夏のティータイム

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

これ、いったい何でしょ!? まるで沼から出てきちゃったような不思議な物体。

スタバの抹茶スコーンです。

グリーンの度合いが尋常ではありません。

先月ぐらいに発売されてから、このインパクトのすごさに是非食べてみたいと思っていたのですが、いつも売り切れ(泣)。一日10個限定だそうな。

この日はお昼まえだったので、ようやくゲット〜!

なかまでまっさお〜☆

感想は ・・・残念ながら、色ほど迫力はありませんでした。まるで、強もてにもかかわらず気弱な妖怪みたいです(笑)。スタバのお抹茶パウンドのほうが、よっぽどお抹茶感満載でした。でも、食べられて満足! ٩(。θ◡θ。)۶

一方、こちらはお友だちにいただいた「すいか麦茶」by ルピシア

フレーバーティーはいろいろあれど、スイカ+麦茶ってあたらしい。

水だしで冷蔵庫で作ってみました。すると、冷蔵庫の扉を開けると、まるで完熟スイカが入っているよう。

ティーバックを取り出して捨てると、ずっとスイカの甘い匂いが・・・。グラスに注ぐと、スイカジュースのようにほんわり甘い香り。なんかカブトムシになった気分。

口に含むと、意外にもすんごくふつ〜に麦茶。なんかキツネにつままれた気分の 不思議なお茶です(笑)。

 

 

日本ヒプノセラピー協会「ベイシックセミナー」のお知らせ

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

(社)日本ヒプノセラピー協会によるヒプノセラピスト養成コース「ベイシック セミナー」を開催いたします。

二日間でヒプノセラピーについて、こころについて、そして自己催眠の実際を学びます。ヒプノセラピーを学んでみたい、自分を癒したい、心のパワーを実感したいあなたへ。・・・この機会に、是非ご一緒に学んでみませんか?

ヒプノセラピーは、あらゆる問題の原因であるこころの深い部分から癒しと解放を行うことができる、 とてもパワフルなセラピーです。ヒプノセラピーを理解しながら、ヒプノセラピストとして必要な催眠の基礎とこころの仕組みを、二日間にわたり実習を交えながら楽しく学びます。セラピストを目指す方だけでなく、自分自身を癒したい、あるいは家族や友人のために役立てたいという方にもおすすめいたします。

▶内容: こころの仕組み(潜在意識とクリティカルファクター) / 催眠の効果と深さ / 被暗示性テスト / 意志の力と想像力 / 誘導(段階的リラクゼーション) / 自己催眠 / 暗示(暗示の法則・スクリプトの作成) 他   
*〈 少人数制 / 6人まで 〉定員になりしだい締め切らせていただきます。

▶日時(二日間): 8月12日(土)〜 13日(日)10:00 ~ 17:00

▶会場: 都内

▶受講料:  48,000円 (日本ヒプノセラピー協会 ベイシック修了証が発行されます)

▶講師: 古川貴子 (日本ヒプノセラピー協会講師・ヒプノセラピスト)

▶お申し込み: こちらから(詳細はご案内させていただきます)

 

こんな方にオススメいたします!  ・深いところから自分を癒したい ・自分の人生を向上させたい ・自分やこころのことについて理解を深めたい ・ストレスを解消したい ・イキイキしたい ・リラックスできるようになりたい ・ヒプノセラピストになりたい ・家族や友人のために役立てたい ・自分を変えてみたい ・新しいことにチャレンジしたい ・生きがいのある生き方をしたい

講師プロフィール: 古川貴子(ヒプノセラピスト・心理療法家)     ''93年に「オフィス・るん /ヒュー マンセラピー研究所」を設立以来、二万人以上の豊富な臨床経験を持つ。ヒプノセラピーをはじめ、古典心理学、超心理学、エネルギーワーク、ヒーリング、瞑 想、非二元論など多岐にわたる理論と療法を日本と米国にて習得し、そこから独自のメソッドによるプログラムを開発し、短時間で高い効果のあるセラピーを提 供している。心の癒しとともに、その人のなかに眠る才能を探り、内面の豊かさを引き出すセッションを行っている。個人セッション、セミナー、企業研修、大 学における授業など、活動は多岐にわたす。雑誌、テレビなどのマスメディアでも紹介されている。「オフィス・るん /ヒューマンセラピー研究所」「中目黒メンタルヘルス・カウンセリング」代表。

 

社)日本ヒプノセラピー協会(養成コース詳細はこちら)

