秋のお出かけ

すっかりすごしやすくなりました。まったりすごした夏場にくらべ、ぐんぐん日々の可動性があがってきている今日この頃です。

○曜日
ちょっと残念なホテルパンケーキから、パンケーキへの想いが不完全燃焼ぎみ。そういえば、近所に「CLOVER'S」というパンケーキカフェがありましたっけ。ブランチをかねてトライしてみました。

わあ、デカっ!!さすが、元フレンチシェフ!完璧なオムレツ型。パンケーキは表面がてらてら、もっちりタイプ(米粉使用だそうな)。かなりお腹にたまります。ぐ、ぐ、ぐるじ〜・・・。

夜になってもまったくびくともしないお腹。強者ブランチです。ガラス張りの二階というロケーションも気持ちいいです。本来のパンケーキとはちょっと食感が異なりますが、おやつパンケーキもよさげ。

△曜日
午後遅くから「ウフィツィ美術館展」へ。秋の絵画鑑賞は大好きなメニューです。とくに、この眺めがいい東郷青児美術館。東京の街を見渡していると、自分と空と街並がひとつになってしまいそう。

さて、メディチ家の命によって集められた有名画家の自画像たち。「描き手」がどのように自分を表現するのか、興味があります。おさえめな画面の中に、さりげなく自己アピールがなされています。背景のオブジェで知的な自分を表現するとかね。

レイトン卿、ベックリン、キリコなどのお気に入りの画家が登場すると親近感がわいてホッとしますな〜。デスマスクというオブジェを使った横尾忠則の自画像、インパクトたっぷり。

□曜日
お昼にミーティング。渋谷マークシティ内のTRATTORIA di PESCE PAPPARE Italia(ぜったい覚えられない店名)でパスタランチ。

店名のPESCEって、イタリア語でお魚のこと。ってことはお魚がおいしいらしいので、秋刀魚のペペロンチーノをいただきました。

まわりのテーブルのパスタがふつ〜だったのでそんなに期待していなかったのですが、これけっこうイケてましたよ。カリカリふんわりにソテーした秋刀魚の半身とイタリアンハーブがトッピングされたパスタに、ドライトマトとアスパラが入っています。

お店も落ち着いた雰囲気で、コギャルタウンの渋谷ランチに迷うときはいいかもしれません。アンティパスト、飲み物、パンがついて、お値段もお手頃でした。

姿は見えねども・・・

熱海セッションの日です。

駅までトコトコ歩いていると、フワッと甘い香り。ああ・・・キンモクセイ!でも、あたりに姿は見当たらず。

新幹線を待っているときも、またフワリ・・・。そして、熱海の駅前、熱海のセッションルームでも。窓からお庭をながめても、いっこうにオレンジ色の可憐な小花は見つからず。

昨日まで少しも気配を感じられなかったのに、きょうはそこここで申し合わせたようにいい香りがします。「じゃあ、みんな明日いっせいにね!」と東京と静岡で打ち合わたのでしょうか(笑)。

帰り際、ようやく姿を確認。まだ開きたてで、はずかしそうにうつむくように咲いていました。今週は街歩きが楽しくなりそうです。

 

 

10-09-30 ピキッときたら・・・(銀座)

最近、「ピキッときたら、ソク行動!」をモットーにしています。よけいなアタマのお喋りや言い訳が出てる前にひらりと行動すること。すると、そこからさらに流れが生まれ、次につながってゆく気がします。(そう!直感のあとには、必ずエゴによる打ち消しエネルギーがやってくるので、ご用心!なのです。)

さて、きょうはお休み。久しぶりに声優さんをしているDちゃんに再会しました。ご無沙汰しているDちゃん、どうしてるかな〜?と共通の友人に近況をたずねたりしていました。すると、Dちゃんの方からお誘いのメール。

「たかちゃんに会わなくちゃいけない!」とひらめいたそうな。たいてい、誰かのことを思い出すとき、もれなく相手も同時にその人を思い出しています。自覚してる場合もあるし、まだ潜在意識下にあって自分では気づいていないことも。

今回もどうやら同時に思い出していたようですが、Dちゃん速し!先手をとられました。「ひらめいたら間髪いれずに行動」をモットーにしているわりには、お尻重すぎ・・・と反省。(はい、物理的に重いんです。)

