地震で「トラウマ」という言葉がよりインパクトを持つものとなり、書きなおしました。

コラムはセラピーコモンズさんのトップページ「新着!セラピストのコラム」3/31日分「心理療法家/セラピスト  古川貴子」という項目です(わからない方は、こちらから)。

じつは、このセラピーコモンズさんにも「オフィス・るん」のページがあります。「クチコミ掲示板」というみなさまのお声を書き込みいただける掲示板もありますので、みなさま、そちらのページにも遊びにいらしてくださいね♪

11-03-29 カズオ・イシグロの世界 「わたしを離さないで」

日本国民総ストレス障害・・・とさきほどTVのコメンテーターが話していました。ホントです。あの震災の映像を繰り返し見ているだけでも、心にはかなりの負担です。

そして、今のご時勢、おいしいものを食べたり、楽しいことをするのも気がひけてしまうところがあります。住むところがない、ゴハンさえない人がいっぱいいるのに・・・と。

でも、日本国民全体があらゆることを自粛していると、こんどは経済がたちゆかなくなります。だから、今こそどんどん稼いで、どんどん使って、経済を元気にして、そしてじゃんじゃん義援金を送って、復興に手をかすこと。ですよね!

そんなわけで、二週間ぶりに仕事以外のおでかけ。カズオ・イシグロ原作の映画「わたしを離さないで」を観てきました。う・・・ん、ちょっと今のご時勢にはストーリーがヘビーでした。

でもカズオ・イシグロなので、早く観たかったのです。

昔、貴族とそこに仕える執事を描いた「日の名残り」という映画がありました。執事役のアンソニー・ホプキンスが素晴らしくって大好きな映画です(レクター博士とは思えないひかえめな紳士ぶり!)。上映後エンドロールをぼ〜っと観ていたとき、原作者の名前が日本人「カズオ・イシグロ」であることに気がつきました。

びっくりしました。こんなこてこての英国の貴族社会を描いた作家が日本人?!と。そのあと知ったのは、カズオ・イシグロは長崎に生まれて両親とともに英国に移り住んだということ。彼の短編はいくつか読んだことがあるのですが、アメリカ、ハンガリー、日本などさまざまな国を舞台にした独特な感性の作品です。

そしてこの「わたしを離さないで」は彼がかつて受賞した英国のブッカー賞の候補に再び選ばれた話題作。

イギリスの厳格な寄宿学校。ここで暮らしているのは裕福な家庭のこどもたち・・・ではなくて、ある目的のために秘密裏に管理されているこどもたち。かれらは、ある年齢に達したらドナーとなって生を終えることを運命づけられているのです。しかし、ほんとうに愛し合っているものたちにはしばらくの猶予があたえられると・・・。運命を受け入れながら生きるひとりの男の子と、彼に恋するふたりの女の子。

ショッキングな内容ですが、おさえめな映像のトーンがどこか遠いところのことに感じさせることと、この三人の役柄がたんたんと演じられているところがまだ救いでしたよ。

震災のあとでもあります。今のところは、アンソニー・ホプキンスがステキな「日の名残り」のDVDからおすすめというところでしょうか・・・。