 

17-07-07 不満よりも受けいれること

K子姫と半年ぶりのお茶タイム♡

第一声は「おつとめ、お疲れさまでした!!」

まるで、壁のむこうから帰還された姉さんを出迎えているようでもありますが(汗)。たしかに ・・・ K子姫は舞台で春先から拘束されていたので、ようやくジャバに出てこられたというわけです(笑)。

銀座のど真ん中、とっても細い路地のつきあたりにあるカフェへ。上野のフレンチ、タントマリーさんのスウィーツを出してくれるお店です。

二人していちごのティラミスミルフィーユ。ホワイトチョコがサクサクとした食感で美味しいのです。

お喋りに興じていたら、突然「二時間になりましたので・・・(お引きとりを)」とお店の方に声をかけられ我にかえりました。

店内には他にたった一組しかお客さんがいなくてガラ空きだったので、「なんで? 」と思ったけど ・・・ ここは素直に退散し、他のカフェを探しに行きました。

私たちの日常には「なんで?!」と自分目線では腑に落ちないことがたびたび起こるけれど・・・ 最近は素直に起こることを受けいれるようにしています。

なぜなら、すべては「よきこと」 ・・・ であるはずだから。

自分さえ邪魔をしなければ・・・。

でも、その「よきこと」の全貌を私たちはすべて知っているとは限りません。ほとんど、ピンポイントでしかものごとを把握できていないので、起きていることは意味不明となりがちなのです。そこだけを見ると、「間違っているぞ!」と思ってしまいがちです。

しかし、私たちはその全部知っていなければならないというわけでもないのです。「流れるように体験してゆく者」である私たちにとっては、すべてがつながってよきことであれば、それでいいのです。

たとえば昨日だと ・・・ お店の冷房がけっこう効いていて、あれ以上いたとしたらお互いノドを痛めてしまったかもしれません(二人ともノドは商売道具)。だから「もっと暖かい所に移動しなさい」というサインで、二時間が潮時だったのかもしれません。

あるいは、私たちはただ歩いているときでさえ、お互いふと視界に入るだけでも大きな影響を与えあっていたりします(ある人を見たときに、あることを思い出したり、ある感情が喚起されたり、何かを考えさせられたり ・・・と)。そんな意味もあったのかもしれません。

さらに、移動した先で私たちがおしゃべりに興じていたとき、すぐ隣のテーブルで静かにひとりコーヒーを飲んでいたオジサマがいらっしゃいましたが、もしかしたら話しの内容がつつぬけだったかもしれません。彼はなぜか、それを聞く必要があったのかも知れません(ほんのひとつの単語であったとしても・・・)。

まだまだ、他にも私たちには知れぬ理由があるのでしょう。

そして、そこで起きた小さな変化はバタフライエフェクトのように、その人のまわりの人に伝播して、さらに他の人に伝わったり、無限な広がりをみせます。

一人がほんの少し変わることの大きな変化は、セラピーでもいつも顕著なのです。お母さんが内緒でセラピーに来ていたとしても、それを知らないこどものあらゆる行動が自然と変化していく、というように。

とにかく、「すべてはそれでよい」と最初から喜んで受けいれていると、フラストレーションもないし、自然とよい方向へと向かっていきます。よい流れにのります。

それに ・・・ 私たちは他の「選択肢」があると思っているけれど、ほんとうはそのようなものはないのです。

今はこれが起こっているのだから、「これしかない」というのが本当のところです。そして、「それしかない」のであれば、それは必ずいちばんよいことなのですね。だから、それと無為にた闘わないことが大切なのです。

しかし、ものごとを自然に起こるままにさせているときでも、「どちらの目で見るのか」ということが「自分にとってそれがどんな体験になるか」の大切なカギとなります。

つまり、見方が自分の体験を決めます。

「怖れ・怒り・不満」で見れば、何だってそのように見えるし。

また、「信頼・完璧さ・愛」で見れば、いつだって目にうつるものははそのようなものばかりになるのです。

だから、起きていることに身体を固くして抵抗することよりも、いちばん大切なのは、起きていることを素直に受け入れて「安らぎと信頼の目」でいつも見ることができるようになることなのです。

K子姫と私は、移動先のカフェではお喋りがヒートアップして、さらに二時間楽しい時間を過ごすことができました♡ よい昼下がりでした。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング )

 