久しぶりの再会で、銀座の「かなえ」さんでランチ。90分限定の30種類和食バイキング&積もる話しの山々に熱中しすぎて、ブログ用フォト、すっかり忘れました。ふたりとも気まぐれにわかベジなので、お野菜たっぷりランチに大満足。

その後、ぐるじ〜・・・と呻きながらお茶しに向かいます。パリからやってきたサロン・ド・テ「ラデュレ」へ。ケースの中のメルヘンチックなフランス菓子をながめているうちに、やおら食べる気満々。ポットの紅茶とおいしいフランス菓子を囲んでお喋り続行。気がつけばとっぷり日が暮れていました。

お話ししていて、「やっぱり、そっか〜」と納得。わたしの中にひらめいて、Dちゃんの中にもひらめいて、久々の再会となりましたが、やっぱり意味あり!ここ数年、会わずとも同じような流れを生きていて、そして今、今日ここでそのひとつのサイクルが完結した感がありました。おもわず二人で乾杯しちゃいましたよ、紅茶で!ラデュレの高級スウィーツはご褒美です。

自分では気づいていないことを、人はつねに鏡となって教えてくれます。人と話すことによって、自分の中で何が起っているのかをはっきりと確認することができるのです。う〜ん!やっぱり、すべてはひとつ、あなたはわたし、なのでした。


Dちゃん、お誘いありがとう。

PS 本日「ラデュレ」でいただいたのは、キャラメルティーとバラの花びらでお洒落したサントノレ・フランボワーズ。紅茶は美しい銀のポットでたっぷりといただけます。スウィーツは華やかな見かけとは裏腹にさっぱり味で、フランボワーズ風味の中にどこかローズの香りがする上品な甘さでした。インテリアもパステルカラーで格調高く。銀座四丁目の交差点が見下ろせるテーブルでブルジョワ ティータイム気分でした。

ピキッときたら・・・

最近、「ピキッときたら、ソク行動!」をモットーにしています。よけいなアタマのお喋りや言い訳が出てる前にひらりと行動すること。すると、そこからさらに流れが生まれ、次につながってゆく気がします。(そう!直感のあとには、必ずエゴによる打ち消しエネルギーがやってくるので、ご用心!なのです。)

さて、きょうはお休み。久しぶりに声優さんをしているDちゃんに再会しました。ご無沙汰しているDちゃん、どうしてるかな〜?と共通の友人に近況をたずねたりしていました。すると、Dちゃんの方からお誘いのメール。

「たかちゃんに会わなくちゃいけない!」とひらめいたそうな。たいてい、誰かのことを思い出すとき、もれなく相手も同時にその人を思い出しています。自覚してる場合もあるし、まだ潜在意識下にあって自分では気づいていないことも。

今回もどうやら同時に思い出していたようですが、Dちゃん速し!先手をとられました。「ひらめいたら間髪いれずに行動」をモットーにしているわりには、お尻重すぎ・・・と反省。(はい、物理的に重いんです。)

久しぶりの再会で、銀座の「かなえ」さんでランチ。90分限定の30種類和食バイキング&積もる話しの山々に熱中しすぎて、ブログ用フォト、すっかり忘れました。ふたりとも気まぐれにわかベジなので、お野菜たっぷりランチに大満足。

その後、ぐるじ〜・・・と呻きながらお茶しに向かいます。パリからやってきたサロン・ド・テ「ラデュレ」へ。ケースの中のメルヘンチックなフランス菓子をながめているうちに、やおら食べる気満々。ポットの紅茶とおいしいフランス菓子を囲んでお喋り続行。気がつけばとっぷり日が暮れていました。

お話ししていて、「やっぱり、そっか〜」と納得。わたしの中にひらめいて、Dちゃんの中にもひらめいて、久々の再会となりましたが、やっぱり意味あり!ここ数年、会わずとも同じような流れを生きていて、そして今、今日ここでそのひとつのサイクルが完結した感がありました。おもわず二人で乾杯しちゃいましたよ、紅茶で!ラデュレの高級スウィーツはご褒美です。

自分では気づいていないことを、人はつねに鏡となって教えてくれます。人と話すことによって、自分の中で何が起っているのかをはっきりと確認することができるのです。う〜ん!やっぱり、すべてはひとつ、あなたはわたし、なのでした。