気づきの日記「不満よりも受けいれること」

K子姫と半年ぶりのお茶タイム♡

第一声は「おつとめ、お疲れさまでした!!」

まるで、壁のむこうから帰還された姉さんを出迎えているようでもありますが(汗)。たしかに ・・・ K子姫は舞台で春先から拘束されていたので、ようやくジャバに出てこられたというわけです(笑)。

銀座のど真ん中、とっても細い路地のつきあたりにあるカフェへ。上野のフレンチ、タントマリーさんのスウィーツを出してくれるお店です。

二人していちごのティラミスミルフィーユ。ホワイトチョコがサクサクとした食感で美味しいのです。

お喋りに興じていたら、突然「二時間になりましたので・・・(お引きとりを)」とお店の方に声をかけられ我にかえりました。

店内には他にたった一組しかお客さんがいなくてガラ空きだったので、「なんで? 」と思ったけど ・・・ ここは素直に退散し、他のカフェを探しに行きました。

私たちの日常には「なんで?!」と自分目線では腑に落ちないことがたびたび起こるけれど・・・ 最近は素直に起こることを受けいれるようにしています。

なぜなら、すべては「よきこと」 ・・・ であるはずだから。

自分さえ邪魔をしなければ・・・。

でも、その「よきこと」の全貌を私たちはすべて知っているとは限りません。ほとんど、ピンポイントでしかものごとを把握できていないので、起きていることは意味不明となりがちなのです。そこだけを見ると、「間違っているぞ!」と思ってしまいがちです。

しかし、私たちはその全部知っていなければならないというわけでもないのです。「流れるように体験してゆく者」である私たちにとっては、すべてがつながってよきことであれば、それでいいのです。

たとえば昨日だと ・・・ お店の冷房がけっこう効いていて、あれ以上いたとしたらお互いノドを痛めてしまったかもしれません(二人ともノドは商売道具)。だから「もっと暖かい所に移動しなさい」というサインで、二時間が潮時だったのかもしれません。

あるいは、私たちはただ歩いているときでさえ、お互いふと視界に入るだけでも大きな影響を与えあっていたりします(ある人を見たときに、あることを思い出したり、ある感情が喚起されたり、何かを考えさせられたり ・・・と)。そんな意味もあったのかもしれません。

さらに、移動した先で私たちがおしゃべりに興じていたとき、すぐ隣のテーブルで静かにひとりコーヒーを飲んでいたオジサマがいらっしゃいましたが、もしかしたら話しの内容がつつぬけだったかもしれません。彼はなぜか、それを聞く必要があったのかも知れません(ほんのひとつの単語であったとしても・・・)。

まだまだ、他にも私たちには知れぬ理由があるのでしょう。

そして、そこで起きた小さな変化はバタフライエフェクトのように、その人のまわりの人に伝播して、さらに他の人に伝わったり、無限な広がりをみせます。

一人がほんの少し変わることの大きな変化は、セラピーでもいつも顕著なのです。お母さんが内緒でセラピーに来ていたとしても、それを知らないこどものあらゆる行動が自然と変化していく、というように。

とにかく、「すべてはそれでよい」と最初から喜んで受けいれていると、フラストレーションもないし、自然とよい方向へと向かっていきます。よい流れにのります。

それに ・・・ 私たちは他の「選択肢」があると思っているけれど、ほんとうはそのようなものはないのです。

今はこれが起こっているのだから、「これしかない」というのが本当のところです。そして、「それしかない」のであれば、それは必ずいちばんよいことなのですね。だから、それと無為にた闘わないことが大切なのです。

しかし、ものごとを自然に起こるままにさせているときでも、「どちらの目で見るのか」ということが「自分にとってそれがどんな体験になるか」の大切なカギとなります。

つまり、見方が自分の体験を決めます。

「怖れ・怒り・不満」で見れば、何だってそのように見えるし。

また、「信頼・完璧さ・愛」で見れば、いつだって目にうつるものははそのようなものばかりになるのです。

だから、起きていることに身体を固くして抵抗することよりも、いちばん大切なのは、起きていることを素直に受け入れて「安らぎと信頼の目」でいつも見ることができるようになることなのです。

K子姫と私は、移動先のカフェではお喋りがヒートアップして、さらに二時間楽しい時間を過ごすことができました♡ よい昼下がりでした。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング )

 

姫♡気分のお出かけ絶好調

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

先日、こんなところにお出かけしてきました。

ちょいとヴェルサイユっぽい?! (*´∀`*)ノ

なかは、こんな感じで ・・・ 建物と噴水の雰囲気が、どことなくヴェルヴェデーレ宮殿の雰囲気に似てるかも・・・。友人も同じ意見でした。

確かに、ここは宮殿ではあります。 ・・・ 迎賓館・赤坂離宮。

友人が、なかなか見ることができない和風別館・游心亭の見学チケットをゲットしてくださったのです! うれし〜♪

日本のおもてなしの最高峰、真髄を見学することができます。 (*⁰▿⁰*)

どこもかしこも国宝級のものばかりですが、驚くほどにシンプルです。すべてをそぎ落としたすがすがしさとでもいいましょうか? ああ、日本の美って潔い。

でも、おかしな話しがいくつかあって ・・・

お玄関の渡り廊下にある真っ白な玉砂利と鮮やかな孟宗竹の壷庭。

これは設計された建築家 谷口吉郎氏の世界観で、静けさとすがすがしさが演出されている江戸風のお庭だったのだそうです。が ・・・ その後、ときの内閣総理大臣 TK氏が訪れたとき、「ここには石がなくちゃいけないだろう!」という鶴のひと声によって、大きな貴船石が三つ運びこまれ、結局江戸風の粋なお庭は、あっというまに京風のよくある枯山水の石庭に様変わりしてしまったそうな。(∩˃o˂∩)

また、建物の全面には大きな水盤が作られていて、これは建物のなかに水のゆらぎが美しく映しだされるよう設計されていたそうな。それも TN氏の「錦鯉がいないのはおかしいだろう」のひと声で、たくさんの錦鯉が放たれたそうなのです。

しかし、なんせ池としては設計されていなかったので、いっぺんに30匹も死んでしまったそう。その後、水盤はお池として深く掘りなおされて、残りの鯉は無事サバイバルしています。このゆらぎの水盤も、よくある日本庭園のお池と化したのでありました(笑)。(よく海外からの来賓と首相が、一緒に鯉にエサをやっている図がテレビでながされますね。)

そうですよね。政治家さんの庭先って、大きな石と錦鯉のイメージですものね。彼なりの豪華さの表現には必須だったのでしょうね(笑)。ちなみに、そのとき設計者の谷口氏はすでにお亡くなりになっていたそうです。

お食事のお部屋やお茶室も見せていただきました。

壁なども、ちょっとキズがあったりすると全面とりかえになるそうで、決してふれることなく廊下の真ん中をしずしずと歩きます。壁ドン、禁止ですね。(笑)

このあと、本館となる迎賓館も見学。

それはそれはきらびやかだけれど、西洋のお城のような冷たさがまったくないのは木のあたたかみが感じられるせいでしょうか?

とても見応えがあって、お腹いっぱいな感じです。これぞ、ホンモノの威力ですね。

お声かけていただいて、ありがとうございました! すっかり姫気分です。(^-^)

 

 

07-06-27 学ばれていないレッスン

「それは、真に学ばれるまでくりかえす」

私たちがその問題の核心を学び終えるまで、同じレッスンがくりかえされる ということ。

その昔、くりかえし起こる同じような問題に、「いったい、宇宙は私に何を学べと言っているのぉ〜?! 」と、あまりのわからなさに叫びたくなったことがありました。

教科書だって、〈学びのポイント〉が最初にちゃんと示されているというのに。私たちは何のテキストも与えられず、いったい何を学んだらいいのか教えてもらうこともないなんて、ぜんぜんフェアじゃないわ〜。「それって、じつは学んでほしくないってこと? 落第してくださいってこと?」と逆切れしたい気持ちになったものです(問題は自分がこしらえているのにね〜・・・ 苦笑)。

で、問題をまえにして、その「学びのポイント」なるものをいろいろと憶測して、試してみるわけです。

「これですかい?」「え? これじゃダメ?」「じゃあ、これはどうだ?」「う〜ん、びくともしないな〜」 ・・・ というぐあいに。

学ぶべきレッスンについていろいろと予想して、「さては、もっとポジティブに生きなさいってことかしら〜?」とか。

ムリにポジティブは役に立ちません。ネガティブを抑圧するので、あとで必ずシワよせがきます。それよりも、ネガティブに考えてしまう理由を探求したほうがいいのです。

「あ、きっと自分のことばかりで愛が足りないから、もっと愛をもちなさいってこと?」とか。

ムリに愛の人になろうとすると、イイ人として犠牲をすることになるので、あとでもれなく不平不満と怒りが爆発します。私たちはもともと愛なので、あらためて愛になることはできません。それよりも今、愛でいられない自分の意見をきいてあげる方がよっぽどいいのです。