Dちゃん、お誘いありがとう。

PS 本日「ラデュレ」でいただいたのは、キャラメルティーとバラの花びらでお洒落したサントノレ・フランボワーズ。紅茶は美しい銀のポットでたっぷりといただけます。スウィーツは華やかな見かけとは裏腹にさっぱり味で、フランボワーズ風味の中にどこかローズの香りがする上品な甘さでした。インテリアもパステルカラーで格調高く。銀座四丁目の交差点が見下ろせるテーブルでブルジョワ ティータイム気分でした。

10-09-28 過去の感情を生きるわたしたち

お友だちのLちゃんのブログに、最近の「中国漁船衝突事件」についてのコメントがありました。

「日本国政府の対応に、憤りと怒りと脱力感と悲しみと…ありとあらゆる負の感情と思考が脳内に渦巻いたら、脳みそメルトダウン状態になっちゃいました。何だか何も書く気が湧かず、ブログ数日さぼってます…(-_-;  」とLちゃん。ありゃ、どうしちゃったの・・・?

今回のことで嫌悪を感じた方は少なからずいらっしゃると思いますが・・・このコメント、Lちゃんが漁船に体当たりされたか、あるいは石垣島の住民か・・・というリアルな反応ではありませんか。
ふと気づいたわたしは、こんなメールをLちゃんに送りました。

「もしや・・・理不尽で、強行で、勝手で、相手の立場を思いやらない・・・そんな中国の姿勢は、だれかさんに似ていたのですね。今、Lちゃんが味わっている感情は「対中国」ではないようです。で、Lちゃんも無力な女の子になってるのかも」と。

どういうことかというと、彼女いわく、小さい頃から成人するまで父親の身勝手で思いやりのない暴君ぶりに数えきれない涙を流してきたそうな。その当時の傷ついた感情や、憎しみ、嫌悪感が行き場を失い(もちろん相手にぶつけることなどできません)、潜在意識にストックされたまま見すごされてきたわけです。

でも、似たようなエネルギーの出来事にふれると、その潜在意識の中の片鱗が活性化し「自分でもわけのわからない感情」として心や身体を苦しめます。また、自分自身も当時の無力な子供を再体験してしまつことも。これは本人にはあまり自覚されず、目の前のことにまっとうな反応を示しているだけと感じられます。しかし、ハタから見ると、それって過剰反応じゃない?と不思議に感じるものです。

もともと、わたしたちは物ごとを決して「そのまま」でなど見ていないのです(たとえば、ひとつだけ、その人に好みの部分を見つけると、勝手に「理想の人」というレッテルをはって、あとでガッカリするとかね・・・笑)。とくに大きな嫌悪感を感るものごとについては、過去の受け入れられない体験の感情と結びついています。みなさんも日常の中で、ほんのささいなことなのに大騒ぎしたり、怒りまくったり、過剰に反応している人を不思議に思ったことがありませんか?これは、その目の前の出来事ではなく、それと似たようなエネルギーを持った過去のツライ出来事、嫌悪を感じる出来事にリンクして、そちらに反応しているということです。

わたしたちは何かを見ているとき、それを「素」のままで感じることはめったになく、たいていは過去の同じような体験と結びつけて、すみやかにそれを解釈しようとします。たとえば、友人が「すご〜くおいしいチーズケーキだよ!」と持ってきてくれも、「ああ、チーズケーキね。(はい、はい、知ってますよ。何度も食べています。味だってわかってます)」と、頭で味をきめつけて、その日だけの、そのお店だけの、そのチーズケーキ独自がの違いをじっくりと「初体験」することができないのです。

つまり、今回の事件で中国が象徴する横暴で一方的なエネルギーは、Lちゃんを過去のそれを同じようなエネルギーに結びつけて、その当時の感情を丸ごと拒絶反応や身体の反応としてつくりだしたわけです。

Lちゃんいわく、わたしのメールを読んで、ハッとしてから大笑い・・・だったそうです。大笑いしちゃうときは、その指摘がビンゴだったときです。カウンセリングでも、核心にせまった信念が出るといやでもゲラゲラ笑っちゃいます。はたまた、怒り出しちゃうときも、それもまたビンゴ!本当だけど、認めたくないときなのですね。

こういうイヤな感情が出て来たときは、ある意味では、それを癒すよい機会です。なぜなら、ふだんはどこに自分の痛みがあるのか意識できないでいるからです。意識できないものは、手放すことができません。無意識から、いったん意識にのぼらせて「ああ〜、わたしはまだこんな痛みをもっていたのか」「こんな感情があったのか」と確認してあげることでそれを終了することができます。何かにイヤだと反応をはじめたら、いったい自分が何に抵抗しているのかを冷静に見つめてみてください。きっと、何か過去に原因を見つけ出せることでしょう。