で、結局わかったのは、「あるがままをそのままにしておける」までレッスンがくりかえされる ・・・ということ。

宇宙(神・源)に対してイチャモンをつけて、チャレンジし続けるのではなく、ありがたく今を頂戴し、味わい愛でるということ。

これができないと、私たちは年がら年中、不平不満を言っていることになります。でも、これはまったく流れを信頼しない、大いなる力を信頼せず、それよりも私が考えたプランのほうが素晴らしいに決まっているから「私にやらせなさい!」と、力づくで現実をどうにかしようとしているわけです。大いなる力にケンカをうってる?!

ほんとうに今あるものでよいのか ・・・ それは「これでよし」とありがたく今を頂戴してくつろぐまでなかなかわからないことなのです。不平不満を言っていると、敵をつくることになり、自分のこころが分裂します。分裂すると、ひとつである完璧さが失われて、完璧さが見えなくなるのです。

信頼ができるようになるまでは、わたしたちはそこでドタバタしていて、そのドタバタ感からは安らぎはやってきません。

実際、誰も「あるがままのこのままでいい」なんて教えてくれませんでしたもの。いつも何かを変えるためにチャレンジさせられてきました。

「教育」と称されて擦りこまれてきたことは、みんな自分の首をしめることだったとはね ・・・ 。苦しい、苦しいといいながら、じつは私たちは自分の「考え」で自分の首をしめています。「このままじゃダメよ」「もっとだわ・・・」と。

じっと止まって、正気にもどるまで、わたしたしは「今」という瞬間がいかに十分で、完璧であるかに気づくことができません。

たった今 ・・・ 私のパソコンは若干ふるくはなってはいるものの元気に働いてくれていて、ブログを書くには十分。このマックくんは、もっと高度な仕事ができるのだからさせてくれといいますが、ごめんね〜、ワープロどまりで・・・笑。

そして、かたわらにはおいしいコーヒー、最近お気に入りの成城石井のロイヤルブレンドのマグがあり、窓からはどこからともなくクチナシやジャスミンの香りが風にのってただよってきます。

さらに、ちゃんとお洋服も着てるし、椅子にも坐っているし。今、クツはなくても大丈夫だけど、さいわいクツだって持ってるし ・・・ 数歩あるけば、チョコレートの箱もあり。

今、必要なものは十分です。完璧にあります。 ・・・ 欠けてるもの? ありません!

こんなシンプルなゆたかさに、毎瞬、毎瞬気づくこと。

自分ではどうにもできない「未来」というものを楯にして、今、あれやこれやと不満をならべないこと。そうするといっぺんに、たった今ある十分さが消えうせます。

たった今、十分であればOKなのです。そして、いつもなぜか十分なのです。不思議なことに ・・・。

昔はあれやこれや「学ばれていないレッスン」について考えたり、試したりしていたけれど、ようやくレッスンのポイントという項目を見つけられたようです。

見つけただけで満足しててはいけませんね。毎瞬、毎瞬がレッスンが続きます☆ (∩˃o˂∩)

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

 

気づきの日記「学ばれていないレッスン」

「それは、真に学ばれるまでくりかえす」

私たちがその問題の核心を学び終えるまで、同じレッスンがくりかえされる ということ。

その昔、くりかえし起こる同じような問題に、「いったい、宇宙は私に何を学べと言っているのぉ〜?! 」と、あまりのわからなさに叫びたくなったことがありました。

教科書だって、〈学びのポイント〉が最初にちゃんと示されているというのに。私たちは何のテキストも与えられず、いったい何を学んだらいいのか教えてもらうこともないなんて、ぜんぜんフェアじゃないわ〜。「それって、じつは学んでほしくないってこと? 落第してくださいってこと?」と逆切れしたい気持ちになったものです(問題は自分がこしらえているのにね〜・・・ 苦笑)。

で、問題をまえにして、その「学びのポイント」なるものをいろいろと憶測して、試してみるわけです。

「これですかい?」「え? これじゃダメ?」「じゃあ、これはどうだ?」「う〜ん、びくともしないな〜」 ・・・ というぐあいに。

学ぶべきレッスンについていろいろと予想して、「さては、もっとポジティブに生きなさいってことかしら〜?」とか。

ムリにポジティブは役に立ちません。ネガティブを抑圧するので、あとで必ずシワよせがきます。それよりも、ネガティブに考えてしまう理由を探求したほうがいいのです。

「あ、きっと自分のことばかりで愛が足りないから、もっと愛をもちなさいってこと?」とか。

ムリに愛の人になろうとすると、イイ人として犠牲をすることになるので、あとでもれなく不平不満と怒りが爆発します。私たちはもともと愛なので、あらためて愛になることはできません。それよりも今、愛でいられない自分の意見をきいてあげる方がよっぽどいいのです。

で、結局わかったのは、「あるがままをそのままにしておける」までレッスンがくりかえされる ・・・ということ。

宇宙(神・源)に対してイチャモンをつけて、チャレンジし続けるのではなく、ありがたく今を頂戴し、味わい愛でるということ。

これができないと、私たちは年がら年中、不平不満を言っていることになります。でも、これはまったく流れを信頼しない、大いなる力を信頼せず、それよりも私が考えたプランのほうが素晴らしいに決まっているから「私にやらせなさい!」と、力づくで現実をどうにかしようとしているわけです。大いなる力にケンカをうってる?!

ほんとうに今あるものでよいのか ・・・ それは「これでよし」とありがたく今を頂戴してくつろぐまでなかなかわからないことなのです。不平不満を言っていると、敵をつくることになり、自分のこころが分裂します。分裂すると、ひとつである完璧さが失われて、完璧さが見えなくなるのです。

信頼ができるようになるまでは、わたしたちはそこでドタバタしていて、そのドタバタ感からは安らぎはやってきません。

実際、誰も「あるがままのこのままでいい」なんて教えてくれませんでしたもの。いつも何かを変えるためにチャレンジさせられてきました。

「教育」と称されて擦りこまれてきたことは、みんな自分の首をしめることだったとはね ・・・ 。苦しい、苦しいといいながら、じつは私たちは自分の「考え」で自分の首をしめています。「このままじゃダメよ」「もっとだわ・・・」と。

じっと止まって、正気にもどるまで、わたしたしは「今」という瞬間がいかに十分で、完璧であるかに気づくことができません。

たった今 ・・・ 私のパソコンは若干ふるくはなってはいるものの元気に働いてくれていて、ブログを書くには十分。このマックくんは、もっと高度な仕事ができるのだからさせてくれといいますが、ごめんね〜、ワープロどまりで・・・笑。

そして、かたわらにはおいしいコーヒー、最近お気に入りの成城石井のロイヤルブレンドのマグがあり、窓からはどこからともなくクチナシやジャスミンの香りが風にのってただよってきます。

さらに、ちゃんとお洋服も着てるし、椅子にも坐っているし。今、クツはなくても大丈夫だけど、さいわいクツだって持ってるし ・・・ 数歩あるけば、チョコレートの箱もあり。

今、必要なものは十分です。完璧にあります。 ・・・ 欠けてるもの? ありません!

こんなシンプルなゆたかさに、毎瞬、毎瞬気づくこと。

自分ではどうにもできない「未来」というものを楯にして、今、あれやこれやと不満をならべないこと。そうするといっぺんに、たった今ある十分さが消えうせます。

たった今、十分であればOKなのです。そして、いつもなぜか十分なのです。不思議なことに ・・・。

昔はあれやこれや「学ばれていないレッスン」について考えたり、試したりしていたけれど、ようやくレッスンのポイントという項目を見つけられたようです。

見つけただけで満足しててはいけませんね。毎瞬、毎瞬がレッスンが続きます☆ (∩˃o˂∩)

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子ヒプノセラピーカウンセリング

 

6月のヒプノセラピー体験セミナー

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

ヒプノセラピー協会「ヒプノセラピー体験セミナー」が終了いたしました♪

ご参加くださいました皆さま、ありがとうございました。

ヒプノセラピーというのは、まだまだ誤解されることが多々あります。  ・・・ 自分にはできないのではないか? 意識を失うのではないか? ヘんなことを言ってしまうのではないか? コワイのではないか? ・・・ まったくそのようなことはありません。ヒプノは、いたってシンプルでありながら無意識の深い部分から人を大きく変化させる、とても効果的なセラピーなのです。