先日、わたしもマークシートについてのブログを書きましたが、ほんと知らないうちに過去の抑圧した感情にコントロールされているわたしたち。もともと、ものごとは、わたしたちが意味をくっつけるまでは意味を持ちはしないのです。なるべこものごとに「意味」をつけないで、そのまま、そのまま、「素」で感じて、すべてをはじめての体験として味わいたいものです。すると、もっとかけがえのない「今」「ここ」を新鮮に楽しめることでしょう。

------ (^_-) -------- (^_-) --------

PS picは、昨日観に行った「ブランダースの光」展(Bunkamura)より。

19末〜20世紀のベルギー絵画です。フランドル絵画は苦手めのわたしですが(だって、どれも見てもみんな同じ・・・汗)、この時代のものはそれぞれ個性がきわだっていて楽しめました。季節や時間が織りなす光が印象的で絵の中に入りこんでしまいます。秋にぴったりですよ。

気づきの日記「過去の感情を生きるわたしたち」

お友だちのLちゃんのブログに、最近の「中国漁船衝突事件」についてのコメントがありました。

「日本国政府の対応に、憤りと怒りと脱力感と悲しみと…ありとあらゆる負の感情と思考が脳内に渦巻いたら、脳みそメルトダウン状態になっちゃいました。何だか何も書く気が湧かず、ブログ数日さぼってます…(-_-;  」とLちゃん。ありゃ、どうしちゃったの・・・?

今回のことで嫌悪を感じた方は少なからずいらっしゃると思いますが・・・このコメント、Lちゃんが漁船に体当たりされたか、あるいは石垣島の住民か・・・というリアルな反応ではありませんか。

ふと気づいたわたしは、こんなメールをLちゃんに送りました。

「もしや・・・理不尽で、強行で、勝手で、相手の立場を思いやらない・・・そんな中国の姿勢は、だれかさんに似ていたのですね。今、Lちゃんが味わっている感情は「対中国」ではないようです。で、Lちゃんも無力な女の子になってるのかも」と。

どういうことかというと、彼女いわく、小さい頃から成人するまで父親の身勝手で思いやりのない暴君ぶりに数えきれない涙を流してきたそうな。その当時の傷ついた感情や、憎しみ、嫌悪感が行き場を失い(もちろん相手にぶつけることなどできません)、潜在意識にストックされたまま見すごされてきたわけです。

でも、似たようなエネルギーの出来事にふれると、その潜在意識の中の片鱗が活性化し「自分でもわけのわからない感情」として心や身体を苦しめます。また、自分自身も当時の無力な子供を再体験してしまうことも。これは本人にはあまり自覚されず、目の前のことにまっとうな反応を示しているだけと感じられます。しかし、ハタから見ると、それって過剰反応じゃない?と不思議に感じるものです。

もともと、わたしたちは物ごとを決して「そのまま」でなど見ていないのです(たとえば、ひとつだけその人に好みの部分を見つけると、勝手に「理想の人」というレッテルをはって、あとで現実に抵抗して相手を変えようとするとか、失望するとか・・・笑)。とくに大きな嫌悪感を感じるものごとについては、過去の受け入れられない体験の感情と結びついています。みなさんも日常の中で、ほんのささいなことなのに大騒ぎしたり、怒りまくったり、過剰に反応している人を不思議に思ったことがありませんか?これは、その目の前の出来事ではなく、それと似たようなエネルギーを持った過去のツライ出来事、嫌悪を感じる出来事にリンクして、そちらに反応しているということです。

わたしたちは何かを見ているとき、それを「素」のままで感じることはめったになく、たいていは過去の同じような体験と結びつけて、すみやかにそれを解釈しようとします。たとえば、友人が「すご〜くおいしいチーズケーキだよ!」と持ってきてくれも、「ああ、チーズケーキね。(はい、はい、知ってますよ。何度も食べています。味だってわかってます。)」と、頭で味をきめつけて、その日だけの、そのお店だけの、そのチーズケーキ独自の違いをじっくりと「初体験」することができないのです。

つまり、今回の事件で中国が象徴する横暴で一方的なエネルギーは、Lちゃんを過去のそれを同じようなエネルギーに結びつけて、その当時の感情を丸ごと拒絶反応や身体の反応としてつくりだしたわけです。