そんなヒプノセラピーを、体験を交えながら知っていただきました。

今回は私(古川貴子)と同じく、ヒプノセラピー協会所属のヒプノセラピスト 薦田敬子さんと二人でナビゲートさせていただきました。

ヒプノ体験では、薦田さんには身体をリラックスさせながらこころも解放する「段階的リラクゼーション」というヒプノ誘導を(おっと ・・・ 隣にいる私が気持ちがよくなって、思わず意識がとびそうになりました・笑)。そして私は、身体という制限を越えて、本来の自分自身であるスピリットに戻るというこころのストレッチができるヒプノ誘導をさせていただきました。

♪ご参加のよっちっちさん(男性)からのご感想♪

〜 とても良いセミナーでした! ヒプノミニ体験は、ミニでなくとてもたっぷりで、良い体験をしました。これまでイメージはなかなか不得意な僕が、明るい会議室でもイメージ出来ました! 2人の講師の先生が、かけ合いで話されたのも理解しやすかったです。誰でも自分で自分に暗示をかけることはできるのだと分かりました。今日から寝しなに良いイメージを見て寝ます。ヒプノは原因の根本の解決ができるのが一番の魅力と、僕も思います。本当に参加して、良かったです。〜

ありがとうございます。(´▽`)  7月、8月も体験セミナーを予定しております! 是非、ご興味のある方はお気軽にお越しになってみてください。

【ヒプノセラピー 体験プチセミナー 7月、8月 のご案内】

「ヒプノセラピーってなに?」「どんな効果があるの?」「誰にでもできるの?」「ほかのセラピーとどう違うの?」「セラピストになるには?」・・・

リラックスした雰囲気のなかで、ヒプノセラピーについてのあれこれを学びながら、実際に体験することができるプチセミナーです。日々の疲れがとれたり、あるいは、心について、自分自身について、新たな気づきがあるかもしれません。どなたでも、気軽にご参加ください♪

*内容
・ヒプノセラピーってなに? どんな効果があるの?
・ヒプノセラピーと他のセラピーの違いは?
・ヒプノにかからない人がいる? 誰にでもできるの?
・ヒプノセラピーはなぜそんなに効果的なの?
・リラックスできるヒプノセラピー、プチ体験
・ヒプノセラピストになりたいけど・・・養成コースについてもっと知りたい
・お茶を飲みながら、ヒプノセラピーなんでも Q&A

*日時
A : 7月14日(金) 19:00~20:30
B : 8月18日(金) 19:00~20:30

*場所 : 表参道(渋谷区)

*講師 : 古川貴子 / 薦田敬子
(ヒプノセラピスト、日本ヒプノセラピー協会理事・講師)

*参加料 : 1,000円(お茶とお菓子つき)

*お申し込み方法 → こちらのフォームからどうぞ
(「体験コース」参加希望とご記入のうえ、希望の日にちをご明記ください。)
追って詳細をお知らせさせていただきます。

ヒプノセラピーってなに? → こちらから
ヒプノセラピーを受けてみたい → こちらから
ヒプノセラピーを学んでみたい → こちらから(日本ヒプノセラピー協会サイト)

(社)日本ヒプノセラピー協会
http://hypnopotential.com

 

 

ポーランドの夕べ♪

ヒプノセラピスト古川貴子のブログ

「パスポートが必要かもよ・・・」「え〜、まさか?!」 ・・・そんなやりとりがあってお出かけしたのは、ポーランド大使館。

たしかに、大使館のなかは日本じゃないからね〜。でも、大丈夫でした。

大使館での音楽会にお誘いいただいたのです。もちろんすべてポーランドの歌曲で、ポーランドから来日しているソプラノ、マグダレーナ・デュランさんの演奏によるもの。

ポーランド出身の作曲家といえばショパン。ピアノ曲でしか馴染みがなかったのですが、歌曲がけっこうあって、ピアノ曲とはすこし趣きが違ってまたステキなのです。教えてもらわなかったら、ショパンだってわかりません。軽快な伴奏の「願い」という曲がお気に入り。

その他にも、あまり耳にする機会がなかったポーランドの作曲家さん、モニューシュコやシマノフスキなどの歌曲を楽しむことができました。

演奏会が終わると、大使館から軽食やらワインのおもてなし。ポーランドのお料理やお菓子などがきれいに並べられていて、お皿に山盛りいただいてしまいました〜♪

ポーランド語や音楽関係の方が多く集う演奏会でしたが、音楽とお料理と集うみなさまの雰囲気でポーランドを感じる夕べとなりました。

私にとってポーランドはどこか第二次大戦の痛みのイメージが強く、なかなか旅のリストにあがることがなかったのですが、こんどヨーロッパ方面に行くときには是非足を運んでみようかな〜と思っています。

 

 

17-06-18 人生を紡ぐエネルギーを節約する

私たちは、よくよく「あるがまま」を受け入れるのが苦手なんだな〜と感じます。あるがままのパートナー(恋人、家族、友人・・・)、あるがままに起きてくる出来事・・・。

「あるがまま」ですべては完璧なのです というとき、それは私たち好みの「完璧さ」ではありません。ここを勘違いすると、いつまでたっても完璧さは見えてこないのです。

「完璧だ」というのは、あるがままには「それ以上」も「それ以下」もないからそれで完璧だ、それが宇宙の摂理だ ということで、私好みの私が夢見ている完璧さとは関係がないのです。

私たちが誰かにイライラするとき、失望するとき、文句を言いたくなるとき ・・・ まるで自分こそはまっとうなことをしていて、非の打ちどころがなく、それゆえ相手が間違っている、だからこんな気持ちになるのだと信じています。

そうです!いつだって、悪いのは相手なのです。他にはいません。

私たちの思考は、必死になって自己防衛や自己正当化を試みます。

じつはそのとき自分がしているのは、「あなたは私の思ったとおりの人でいるべきだ」「そうでないあなたは、どこかがおかしい」と主張しているにすぎません。

恋愛やパートナーとの関係についてのセッションをするとき、きまって問題の原因は「相手が間違ったことをしていて、だから私は不幸なんです」ということ。

でも、本当に相手は間違ったことをしているのでしょうか? それとも、たった今その人はそういう人であり、「あるがままの自分」として生きているだけなのでしょうか?

答えは後者、人はいつだってそのときの「あるがまま」で生きているだけ なのです。

問題は、それを見ている自分が「お気にめすか」「めさないか」という問題。

その人は、「その人」に他ならないのです。たとえ、その状態を私が気に入ろうが気に入るまいが。

つまり、私たちは出会う人たちに対して「私の理想の恋人(パートナー、友人、母、父、上司、部下、こども ・・・)でありなさい」と無言のうちに強要し、そうなるように全力で圧力をかけはじめます。言葉どおりプレッシャーをかける、あるいはひきこもる、言葉で指示する、態度で示す・・・。

そう思うと、私たちは目のまえのことを自分好みに変えることに、自分のエネルギーのすべてを全力で注いでいるようです。

とくにその関係に「恋愛」というレッテルがはられているだけで、この症状がひどくなります。

なぜなら、みんなテレビドラマや小説、映画に感化されて、「恋愛」とはこういうものだよね、こうしてもらわなくっちゃ愛している証拠にならないよね、恋愛関係ってこういうことが起こるものだよね、という様々なルールがありすぎるから。

恋愛だって、結局はひとつの人間関係。そこで大切なのは、自分の理想の恋人像を相手におしつけないこと。日々出会う、自分にとってさぼど重要でない人をあえて「変えよう」としないのと同様に、その相手をそのままにしておいてあげること。

もし、文句があるのだったら、おそらく自分のなかに「理想の恋人とは〜である」という、実際の相手とは無縁のたくさんのルールがあるのだと思います。

でも、目のまえの相手は私のルールとは関係ないところで生きているのす。そのルールの存在すら知りません。知る必要はありません。

人だけではなくって、日々目のまえに起きてくる出来事もそう。

イライラしているときには、「これはこう進むはず」という自分なりのストーリーがあるのです。

でも残念ながら、人生はそんな意図とは関係なく、勝手に紡がれてゆくのです。

もしも、私たちが無意識に行っている人やものごとに対する「抵抗(変えようとすること)」をすべてやめたら、すべてはさぞスムーズに、なるようになることでしょう。そして、ありあまるパワーが文字どおりありあまっていることに気づくでしょう。そうしたら、人生はどのように見え、どのように感じるのでしょうね?

自分が日々の生活のなかで「文句」が出ているところ(ほとんど無意識のうちの文句ですが)に気づいてみる、そしてものごとも人も、今あるものが「あるがまま」であると認めて、そのままであるように手放してあげる。

それが難しく感じるときには、「なぜ?」あるがままでいてはいけないのかを探求してみると、おもしろいことに気づくかもしれません。

自分の正しく節約されたパワーが、どんなふうに人生を紡いでくれるのか ・・・ 見守ってみるのもおもしろいかもしれません。

 

「気づきの日記」バックナンバーはこちら: 古川 貴子 ヒプノセラピーカウンセリング