Lちゃんいわく、わたしのメールを読んで、ハッとしてから大笑い・・・だったそうです。大笑いしちゃうときは、その指摘がビンゴだったときです。カウンセリングでも、核心にせまった信念が出るといやでもゲラゲラ笑っちゃいます。はたまた、怒り出しちゃうときも。それもまたビンゴ!本当だけど、認めたくないときなのですね。

こういうイヤな感情が出て来たときは、ある意味ではそれを癒すよい機会です。なぜなら、ふだんはどこに自分の痛みがあるのか意識できないでいるからです。意識できないものは、手放すことができません。無意識から、いったん意識にのぼらせて「ああ〜、わたしはまだこんな痛みをもっていたのか」「こんな感情があったのか」と確認してあげることでそれを終了することができます。何かにイヤだと反応をはじめたら、いったい自分が何に抵抗しているのかを冷静に見つめてみてください。きっと、何か過去に原因を見つけ出せることでしょう。

先日、わたしもマークシートについてのブログを書きましたが、ほんと知らないうちに過去の抑圧した感情にコントロールされているわたしたち。もともと、ものごとは、わたしたちが意味をくっつけるまでは意味を持ちはしないのです。なるべくものごとに「意味」をつけないで、そのまま、そのまま、「素」で感じて、すべてをはじめての体験として味わいたいものです。すると、もっとかけがえのない「今」「ここ」を新鮮に楽しめることでしょう。

------ (^_-) -------- (^_-) --------

PS picは、昨日観に行った「ブランダースの光」展(Bunkamura)より。

19末〜20世紀のベルギー絵画です。フランドル絵画は苦手めのわたしですが(だって、どれも見てもみんな同じ・・・汗)、この時代のものはそれぞれ個性がきわだっていて楽しめました。季節や時間が織りなす光が印象的で絵の中に入りこんでしまいます。秋にぴったりですよ。

時はめぐって・・・秋

いつまでたっても暑いと大騒ぎしたこの夏。それでも季節はめぐり、週末はあちこちで秋祭り。御神輿の声がひびき渡ります。うかうかしているとさらに季節はめぐり、あっというまに今年も the End になってしまいそう!

そういえば、このところとみに旧友から久方ぶりに連絡が入ったり、今まで開催したこともなかった同窓会、同期会、OB会のお知らせが次々に舞い込みます。仕事や、家族や、いろいろなことが一段落して「個」としての自分に注意がもどってくる、そんなおトシなのかもしれません。

どれも、ちょっとばかり久しぶりという程度ではなく、十数年、二十数年ぶり。え〜、そんなにご無沙汰してた?と時の流れにガクゼンとします。けれど、こんな調子でまた十数年、二十数年が流れたら・・・(汗・・・人生、思ったほど長くない?)。

そう考えると、これからの時間の過ごし方やら出会いが、今さらながらにとても大切に感じられます。ほんとうの意味で「一期一会」の重さがわかるのは、やっとこのへんからなのかもしれません。一日、一日に大切にしなくっちゃ。

・・・と、もの想う秋なのでした(笑)。

増殖してます・・・クマ

「サンフランシスコの空港で拉致してきたよ」と、

くちゃくちゃの袋からあらわれたのは、胸にサーフィンの刺繍のあるサーファーくん。

拉致してきたというなら、それじゃ例の招待所にご案内。

じゃ〜ん!きょうからお仲間の面々です。

 

 

いつのまにやら、こんな大所帯に。

この子たち、み〜んな、NY、ロンドン、バンクーバー、ポートランドなどから連れてこられました。

ど〜ぞ、よろしく。

しかし、なぜにクマばかりふえるかな〜。
(だれかがクマに似ているから類友の法則じゃないの?ですと・・・ダレが?!)

なぜか?緊張、国勢調査

国勢調査の用紙が配られてきました。

ほっておくと忘れること必至!さっさとやってしまいましょう、と用紙を取りだし回答しはじめたはいいけど・・・なんかヘン・・・。テンションがあがるというか、身体に緊張を感じるのです。

何だろう、これは?・・・と、冷静になってみて気がついたのは、このマークシートが原因?!

マークシートを使うときって、いつもきまって試験なのですよね。とくに、最近ではTOEIC。

TOEICはなんせ量が多いし(ふつ〜に頑張っては最後までいきつきません)、リスニングは容赦なく音声が流れてくるし・・・で、試験の数時間はマークシートとの格闘になるわけです。しっかり塗ると時間が足りないのでチェック程度の印でOKとか、文章問題はスピード命だからなりふりかまわず猛然と解き進むとか、ちょっとでも考えるようだったらその設問は捨てるとか・・・。もう、マークシートを目の前においたときから気合いです。

そんなわけで、マークシート=「急がなきゃ〜!頑張んなきゃ〜!緊張!」のパブロフくんになっていたのでした(別に、国勢調査は採点されないしな〜)。(^。^;

日常でわけのわからない感情に影響されてることって案外多いのですよ。理由のない感情はパターン化した過去のもの。気づいてあげると、やめることができます。

10-09-19 愛するがゆえ、ココロは世襲制

  

 

きょうのセッションは、午前は13歳の娘さん、午後はそのお母さま。

そういえば、今までの最年少さん心理セラピーはいくつだったかな〜?と思い出してみました。その昔に小学生さんがいらっしゃいましたっけ。言葉を使うセラピーの場合、自分の気持ちや希望が自分の言葉で語れることが必要です。すると、やっぱりこのぐらいのおトシだとやりやすくなります。

娘さんにはなるべくわかりやすく、言葉を噛み砕いて、時間をかけて、新しいものの見方を伝授し、思いグセの修正をします。しかし、どこまで伝わったかな〜・・・。いえいえ、心配には及びません。お子さんの方がよっぽど大人よりも吸収がよいのです。わたしの話しを言葉ではなくエネルギーで解釈しているようで、すんなり心の深い部分におちて結果をつくりだしてしまいます。頭の理解を飛び越えて、エネルギーで悟る・・・これって次世代の学び方ですね。

きょうのセッションでおもしろいな〜と思ったことは、娘さんとお母さまと別々の時間枠でセッションをしているにもかかわらず、深い意識(潜在意識)のなかにある「人生を邪魔している信念」がお二人ともまったく同じだったということ。

娘さんとやりとりして見つけた信念は、「困っている人を助けたいけれど、助けられない非力な自分」と「世の中はコワイところ」というもの。お母さまは娘さんが日頃「怖がり」さんであることを心配してセッションをすすめたのですが、この「怖がり」さん、なんと、じつはお母さま本人だったわけです。娘さんはお母さまの信念と同化していたのです。愛しているがゆえに無意識のうちにお母さまと同調したのです。(わたしたちは愛するがゆえに、愛するものと同じになってもっと愛を得ようとします。また、相手に対して嫌悪や憎しみがある場合も、同じものになってどんな感じかするかを理解しようとするのです,親父の浮気を責めていた息子は同様に浮気をし無意識のうちに父親を理解し許そうとするのです。もちろん、よい場合も悪いばあいも無意識で行われます。)

このご家族では、おばあちゃんもきっと同じ信念をもった「怖がり」さんだったに違いありません。そして、そのまたおばあちゃんも・・・(どこまでさかのぼれるの?)。このように、物の見方、人生のとらえ方など、その人と一体化しているスタンダードな考え方って、世襲制なのですよね。ずっと、その家系に引き継がれてゆくのです。

でも、おもしろいもので、一人でもその考え方を手放して癒されると、一族郎党(もう亡くなっている方も含めて)全員が癒されてしまいます。これは、毎回のセッションで驚かされる部分です。セラピーで奥さまが役に立たない信念を捨て去ると、そのだんなさまの態度がより柔和に変わり、子どもも自信を持ち、また気まずくなっていた実家からとてもやさしくされたり、職場でも突然優遇され、現在つながりのある人たちとの間でいろいろな変化が起るのを目の当たりにしてきました。

それもそうですよね。わたしたちはみんな潜在意識でも、そしてエネルギー的にもつながっているのです。もともとひとつのエネルギー体なのですものね。

さてさて、お二人ともこのような「怖がり」さん信念を持っていたら、もれなく世の中とてもアブナイところになるし、コワイ体験に悩まされ続けてしまいます。でもお二人まとめてそれを処理したってことは、先祖にさかのぼってまわりへの恩恵も大きいことでしょうね〜。それに、お二人も肩の荷(いえ、潜在意識の荷)がおりてすっきりしていることでしょう。

そして、これはセラピストへの恩恵でもあるのです。クライアントさんが癒されるとセラピストもどこかの部分でちゃっかり癒されちゃっているようです・・・ふっふっふ。いわば、おいしいお仕事です。ごちそうさま・・・♥